オフェンス
めくるめく時代の中で人のニーズは変わってゆく。
例えば、高度経済成長期に重宝されていた黒電話はFAXや携帯電話の登場により、廃れていった。
美人も同じことだ。若い頃はチヤホヤされ、職場でチヤホヤされていたが、歳をとるにつれて、また他の若い社員の登場により、過去の人となるのだ。結婚してしまえば、『あの人は今』的な感じになるのだが、独身でその場に居座り続けると大御所のような立ち位置になる。
彩美はその大御所になるのが恐ろしく怖かった。自分の人気が絶頂期の頃でスパッと悔やまれながら寿退社したい。ピンクレディーみたいに。
流石に職場のマドンナで居続けることは出来ないから。
「葉山さん、この伝票書き方が分からないんですけど、教えて貰えますか?」
彩美の背後で直輝が声をかけた。
「じゃあ、一つお手本作りますね」
彩美がお手本の伝票を直輝の為についていると、上司の先輩がやってきた。
40代の、ここに勤めて15年の独身の、大御所と呼ばれる類の女の先輩だ。そして、いつもくっきり化粧をしている。
「彩美ちゃんは綺麗で優しくて仕事が出来るのよ、古田くん。とっても仕事が出来るから頼っちゃうわよね、思わず」
大御所の先輩のその言葉に「ナイスプレー!」と心の中で叫んだ。
本当にナイスプレーだ。これぞダブルスのいいところだ。
前衛が行動でジワジワ攻めていき、後衛が言葉で信ぴょう性を与える。
このように大御所の先輩方はこの後も代わる代わる彩美のコートにやって来てはダブルスを組んで、古田 直輝を攻めた。
ウインブルドンでは白を身につけないといけないが、ここでは顕著さを身につけないといけない。もうお決まりなのだ。
直輝はとても仕事が出来た。一度説明を受けたことは二度と質問しないし、丁寧にやってのける。頭が良いのだろう。そして、また顕著なのだった。彩美と同類なのだ。むしろ彩美の男版だ。
仕事が慣れない初々しい男子なら、彩美にとって扱いやすいのだが、同類のエリートだと手強い。仲間扱いされてしまうからだ。
類は友を呼ぶと言うが、この場合はどうしても友達にはなりたくない。
しかし、ある日、彩美のこの不安が拭われてしまうような出来事が起きた。直輝が彩美をランチに誘ったのだ。直輝は1人でランチに出るのだが、職場の人間で、初めて彩美を誘った。
それはとても唐突だった。
「葉山さん、ランチ一緒に行ってもいいですか?」
直輝は真っ直ぐ彩美の所へ歩いてきたかと思ったら、小声でそう言った。
「え?お昼?」
彩美が目を丸くしていると、直輝は少し笑ってもう一度言った。
「はい。ランチ。どこかカフェでも」
そう聞いて、声に出さないでオッケーと言うと、直輝は迎えに来ます、と行って去っていった。
休憩時間になり、彩美が自分の荷物を持って出口の側で待っていると、直輝がやって来た。
「少し遠いですけど、駅の近くのカフェに行きましょう」
直輝はそう言ってさっさと歩きだした。
彩美は小走りで直輝の後を歩く。
絶対気がある、絶対私に気があるのだ。ここでしくじってはいけない。完璧に努めないと。
勝ったようなものだ、しかし気を抜いてはいけない。全滅されてはいけないのだ、と。
カフェにつくと、さっさとメニューを注文した。直輝がハンバーグ、彩美がタコライス。
「古田さんみたいな人、うちの職場で珍しくて。みんな喜んでます。」
彩美はそう切り出した。まずはヨイショするのだ。褒め称える。
「いやいや、俺なんてまだまだ。葉山さんみたいにはなれないですよ。みんな葉山さん葉山さんって言ってて。」
逆にヨイショされると困るのだ。しかしここはこう切り返そう。
「本当は全くなんです。とっても必死ですよ、頭なんてフル回転で。」
直輝がニコニコと笑って話を聞いていた。
嘘みたいに癒し系の男だ。犬みたいだ、犬。
戻る時間になって、彩美は惜しく思った。
二人きり、そう、二人きり。滅多にない。
別に駆けて行って、前を歩く直輝の背中に抱きつくこともできる。直輝の手を繋ぐこともできる。しかし、それはしない。
この恋貰ったようなものだ。そんなことして嫌われると一生後悔する。
「あと一押しだー!」
彩美の目の前にはとんでもなく明るい希望の世界が広がっているのだ。あとは足を踏み入れるだけ。
それだけ。