老勇者の幻影退治
この世界は、我々のいる地球とは違う、どこか別の次元にある世界。
いわゆるひとつの剣と魔法の異世界というやつである。
その世界にいくつか存在する巨大な陸地のひとつ──ルーシアン大陸が今回の舞台となる。
ルーシアン大陸には数多のダンジョンが存在し、その総数は他の大陸のそれを大きく上回る。
なにせ昨日までダンジョンのダの字もなかった田舎町に今日いきなり入口がぽっかり開いたりすることがあるくらいだ。そんな気軽に生えてくる(開いてくるというべきか)のだから、他の大陸より数が多くて当然といえる。
地の底にいる魔神の仕業とも言われるが真実はわからない。そもそもそんな魔神がいるのかどうかすら眉唾物である。
そんなダンジョンだが、どこにでもあるものだからと気にせず放置することはできない。
なぜかというと、ダンジョンというのは、そのほとんどが魔物の巣窟だからだ。
基本的に魔物どもは外に出てくることはないのだが、例外がある。
スタンピード。すなわち魔物の群れによる大暴走だ。
ダンジョン内の魔物の数が一定数を越えたり、あるいは何らかの条件を満たしたり、特に理由がなかったり等と色々原因はあるが、なぜ起きるのかはともかく地元の人々にとって死活問題なのは間違いない。
中には、魔物がほとんどいなかったり、スタンピードが一度も起きていない穏やかなダンジョンもあるが、極一部に過ぎない。それらにしても、今のところそうだというだけで今後も穏やかなままという保証はない。
そこで腕利きの出番となる。
先手を打ってダンジョンに蠢く魔物どもを叩く、もしくは魔物が増える核となるものを破壊することで、スタンピードの発生を未然に防ぐのだ。
では誰がやるのか。
冒険者が名声や報酬目当てに挑むこともあれば、国に仕える兵士が王や将軍からの命で潜ることもある。
当然、それ以外の理由でダンジョンに入るものもいる。
未知の知識を得るため魔術師や賢者が探索したり、修行のために神官や格闘家が足を運んだり、はたまたエルフやドワーフ、獣人などの他種族が何らかの目的で踏み入ったりするのだ。
目的や思惑こそ違えど、魔物ひしめく穴蔵に赴く彼ら彼女らの活躍によっておおむねルーシアン大陸は平和であった。
そんな中、とあるダンジョンが難攻不落という話が大陸を駆け抜ける。
歴戦の強者たちをことごとく撃退したという、そのダンジョンはこう呼ばれていた。
──幻影の迷宮と。
「それで俺みたいなジジイまで引っ張り出したっていうのか」
大陸屈指の大国、ゴールノス王国。
その中心である王都ゴルナリアにある、王国の冒険者ギルド本部。
「すいません師匠。もう打つ手がなくて」
本部の広いロビーにて、しょんぼりする十代後半の少女と、七十は越えていそうな男。
この少女もまた冒険者である。
しかもただの冒険者ではない。幼くして聖剣に選ばれ、齢十八にして、なんと大悪魔を滅ぼした勇者でもあった。
ちなみにこちらの老人は数十年前に邪龍の王を倒して大陸の西にある国々を危機から救った凄い勇者である。
「サナリィ、仮にもお前とて勇者の端くれだろうが。現役を退いた老いぼれを頼ってどうする」
「しゅいません……」
勇者が勇者に怒られているという光景に周りの人々はどうしていいか困惑していた。
「そんなに弟子をいじめるものじゃないよ、グラン。あたしでもしくじったんだ。こちらとしても、もうあんたを頼るしかないのさ。忌々しいがね」
「……お前でさえしくじったのか、ローリア。相変わらず、魔術の腕はたつのに策を巡らせるのは苦手のようだな。大技をぶっぱなすことしかしてこなかったツケがここにきたか」
「お黙り」
この大陸でも三人しかいない大魔術師、その一人の厳しい声に、老勇者以外の者達がブルッと震え上がった。
「お前の経験の浅さは置いとくとして、それで、その厄介な魔物とやらは何なんだ?」
「……ド」
「ド?」
「ドッペルゲンガーですぅ」
「……………………」
