「貴様なんぞに娘はやらん!」
「どうしてこんなことになったのかしら。お母さん全然わからないわ。最近の子って気難しいのね」
「僕のことはさておき、月夜さんを放任し過ぎたのでは? 娘があんなに美人だったら悪い虫が寄り付かないか心配になりませんか」
「主人の場合はそうだけど、私はそれほどでも。どういう風に気を付ければいいかは幼い頃から教えてきたから。おかげで、交友関係が狭い子になってしまったけど」
「なるほど。実体験を交えてアドバイスしたわけですね」
「……。あっ、もしかして遠回しに褒めてくれた?」
「そう受け取ってくれていいです」
「…………追加注文は? 男の子なんだからもっと食べていいのよ。ハンバーグだけで足りるかしら。こっちの季節限定アイスもいいわね。夏場だし遠慮しないで」
タイミング良く(悪く?)通りかかった店員にそのままオーダーしそうになったので大樹は手で制した。ごゆっくりどうぞ。店員はそう言って去っていった。
「すみません。ご馳走になってしまって」
「いいえ。こちらこそ急に呼び出して申し訳なかったわ。まさか部活帰りとは知らず」
午前のみの部活動を終えたところでショートメッセージが届き、大樹は指定されたファミレスまで赴いた。月夜がいるのではと危惧していたが彼女の姿はなく、彼女によく似た容姿の人物が一人待っていただけだ。
「無視されたらどうしようかと心配だった」
「流石に人様のお母さんからの連絡は無視できませんよ。けど急いで来たので汗かいてないか気になっちゃって」
「大丈夫よ。若い男の子の汗ってグッとくるし」
「あ、もう帰ろうかな」
実際に席を立つ。しかし月夜母は止めてこなかった。大樹がドリンクバーのコップを手にしていたからだ。
「何かもってきます?」
「ありがとう。それではアイスコーヒーを」
「かしこまりました」
ここのドリンクバーは種類が豊富で楽しい。しかし、いわゆるミックスジュースを作ってみる気分には到底なれない。あれの何が美味しいのか。
少し離れたところで振り返ってみる。月夜母はこちらに気付いていないようで、窓の外を眺めていた。綺麗な横顔だ。パッと見で高校生の娘がいる年齢だと分かるはずもない。
すぐ近くの席で、大樹と同じくらいの高校生四人組が騒ぎ立てる。
「すっげえ。胸えぐくね?」
「大学生とか? それともOL?」
「お前声かけてこいよ」
「相手にされるわけねえだろ。てか連れがいなかったか」
その連れが目の前にいることに気付き、四人組は口を噤んだ。何事もなかったように各々のスマホに視線を落とす。しょうもない話をしないでほしかった。あの人とどう接していいか分からなくなる。
片手に白ぶどうジュース、もう片方にアイスコーヒーを持って席に戻る。
月夜は短くお礼を言ってアイスコーヒーを口に含んだ。大樹もそれに倣う。久しぶりに飲んだ炭酸が舌を刺激する。
しん、と不自然な沈黙が生まれた。
会うのはこれで二回目。しかし一回目のときよりも気まずく感じる。あのときは月夜が間に入ってくれたから話しやすかっただけだ。一度会話が止まってしまうと再開するのが難しい。
どちらが話題を提供するか、お互いに遠慮してしまっている状態が続く。
「なんだかお見合いみたいね」
「恐れ多いので僕が進行させましょうか。……融通が利かなくてすみません」
さっきまでの話を続けてみる。呼び出されたのは当然、月夜のことでだ。
大樹は月夜からの電話、メール、ライン等全ての連絡手段を遮断していた。端末には一切の通知が届かないが、きっと月夜は毎日何かしらのコンタクトを試みているはずだ。
頑なに沈黙を貫くのは、大樹なりの禊のつもりだった。
「この前も言った通り、私はあなたに怒っているわけではないのよ。本当に。月夜を問い質す前から、あの子に良い相手ができたのは察していた。あの子がそこまで夢中になるなら、どんな人か会いたくなってしまっただけ」
「……そう、でしたか。あの日、僕はてっきり責任を取らされるのかとばかり」
「責任?」
「別れろ、と」
「そんなことしない」
月夜母は即座に否定する。しかし大樹にとってはそれがなにより恐ろしかった。どういう成り行きになるか、本当に読めなかった。
「責任というなら、逆の発想はないかしら」
「逆?」
