【ハロウィン百合】オカルト好きの私には、オカルト嫌いの幼馴染がいる。
「うちの猫が喋るの」
私達の前に立った同じクラスの羽田さんは、化学準備室の日差しの中をうっすらと漂う埃を気にする様子もなく、開口一番そう言った。
決して聞き間違いではない。
「スマホを変えたらツイッターがよく落ちるようになっちゃったの」とか、「近くのケーキ屋さん、お気に入りだったのに今度閉店しちゃうんだよね」とか、そんな日常でよくある感じの、特に何かが切迫している訳ではないけど、でも誰かにちょっと聞いて欲しい微妙な困り事、っぽい喋り方だった。
並んでお弁当を広げていた私と紫乃は、顔を見合わせた。
紫乃の眉間には結構露骨に皺が刻まれている----紫乃は、生物研究会の会長で、大のオカルト嫌いなのだ。
そんな彼女とこうして誰もいない教室で毎日お弁当を食べている私、柚原ゆかりは、何を隠そうオカルト研究会副会長なのだけれども。
(猫が、喋る……?)
それって、おもしろ動画を紹介するテレビなんかでよく出てくる「ごはぁん~」と鳴く猫、とかそういう感じなのだろうか?
(でもそんな程度ならこんな真顔で他人に相談なんかしないしよなぁ……?)
「……で、どうしてそれを私に?」
立ちっぱなしも何なので、近くの椅子を勧めながら尋ねると、彼女は手で数回埃を払ってから少し離れた所に座った。
「どうして、って、柚原さんってオカ研の副会長でしょ?」
「まあ、一応」
補足すると、あと一人減ると同好会になる程度の弱小研究会ではありますけど。
「だからそういうのも詳しいのかなって」
私の場合は小さい時に神隠しに遭って、それからオカルトに興味を持ったのがきっかけだ。
だからって私に相談する?
羽田さんはクラスでもそこそこ可愛い。
下校途中でよく友達とカラオケに行ったりクレープなんかをべているのを見かける。
それに対して、オカルト好きの地味な女子高生というクラスの中でも対極をなす存在の私とは、挨拶を交わす程度の仲だ。
ちなみに紫乃とはクラスが違うから、多分もう全然接点がない、はず。
(あ、これって、もしかして何かの罰ゲームとか……?)
いや、そういう悪ふざけをするようなタイプではない、と思う。
リア充ではあるけど、そういうノリの性格ではなさそうだし----。
それに、私の横には紫乃がいる。
紫乃は隣のクラスだが私の幼馴染で、家も隣同士だ。
定期試験ではいつも上位で、運動神経もそこらの男子より抜群にいい。
そして何よりも生真面目で、冗談一つ聞いた事がない。
ハーフだという大人びた風貌に惹かれて寄って行く男子も女子も上級生だろうが相手にしない。
ただ何故か私とだけは授業以外の時間をこんな風に並んで過ごしている。
「……で、それって相談先は私でいいの?」
そんな相談をされても困ると言う事を言外に伝えたつもりだったが、羽田さんは頷き、そして何故か紫乃の様子をチラリと一瞥した。
あ、そうか。
羽田さんは私にじゃなくて生物研究会会長の紫乃に相談を持ち掛けていたのだ。
普通ならオカルト嫌いの紫乃にこんな話は到底できない。
それならと、昼休みに紫乃と化学準備室に入り浸っている私にまずは話をしたのだ。
(羽田さんも結構策士じゃん……まぁ出汁にされたのはちょっとアレだけど)
隣で手製の厚焼き玉子を頬張った紫乃は、眉間に皺を寄せたままだ。
砂糖たっぷりの厚焼き玉子は私の大好物でもある。
「……その猫、なんて喋るの?」
もっきゅもっきゅと噛んでいた玉子焼きを、ゆっくりと呑み込んでからめんどくさそうに質問したのは紫乃だ。
(なんか怖い事喋るとかならヤダな)
「今日は傘を持って行った方がいいよとか、そんな感じ」
「え、なにそれ? 完全に普通に喋ってんじゃん!?」
怖い話どころかお母さんみたいなセリフだ。
驚愕する私の横で、紫乃は少し考えるような顔をした。
「他には?」
「お弁当忘れてるとか、ガスの点検が来るけど悪い業者だから開けちゃダメとか」
それ、本当に猫なのか?
