美嵐丸
「お前は・・・儂が死んでも伴をしてくれぬよな?」
この男らしからぬ弱々しさでそう言われた時、美嵐丸はつうと目から涙を流し、白湯をと言いながら一度、床の慶次郎に深々とお辞儀をして部屋を出て行った。
慶次は珍しく病に伏せっていた。
戦乱にしか生きられない漢が気苦労を積み重ね、肩が凝る毎日が続いた。金沢の最初の冬の厳しい寒さに風邪を拗らせてしまったのだ。強靱すぎる身体の人間は一度調子を狂わすととことん、体の捻子が緩んでしまうようだ。
昨年、義父の前田利久と共に叔父の前田利家の差配する加賀は金沢に、真父の滝川一益の麾下より移ってきた。
尾張荒子の前田家の当主の座を織田信長の命で取り上げられ、そこを追い出された。その時、気の狂わんばかりに利家を呪った母も死に、利久の生家である前田家に帰還を許されたのだ。
体の弱い利久の面倒を見ながら数人の小者を差配し、何かと忙しかった。春には利家の家臣の娘と祝言が決まっていた。
帰ったばかりの今は利家の跡目を狙っているのではないかと周りの目は冷ややかだ。命を狙っているという輩もいるという。
利家は帰参直後の慶次郎に、一人の若衆を宛った。女気がいない不自由を紛らわすためであろうか。戦場で不死身と言われたこの甥が、傾城の陥穽に陥るか見てみたかったこともある。
その若衆は先の戦で父を失い、それを知った母も自害し後を追った。哀れに思い、また美童好きの利家が側に置いた。名は美嵐丸といい、武家の躾の厳しさから紡ぎ出された男になる前の何とも言えぬ芳香を感じさせる十五の美童であった。若き日にあった蒲生氏郷を彷彿とさせた。
ただ、気が恐ろしく強く、奥方の手前もあり、利家も迂闊に手を付けられなかった。恥と思えばすぐ腹を斬りそうな、それほどの研ぎ澄まされた裸刀と例えられるほどの少年だった。
慶次郎も剛胆、諧謔を好む性格で、当主の前でも飾り立てることなくものを言う男。当主の甥ということも手伝って、家内で少々煙たがられていた。
(似たもの同士じゃ・・・どうなるか面白いかもな)
利家はほくそ笑むと、美嵐丸を慶次郎のもとに遣わせた。