16
放課後まで保健室で時間を潰して部室に行く。
坂木と中島の諍いは勇一たち教師の手によって事なきを得たようだが、噂にはなっていた。その所為でか、校舎全体に浮ついていた空気が流れ、関係者である雅実にとって居心地がいいとは言えない状態だった。
それでも下校しなかったは、国枝が心配だったのと沢村と話がしたかったからだ。
しかし、部室に行ってみると国枝と藤原しかいない。
「他の人は?」
「沢村先輩、三日の自宅謹慎だと」
藤原の言葉に驚いて息を飲む。
中島との喧嘩は女子同士と言う事もあって暴力沙汰にはならなかった筈なのだ。それなのに自宅謹慎とは、処分が厳しい。
雅実の顔つきからそれを察したのか、藤原が肩を竦めて言葉を続ける。
「揉み合って、何かの弾みで窓が割れたらしい。喧嘩両成敗って事で中島カレンも同じ処分になった」
教師の目の前で起こったのだから、そう言われたら妥当な処分なのかも知れない。
納得の溜め息をついて、チラリと国枝を見る。
相も変わらずせっせと針を動かして衣装を繕っている。雅実の見たところ、余り器用ではないらしく時折、糸をほどいている。矢張り落ち着かないのだろう。
「中島カレンにお七を譲るつもりか」
その言葉に雅実は、藤原までもが中島とやりあったのを知っているらしいと思う。
あの場にいたのは雅実の他には中島だけだった筈。その中島は沢村と喧嘩して謹慎処分を喰らったのだから誰かにそれを言いふらす間はなかっただろう。
そこまで考えて、雅実は思い出す。
いや、違う。雅実が啖呵を切った時、中島の傍に取り巻きの王子がいた。
そいつが触れて回ってるのだろうか。だが、何の為に。
藤原に問い返そうとするが、袖を捲って目を逸らされてしまう。
「そろそろ来るんじゃないか」
その言葉と同時に部室のドアがノックされ、針仕事をしていた国枝が驚いたようにビクッと肩を震わせる。矢張りどう見ても気が弱そうにとしか思えない。
改めてそう確認してドアを開けると、たった今思い出していた人物が緊張した顔として立っていた。
「は?」
まさか部室で会うとは思ってもいなかった。
雅実は怪訝と言うよりも、苦虫を噛み潰したような顰めっ面でその人物を見つめる。
「時間通りだ。どうぞ、先輩」
藤原の言葉に促されて入って来たのは、坂木が階段から落ちた時にナイフを持っていた三年生だった。
藤原がどこからか椅子を引っ張って来て、三年生に座るようにすすめる。
見知らぬ人物がやって来たからか、国枝が不安そうに雅実を見つめるので、仕方なく大丈夫だと伝えるように曖昧に頷いて見せる。
本当は何がどう大丈夫なのか、さっぱり分かっていなかったのだが。
腰を降ろした三年生は困ったような顔で藤原を見つめ、次いで雅実に視線を向ける。
王子だ。
中島といる時ほどキラキラして見える訳ではないが、顔そのものは端整で二枚目と言ってしまっていいだろう。よりによって、どうして中島なんかに。そう思える程度にはカッコいい。
「三年の佐伯先輩。で、こっちがうちの裏方の安藤です」
藤原がザックリと紹介してくれる。特に知り合いたかった訳ではないが、こういう時は会釈をするものと学習していたので雅実は小さく頭を下げる。
「佐伯先輩が安藤と話したいって言うから招待したんだ」
勝手な事を。
そうは思うが、中島の取り巻きである佐伯が自分に何の用があるのかは気になる。
まさか主役を中島に譲れと言う事ではないだろう。雅実がやけくそを起こした時に佐伯もその場にいたのだから。
あの時。雅実の言葉に中島は確かに怯んだ。その理由までは分からないとしてもただ事ではないと分かった筈なのだ。
「何ですか」
突慳貪になってしまうのは仕方ない。そこは大目に見て貰おう。
ちゃっかりそう自己完結して、雅実は佐伯を見る。
見れば見るほど、カッコいい。
座っていても身長が高いのが分かるし、少し長めの前髪が掛かる目元は涼しげだ。
どうして中島の取り巻きなんかしてるんだか。これだけのルックスなら相手なんて選り取り見取りだろうに。実に勿体ない。
そんな事を思っていると、緊張した面持ちのまま佐伯が意を決したように口を開く。
「助けてくれ」
真剣な様子から、その言葉が冗談の類いでない事は分かる。
だが、どうして。何から。どうやって。
クエスチョンマークばかりが頭に浮かんで、結果、気の抜けた声を上げてしまう。
「はい?」