それを聞いた老勇者は、錆びた鉄の器具のように、黙ってゆっくりと首をかしげた。
「ほ、本当にドッペルゲンガーなんですよぉ。嘘じゃありませんってばぁ」
「その子の言ってることは真実だよ。紛れもなくあれは映し身の悪魔──ドッペルゲンガーさ」
「馬鹿も休み休み言え。なぜそんな雑魚にお前たちが遅れを取るんだ。信じがたいにも程があるぞ」
「それがただのドッペルゲンガーじゃないんですよぉ……」
泣きそうになりながら少女勇者が説明を始めた。
半年前、何の前触れもなく、王都ゴルナリアにダンジョンの入口が現れた。しかも三ヶ所。
ひとつは、中央広場にある大噴水の前。
ひとつは、王都の外れにある墓地の、無縁の者をまとめて弔う墓碑のあった場所。
そして最後のひとつは、なんと王宮の庭であった。
「王宮と墓地はあっさり解決したし、入口も消え失せたんだけどねえ、広場のやつが一筋縄じゃいかなかったのさ」
そう言うと大魔術師は、恐らく老勇者と似たり寄ったりの年齢であろうが、そのわりに皺の少なめな顔を苦々しく歪めた。老いた今でもその顔には若かりし日の美貌がかいま見える。
「ダンジョン自体は大して深くもないし、罠もチャチなものだけで、巣くってた魔物もそんな強くなかったんですよねぇ……」
おずおずと少女勇者がそう言うと、周りから「嘘だろ……」「マスターオーガやバーゲストがいたんだぞ……」といった驚愕の呻きが漏れ出した。
彼らにとって致命的な存在であるそれらの危険な魔物も、少女勇者や老勇者、大魔術師にとっては取るに足らない雑魚なのである。
「普通のドッペルゲンガーと違うのか」
「大違いさ」
「ほう?」
「あれはどうやらただの魔物じゃなくてダンジョンの核そのものらしくてね、こちらが最深部の広間に入ると同じだけの数が現れてこちらに化ける。能力も技量もスキルも同じ。しかも疲れ知らずときている」
「それは……確かに普通のドッペルゲンガーとは違うな。奴らは対象の姿そっくりになれるだけだ」
「結局、体力勝負でジリ貧になったところをやられて終わりさね。もう何人も死人が出てる。中には熟練の冒険者もいる有り様さ」
「私も駄目でしたぁ」
人差し指と人差し指をつつき合わせながら、少女勇者が不甲斐なさそうにうつむく。
「ローリア、お前はどうだったんだ? まさかなす術なかったとは言うまいな?」
「それがねえ……その前に、そもそも戦闘にすらならなかったのさ」
どうも、魔術師や神官、精霊使いなどのドッペルゲンガーは姿を見せない仕組みになっているらしいと大魔術師は語った。
「それなら魔術等で力自慢の連中のアシストしてやりゃいいかと思えば、困ったことに、それをやると倒してもまた復活しちまうのさ。しかも対戦相手を他人の偽者に切り替えたり、複数人で偽者一人を集中攻撃して倒すのも駄目ときてる」
「本人が自力で倒さないとならんのだな」
「だろうねえ。いかなるズルも許さないってことかね。ちなみに、さっき死人が出たって言ったろう? 実はその内の一人は、相討ちに持ち込んだらしいのさ。けど、それも駄目だったようでねえ」
老いた大魔術師は、ふう、と溜め息をついた。無駄死にという言葉が喉まで出かかったが、飲み込んでおくことにしたらしい。
「そこまで厳しいとはな。難攻不落と呼ばれているわけだ。そのくせ戦闘中もベラベラ喋られては集中力も途切れるか」
「あ、それなんですけど」
「どうした?」
「……あの偽者たち、なぜか喋らないんですよ」
「なんだと? サナリィ、それは本当か?」
老勇者の問いに少女勇者は黙って頷いた。
ドッペルゲンガーという魔物は、対象の姿と記憶を真似する。本物そっくりのリアクションを取ることでどちらが本物か他者に見抜けなくさせたり、本物と戦っている時に欠点やトラウマを刺激するような嘲りをかけて冷静さを失わせたりするのがドッペルゲンガーの常套手段なのである。
ここまで聞くとなかなか厄介に思えるが、強さはせいぜい下位の悪魔レベルなのと特殊な攻撃も毒しかないので、落ち着いて対処すれば難なく倒せる魔物だったりする。
