15話 アリシェとゴウ
馬車はセンロティア・アレスの街から少し離れた野原の真ん中で止まった。
「こんなところで止まった?」
「ここまでだよ。お嬢ちゃん。ウチも商売だからね。いつまでも馬車を走らせるわけにはいかないんだよ」
アリシェは馬車を仕方なく降りて、馬車を見送った。
「こんな野原の真ん中に置き去りにされるなんて思ってなかった。けど、これからどうしよう…」
本当に追っ手から逃げられたのだろうか。ここは街外れだし、このブレスレットが広範囲に探知できるとも思えない。いや、できたとしても、街へは戻りたいは思わない。
「君がどこに行こうとも、僕からは逃れることはできない」
「誰!?」
この声。聞き覚えがある。このブレスレットを着けさせた張本人。
「僕は君の業だよ」
私を付け狙うゴウという悪徳な男だ。まさか、あの丘の上にある木の後ろにでも身を潜めて待っていたというの?
ということは、馬車でここに連れてきたのも、この男の差し金。またはめられた!
「今度は私に何をさせる気なの!」
「話が早いね。けど、僕が君の目の前に現れてまで、そんなリスクを背負って君には話しておきたいことがあるんだ」
「話しておきたいこと?」
「僕と君はここよりはずっと小さな野原で1度出会ってるんだよ。君は僕のことを覚えてないみたいだけど」
私がこのゴウという男と出会ってる。けど、そんな名前に知り合いなんていないし。顔を会わせていたとしたら、母がまだ生きてる8年前。その時の私は村に住んでいて、外で遊んでいたこともあった。もしかしてその時?記憶がない。覚えてない。
「君はその時悩んでいた。僕にそれを打ち明けた。家の中より外の世界が見たい。自由に世界を回ってみたい。けど、それは一生かかっても出来そうにない。そう言っていた」
驚いた。私が人に悩みを打ち明けるなんて。信頼できる人にしか本音を言わないのに。父にも死んだ母にも言えなかったことなのに。
「君は自由を求めていた。僕を見て羨ましそうな目で見ていた。僕はただの村で産まれた子供。自由に伸び伸びできて羨ましかったのだろう」
「すいません。私、あなたのことは全然覚えてません」
「覚えてないなら、それでいい。君は僕に助けてほしいと頼みこんだんだ」
「私が…?」
「私は変わりたい。変えさせてほしいってね」
「………っ!?」
まさか。今までのことって。
「僕はその時、何もできないから。けど、いつか助けてあげるとだけ告げて、2人はそれから会うことはなかったよ」
今までのことは私が引き起こしたことなの?ゴウという男はそれに応えただけ?ということは、この男は。
「私を付け狙うのは、ただストーカーをしたいだけ、ではないんですか?」
「断じて違うよ。君に下心なんて微塵もない」
そういうことか。この男は私を助けるため、自由にさせるため、彼なりのやり方で変えさせようとしてるんだ。
「私はそこまでしてほしいと思ってるんですか。あなたのやり方は酷いですよ」
「勘違いしないでよ。君から見て僕は君の敵だ。君の味方になるつもりはないよ」
「どういうこと?私を助けるために自由にさせたいからって、やってきたことではなかったの?」
「僕は君に助けを求められた時、君が憎かったんだよ。自由なんてないよ。僕が自由で羨ましそうに見えたからあんなことを言ったんだよね。僕ね。親に暴力を振るわれ、友達も誰も居なくて、食事に一切ありつけず、自分でなんとかして生きるしかなかった。人の中や自然の中に入って生きる難しさ。それを一切味合わなかった君と出会い、こんな人もいるんだなと心底憎くなったよ。だったら、自由に生きる難しさを教えてあげるよ。変わりたいなら変えさせてあげるよ。僕が経験したことを君で生かしてあげる。それで君は僕に耐えるんだ」
「とんでもなくあなたは頭がおかしいこと言ってるわね。けど、私はあなたの言う通りになるつもりはないのよ!私はあなたの思惑通りに染まらない。それは決してないから!」
「そこまで威勢が良いなら、僕と勝負をしないか。勝負は簡単だ。陽が沈んで朝日が昇る前にあの森を抜けれたら君の勝ちだ。君が勝てたらそのブレスレットを外してあげるよ」
「嘘じゃないんでしょうね?」
「嘘じゃない。抜けたら君にそのブレスレットを解く鍵を渡すよ。けど、君がもし負けたのなら、僕の言うことを1つ聞いてもらうよ」
この勝負タイムリミットに余裕がありすぎる。森を抜けるぐらいなら3時間もあれば歩いてでも余裕で抜けきれる。まだ朝日は昇ったばかりだし、時間で言えばほぼ1日分の時間が与えられるわけだ。アリシェの方が優勢なのがはなから見えている。
「わかった。受けて立つわ!」
「明日の朝日が昇る前に、辿り着けるといいね。そういうことなら、早く行った方が良いんじゃないかな」
「1つだけ、確認させてほしい。事前に罠を仕掛けてるでしょう」
「時間稼ぎをしないと、すぐにたどり着いてしまえば意味がない」
あるってことね。そうだろうと思ったけど。ゴウがなにもしないわけがない。それだけわかれば充分だ。
「罠があるというなら罠を見極めて避け、引っかけたとしても歩みは止めず前に進む。少しでも前に進み続ければ、この勝負はきっと勝てる!」
森まで真っ直ぐ向かい野原を駆ける。確か、地図だと西の方は森を抜けると砂漠だったはず。砂漠に辿り着いたらアリシェの勝ちだ。
森だから先は見えないけど。罠も目に見えないところに仕掛けてるのだろう。それに森には獣や魔物がいる。気を付けないと。
「とりあえず、森の前まで来たわね。気合い入れていくわよ。ゴウの思惑通りにはさせないんだから」
何か仕掛けてある森を前にして怖じ気づくが、歩みは絶対止めたらダメ。少しでも早くゴールを目指す。そのために恐れず歩む!
