「好きなの……?」
三限目の授業が終わり、月夜は小さくあくびをした。
眠い。昨日も遅くまで徹夜していたためだ。月夜は次の授業の教科書を用意し、文庫本を読み始めた。
他のクラスの騒ぎ声が聞こえ始める中で月夜のクラスだけは静寂に包まれている。
この藍咲学園は偏差値70を超える都内でも有数の進学校である。月夜が在籍しているクラスは、去年、彼女たちが一年生のときの成績上位者三十人を集めたものだ。
月夜は現在のクラスで三位の実力である。このクラスでは課題も多く、休み時間には他のクラスほど騒ぐことは多くない。
だが、それだけではこの静寂は生まれない。理由はもう一つある。
それが彼女、朝日月夜だ。
彼女の容姿は、男子はもちろん女子であっても魅了する。彼女の読書をする様はこの静寂にさらに拍車をかけている。誰もが、この雰囲気を壊してはならないと不必要に音を立てたりしない。
パラパラとページをめくっていると周りからの視線を感じるが、月夜はいつものように気にしていない風を装った。
子供の頃からそうだった。
人から見られることなど慣れていないしストレスでしかない。それなのに何をしていても目立ってしまう。小学生になると自分の周りには人が集まっていた。大抵の男子からは好意を寄せられるが、女子からは妬みや嫉妬を感じられた。いじめも少なくなかった。
中学に上がる頃にはそれまでに培ったスルースキルを駆使し、さらに周りもいじめのような露骨な嫌がらせはしなくなったが、それは結果的には月夜に孤独を与えただけだった。
だがそんな彼女でも心の拠り所になる人物はいた。
「センパイ、センパイ!」
それが彼、篠原大樹なのだ。
大樹は廊下側の一番後ろの席に座る月夜に小声で呼びかけた。彼も、この空気の中では多少の遠慮はするらしい。
次の授業は音楽だろうか。大樹は片手にリコーダーを持っている。
「音楽クラスなの」
一年生は音楽と美術のどちらかを選択して授業を受ける。ちなみに月夜は去年、美術クラスだった。
「はい。それじゃセンパイ、また」
さっきのように会話が繰り広げられることはなく、大樹はそそくさと音楽室へと向かっていった。最後に眩しい笑顔を残して。
「……うん、また」
かろうじてそれだけ言えた。だがその声はあまりにも小さくて大樹には聞こえていなかったかもしれない。
大樹の後ろ姿が見えなくなると、月夜は再び文庫本を読み始めた。
…………全然、頭に入ってこない。
仕方なく文庫本は鞄の中へしまった。頬杖を突きながら時間を確認するとまだ五分もある。月夜はぼんやりと中学時代の大樹のことを回想した。
高校でも月夜は続けているが二人は中学でバドミントン部に属していた。
二人の過去は語ると長くなるので割愛させてもらうと、月夜にとって大樹とは中学時代で最も信頼できた人間だったのである。
当時部長を務めていた月夜の練習に遅くまで付き合ったのも大樹で、部活で一番頑張っていたのも大樹だったと思う。
いつも私に元気を与えてくれた、あの笑顔を振りまいて――――
チャイムの音で月夜の回想は強制終了された。
どうしてだろう。心音はつい意識してしまうくらいに大きくなっていた。先生が来る前になんとか治めないといけない。だが焦れば焦るほど鼓動は速まっていく。
「やっぱり、私は……」
以前に蓋をした想いが溢れてくる。あの時、諦めたはずだったのに。
「好きなの……?」
月夜の呟きは、誰の耳にも届いていない。




