なくのを忌避した彷徨える者 / feat.亡忌ーヨエルー
さあさあ。
此度語るは奇々怪々な旅模様。
向かうは大江戸離れ何処へと、当てなし銭なしの一人旅。
道中訪れたるは名もなき墓場。見ず知らずの田舎の土地よ。
歩くは中肉中背の日ノ本男児。歳を食うも小奇麗な身なりは銭を握るオヤジ也。
奴さんの懐には何がある?
仕立てのいい着物と手には提灯。煙管とヤッパは一管一振り。
おおさ。彼こそ此度のカタり手、フカイの男。
墓へ参る珍道中の大目玉よ──
「……ったく。墓を見るだけだってのに、夜になっちまった」
見えぬ足元の石を蹴り、誰ぞにいうでもなく悪態をつく中年の姿あり。
陰になって顔は見えぬが、舌を打つ音だけは威勢よく響いていく。
「月もなけりゃ星もねえ。前も後ろも一寸見えずの真っ暗闇だ。提灯一本じゃ、村への道も分かりやしねぇ」
彼の持った赤い光を放つ提灯は、闇を照らし出すには役者不足。
前を向けば土の道、後ろを向いても土の道。
遠く風に吹かれてざわつく木々も輪郭は捉えられず、夜分構わず鳴いている虫に獣は不気味さを煽り立てる。
中年のいう村とは、夕刻前に出た名前の分からぬ小さな村。
村民は旅人である彼を大して構わず、適当な見送りを背に受けたところでこの仕打ち。
「こうなるってんなら、一言あってもいいじゃねえか。チクショウが」
彼のつく悪態は無月の夜だけではなく、冷たい村民にまで及ぶ。
ブツブツと文句を垂れながら、しかし進んでいた方向へ足を動かす他なく。
心身ともに疲労の溜まる夜道の歩き。
馬鹿々々しくて、笑いすら込み上げてくる所業。
ようやく何かの影を──枝葉をつけた樹木を見つけたとき、不意に知らぬ声が耳朶を打った。
「こんばんは、オッサン。いい夜だね」
「あん……? 誰だ、オメェ」
ぼんやりと。樹木の下でくつろく人の影。
顔は見えない。深く被られた編み笠が邪魔をし、掴めた外観は着物だけ。
声からすると若い男。しかし姿と同じく発言の意図は掴み取れない。
「俺? 俺は……」
影が動き、合っているかは分からないが顔が中年に向く。
何もかもが分からないが故に、提灯を持っている中年は彼の正体に興味が湧いた。
一歩を踏み出し、提灯の明かりを近づけて。
その面を暴こうと、徐々に距離を詰めていく。
あと一歩。そう彼が思った途端、提灯とは違う白い光が静かに空から降り注いだ。
濃くかかった雲が切れ、隙間から覗くは満ちた月。
満天の星を連れ、彼女が照らす地上は中年の望むものだった。
辺りに広がる集団墓地。
今にも死者が蘇りそうな穢れに満ちていて、しかし彼らを照らす月光は、優しく微笑みを向けている。
「ヨエル。ヨエルだ、よろしくな」
そして肝心の若い男。
ヨエルと名乗った彼だが、やはり編み笠の奥は暴かれない。
しかし纏う衣装は見事なものだった。
布を染めた彩色は、夕刻を彷彿とされる朱と紫紺の黄昏色。
蓮をはじめとした複雑な模様は、寺にある仏画を連想し、金の縁取りは物の位を格段に引き上げている。
傾奇者。顔を隠していても、彼の印象はこの一言に集約された。
「よえる……? 妙な名前してんな、テメェ」
「そうでもないさ。それよりオッサン。こんな夜更けに、こんな場所へ。何しに来たんだ」
「んなもん、こっちも聞きてえぐれぇだが、んまあいい。一服ついでに聞かせてやるよ坊主」
着いたってんなら、他にすることもねえ。
そう呟きながら若者に対峙する形で、中年は腰を据える。
古びた墓石に背を預け、地に置いた提灯の代わりに持つのは一管の煙管。
紅色の造りの良い物を咥え、煙草入れから取り出した葉を雁首に詰めると、慣れた手つきで火打石を使い煙を浮かばせる。
