お茶会当日①
「あぁ……私、人前で何て事してしまったのかしら」
人前は苦手でやや引っ込み思案な性格と訳アリな体。
それなのにほんの一瞬、本能が勝って悪目立ちした人はいますでしょうか。
少なくともここに一人います。
それも言い訳できない実にみっともなくはしたない形で。
屋敷に帰った私は自室のベッドで枕に顔を埋めて突っ伏したまま動けません。
「お嬢様……お気持ちはお察し致しますがそろそろ立ち直って下さい」
普段は厳しめ口調の侍女のカテジナが珍しく同情しているくらい深刻です。
申し遅れました。私、アグネス・フォン・ノイマンと申します。
一応、この王国では子爵令嬢と位置づけられる貴族です。
現在、自分のした不始末について猛烈に落ち込んでいる所です。
「嘆いたところで今更過去には戻れませんよ」
「そんな正論、聞きたくない……」
「ですが、家庭教師の方もお待ちかねですよ」
「もうそんな時間? ごめんなさい。本当に気分が悪いの」
「……わかりました。お伝えしてきます」
「先生には後で改めて謝罪するわ。それと」
「はい?」
「お父様が帰られたら、すぐに教えて」
「かしこまりました」
ここまで落ち込んでいるのは本日のお茶会での出来事が原因です。
私が通う王立学園では半年に一度、王城庭園の一角を借りてお茶会が開かれます。
出席者は本年度、様々な分野で優秀な成績を収めた者達です。
といっても、私の場合は課外の奉仕活動で評価が上乗せされたのかもしれませんが。
ともかくお茶会に出席した私はそこで恥ずべき失態を犯してしまったのです。
参加者はそれほど多くないので4人掛けの円卓がいくつかあれば事足ります。
指定された席に着いて驚きました。
私の隣席が有名な貴公子、アルベルト・フォン・クライバー様だったからです。
アルベルト様は王族の縁戚でもある伯爵令息ですがただの伯爵ではありません。
ご実家の源流は大昔に吸血鬼狩りとして名を馳せた武闘派一族、そしてお父上様はこの王国随一の軍事的実力を持つ辺境伯だからです。
実質この国では上級貴族以上の影響力をお持ちと聞いた事もあります。
家柄とは別に、実力という面でアルベルト様ご自身も同様です。
その名声は容姿や血縁からでなく学業や武芸の実力である事は衆目の一致する所です。
同じ貴族とはいえ向こうは国家の重責を担う辺境伯令息。
一方、私は(父が云うところの)零細下級貴族令嬢。
話す機会も無かったですし、こんな近くでお会いする事など勿論初めてです。
でも、思わぬ幸運が舞い込んできたとは思いません。
実はそれ以外にも近づき難い理由はあったからです。
私は緊張気味に挨拶して着席しました。
「ノイマン子爵令嬢、貴方と話すのは初めてですね」
「は、はい」
「緊張しないでいいですよ。学園では貴族間の上下関係はいらない」
「恐縮です」
先も言った通り、アルベルト様は実質上級貴族です。
たまたま何かの機会に頭を下げる程度の挨拶しか交わした事のない方なのでモブ的存在の私としては言葉が必然短くなりがちです。
そんな私の内心を悟ったようにアルベルト様は微笑まれました。
「まだ固くなっているね。では、敬語もやめよう。我々は学生身分なのだから。
よければ私の事は名前で呼んで欲しいな。私も貴方を名前で呼んでいいかな?」
「え? は、はい。光栄です……でも、宜しいのでしょうか」
「ほら、また。普段友人に話す感じで構わないよ」
意外な申し出に驚きます。
でも、もしかしたらそういう気さくな性格の方なのかもしれない。
そんな風に解釈しました。
がちがちに緊張したのを見透かされた様で気軽に話しかけてくれました。
アルベルト様の笑顔を至近距離で見て、正直舞い上がってしまいました。
でも、まだ完全に緊張は取れません。
光栄などと大げさな言い方をしてしまったのも私の本音です。
同じ円卓の席に着いている他の方達も皆私より貴族階級が高い方々だからです。
でも、その心配も結果的には杞憂でした。
他の方々もアルベルト様同様にとても人当たりの良い方達ばかりでしたから。
お茶会が始まってしばらく経つ頃には当初の緊張も大分薄れ、いつしか皆様と当たり障りのない会話を出来る様になっていました。
それにしても意外だったのはアルベルト様の人となりです。
初めて会話しましたがこんなにお話ししやすい方だとは思いませんでした。
私とは縁遠く色々近づき難いお方だと思っていましたので。
今思えばこの時、私は相当浮かれていたのでしょう。
普段しない事をしてしまったのですから。
つくづく恥ずかしい限りです。
まず、事の発端は円卓付きメイドが給仕をしている時の行動でした。
おいしそうなお菓子にでも誘われたのか偶々蜂?か何かが飛んできたのです。
彼女は驚いてつい反射的に払う仕草をしてしまいました。
「……っ!」
彼女が落としたデザートフォークをやはり反射的にアルベルト様が地面に落ちる前に拾いました。
その時、アルベルト様は指にほんの小さい傷をつけてしまったのです。
フォークが原因か椅子かテーブルの金属装飾の角で軽く引っ搔いたのかはわかりません。
とにかくアルベルト様の指先に小さい血の球が浮かぶのを私は見ました。
その時の吸い付けられるような感覚を覚えています。
王城務めのメイドにしてはお粗末かもしれませんが勤めて日の浅い者だったそうです。
その事は後で知りましたが。
メイドと血相を変えて飛んできた給仕頭は真っ青になってアルベルト様に頭を下げました。
でもアルベルト様は「気にしないでいい」と場を納めます。
そして自分でハンカチを取り出して指の血を拭おうとしたのです。
この時、状況をよく覚えている割に私の関心は完全に別方向に向いています。
結果的にアルベルト様の指先の血がハンカチに拭われる事はありませんでした。
なぜなら……。
(美味しそう)
逞しく大きい手から伸びる形のいい指先。
男性にはよくある剣だこが見えます。
綺麗に手入れされた爪の近くに見える蠱惑的な小さく赤い液体。
自然と目が吸い寄せられます。
気が付いたら私はアルベルト様の指を咥えていました。
実は私には時々どうしようもなく血が欲しくなる持病があるのです。
でも、人前でこんなに制御が効かなくなったのは初めてでした。
我に返って慌てて口を離してとっさに変な言い訳をしたものの、何とも周囲を微妙な雰囲気にさせてしまいました。
その後表面上何事もなく普通に色々皆様と会話してお茶会は終了しましたが、ここの詳しい内容は覚えていません。
国王陛下がわざわざいらして下さった時さえ気もそぞろだったくらいですから。
既に自分のしでかしてしまった事で頭が一杯だったのです。
『貴方の血が美味しそうでどうしても舐めたくなりました』
あの場でそんな事はとても言えませんでした。
そもそも私の持病を信じてもらえる訳ありません。
信じてもらったところで異常人物扱いされるだけです。
私と別の円卓にいたヒューゲル侯爵令嬢と目が合った時、彼女が嘲る様子で隣の方と話されたのを覚えています。
今、カテジナの呼ぶ声が聞こえました。
どうやらお父様が王都で行われている事業の視察から帰ってきた様です。
普段領地の運営で領都に居るお父様が王都の屋敷に居た事は不幸中の幸いかもしれません。
気が重いですが私はお父様に報告する為に執務室に向かいました。
大晦日前に他サイトで書いたものです。
無理やり短編に直すと正月掲載の物の様に結局修正が大変なので中途半端な長さのままです。