12
授業を無視して、雅実はその足で部室へと向かう。
だが、無人の部室を見てへたり込んでしまう。
そう言えば、授業中だったか。
それすらも忘れてしまうほど気が動転していたらしい。
壁際に置いてある椅子に腰を降ろし、頭を抱える。
坂木と沢村は何か企みがあって今回の舞台を決めた筈なのだ。中島を主役から外すのが目的なら、坂木がそのまま主役を演じればいいだけ。それなのに、衣装の繕いばかりしている国枝を主役に抜擢したのだ。何か裏があると思っていい。
そして、もう一人の主役である藤原はその裏を知っている。そう考えるのが自然だ。
ならば。
辛辣とも言える国枝に対する批評、あれも何か意味がある筈だった。
こうして考えてみると、部長に脚本家に主演男優。その三人が国枝を中心に動いているのがよく分かる。
だったら、今回の首謀者は国枝なのだろうか。
気の弱そうな国枝の顔を思い出し、どうだろうと雅実は首を捻る。
何が目的なのか分からないが、オドオドとした国枝がそんな大それた事を仕出かすとは考えられないのだ。
整った綺麗な顔をしているのにいつも俯き、役者ではなく裏方を希望するような一年生だ。人前に立つのだって苦手に違いない。
でも、本当に……?
雅実が国枝について知っている事と言えば、気の弱い演劇部の一年生。だが、雅実がそう思っているだけかも知れない。
藤原は国枝の事を全てに対して無関心と言っていたし、目的の為には手段を選ばないとも言っていた。
その二つは雅実の知る国枝とは矛盾するようだが、果たして本当にそうだろうか。
教室では、自宅では。雅実の知る国枝とは別の国枝がいるかも知れない。
そんな考えに没頭していると、不意に部室のドアが開く。
ギョッとして顔を上げた視線の先には、何を考えているのか分からない沢村が立っていた。
「中島とやりあったんだって?」
座っている所為で、雅実は見上げるように顔を上げてからすぐに下を向いて頷き返す。
「はい、そうなるって分かっていたんでしょう」
中島と衝突するのは最初から分かっていた筈だ。そもそも雅実は目眩し要員として坂木の代役を仰せつかっただけ。実際に主役のお七を演じるのは国枝なのだ。そこまで勝手な事をしておきながら今更になって心配されたって雅実の気が晴れる筈もない。
或いは、雅実を心配しているのではなく思い通りに動かない事に苦情を言うつもりなのか。二年生は三年の言う事に絶対服従なんて決まりがある訳でもないのに。
腹の中ではブツブツ文句を並べ立てたが、心の片隅では叱られるとも思っていた。
沢村のつもりでは、あくまで主役は国枝に。だから、雅実が勝手な事をして中島が主役でございとしゃしゃり出て来たら予定が狂う。
だが、沢村は「そう」と溜め息をつくだけで怒っている様子はない。
どうしたのだろう。
不思議に思って見つめると、外した眼鏡を胸ポケットに掛ける。
「坂木の怪我は確かに私の考えが甘かった。安藤が不安に思っても無理はないって理解しているつもり」
「だったら、もう少しこっちの都合も考えて欲しかったですね」
攻撃されると分かっていながら、雅実を坂木の代役だと発表したのだ。八つ当たりぐらいしたくなる。
「財布って何の事」
雅実の言葉を無視して、沢村が言う。
この人……あの場にいたのか。
その事に驚くが、雅実は顔色を変える事なく「何の事ですか」と問い返す。
中島との話を立ち聞きして助けに入らなかった沢村の質問に答えてやる義理などない。
暫く無言で睨み合っていたが、やがて沢村がフッと息をつく。どうやら諦めてくれたようだ。
その気配を察して、雅実はこれまで思っていた事を口にする。
「中島センパイを嫌いなのは分かるけど、諦めて主役をやらせてあげたらいいじゃないですか」
関わりの薄い雅実ですら、中島にお七をやらせるのは気が進まない。折角の新作を誰にも見て貰えないのは面白くないし、何より業腹だ。
それでもこれ以上の被害が出るのは食い止めるべきだと思っている。それが分からぬほど沢村も愚かではないだろう。だが、ニヤリと笑って吐き捨てるようにして呟く。
「させるものか」
その口調に驚いて、雅実は沢村を見直す。
「あんな女に私の書いた台詞を言わせてやるものか。私は国枝の為に書いたんだ、国枝以外の誰にもあの台詞を口にさせたくはないね」
「国枝の為……?」
怪訝に思って繰り返した雅実の言葉に沢村が頷く。
「そうだよ、あのお七は国枝がモデルなんだから」