フッーと。
煙草の味を疲労と共に噛み締めた中年は、ツラツラと口を滑らせていく。
「こんなかに知人の墓があるってんで。わざわざ見に来てやったんよ、都からえっちらおっちらとな」
「随分と遠いな。友達?」
「そんなんじゃねえ。ちぃと金の貸し借りがあったぐれえだ。んで、地元で見えねえなと思ったら、こっちでおっちんだっつうからよ。何やってんだ馬鹿野郎と言いに来てやったわけよ」
「借金抱えたまま、この下か」
「おうよ。つっても大した額じゃねえ、はした金もいいところよ。だからまあ、金はいいから一言ぐれえ言わせろってんで、ここまで来た訳よ」
ククっと知人を思い返しながら笑う中年。
煙管から上る煙は夜空に霞み、口からはかれた煙も天に届くことはない。
こんな満月。そうお目にかかれねえから、酒の一つでも欲しいところだ。
なんてぼやいた中年だが、並べ立てた言葉をピシャリと締める。
「で、お前さんは。なんでここにいる。まさかここで寝泊まりな訳じゃねえだろ」
「そうだなあ……。なあ、オッサン。ナキボウズって知ってるか」
「ナキ……? いや、知らねえ。なんだそりゃ。お前さんがここにいるのと、なんか関係あんかい」
「そりゃあもう」
肩を竦めるヨエルに、中年は訝しむ。
しかし怪しいと思うと同時に、若者にはそれ以外のものはなく。
常人には理解できない傾奇者の奇行。
そう納得した中年は、煙管を揺らして続きを聞こうと促した。
「泣いてる坊主って書けば、泣きじゃくった餓鬼みたいだが。コイツはそんなんじゃない。──妖怪。そういう類のものだって言ったら、信じるかい」
「おもしれえ。一服終わるまでは聞いてやる」
「ならオッサン。これは被害にあった奴らの話だ。よく聞けよ」
チョイと上げられる編み笠のツバ。
弧を描く口元が見え、腰の軽い語り口は駆け始めた。
「そいつは父親が出稼ぎでいない娘さんだそうだ。若いながら努力家で、周囲からも好かれる良い子なんだと」
「へえ。そいつはなんとも、気立ての良さそうな娘で」
「ところがだ。いつの日か仕送りはなくなってな、代わりにやつれた父親が家に帰って来たらしい」
「大変だ。そんじゃあ、そのおとっつぁんに悪い気でも送ったのが、ナキボウズってやつかい」
田舎によくある妖怪の話だ。
病や怪我でで帰省した人を、悪いものが憑いた、祟りだと。
実際には違うことも、口を揃えて見えない鬼のせいとして扱う。
「ならお前さんはアレかい。さながらナキボウズを退治する祓い屋、ってところかい」
肩を揺すって笑う中年。
滑稽な話だ。都会から離れた途端にこんな話がゴロゴロ出てくる。
大いに興味がそそられる話ではあるが、残念ながら中年の煙管は煙の量を減らしている。
「いいや、違う。その父親はとうに亡くなったが、原因は人だ」
「あん? どういうこった」
「無茶苦茶な誓約書に血判、返せる前提のない借金、御法度な仕事の数々」
「……そりゃあ」
「あまつさえ、死んだら娘で稼がせろ。なんていうお天道様に顔見世できない、魑魅魍魎に堕ちた奴に殺されたんだよ」
中年の咥えていた煙管が落ちた。
刹那、墓場には小さな三日月が現れる。
中段の構えで腰の刀を抜いた中年。
切っ先はヨエルに。熟練者と比べれば素人に毛が生えた程度の佇まいだが、基礎はしっかりしているのかブレは少ない。
明確な敵意。確実な殺傷を狙う彼だが、腰を落としたヨエルは未だ笑ったまま。
「貴様、何者だ」
「ヨエルって名乗ったよな。ああ、そういうことじゃない?」
摺り足で己の間合いを測り、ヨエルへ斬りかかる時を見極める中年。
