表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
V虹  作者: 薪原カナユキ
5/8

なくのを忌避した彷徨える者 / feat.亡忌ーヨエルー

 さあさあ。

 此度(こたび)語るは奇々怪々な旅模様。


 向かうは大江戸離れ何処(いずこ)へと、当てなし銭なしの一人旅。

 道中訪れたるは名もなき墓場。見ず知らずの田舎の土地よ。


 歩くは中肉中背の()(もと)男児。歳を食うも小奇麗な身なりは銭を握るオヤジ(なり)


 奴さんの(ふところ)には何がある?

 仕立てのいい着物と手には提灯。煙管(きせる)とヤッパは一管一振り。


 おおさ。彼こそ此度(こたび)のカタり手、フカイの男。

 墓へ参る珍道中の大目玉よ──


「……ったく。墓を見るだけだってのに、夜になっちまった」


 見えぬ足元の石を()り、誰ぞにいうでもなく悪態をつく中年の姿あり。

 (かげ)になって顔は見えぬが、舌を打つ音だけは威勢よく響いていく。


「月もなけりゃ星もねえ。前も後ろも一寸見えずの真っ暗闇だ。提灯一本じゃ、村への道も分かりやしねぇ」


 彼の持った赤い光を放つ提灯は、(やみ)を照らし出すには役者不足。

 前を向けば土の道、後ろを向いても土の道。


 遠く風に吹かれてざわつく木々も輪郭(りんかく)は捉えられず、夜分構わず鳴いている虫に獣は不気味さを煽り立てる。


 中年のいう村とは、夕刻前に出た名前の分からぬ小さな村。

 村民は旅人である彼を大して構わず、適当な見送りを背に受けたところでこの仕打ち。


「こうなるってんなら、一言あってもいいじゃねえか。チクショウが」


 彼のつく悪態は無月(むげつ)の夜だけではなく、冷たい村民にまで及ぶ。

 ブツブツと文句を垂れながら、しかし進んでいた方向へ足を動かす他なく。


 心身ともに疲労(ひろう)の溜まる夜道の歩き。

 馬鹿々々しくて、笑いすら込み上げてくる所業。


 ようやく何かの影を──枝葉をつけた樹木を見つけたとき、不意に知らぬ声が耳朶(じだ)を打った。


「こんばんは、オッサン。いい夜だね」

「あん……? 誰だ、オメェ」


 ぼんやりと。樹木の下でくつろく人の影。

 顔は見えない。深く被られた編み笠が邪魔をし、掴めた外観は着物だけ。


 声からすると若い男。しかし姿と同じく発言の意図は掴み取れない。


「俺? 俺は……」


 影が動き、合っているかは分からないが顔が中年に向く。

 何もかもが分からないが故に、提灯を持っている中年は彼の正体に興味が湧いた。


 一歩を踏み出し、提灯の明かりを近づけて。

 その面を暴こうと、徐々に距離を詰めていく。


 あと一歩。そう彼が思った途端、提灯とは違う白い光が静かに空から降り注いだ。


 濃くかかった雲が切れ、隙間から(のぞ)くは満ちた月。

 満天の星を連れ、彼女が照らす地上は中年の望むものだった。


 辺りに広がる集団墓地。

 今にも死者が蘇りそうな(けが)れに満ちていて、しかし彼らを照らす月光は、優しく微笑みを向けている。


「ヨエル。ヨエルだ、よろしくな」


 そして肝心の若い男。

 ヨエルと名乗った彼だが、やはり編み笠の奥は暴かれない。


 しかし(まと)う衣装は見事なものだった。

 布を染めた彩色は、夕刻を彷彿とされる(あか)紫紺(しこん)黄昏(たそがれ)色。

 (はす)をはじめとした複雑な模様は、寺にある仏画を連想し、金の縁取りは物の位を格段に引き上げている。


 傾奇者(かぶきもの)。顔を隠していても、彼の印象はこの一言に集約された。


「よえる……? 妙な名前してんな、テメェ」

「そうでもないさ。それよりオッサン。こんな夜更けに、こんな場所へ。何しに来たんだ」

「んなもん、こっちも聞きてえぐれぇだが、んまあいい。一服ついでに聞かせてやるよ坊主」


 着いたってんなら、他にすることもねえ。

 そう呟きながら若者に対峙する形で、中年は腰を据える。


 古びた墓石に背を預け、地に置いた提灯の代わりに持つのは一管の煙管(きせる)