「娘さんを僕にください、とか」
「親子揃って同じこと言う……」
「一生に一度は言ってみたい。貴様なんぞに娘はやらん! って」
「お母さんよりも、お父さんがやりそうなやつですね」
「やだ。お義母さんだなんて。気が早いわ。大歓迎だけど」
「なんだって?」
ベタな聞き違いに顔をしかめてみる。が、月夜の母は曇りない目で見つめてくる。
この目はマジだ。茶化したり誤魔化したりは通用しない。
若干炭酸が薄まったジュースを口に流し込む。
「そんな簡単に認めてしまっていいんですか」
「簡単に認めたつもりはない。月夜はあれで気難しい性格よ。それがあなたに対してはかなりガードが緩い。この間、あなたたち二人の会話を見て思った。月夜はあなたに心底惚れ込んでいる」
先日の訪問の際、彼女は大樹と月夜のやり取りに驚いている様子だった。恋人同士だと分かっていても、実際に目の当たりにすると意外な光景に映ったらしい。
それはそうと、惚れ込んでいるなんて言わないでほしい。本人に言われても気恥ずかしいのに、その母親が口にすると別種のむずかゆさが駆け巡ってくる。
「俺も、月夜さんがお母さんと仲良く喋っているところを見て、嬉しくなりましたよ」
「そう見えたの? あの子生意気ばっかり言ってくるのに」
「言いたいことが言えるのは仲が良い証拠です」
月夜は自分自身の話を滅多にしてくれない。だから、家族との仲がどうとか、大樹と出会う前にどんな風に過ごしていたかを未だ知らずにいる。
その片鱗が見えた気がして、なんとも言えない気持ちにさせられた。
「月夜さんの昔話……なんでもいいから教えてくれませんか」
「唐突ね」
「せっかくの機会なので」
「それなら————」
月夜母は言葉を紡ごうとして、何かを思いついたらしい。
訝しむ大樹を前に、どこか芝居がかった口調になった。
「ちょっと思い出せないわね」
「はい?」
「アルバムを見返しながらの方が話しやすいかも」
「そう、ですね……?」
「またウチに来てくれたら教えてあげる」
あ、なるほど。強引に流れを作ってきたな。乗るけど。
「どうして明日なんですか?」
「忘れているようだけど、全国模試は今日なのよ」
大樹は少し眉を下げた。月夜を意識するあまり、肝心の日程が頭から抜け落ちていた。
なるほど。このタイミングで大樹に会おうとしたのはちゃんと理由があってか。
「さすがにあの子も疲れたでしょうから。明日には万全のもてなしを準備して待っているわ。だから……労ってあげて。きっと喜ぶ」
「……はい。わかりました」
大樹がそれだけ答えると、月夜母は満足そうに微笑んだ。
「良かった。時間をとってくれてありがとう。帰ろうか」
その言葉を合図に、大樹は腰を浮かした。そして何気なく店の中を見渡す。大樹は藍咲の制服姿を見つけ思わず体を硬直させた。
店の入り口に立つ彼女に、店員が歩み寄る。声は届かないが、身振り手振りから席に案内しようとしているのが分かる。
店員が指し示した先、こちら側に彼女が歩いてくる。そこで初めて目が合った。
同じ校舎で過ごしているはずなのに、懐かしさすら覚えるのはずっと会ってないせいだ。去年の秋から————月夜と付き合い始めた頃から話さなくなった。
楓はもう大樹を見ていなかった。顔を俯かせて、大樹を視界に入れないようにしている。
大樹は腰を落として、同じように顔を背ける。そんな風に避けられたらどうしようもない。やり過ごすだけだ。
だが大樹たちの席を通り過ぎる瞬間、楓は一瞬だけ視線を向けた。見ないようにしていた月夜——に似た女性を初めて間近に見つめる。
「……はっ?」
楓は立ち止まった。ある一部分を注視したまま。次に、月夜母の顔をまじまじと見つめる。そして、やはり視線を下げる。また、顔を見る。
盛大な勘違いをしているのは明白だった。
「楓。その人は月夜さんの————」
「つっきー先輩、どうしたんですか!? 豊胸手術でもしたんですか!?」
見知らぬ女子高生に話しかけられた月夜母は当然、困惑していた。しかし、それが娘と同じ制服だと気付くと「あっ、なるほど」と納得した様子だった。つい最近、大樹にも同じ勘違いをされたことも思い出したはずだ。
月夜母は楓に向き直り、神妙な顔で呟いた。
「実は、そうなの」
「ややこしい嘘つくな!」