「その猫っていつから飼ってるの?」
「あ、えと……去年の夏かな。道端で倒れていたから獣医さんの所に連れて行って、里親探しとかもしたんだけど……結局見付からないままずるずる飼っちゃって」
オカルトな相談されに来たはず私は、二人の会話に「ほう」とか「へえ」とかの相槌を打っているだけのbotと化していた。
「色は?」
「黒……メスなんだけど普段は大人しいしあまり鳴かないんだよね。だけどすごく甘えん坊だから毎晩抱いて寝てるんだ」
最後のプチトマトのヘタを丁寧に取って口に入れた紫乃は、ゆっくりと味わうかのように噛み締めながら、羽田さんの顔を見詰めた。
「貴女、小さい頃に高熱を出して入院したとか、事故で頭を打ったとかは?」
「ないはずだけど」
ふむと、頷いて紫乃は取り出したウェットテッシュで指先を丹念に拭いて、「ごちそうさまでした」と小さく手を合わせる。
紫乃は、いただきますとごちそうさまを欠かしたことがない。
前に珍しいねと聞いたら『だって命をいただいているんだよ? 当たり前でしょ?』と、逆にキョトンとされてしまった。
「他にその猫の声を聞いた家族とかはいる?」
「……去年実家から出てから一人暮らしだから、私だけだと思う」
こんな時、紫乃は本当に同い年かと思うくらいの険しい顔で何かを考えている。
声なんかかけられない雰囲気だ。
校内では一二を争うくらいの美人なのに、歩く塩対応と陰で呼ばれている一因でもある。
「その猫、車に轢かれてた?」
「……うん、でもほぼ無傷だったみたい」
何故か急に歯切れの悪い答え方になった。
「……はっきりしておきたいんだけど、その声は人間の声なのね? どっちの声? 男? 女?」
「女の人……20代、くらいかな?」
オカルト研究会副会長としてこのままbotで終わるのもなんなので、私は提案をしてみる。
「えっとさ、もしよければ羽田さんのその猫、私達と一度会わせてくれないかな?」
「うん」
あっさりと羽田さんは答えた。
「え?」
簡単に話が進み過ぎて、自分で質問しておきながらバカみたいな返しをしてしまう。
「あ、そっ、それじゃいつが都合がいいのかな?」
「別に、一人暮らしだからいつでも」
私はまた紫乃と顔を合わせる。
「紫乃はいつがいい?」
「私はゆかりに合わせる」
紫乃はいつもこんな感じだ。
他人に関心はないし、干渉される事も絶対に許さないのに、何かの時の判断はあっさり私に委ねる。
「えー、実は私も紫乃も一人暮らしなんだよね、だからそれだったら、今週末くらいに羽田さんの家で鍋パ的な事やるってのはどうかな? 迷惑?」
「全然、ってか……森宮さんは大丈夫なの?」
森宮さん、とは紫乃の事だ。
「どうして?」
紫乃は弁当の包みを布バックに戻しながら問い返す。
「……森宮さんってそういうの嫌いだと思ってたから」
「別に嫌いじゃないわよ。私が嫌いなのはオカルトであって、鍋は嫌いじゃないもの」
どさくさに紛れて辛辣な事を言われてしまったが、とりあえずこれで話は決まった。
「ゆかり、そろそろ戻らないと」
「あ、そだね」
私も急いで立ち上がる。
紫乃といると時間が経つのが早い。
「そうだ、森宮さんのライン教えて?」
それを聞いて思い出す。
こんな私でもクラスメイトのほとんどとはラインの交換をしていたんだった----笑えるくらい使ってないけど。
「私、スマホ持ってないから」
羽田さんは私の顔を見る。
私は黙って頷く。
「何かあったら私が紫乃に伝えるから。どうせお隣さんだし」
私がそう言うと、羽田さんは少し寂しげに微笑んだ。
どうしてか分からないけど、それを見た私は羽田さんに何か声をかけたくなる。
でも、開いた口から出たのは「じゃ、時間とか後でラインして」という言葉だけだった。
そして土曜日。
私と紫乃と羽田さんという、超レアな組み合わせの鍋パの日。
「おじゃましまーす」
羽田さんの家は学校近くの小さな新築アパートだった。
紫乃は紙袋の他に何故かノートパソコンを抱えている。
「猫ちゃん……えと、名前……」
「ああ、クロエね……リビングにいるわ」
猫もいる事だし魚の鍋とお刺身にしようかという話になり、紫乃は親がふるさと納税で貰った九州だかの海鮮鍋セットを、私は途中のスーパーで買った鮪の刺身と白菜と、あとなんやかんやを下げて羽田さんの部屋を訪れたのだった。
「紫乃、ふるさと納税のそれって食べちゃっていいの? お母さんか誰かが頼んだんでしょ?」
「いいのよ、どうせ二人共ほとんど海外だから」