 (くれない)色の造りの良い物を(くわ)え、煙草入れから取り出した葉を雁首(がんぐび)に詰めると、慣れた手つきで火打石を使い煙を浮かばせる。


 フッーと。

 煙草の味を疲労と共に噛み締めた中年は、ツラツラと口を滑らせていく。


「こんなかに知人の墓があるってんで。わざわざ見に来てやったんよ、都からえっちらおっちらとな」

「随分と遠いな。友達?」

「そんなんじゃねえ。ちぃと金の貸し借りがあったぐれえだ。んで、地元で見えねえなと思ったら、こっちでおっちんだっつうからよ。何やってんだ馬鹿野郎と言いに来てやったわけよ」

「借金抱えたまま、この下か」

「おうよ。つっても大した額じゃねえ、はした金もいいところよ。だからまあ、金はいいから一言ぐれえ言わせろってんで、ここまで来た訳よ」


 ククっと知人を思い返しながら笑う中年。

 煙管から上る煙は夜空に(かす)み、口からはかれた煙も天に届くことはない。


 こんな満月。そうお目にかかれねえから、酒の一つでも欲しいところだ。

 なんてぼやいた中年だが、並べ立てた言葉をピシャリと締める。


「で、お前さんは。なんでここにいる。まさかここで寝泊まりな訳じゃねえだろ」

「そうだなあ……。なあ、オッサン。ナキボウズって知ってるか」

「ナキ……? いや、知らねえ。なんだそりゃ。お前さんがここにいるのと、なんか関係あんかい」

「そりゃあもう」


 肩を(すく)めるヨエルに、中年は(いぶか)しむ。

 しかし怪しいと思うと同時に、若者にはそれ以外のものはなく。


 常人には理解できない傾奇者(かぶきもの)の奇行。

 そう納得した中年は、煙管(きせる)を揺らして続きを聞こうと(うなが)した。


「泣いてる坊主って書けば、泣きじゃくった餓鬼(がき)みたいだが。コイツはそんなんじゃない。──妖怪。そういう類のものだって言ったら、信じるかい」

「おもしれえ。一服終わるまでは聞いてやる」

「ならオッサン。これは被害にあった奴らの話だ。よく聞けよ」


 チョイと上げられる編み笠のツバ。

 ()を描く口元が見え、腰の軽い語り口は駆け始めた。


「そいつは父親が出稼ぎでいない娘さんだそうだ。若いながら努力家で、周囲からも好かれる良い子なんだと」

「へえ。そいつはなんとも、気立ての良さそうな娘で」

「ところがだ。いつの日か仕送りはなくなってな、代わりにやつれた父親が家に帰って来たらしい」

「大変だ。そんじゃあ、そのおとっつぁんに悪い気でも送ったのが、ナキボウズってやつかい」


 田舎によくある妖怪の話だ。

 病や怪我でで帰省した人を、悪いものが()いた、(たた)りだと。


 実際には違うことも、口を揃えて見えない鬼のせいとして扱う。


「ならお前さんはアレかい。さながらナキボウズを退治する(はら)い屋、ってところかい」


 肩を揺すって笑う中年。

 滑稽(こっけい)な話だ。都会から離れた途端にこんな話がゴロゴロ出てくる。


 大いに興味がそそられる話ではあるが、残念ながら中年の煙管は煙の量を減らしている。


「いいや、違う。その父親はとうに亡くなったが、原因は人だ」

「あん? どういうこった」

「無茶苦茶な誓約書に血判(けっぱん)、返せる前提のない借金、御法度な仕事の数々」

「……そりゃあ」

「あまつさえ、死んだら娘で稼がせろ。なんていうお天道様(てんとうさま)に顔見世できない、魑魅魍魎(ちみもうりょう)()ちた奴に殺されたんだよ」


 中年の(くわ)えていた煙管(きせる)が落ちた。

 刹那(せつな)、墓場には小さな三日月が現れる。


 中段の構えで腰の刀を抜いた中年。

 切っ先はヨエルに。熟練者(じゅくれんしゃ)と比べれば素人に毛が生えた程度の(たたず)まいだが、基礎はしっかりしているのかブレは少ない。


 明確な敵意。確実な殺傷(さっしょう)を狙う彼だが、腰を落としたヨエルは未だ笑ったまま。


「貴様、何者だ」

「ヨエルって名乗ったよな。ああ、そういうことじゃない?」


 ()り足で己の間合いを測り、ヨエルへ斬りかかる時を見極める中年。

 そんな彼の心境なんて意に介さず、若者はよっとと気楽に立ち上がった。


 樹木の影から一歩、月の領域に踏み入れた。


 青白い月光に照らされる、逢魔ヶ時(おうまがどき)の二色一対。

 取られる編み笠。月下に(さら)されるは死人の如き白い肌と髪。


 そして目を引くは異形の面。


不屍人(ふしびと)。けど、アンタにはもう関係ない」


 赤青二色の鬼の双角(そうかく)

