15
沢村と話してる間に授業は終わったらしい。
廊下を歩く生徒たちを掻き分け、雅実は三年の教室へと急ぐ。
中島が真面目に授業を受けるとは思えなかったが、他に心当たりがないのだから仕方ない。
三年の教室が並ぶ廊下を走っていると、「おい、雅実」と声を掛けられ立ち止まる。
振り返らなくても分かっていた。兄の勇一だ。
「廊下を走っちゃいけませんって俺に注意させる気か、お前は小学生かよ」
「煩い。それより体育教師が何で校舎にいるんだ」
「年がら年中グラウンドにいなきゃいけないのか。何だよ、体育教師は校舎にいちゃいけないのかよ。お前は教師を差別するつもりか」
鬱陶しい。
兄の所為で注目されていると分かるので、余計に鬱陶しい。
顔を顰めて無視しようとするが、肩を掴まれ引き戻される。
「行くな、沢村が中島とバトってる」
耳元でそう囁かれ、ハッとする。
その二人が諍いを起こす理由なんて、演劇部の定期公演に関する事しかないだろう。
「どこで」
尖った声でそう聞き返すものの、勇一は答えるつもりなんかないらしい。
「沢村は大丈夫だろう」
「その根拠は?」
部長の坂木ですら階段から落ちて怪我をしたのだ。沢村が無事で済む根拠なんかない。
「中島が脚本を持ってないからだ」
その言葉に雅実はアッと思う。
そう言えば、脚本が配られた時、中島は部室にいなかった。脚本を持っているのは書いた沢村と部長の坂木、吉三郎役の藤原の他にはその場に居合わせた雅実と国枝だけなのだ。
「中島が幾ら主役をやろうとしても脚本がないんじゃ無理だからな」
そうだった。落ち着いて考えればすぐ分かった筈なのに、そこまで頭が回らなかった。
ならば、坂木が階段で落ちた時も脚本を奪おうとしてナイフで脅したのかも知れない。
「沢村は絶対に脚本を渡さないだろうな、そしたら次の中島のターゲットは誰だと思う?」
藤原ではないだろう。そんな事をしたら相手役がいなくなってしまうのだから。
そうすると、国枝か雅実。恐らく雅実に脚本を渡せと言って来るに違いない。
国枝が本当のお七役だと中島は知らないのだ。だから、国枝が脚本を持っているかどうか中島には分からない。
その点、雅実は坂木の代役として脚本を持っているのは確実。しかも演劇経験はゼロだ。脚本を寄越せと言われれば断る理由はどこにもない。
「でも、」
中島の取り巻きは男ばかりなのだ。女子である沢村を放っては置けない。
「だから俺がこんな所にいるんだろうが。職員室でマッタリしてたのにさぁ」
どうやら誰かが職員室に駆け込んだらしい。ならば、この場は教師である兄に任せるのがいいだろう。雅実が行けば中島は攻撃対象を変え、その結果、下手をしたら火に油を注ぐ結果になりかねない。
兄の言う通りにするは少し癪だったが、他にどうしようもないのだ。渋々、「分かった」と頷くと、勇一が励ますようにその肩を叩く。
「次の舞台、観に行くからな」
雅実が主役をやると思っているのだろう。その期待を裏切るようで申し訳ないが、兄弟なら雅実がお七を演じられる筈がないと分かってもいいものを。
曖昧に手を振って、雅実は来た廊下を引き返す。