13
裕福な町人の娘・お七。
世間知らず故に、始めて知った恋に心を焦がし、最後には愛しい男と一緒にその身まで灼かれてしまう。
そんな情熱的とも言える少女のモデルが国枝だと言うのか。
藤原が言っていた物とはまた違うイメージだった。そして当然のように雅実が抱いている印象とも違う。
どれが本当の国枝なのだろう。
藤原が言っていた物は惚れた欲目と言ってしまえば……そこまで思って雅実は違うと首を振る。
欲目と言うには辛辣な内容だった。藤原が国枝のそういう面に惚れたのだとしたら惚気になるかも知れないが、少なくとも雅実はそう受け止めなかった。かなり厳しい意見だと感じたのだ。
そして、沢村の目には国枝が純粋な、狂気を孕んでそうにどこまでも純粋な少女のように映ったのか。恋する男と一緒に死ぬ事を幸せに思う少女。
そこまで思って、二人のイメージが矛盾しない事に気付く。
お七の願いが吉三郎とずっと一緒にいる事だったら、結婚して家庭を築いてと思うのが普通だろう。だが、お七はそうしなかった。
共に死ぬ事で願いを叶えようとしたのだ。
目的の為には手段を選ばない。そんな残酷さがお七からは感じられる。
「沢村先輩……一つ聞いていいですか」
ずっと気になっていたのだ。沢村と二人きりの今はそれを確かめるチャンスだった。
「何?」
「先輩たちは何をしようとしているんですか」
今回の演目を発表した時、沢村は尤もらしい事を口にしていたが、それは一見すると納得出来るような気もしたが、よく考えたら不自然な点が多い。
まず、新作なので役者への負担が大きい。台詞を覚えるのもそうだが、立ち回りや細かな仕草まで全ての演技を一から作り出さなければならないのだ。
雅実のやっている裏方だってそうだ。今回の演目の為に衣装は全て新調した。
だが、これまで他の裏方と沢村が打合せをしている姿を見た事がない。演技の指導もしていない。
在校生しか見ないとは言え、新作なのだ。こんな調子で本当に定期公演を迎えるつもりなのだろうか。まるでやる気がないように思えるのは雅実だけだろうか。
ジッと見つめる先で沢村がポケットから眼鏡を取り出し、レンズが磨く。
「それを言うなら、安藤。お前は何の為に演劇部に入ったんだ?」
手元に視線を向けたまま、静かにそう切り返されて雅実は沈黙してしまう。
思った以上に沢村は冷静で賢いようだ。
迂闊な事を口にしたら取り返しが付かないかも知れない。
ジッと押し黙る雅実を見つめ、沢村がふぅと溜め息をつく。
「我が校の演劇部は歴史が古くてね、昔はコンクールで入賞した事もあるみたいだからそれなりに評価もされている。でも、校内での評判は頗る悪い。その理由は分かるだろ」
「中島カレンがいるから」
「そう。だから、藤原が入部して来た時は驚いたよ」
最初は中島の取り巻きかと疑ったぐらいだ。
そう言って乾いた笑いを漏らす。
「でも、すぐにそうじゃない事は分かった。藤原は中島をまるで相手にしていなかったからね。それに、その次の年の国枝が入部して来てすぐに納得したよ」
「何をですか」
「藤原は国枝に頼まれて演劇部に入ったんだなって」
可能性としてはゼロではない。
藤原と国枝は同じ小学校に通っていたらしいのだから、中学も同じだったのかも知れない。だが、国枝が藤原にそんな頼みをした理由が分からない。
「まぁ、国枝に確認した訳じゃないから私の想像だけどね」
そう言うと、眼鏡を顔に掛ける。
「そうしたら、今度は二年生が入部届けを持って来た。しかも、校内の有名人だ。警戒しない方がどうかしている」
「有名人って、まさか」
「安藤の事だよ。お兄さんが中島に猛アタックされているんだから、自分にも注目が集まっている事ぐらい分かってただろう」
いいえ、全く。これっぽっちも。
爽やかスポーツマン、しかし実態はただの暑苦しい体育会系なのだが、雅実は自分が勇一と似ていると思った事は一度もない。
外見から性格まで、何から何まで違っているのだ。だからこそ、同じ学校の教師と生徒という微妙な関係になっても仲が拗れる事がなかったのかも知れない。
「そんなに有名ですかね……」
「自覚なしか、面倒臭い。安藤先生は確かに一部の女子の間では人気がある。でも、恋人がいるのは全員が知っているんだ。何しろ、安藤先生の机に2ショットの写真が飾ってあるんだから」
それを聞いて雅実は遠くを見つめる。
兄よ、そんな事するぐらいならさっさとプロポーズしちゃって下さい。
「しかも安藤先生は中島に追い回されているんだ。誰も無闇に近づこうとはしないさ。だから、安藤に注目が集まるって訳だ」
ああ、そういう事か。
これまでも校内でヒソヒソされる事はあったが、第一志望の試験を受けられず兄のいる学校に来た間抜けと噂されているのかと思った。それはネガティブな妄想だったらしい。
恋人がいるのに生徒に言い寄られている教師の身内に向けた単なる同情だったようだ。
ああ、あれがあの安藤先生の……大変だろうねぇ。
この程度だったのだろう。それを勝手に被害妄想に置き換えていたのだから、我ながら何とも哀れだ。
「納得して貰ったところで、さっきの質問を繰り返させて貰おうか。安藤はどうして演劇部に入ったんだ」
冷たいレンズ越しに見つめられ、雅実はギクッと震える。