言われてみれば顔もほとんど覚えていない。
「じゃ、開けるね」
少し緊張した面持ちで羽田さんはリビングのドアを開いた。
「クロエ、お客さん来たよ」
少し間を置いて、部屋の奥から黒猫が用心深く歩いて来た。
「こんにちは」
私は腰を屈めて挨拶する。
だが、クロエという名の猫は私を無視して紫乃を見上げ、細かった尻尾を一気に膨らませた。
「あら、私、猫にモテないみたいね」
紫乃は気にする様子もなくリビングに入っていく。
一人用の部屋だが、物は少なく、三人入ってもさほど狭さを感じさせない。
「コンロと鍋は用意しておいたから、あとジュースとかも少し」
「なんかごめんね」
折り畳みテーブルの上にはもう鍋の用意がされている。
「おー、パーティみたい!」
「どうせならハロウィン風にすれば良かったかな?」
私と羽田さんが割とわいわいやりながらキッチンに材料を広げる。
こうしてみると意外と喋りやすい子だ。
「あ、南瓜スライスも買ったんだった! これでハロウィン風だよ!」
「はいはい、切るのは私がやるから二人は他の準備をして」
エプロン姿の紫乃が手際よく鍋の具を切って盛り付けていく。
「あとクロエはリビングから出さないで」
彼女なりに何か考えがあるのだろう。
クロエはと言えばリビングの隅に座り込み、じっと紫乃を見ている。
「ふぅ、結局只の美味しい鍋パで終わっちゃったねぇ」
羽田さんのアパートからの帰り道、私達は人のまばらなホームに立っていた。
「クロエちゃんはずっと鳴かないままだったし、普通の猫だったし」
私と羽田さんがふるさと納税の鍋セットに夢中になっている間、紫乃はクロエを、それこそ爪の先から尻尾の先まで触って調べていた。
「声帯も猫の声帯だったし、機械のようなものもなかったし、人間の声を出せるような仕組みは何もなかったわ」
口の中まで調べたのか。
「えー、それじゃ全部羽田さんの空耳って事?」
終電近い電車はガラガラだ。
電気は煌々とついているのに、どこか寒々しい。
「違うわよ。全部喋ったのはあの黒猫」
「……は?」
意味が分からな過ぎて私はもう一度「は?」と聞き直した。
「あれ、多分中身が入れ替わっている」
「なにそれ前々前世的な?」
紫乃は黙ってノートパソコンを開く。
「この去年のニュース記事見て。飛び出した猫を助けようとしてOLが車に轢かれて意識不明になっている……調べたけど現在も意識は回復しないまま入院しているの」
「それって……」
道端で倒れていた、と話した時の羽田さんの歯切れの悪さが急に腑に落ちる。
彼女は事故の目撃者の一人だったのだろう。
轢かれたOLを助けようと人が集まっている中、羽田さんは子猫を抱き上げて獣医まで走ったのだ。
「恐らくその時に轢かれた女の人の魂が猫に入っちゃったのね」
「……もしその猫と女の人を離さないで一緒にしてたら? 元に戻っていたかもしれない……?」
羽田さんはこう考えたのではないだろうか。
自分が事故現場から子猫を連れ出した事で、轢かれた女性の魂が元の身体に帰れなくなったのかもしれない。
だから初めは自責の念が空耳として勝手に猫の声に変換されるのだと----。
が、紫乃の結論は全く違った。
「羽田さんの空耳とか思い込みとかではないわ。あの猫、私に頼んだんだもの」
「た、頼んだ!?」
もはや何が何だか分からない。
オカルト嫌いの紫乃が、猫から頼み事をされたと言い出したのだ。
これ、明日地球が滅亡するんじゃないの?
「紫乃、明日はハロウィンだよ? エイプリルフールじゃないよ?」
「ゆかり……貴女に私が冗談言った事一度でもある?」
畳んだノートパソコンを膝に置いて紫乃は私を見詰めた。
深い琥珀色の瞳。
普段はコンタクトをしているが、裸眼になると時代を経た金貨のような色になる。
そういやハーフとは聞いているけど、家族構成とかは聞いた事がないな。
「……紫乃って研究者志望の科学万能論者のくせに、私よりオカルトだよね」
「オカルトは嫌いだって言ってるでしょ」
そのまましばらく私達の間には電車から降りるまで沈黙が続いた。
「……クロエは紫乃に何て頼んだの?」
駅を出ると息が白い。
私は緩んでいたマフラーを巻き直す。
「病院に行って、自分の身体を食べて欲しいって」
「は!? 食べるって何!? そんな事したら、その人死んじゃうじゃん! ずっとあの猫の中に入ったまま戻れなくなっちゃうんだよ!?」
ありえない。
普通だったら猫なんかじゃなくて自分の身体に戻りたいって思うのに----。
それに、食べるって、どういう事?
