夢の出会い / feat.夢川でこ
「お休みかな?」
柔らかな女性の声音が、僕の耳をなでた。
聞こえてきたのは頭よりも少し上。
霞みがかっていた意識が、それに刺激されてハッキリとしていくと、オレの身に何が起きていたのかを思い出す。
そうだ。少し休憩と思って、テーブルに突っ伏していたんだ。
そこからの記憶がうろ覚えだが、いつの間にか寝てしまったらしい。
まだぼうぜんとしているが、どうにか起きたオレは、腕も背中も伸ばして固まった体をほぐしていく。
そうしてようやく目が覚めたオレの前にいたのは、少し幼さを残した少女だった。
「おはよう。外、もう暗いよ」
「えっ……? うわっ、マジだ。もうそんな時間か」
寝入っていたオレを起こしてくれた少女から目を離し、辺りを見渡して分かる今いる場所。
それは静かに運営されている図書館の一角。外がよく見える窓際の席だ。
窓からは夕暮れ空が映え、館内の照明は昼間と違って頼りになる明るさ。
最後の記憶が午後三時を過ぎた辺りだから、それなりに眠っていたことが分かる。
「そろそろ閉館だからね。起こした方が良いかなって」
「いやマジでサンキュー。キミが起こしてくんなきゃ、完全にそれまで寝てた」
どうやら少女は見ず知らずの他人だが、閉館時間に近づいても眠ったままのオレを心配してくれたらしい。
手元にあるスマートフォンで時間を確認すると、ロック画面には午後四時と四十五分の文字がデカデカと。
そして図書館が締まる時間は、今日は午後五時。
もう少しではあるが、多少の余裕があって大慌てにはならない時間だ。
「ゆすっても中々起きないくらいには、ぐっすりだったよ、キミ」
「ははは。勉強の合間に休憩、って程度だったんだけどな」
声と同様、柔らかい笑顔でオレが起きるまでの状況を話す少女。
すっかり目が覚めたオレは、そんな感じで対面にいる彼女を見て、心の中に焦りに近い別の何かを抱いていた。
紫がかった長い髪を、大きな月の髪飾りで結ったツインテール。
感情豊かで明るくこちらを見る、優しい赤の瞳。
着ている服はオレの学校とは違うセーラー服で、髪色に合わせた紫を基調として、胸元と二の腕の黄色いリボンが映えている。
ゆるくてふわわふしている天然系。
まず思ったのがそういう印象だったのに、ふとした時に覗かせるのは、大人びた美人のほほえみ。
──寝起きでオレの頭はおかしくなったのか。
そう思わずにはいられない自分の感覚だが、やはり何度見ても心にクる顔をしていた。
「起こし方。やっぱり違うやつのがよかったかな」
「……えっ、まさか。てか、違うのってどんなだよ」
初対面。だというのに、空気にのまれて言葉を交わしていくオレたち。
だが向こうの内心は知らないが、こちらは目線が泳がないようにするので精一杯。
好みのタイプだ、なんて露骨なことは言いたくないが、ただ相手の顔を見て話しているだけなのに落ち着かない。
話している内容も他愛のないもの。
というより、もっぱらオレをどうやって起こそうとしていたのか、少女の案を聞いているだけだ。
頭を引っぱたく、盛大に揺さぶる、脇をくすぐる。
その他にもあって、可愛らしいイタズラも混ざった起こし方は、ほのかな緊張があるオレでもつい笑ってしまう。
だから気になってしまった。
わざわざ別にしたやり方は、どんなものなのか。
「気になるからやってみてよ。ちょっとでいいから」
「ええっー、しょうがないなぁ。でも、そろそろ時間だからやったら帰るよ?」
「分かってる」
これで後ろから抱きつく、なんて都合のいいことなんてないよな。
そんな妄想をしながら、期待半分好奇心半分で少女の行動を待つことにした。
対面にいた彼女はゆっくりとオレの側に。
席に座るオレの真横に立った少女は、自分の膝に手を当てて屈みこむ。
少女が目指したのはオレの耳もと。
ひそひそ話をするように、片手でオレの耳と自身の口の隣へ壁を作り、その距離は息がかかるほど。
目は合わない、お互いに声も自然と出なくなった。
しかしオレの心臓は、それしか聞こえなくなる位にうるさくなり、耳も頬も熱くなるばかり。
その耳も、彼女でも分かるほど赤くなっていることだろう。
今の心境を知られたくないという緊張。
もし知られてしまったらという、やましい期待。
どちらもオレの時間を引き延ばし、息苦しくなるほど胸が痛くなる。
その全てが開放されたのは、ほんの一瞬のきっかけ。
少女のたった、本当にたった一言だった。
「──起きて」
耳を抜け、脳を震わせ、背筋も心臓もキュッとさせるささやき声。
呼吸が止まった、時間も止まった。
あれだけうるさかった心臓も落ち着きを取り戻し、けれどもオレの体は元に戻らない。
ゆっくりと、浅い呼吸をしたまま少女に顔を向けると、イタズラ心に満ちた笑みを、人差し指を口元に当てながら作っていた。
「ふふっ。じゃあ帰ろうか」
「あっ、ああ。そう……だな……」
耳元でささやかれた。
それ以上のことは何もなく、少女はオレの側から離れていく。
オレが寝ていたテーブルにある、見慣れない一冊の本。
それを両手で抱きかかえる彼女は、短いスカートをひるがえして出口へと向かっていった。
チェシャ猫をほうふつとさせる縞模様のニーソをはき、軽い足取りを見せるその背中は、オレが放心している間に遠ざかる。
「ととっ。そうだ、言い忘れてた」
そのまま出口へ姿を消す。
そう思っていたのにとつぜん足を止めた少女は、半身だけをこちらに向け、顔の近くで小さく手を振った。
「私は夢川。夢川でこ、だよ。それじゃあ、また会おうね」
夢のように消えてしまいそうな控え目な声。
なのにオレにはちゃんと届いて、無意識にオレも手を振って彼女に応える。
いったいあの子は──夢川でこは、何だったんだろうか。
夢を見ていた。
彼女が去った後、ポツリと浮かんだ言葉に従って自分の頬をつねったオレは、その痛みを確かなものだと認識する。
「……いたかったな」