 双眸(そうぼう)は灰と赤に分かれ。充血した白眼は、赤の目に至っては黒にまで達している。

 肌に関しても異常だ。顔の右半分は土色にまでなり、その上に施された赤の入れ墨は、不気味さを増す一端だ。


面妖(めんよう)な。夢でも見ているのか」

「夢なんて、アンタに見る権利はない。これは現実だ」


 髪にも着物の装飾にも、角と同じ赤と青の二色が入れられている。

 これはヨエルの象徴か、それとも個人の(こだわ)りか。


 全体を把握するほど、気味の悪さに中年の肌には汗が伝い、詰めていたはず間合いは、気がつくと先刻よりも縮みの具合が悪くなっている。


 妖怪、物の怪、悪鬼(あっき)(たた)り。

 どれを取っても悪い冗談だと笑い飛ばしていた中年だが、ここへ来て固唾(かたず)()んで自覚する。


「成る程。貴様がナキボウズだな。亡き坊主、(まさ)しく死んだ若人か。よく言ったものよ」


 軽口だが、中身が欠片も(とも)わない虚勢の言の葉。


 死なぬ者をどう斬る。奇怪な妖怪なぞ、たかが刀で退治できるのか。

 そも己は商人ゆえ、多少の剣の覚えはあれど英雄がかった化け物退治に、ここぞという覚悟は持ち込めぬ。


 しかし……


「──しかし! 我が所業を知っているとなれば、この世に残しておけぬ」


 この場において中年の逃走という選択肢はない。

 あるのは闘争、ただ一つ。


「怪しき者よ、覚悟ッ!」


 意を決して、中年はヨエルに斬りかかった。


 大上段にまで振り上げられた鋼の刀。

 よく映える月の輝きが刀身を美しく仕立て、振り下ろされる軌道は袈裟(けさ)を描き──


(あけ)(こく)(あお)の月。誰そ彼と問うは()()(むくろ)


 (うた)う、(うた)う。

 月に、星に、墓に、空に。


 お前は誰だと問いかける。


暁闇(ぎょうあん)(かえ)れ──」


 パリィンと、奇妙な金切り声が夜空に鳴く。

 宙に舞うは中ほどから折れた刀。振り切ろうとした中年の刀は手元に残らず、代わりにヨエルが握るは二刀一対の妖刀。


 揃えるは、角同じ赤と青の刀身。

 詠え唱えた祈りに二振りの(めい)は続かず、下されるは慈悲なきお告げのみ。


「じゃあな、オッサン」


 返す言葉もなく、中年の体はヨエルの二刀により貫かれ、続く()りにより血潮(ちしお)と共に彼は飛んでいく。


 (またた)く間に絶命(ぜつめい)に至った中年と、(むな)しく地面へ転がる折れた刀。

 傷から広がっていく赤は墓の地に染み、魂は何処(どこ)へ行くのだろう。


「それじゃあ、宜しくな。みんな」


 晴れ晴れしい夜空と同じ明るい声を上げたヨエルに反応して、動かぬ中年の下から何かが(うごめ)いた。


 ガシャガシャと。

 地面から湧き出てきたのは、白骨の群れ。


 天国へ逃すまいとまだ温かさを持った中年の体を拘束(こうそく)し、大地とは違う──赤い池を形成して、何処かへと遺体(いたい)を連れて行った。


「さてと……」


 両手の刀を腰に差し、ヨエルはある墓へと足を進めた。

 まだ新しい。十年も経っていない小さな墓。


「これでいいかな。娘さんの仇も取れたよ」


 ヨエルが落とした言葉は、先にいる者へ届いたのか。

 不明の限りではあるが、きっと全てを見ていた満月ならばあるいは──


 さあさあ、これが此度(こたび)奇譚(きたん)

 善人を(かた)り、父を娘を手にかけた不快な男の物語よ。


 ナキボウズ?

 ああ、それは知らんよ。風で流れたあだ名さ、意味はない。

 さしずめ亡くなった者を案じる坊さん、ってな程度のもんだろう。


 それとも……そうさね。

 ()くのを()み嫌い、今でも彷徨(さまよ)える者かな

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