そんな彼の心境なんて意に介さず、若者はよっとと気楽に立ち上がった。
樹木の影から一歩、月の領域に踏み入れた。
青白い月光に照らされる、逢魔ヶ時の二色一対。
取られる編み笠。月下に晒されるは死人の如き白い肌と髪。
そして目を引くは異形の面。
「不屍人。けど、アンタにはもう関係ない」
赤青二色の鬼の双角。
双眸は灰と赤に分かれ。充血した白眼は、赤の目に至っては黒にまで達している。
肌に関しても異常だ。顔の右半分は土色にまでなり、その上に施された赤の入れ墨は、不気味さを増す一端だ。
「面妖な。夢でも見ているのか」
「夢なんて、アンタに見る権利はない。これは現実だ」
髪にも着物の装飾にも、角と同じ赤と青の二色が入れられている。
これはヨエルの象徴か、それとも個人の拘りか。
全体を把握するほど、気味の悪さに中年の肌には汗が伝い、詰めていたはず間合いは、気がつくと先刻よりも縮みの具合が悪くなっている。
妖怪、物の怪、悪鬼、祟り。
どれを取っても悪い冗談だと笑い飛ばしていた中年だが、ここへ来て固唾を呑んで自覚する。
「成る程。貴様がナキボウズだな。亡き坊主、正しく死んだ若人か。よく言ったものよ」
軽口だが、中身が欠片も伴わない虚勢の言の葉。
死なぬ者をどう斬る。奇怪な妖怪なぞ、たかが刀で退治できるのか。
そも己は商人ゆえ、多少の剣の覚えはあれど英雄がかった化け物退治に、ここぞという覚悟は持ち込めぬ。
しかし……
「──しかし! 我が所業を知っているとなれば、この世に残しておけぬ」
この場において中年の逃走という選択肢はない。
あるのは闘争、ただ一つ。
「怪しき者よ、覚悟ッ!」
意を決して、中年はヨエルに斬りかかった。
大上段にまで振り上げられた鋼の刀。
よく映える月の輝きが刀身を美しく仕立て、振り下ろされる軌道は袈裟を描き──
「緋の刻、蒼の月。誰そ彼と問うは忌み亡き骸」
謳う、詠う。
月に、星に、墓に、空に。
お前は誰だと問いかける。
「暁闇に還れ──」
パリィンと、奇妙な金切り声が夜空に鳴く。
宙に舞うは中ほどから折れた刀。振り切ろうとした中年の刀は手元に残らず、代わりにヨエルが握るは二刀一対の妖刀。
揃えるは、角同じ赤と青の刀身。
詠え唱えた祈りに二振りの銘は続かず、下されるは慈悲なきお告げのみ。
「じゃあな、オッサン」
返す言葉もなく、中年の体はヨエルの二刀により貫かれ、続く蹴りにより血潮と共に彼は飛んでいく。
瞬く間に絶命に至った中年と、虚しく地面へ転がる折れた刀。
傷から広がっていく赤は墓の地に染み、魂は何処へ行くのだろう。
「それじゃあ、宜しくな。みんな」
晴れ晴れしい夜空と同じ明るい声を上げたヨエルに反応して、動かぬ中年の下から何かが蠢いた。
ガシャガシャと。
地面から湧き出てきたのは、白骨の群れ。
天国へ逃すまいとまだ温かさを持った中年の体を拘束し、大地とは違う──赤い池を形成して、何処かへと遺体を連れて行った。
「さてと……」
両手の刀を腰に差し、ヨエルはある墓へと足を進めた。
まだ新しい。十年も経っていない小さな墓。
「これでいいかな。娘さんの仇も取れたよ」
ヨエルが落とした言葉は、先にいる者へ届いたのか。
不明の限りではあるが、きっと全てを見ていた満月ならばあるいは──
さあさあ、これが此度の奇譚。
善人を騙り、父を娘を手にかけた不快な男の物語よ。
ナキボウズ?
ああ、それは知らんよ。風で流れたあだ名さ、意味はない。
さしずめ亡くなった者を案じる坊さん、ってな程度のもんだろう。
それとも……そうさね。
亡くのを忌み嫌い、今でも彷徨える者かな