「そうだ、あと毒もなかったです」
「あくまでも本人そのものの力で襲ってくるのか……」
「それと、怪我とかも再現するみたいで、上の階でダメージを受けた人のドッペルゲンガーも、同じところに傷を負ってたって話です」
「それはもうドッペルゲンガーではなく、何らかの試練に近い存在なのかもしれんな。己自身を乗り越えろという感じの」
「ま、試練にしろ魔物にしろ、なんとしても撃破しなけりゃならないねえ。王都のど真ん中でスタンピードなんぞ起きたら大惨事待ったなしだよ」
「もう入口を結界や封印魔法で塞ぐしかないということになったんです。けど師匠なら、何とかしてもらえるかなって思って……」
「できるかもしれん」
「ですよね。やっぱり師匠でもこんな面倒で手強い…………えっ!?」
少女勇者が納得してから間を置いて驚愕した。
同じく、あちこちから、似たようなどよめきの声が出てきた。周りの者達も少女勇者と同様に驚いたのだろう。
「本当かい?」
念押しするように低い声で大魔術師が聞いた。下らない冗談は許さないという雰囲気である。
「その前に一つ聞きたいがサナリィ、お前が戦った偽者はどんな戦法をしてきた?」
「う~ん、自分自身を外から見たことないからよくわからないんですけど、仲間が言うには本気の私の戦い方だったみたいです。私と違っていたのは、体力のペース配分だけだったとか」
「やはりな。疲れ知らずゆえに体力の減り具合など気にしないのだろう」
どうも、この老勇者は何かつけいる隙を見つけたらしい。
「小さな傷もいくつか負って、次第に疲れもたまって動きが鈍くなってきたんで、仲間に強引に撤退させられちゃったんですよね。もうちょい粘りたかったんですけど…………あの、師匠? こんな話、何の参考になるんですか?」
「今はまだ仮説だがな。まあ、やってみればわかる。たまには身体を動かすのもいいだろう」
「一人で挑むのですか? ……何人いても意味はないでしょうけど……」
「いや、魔女に手伝ってもらう」
「あたしのことかね?」
「なわけあるか。下手打ったアホのお前なんぞよりよっぽど腕のいい奴だ」
老勇者に杖で殴りかかろうとする大魔術師を必死で止める少女勇者を尻目に、当の老勇者は慣れた感じでそそくさとその場を後にした。
翌日。
幻影の迷宮と呼ばれしダンジョンの最も深いエリアで、老勇者グランは己の映し身と対峙していた。
「ふふん、結局一人じゃないかい。魔女のアテはどうしたのさ色男さん」
「今にわかる」
ドッペルゲンガーと対峙する前、二人の間にそのようなやり取りがあった。前日けなされた大魔術師からしたら当然のツッコミである。
「さて、だらだら時間をかけることもない。やるか」
老勇者には何か勝利の秘策があるようだが、ここにいる誰一人としてそれを予測することが出来なかった。かの大魔術師ローリアですら。
「自分とやり合うというのも、不思議なものだな……!」
何の躊躇いも体力温存もせず偽者が本物に斬りかかってくる。本気で突いてくる。時折蹴りも織り交ぜてくる。
まだ髪が真っ白になる前ならともかく、既に隠居していた老勇者にこの攻めを凌ぐのは厳しかったはずだ。事前に上の階で、現役復帰すべく魔物狩りをしたのは正解だったろう。
(久しぶりに飲んだが、やはりあの味は慣れん)
体力回復のためにポーションを飲んだのだが、懐かしいマズさだったなと老勇者から笑みがこぼれた。
ニヤリと笑ったまま、偽者の放ってきたカマイタチめいた斬撃の波動を、同じく斬撃の波動で迎撃する。
闘気と闘気がぶつかり合い、どちらも引くことなくその場で相殺されていく。
「ほえ~…………笑ってますよ、師匠」
「不敵というか、ふてぶてしい男だねえ、全く」
ギャラリーは笑みの意味を誤解していたが、老勇者は訂正する余裕もないのか黙ってドッペルゲンガーと渡り合っていた。
そうして、二十分ほどが経過した頃。