「うわわぁぁー!」
早速落とし穴に嵌まってしまった。
「きゃぁー!!」
今度は足元に仕掛けてあった網に引っ掛かり、木の上に体ごと包まれて吊るされてしまった。
「ぐへっ!?」
木と木に縄が繋がれていて、足を引っかけられて転んでしまった。
「なにここ!?ネチョネチョして足が動けない!」
土にボンドでも混ぜたのかと思うぐらい、足元の土がぬかるんでいた。
「また落とし穴ぁ!?」
2回目である。上手く痕跡を残してないから見分けがつかない。
「全然進んでいない!このままだと本当にたどり着かなくなっちゃう!」
それだけではなかった。
「うわっ!?丸太が飛んできた!?」
足止めでなく、始末しにもきていた。あんなもの一撃くらってしまえば、意識を奪われて気絶してる間に1日が過ぎてしまうだろう。
「もう!慎重に行くしかないじゃない!」
しまいには木に隠れつつ、罠を探りながら恐る恐る足を進めるようになった。罠には引っ掛かりたくない。罠にかかれば時間をロスしてしまう。
「…っ!?今度は矢が飛んできた!」
頭の目の前。木に突き刺さる。当たったらひとたまりもない。怖い。木の後ろに隠れながら進むにしても、次の木に足を進めるだけなのに、なにか起こると思うと怖くなり、足が動かなかった。
「時間はまだある。焦るな。まだ余裕はある」
自分勇気づけ、少しでも進まないと。罠にはできるだけ引っ掛からず、前に進み続ければ。きっと。
──夕陽が沈みかけてきた。罠には30回以上引っ掛かり、体はボロボロ。どこまで歩いたかは分からないが、まだ先は見えない。
「タイムリミットはもう半日切ろうとしてるのね…暗くなる前にできるだけ進みたかったけど。半分行ってるのかどうかも危うい」
思った以上に罠をとてつもない量の罠をしかけていた。そのほとんどがアリシェにはかわせないものと、わざとかわさせるものばかり。自分で罠を見極めて回避したのは5回もない。自分に自信を失くしてしまいそうだ。
「それにしても、夕陽が沈んできてから罠がなくなってきている。ここまで来たら罠を作る余裕がなかったのかしら」
本当に何もないまま、このまま進んでもいいのだろうか。
「…あれ?」
目の前に幾つもの大木が地面に倒れていて道を塞いでいた。
「森の中で行き止まりに遭うなんて…一旦戻ろう」
「ガルルル……!」
この気配…!まさか、私の後ろ!?
「しまった…!?いつの間にか獣に後をつけられていた!」
1匹や2匹じゃない。10匹以上。もしや、ここはこの獣たちの住みかか。
「ひゃあ!?この子達、突進してくる!」
動きが単調で読めやすいが、数匹いると相手にする余裕なんてない。
「いっ…!かはっ…!」
獣の単調で読めやすい突進を避けても、背中から突進され、何度も何度も数匹の体当たりをくらい続ける。
「こんなところで…私は……」
体が痛い。意識はある。拳を握る力は残っている。けど、立てない。体が動かない。
「そうだ…ナイフ……」
ナイフを背中から取って、握りしめるが、獣の体当たりにまた吹き飛んでしまう。
「…まだ希望は捨てない!」
最後の力を振り絞り、アリシェは動かない体を無理矢理動かした。アリシェの体はふらつきながらも、2本足だけで立つ。絶好の的だと思った獣が突進してくる。
「…そんな攻撃!読めるのよ!」
獣がアリシェの横を過ぎると、アリシェはナイフを横に凪ぎ払い、獣に一撃をくらわせた。
「さあ。他も来なさいよ!」
次々突進してくる獣たちを避けてナイフで一撃を入れる。それを何度も繰り返して、しまいには獣たちは全員倒れていた。
「やった…全部倒した!」
倒しやすい獣でよかった。突進も私の体力で耐えきれたから、そこまで強くない力だったからよかった。
「休んでもられないのよね。3分だけ休んで進もう…」
今の戦いで体力をたくさん削られた。次襲われたらひとたまりもないだろう。
「まんまと罠に引っ掛かったな!」
「………えっ?」
獣の次は人?それに目の前に現れた人は剣を握っている。
「気付いてるかもしれないが、最後の砦はこの俺様だ。俺を倒せばゴールはすぐそこだ」
「なんですって…」
ゴールはすぐそこだったの。じゃあこの大木の向こう側が。立て。立って戦わないと。
「はあ…はあ……」
「随分、体力が残ってないようだな」
「…ええ、まあ」
「それじゃあ、俺には勝てないな。それにこんな可愛い女の子相手だと遠慮しちまいそうだ。けど、思う存分やってくれって頼まれるから…まあ仕方なくやるけどさ。悪く思うなよ」
男が一気に距離を詰める。早い。いつの間にか私の目の前に。ナイフでさっきと同じように。
「俺は獣じゃねえよ…」
「…いっ!そんな…」
剣でナイフが手から離れてしまった。遠くに飛ばされる。
「戦い方は素人だな。悪いが嬢ちゃん。お前の負けだ。寝てろ…」
「ぐふっ…」
嗚呼。意識が。遠退いていく。負けたくないのに。また負けてしまう。なんて私は無力なの。
「──君の負けだね。朝日は昇ったよ」
木に体を縛りつけられたアリシェ。その目の前にはゴウがいた。
「君が僕に染まらないことを祈るよ」