バカにするつもりはなかったのだが、ご丁寧な事にコテッと首を倒してしまった。これでは誰が見てもバカにしていると思うだろう。
しかし、佐伯はそれを指摘する事なく強張った声で続ける。
「中島に脅されて……だから!」
雅実はそれを見て、顔を元の位置に戻して眉を寄せる。
佐伯の言葉は要領を得ないが、中島に脅迫されて従っていたと言いたいらしい。
要は中島から助けてくれと言っているのだ。
「えっと、佐伯……先輩でしたっけ。どうして演劇部にそんな事を言うんですか」
演劇部と言うよりも雅実に頼んでいるのだろう。
だが、助けを求められる心当たりなど微塵もない。それに出来る事なら個人として請け負いたくはなかった。
「中島が学校にいない間にって思ったのと……あと、さっきの安藤を見てたら何とかしてくれるんじゃないかって思えて」
中島相手に短気を起こした事だろう。
それだけで雅実に縋るとは……何と言うか情けない。男なら自分で何とかしてみせるってぐらいの気概を見せて欲しい。
「あれは別に、何て言うか……その、口が滑ったみたいな……?」
地味で大人しいキャラとして通っているんだ。今更それを壊されるなんて堪ったものじゃない。
なので、雅実はしどろもどろになりながら何とか言い訳を試みる。
「安藤はしょっちゅう口滑らせてるのな」
藤原が含み笑いをしながら茶々を入れて来る。
それをキッと睨みつけ、再び佐伯に目を向ける。
面白がっている藤原とは裏腹に、国枝は心配そうに手を組んでいる。
そんな二人の視線に気付く余裕もないのか、佐伯がそわそわと話し出す。
「中島に言う事を聞けって言われたんだけど、最初は相手しなかったんだ。中島は派手な見た目と同じぐらい、悪い噂ばかりだったから出来る事なら近づきたくなかった。でも、先月ぐらいから妹が変な男に後をつけられてるって言い出して……」
「佐伯先輩の妹って中三でしたっけ」
藤原の問い掛けに佐伯が小さく頷く。
三歳差か。兄にしてみたら妹が可愛くて仕方ないのだろう。
それに高校生と中学生では行動範囲が違うし、男子と女子では尚更だ。
可愛いからと言ってずっと妹のボディガードをしているのは無理だろう。
だから仕方なしに中島の命令に従っていたのか。
「今の話が本当だとしたら、一ヶ月は中島の言う通りにしてたんですよね。なのに、今になって助けを求めて来たのはどうしてですか」
雅実の質問に佐伯が言い難そうに「それは」と口籠ってしまう。
何か疾しい事があるのだろうか。
或いは、耐えきれないほどの何かがあったのだろうか。
あったな、そう言えば。
雅実が佐伯の姿を見たのは坂木が階段から落ちた時が始めてだ。
あの時、佐伯は呆然としていた。そして先ほど短気を起こした時も何やら言い訳しようとしていた。潔くないと一蹴したが、佐伯にしてみたら本意ではなかったのだから言い訳ぐらいしたくて当然だろう。
「坂木部長を階段から突き落とすつもりはなかったって事ですか?」
「そんなつもりはなかったし、突き落としてもいない!」
でも坂木は実際に骨折したのだ。
雅実が疑いの目を向けると、それが分かったのか佐伯が必死になって言い募って来る。
「あの時は直前に中島からナイフを渡されたんだ。それを持って立ってろって言われて……坂木に何かしようだなんて考えてもいなかったんだ」
「じゃ、どうして部長は階段から落ちたんですか」
「中島が突き飛ばしたんだ」
マジか。
タチが悪いとは思っていたが、そこまでとは。
主役欲しさに同じ演劇部の部長を突き飛ばすとは……やり過ぎだろう。
「坂木が落ちたのを見て中島は逃げ出すし、俺がそれを言ったって誰も信じてくれないだろうから黙ってたんだ」
「でも、その所為で佐伯さんが部長を突き落としたって事になってますよ」
「仕方ないだろう……黙っていないと妹に何をされるか分からないんだから」
頭痛い。
そこまで妹が可愛いなら、もっと上手く立ち回ればいいものを。
どうして中島の言葉に易々と従ってしまうのか。
雅実は目の前にいる佐伯に『顔はいいけどバカ』というレッテルを貼る。
「根本的な解決にはならないけど、佐伯先輩の妹さんの方はどうにか出来ると思います」
「本当か!」
勢い込んで身を乗り出す佐伯から少し離れる。
イケメンでもバカは嫌いだ。シスコンが悪いとは言わないが、ぶっちゃけ理解出来ない。
「佐伯先輩が演劇部に入ればいいんです」