「ぬんっ!」
どこか消極的な戦い方をしていた老勇者が、敵の猛攻の合間を縫って度々仕掛けていた反撃を、またしても繰り出した時。
「…………!?」
身をよじってその反撃を躱した偽者が、体勢を整えて再び攻めようとして、なぜか急によろめいた。
動きが鈍くなった──というよりも、おぼつかなくなったという表現が相応しいだろうか。妙にギクシャクしている。
「気まぐれな魔女め、やっとやってくれたか」
老勇者は賭けに勝ったのを確信した。
「万一、こちらに牙を剥かれたらとも思ったが……上手くいって何よりだ」
一転攻勢。
ここぞとばかりに老勇者はぎこちない己の映し身を攻め立てた。
その様子を見ていた少女勇者達から大きなどよめきが生まれる。
「ど、どうなってるんですかぁ!?」
「あたしが聞きたいくらいだよ! おおかた魔女とやらの仕業だろうさ! いったい何を仕掛けたんだろうね、その魔女は!」
お前ならわかると思ったのだが……そうでもないなら、見た目通りまだまだ元気ということかな──と、老勇者は心の中で大魔術師に向かって呟いた。
「やはり俺だけあってしぶといな」
老勇者は自画自賛しつつ偽者を追い詰めていく。あまり時間をかけすぎて自分にまで魔女の気まぐれが舞い込めば水の泡だ。
焦らず、しかし手早く。
「危険極まりない物真似もここまでだ。散れ」
偽物のもたついた足を深く切り裂き、逃げる力を削いでから、利き腕に刃を突き刺す。
偽者の手から剣が落ちた。
一拍置いて、次に首が。
「うわぁ、やった、やりましたねぇー!!」
霧散していく己の姿を見下ろしながら、老勇者は駄犬のように抱きついてきた少女勇者の頭を撫でた。
「自分の死に様を見るのは、あまりいい気分じゃないな。いつお迎えが来てもおかしくない歳なら尚更だ」
「偽者なんだから別にいーじゃないですか! それに師匠はまだまだ元気ですよ! 殺しても死にませんってば! あははのはーー!!」
久々に恩師の晴れ舞台を目にした感動に少女勇者はテンションがおかしくなっていた。
老勇者がやったのはいささか盛り上がりに欠ける戦法だったのだが、老いたとはいえ偉大な強者同士の一戦は彼女のみならず観客全員に著しい衝撃を与えたようである。知己の大魔術師以外。
「久方ぶりに見たよ。あんたの剣をね」
「もう振るう気などなかったのだが。人生とはわからんものだ」
「返り咲く気になったかい?」
「いいや。冷や水はこれっきりだ」
「そうかね」
大魔術師の声には寂しげなものが含まれていた。それに果たして老勇者は気づいたのか。
「まあ、少しくらいはまだこちらに居座ってもいいだろう。どうせ待ち人もおらぬ身の上だ」
「独り身の切なさだねえ、ふふ」
「よく人の事が言えたもの……」
「ししょー! やっぱり復帰するのですね!? それならお願いがあるんですよ!」
老勇者に抱きついていたままの少女勇者が、話を遮り、目をきらきら輝かせて老勇者の顔を見上げた。
「実はですね、あるダンジョンが北のルラド火山の麓にあるんですが……そこの主が厄介でして。溶岩みたいなゴーレムで、斬っても刺してもイマイチ通じなくて困っちゃったんです。斬撃を飛ばせば多少は効くんですけど、一発二発じゃびくともしないからキリがなくてぇ。でも師匠ならちょちょいのちょいで……」
「調子に乗るな」
ごすっ
「にぎゃあ!?」
一件落着の間もなく新たな尻拭いを突きつけてきた、師匠使いの荒い弟子の脳天に、鉄槌の拳が下されたのだった。
「ところでさ」
浮かれている弟子や同行者たちをよそに、大魔術師が老勇者に話しかけてきた。無論、先程の激闘における不審な点についてである。
「何だ」
「そろそろタネを明かしたらどうなんだい。結局影も形も現さなかった魔女とやらは、何をしたのさ?」
「あぁ、あれか。なんてことはない。奴のほうが先に限界が来たってだけだ。最初からずっと飛ばしていたからな」
老勇者はニヤリと笑い、こう答えた。
「魔女の一撃──ぎっくり腰だよ」