「あの人ね、本当は会社に行くのがもう嫌で、どこかで死のうかって考えながら歩いていたんだって。そうしたらいきなり子猫が飛び出して来て、反射的に抱き留めた所に車が来て……正直神様が願いを叶えてくれたんだって思ったらしいよ」
「そんな……」
『彼女』の意識が身体に戻れば、彼女はいずれ社会復帰できる可能性がある。
でも仮にそうなったとしても、自分はもう以前の自分には戻れない、と『彼女』は言ったらしい。
何日も徹夜したり、休みの日まで会社に呼び出されたり、そんな生活はしたくない。
でも会社をやめても生活の保証はない。
「両親は悲しむと思うけれど、これ以上入院費の負担はかけられない……それに……」
「それに?」
私の家に灯は点いていない。
門扉を開いて、私は紫乃に「来る?」と聞く。
「いいの?」
「いいよ、紫乃は幼馴染だもん」
紫乃がウチに泊まるのは珍しい事ではない。
それに、まだ話は終わっていない。
「……クロエは羽田さんとずっといたいんだって」
「命の恩人だから?」
私の部屋の電気を点けながらそう聞くと、紫乃は「違うわよ」と首を振る。
「好きだからよ」
歯を磨いてお風呂に入って私達はまた部屋に戻る。
ラグマットの上の2つある大きなクッションの一つが紫乃の定位置だ。
そこに身を沈めて、森宮紫乃は静かに断言した。
「でも……羽田さんはどうなるの?」
「どうもこうも猫が喋った記憶自体消しちゃえば、ただの大人しくて甘えん坊な黒猫として飼い続けるでしょ……ちょっと他人よりも霊力は強いから何か勘付いてる様子だったけど」
記憶を消す?
それじゃ『彼女』の気持ちはどうなるんだろう。
「ま、『彼女』が黙っている限り一生知らないでしょうね」
そんな報われない恋を、『彼女』は選んだのか。
「とりあえず契約は成立したわ。私は明日あの人の病院へ行ってくる」
「契約……」
ああそうだった。
私は不意に思い出す。
森宮紫乃は私の幼馴染なんかじゃない。
この中学に入ってからいつの間にか隣に住んでいたんだ。
森宮紫乃は私を森で助けてくれた不定形の『なにか』だった存在だ。
両親を相次いで亡くした私は親戚に家も遺産も奪われて施設に放り込まれた。
辛うじてそれて分かる食べ物と固いベッドを与えられ、毎晩のように殴られ続けたある晩、小学生の私は施設の窓から裏の山に逃げ込んだのだ。
「紫乃……紫乃はどう思ってるの?」
私は紫乃の両手を握る。
温かい。
それは寒さで震えながら木の洞で丸まっていた私を優しく包んでくれた、ぬるぬるとした温かい『なにか』の温もりと同じ。
人間の姿になって私を施設から連れ出してくれた時の、繋いだ手の温もり。
私を殴り続けた園長が、私から全て奪った親戚が、それぞれ突然失踪した日、抱き締めてくれた時の温もり。
新しい家の玄関に戸惑う私を中に入れてくれた時の手の温もり。
全部同じ。
紫乃の掌の大きさはあの時と全く変わらなくて。
艷やかで長い髪も、しっとりとした白い肌も、何もかも初めて会った日から何も変らない。
「そうね、そういう形の『好き』もあると思うわ」
「人間同士じゃなくても?」
森宮紫乃は私の唇に、そっと唇で蓋をする。
金色の瞳に私の魂がチョコレートみたくとろけていく。
「そういう事はゆかりの方がよく分かってるんじゃないの? オカルト研究会副会長さん?」
そうだ。
私は恩人だから紫乃が好きなんじゃない。
紫乃だから好き。
ただそれだけ。
時計の針が12時を回った。
そして私は大好きな存在と二人で部屋にいる。
これ以外の幸せは私にはいらない。
「ハッピーハロウィン」
「ハッピーハロウィン」
私達は互いの首に腕を回してキスをする。
さっきよりずっとずっと長くて甘いキスを。
「そうだ、ゆかりの食べたがっていた限定パンプキンパフェ、明日ガッコサボって行かない?二人で」
「え、いいの!? 放課後はいつも売り切れでもう諦めてたんだよね」
なんてことのない普通のやり取り、こんな日常が続きますように。
だから紫乃、死が二人を分かつまでは一緒に生きよう。
そして私の寿命が尽きるその時は、私を食べて貴女の一部にしてね。
骨の一欠片も血の一滴も、いつまでも貴女とひとつでいたいから----。