回想 アルベルト
やはりそうなのか!
血の誘惑に抗えずにアグネスは私の首から控え目にほんの少し血を吸った。
推測が確信に変わって内心は興奮する。
そして彼女に纏わる一年近く前からの記憶が蘇ってきた。
♦
司会進行役を仰せつかった今年の新入学生のオリエンテーション。
新一年生達を前にして私は最前列に座るある一人の少女に目を奪われた。
透き通るような肌を持つ銀色のロングヘアの神秘的な少女。
瞳も少し変わった色合いで印象的だ。紅茶色の瞳が時折金色に光って見える。
あの時のアグネスは今でも鮮明に覚えている。
次に記憶に残ったのは課外活動の件だ。
王立学園は建前上、在学中は身分を持ち出さない事を建学理念で謳っている。
だが実際、貴族子女が孤児院のボランティアに自主的に参加する事は珍しい。
世間に対するポーズの為に参加する風紀違反の落第常連貴族ならともかく。
孤児院ボランティアは建学理念に従った王立学園主導の課外活動の一つだ。
だからその参加名簿は生徒会の執行部で管理している。
ちらほらしかいない下級貴族の名前の中に彼女の名を見つけた時、オリエンテーションで印象に残ったあの令嬢だと気が付いた。
それまで私はどちらかというと異性にあまり積極的ではなかった。
いずれ誰か意識する相手が見つかればいい程度の考えでのんびり構えていた訳だ。
その理由は私の育った環境が大きいかもしれない。
何せ家族が女性ばかりだからだ。
四人姉弟の末子である私は幼少期から三人の姉の尻に敷かれてきた。
おまけに武門の家だから女性も剣を普通に使うので姉達にも随分しごかれた。
だからといって別に姉達と仲が悪い訳ではない。ないのだが私にとって年の近い女性とは、要するに三人の姉達を想起させる存在なのである。
勝ち気で口でかなわず頭も上がらない……そんなイメージだ。
結婚するなら絶対年下にしようと決心したのは言うまでもない。
そんな私の興味を引いたアグネスは姉達とはまさに対極、月とスッポン。
健康的に日焼けした肌とは違うまるで雪の様な誰よりも白い肌。
そして外見から伝わるいかにも控え目で守りたくなる様な雰囲気。
貴族席の最前列という事は入学前の事前考査で優秀な成績だという事だ。
私の頭の中に彼女の存在が刻まれた瞬間だった。
無論、見た目と人柄が一致しないのは姉達を見て誰よりも理解している。
姉達は剣を使えば凛々しい女騎士然としているがドレスを纏うとイメージが正反対に度変わる。
妙に姿勢がいいところを除けば文句のない淑女だ。
だからアグネスだってその中身は違うかもしれないと思ったし特にもっと知りたいとまでは思わなかった。
この時点では。
だがある日、生徒会執行部の仕事の関係で早めに学園に来た時に彼女を見かけた。
大教室に置かれている花を差し替えているのがオリエンテーションで見たノイマン子爵令嬢だという事がすぐ分かった。
慈しむ様に花を手入れしている彼女をしばらく見つめていた事を覚えている。
「基本、食べられる植物しか興味が無い」と家族の中で公言する長姉とは大違いだ。
各教室に飾られている花は全て毎日皆彼女が一人で手入れしている事を知った。
それまでこんな時間に来ることが無かったから気が付かなかった。
きっかけとしては非常に些細な事だが私の中で彼女への興味が更に少し育った。
そんな時、私はお茶会に表彰者の一人として参加する事になった。
普段は伯爵領にいる父母も時期的に社交シーズンという事もあって私をねぎらう為に早めに王都にやって来た。
そこでここ最近、顔を合わせるたびに持ち出されるあの話題が出たのだ。
誰か気になる女性は出来たか? という奴だ。
頭ごなしに婚約者を決められた訳でないのは感謝するが急かすのは止めてほしい。
その時は「いない」と父母に答えたものの、少し気になった令嬢はいる。
幸いアグネスもお茶会に参加予定だったので私は生徒会執行部役員というコネを利用させてもらう事にした。
彼女の隣の席にしてもらった訳だ。
直に話をすれば彼女の人となりも詳しく理解できるだろうと思ったから。
しかし、相談する相手を間違えた気もする。
「ほほほう。モテる割にお堅い朴念仁もついに気になる女性が出来たか。
よしよし、席決めは私に任せておけ。一つ貸しな」
第三王子殿下、いや会長のにやけ顔は癪に障るがこの際やむを得ない。
人を茶化す悪い癖があるが基本的には道理を弁え頭も切れる優秀なお方だ。
口も堅いし問題ないが惚けて人をあしらうこの方を見ていると末姉を思い出す。
せっかく通学期間が重ならないでほっとしていたのに。
そして、お茶会当日。
アグネスの隣席になって話を交わした印象はほぼ私の思い描いた通りだった。
大人しく控え目で自己顕示欲が少ない。
その反面、自己評価が若干低い感じがするけれど基本的に好ましい。
話の方向性や会話から性格的にも合いそうな気がする。
彼女の方がどう思っているかが重要だが。
お茶会が終わると私は生徒会執行役員の一員に戻って後処理に加わった。
一通り片付いた頃、会長が私に耳打ちする。
「アルベルト。ちょいと調べた所、ノイマン子爵令嬢は人格的に悪目立ちする部分は特に無さそうだぞ。
貴族間の友人同士の間では控え目で穏やか、目立たない立ち位置らしい。
でもまぁ何気に優秀だし、普通に美人だ。君のお眼鏡にかなうだけはあるな」
「会長、そんな調査まで頼んだ覚えはありませんが?」
「可愛い後輩の為に気を利かせたんじゃないか。感謝されるかと思ったのに」
「ありがとうございます、と一応言っておきます」
会長の余計なお世話とあのハプニングがあったけど非常に有意義なお茶会だった。
私は父母に『例の話題』を振られたときは彼女の名前を出すことに決めた。
♦
実際、父母と話している内にあのハプニングと彼女の瞳を結び付けた事で祖先の話まで思い出した。
本当にアグネスが我が家と遠い縁ある家系とは確信出来ていなかったけれど。
子供の頃から先祖の話はよく聞いていた。
人々に紛れて暮らす吸血の民を見つけて狩ってきた一族だという事を。
大昔とはいえそんな経緯があるから彼女は警戒してしまうかもしれない。
言葉を慎重に選んで話す様に心掛ける。
我が家の先祖の立場からの話を。
「……知っているかもしれないが、我が家の経歴も君の祖先と同じで変わっている」
「はい」
「私の一族と云えばどの様なイメージがあるかな」
「武門のご一族と認識しております。……『吸血鬼』狩りの御家系だとも」
『吸血族』ではなく『吸血鬼』と言う所に少々自虐的な部分が感じられる。
でもそれは何百年も昔の話でアグネスが劣等感を持つ必要は無いと思う。
彼女の言う通り、我らが先祖は太古対立していた一族だ。
ただそこに至る真実は現代ではいささか曖昧だ。
狩る者、狩られる者のイメージが現代で定着しているがまずはそこを訂正したい。
そして、こちらの先祖もちゃんと理由がそれなりにあったのだという事を。
「そうだね。我々の源流は君の一族と敵対していた」
「……」
「君はなぜだか知っている? そもそもの根本的な理由を」
「いえ。知りません」
「他ならぬ君が証明した。我が一族が君達に敵対した理由をね」
「?」
「君の話だと今までそれほど血を欲した事は無い訳だよね?
万が一欲しくなった場合はやむを得ずお父上から血を分けてもらうとかかな?」
「……その通りです。ひと月に一度、指先の傷から血一粒を舐める程度ですが。」
「でも、君は私に対しては違った。それが理由だ」
「もしかして」
「そう。君の祖先もそうだった。
相性か何かわからないけどなぜか特定の一族の血が一番欲しくて堪らなくなる」
「……」
「君の祖先は君よりはるかに吸血衝動が抑えられなかったのだろう。
我々からしたら冗談ではないという事になる」
「……」
「つまり我々の先祖は好きで君達を弾圧した訳ではないと思う。
こちらからの一方的な見方で祖先に代わって言い訳しているみたいだけど。
私が君に興味を抱いたのも先祖から受け継がれた『吸血狩り』の本能もあったかもしれない」
「!」
思わず身を引いてしまったアグネスを見て私は慌てて訂正した。
「あ、いやいや違う! 大昔ならいざ知らず今は同じ国の貴族じゃないか。
誤解しないでほしいんだけど、私は顔も知らない先祖などどうでもいい。
大昔の不幸な歴史があったからと言って正直知った事かと思う。
私の家族も多分同様さ」
「え?」
「その、言い方が悪かった。
君に色々喋ったのは別に君の先祖を責めたい訳じゃない。
ましてや君に引け目を持たせる為に話した訳でもない。
君自身が知らないこちらから見た事実で語れる事があったから語っただけだ」
ここまで言った後、激しく後悔する
(ええい! なんていう回りくどい話をしているんだ私は!
サラッと好きだとか愛してるとか一目ぼれしてたとか言えないのか?
ここに至るまでスカしたまま正直になれないのはおそらく姉上達による紳士教育とやらの弊害だ!
そうだ、そうに違いない!)
自分の意気地なさを脳内で姉上達のせいにして罵倒する。
おかげで少し冷静に戻った。さっさと言うべきことを言わないと。
「とにかく、確かに我々の祖先には不幸な出来事があった。
でもそれを知らない我々がそんな大昔の事に振り回される事は無い。
それを気にしたり理由にしたりして私を避けてほしくないから……」
「それは……どういう」
「なぜならずっと君に興味があったから。異性として」
アグネスの眼が完全に金色に変化した。
これは、もしや感情が上気した時に現れる症状なのだろうか。
だとしたら彼女も決して私に悪い感情は抱いていない筈だ……そう思いたい。
「でも……私などが受け入れてもらえるでしょうか」
「勿論だ」
私の心にさり気なく印象を残していった彼女が、実は我が先祖からの縁がある者だというのはものすごい偶然じゃないか?
運命、何て言葉は信じた事は無いが彼女に関しては例外の様な気がする。
私はアグネスの不安を吹き飛ばす様に間髪入れずに返した。