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「そんなに重い?」


「待って、若すぎる。お姉さんの間違いじゃ?」


「どうしましょう、月夜。初めて会ったけど既に彼のことが好きになってきたわ。さあ、どうぞ。上がっていって」


 意図せず世辞を述べた形になり、月夜母は機嫌よく声を弾ませた。ただし表情の変化は薄い。親として月夜に通ずるものがあった。

 今日の訪問目的が謝罪だっただけに、月夜母に好印象を与えたのは幸先が良いと言える。


「…………納得いかない」


 だが、娘の方は機嫌を損ねたらしい。


「そんなに睨まないでください……」


「私と母を見間違えたこと、一生根に持つから」


「玄関開いたら知った顔があって、思わず安心しちゃったんだ」


「確かに私は母に似ているけど、はあ。ショック。どうしたら見間違えることが出来るの」


「ごめんなさい……」


「それもそうね」


 娘と彼氏のやり取りを静観していた月夜母が会話に入ってきた。


「娘と『そういうこと』は済ませたと聞いているわ。明らかに大きさが違うのだから別人だとわかるはずなのに」


「……あの、月夜さんのお母さん。そういう、絶妙にコメントのしづらいことを言うのはやめてもらっていいですか」


「もしかして、見抜いた上でわざと触ってきたの?」


「アンタが触らせてきたんでしょ!?」


 お付き合いしている彼女の母親であることを忘れ、大樹は声を張り上げた。


「ねえ、私を放ったらかしにして二人で楽しそうにするのやめてくれない? はっきり言ってすごい不愉快」


「腕……! なんで腕引っ張って……月夜さんまでどこ触らせようとしてるんですか!」


「上書き」


 すっ、と音を立てずに月夜母が立ち止まる。

 揺らぎひとつない湖みたいな静かな瞳がこちらに向けられる。


「な、なにか……?」


「二階が娘の部屋だけど、一時間くらい休憩していく?」


「もうやだこの親子!」



 通された客間には座布団が三つ敷いてあった。

 朝日親子が向かい合う形で座ってしまうと、空いた場所は月夜の隣だけだ。大樹は頭を下げてから正座した。

 あ、なんか本当に結婚を申し込むみたいな配置だ。


「娘さんを僕にください、とか言ってみてもいいのよ」


「月夜さん静かにしてて」


 そんなおふざけに付き合う余裕はないのだ。

 こっちはさっきから冷や汗が止まらないというのに、月夜はなんだか楽しそうでそれが恨めしい。


「篠原大樹さん」


 ふいに、月夜母が大樹の名を呼んだ。改まった様子で。

 反射的に背筋を正して大樹は身構える。


「は、はい!」


「娘とは……月夜とはいつもそういう感じなのかしら」


 しかし、紡がれた言葉は大樹の予想に反するものだった。聞かれた内容も曖昧すぎて、緊張と相まって大樹は固まってしまった。


「それは、どういう……」


「なんというのかしら。距離感が近い? いえ距離が近いのは当たり前よね。だって付き合っているんだもの。そうじゃなくて……」


 大樹を置いてきぼりにして、月夜母は一人で唸っている。

 辛抱強く待ち続け、ようやく彼女がひねり出した言葉は、



「…………雑?」



 という一言だった。

 額と床がくっつくほどの土下座で平謝りする。


「決して、月夜さんを雑に扱っているわけではなく……! ただ、最近はずっと一緒にいたせいかこういうやり取りが多くて、だけど、その……確かに年上の女性に接する態度ではなかったかもしれません。以後気を付けます、申し訳ありません!」


「ああ、別に怒っているとかではないの。そうじゃなくて、ええと」


 二人して実りのない会話をしているのが見るに堪えなかったのかもしれない。

 珍しいことに月夜が助け船を出してくれる。


「お母さん。口下手のくせに無理に雑談しようとしなくていいから。わざわざ大樹くんに来てもらったのだし、さっそく本題から入ったら?」


「それもそうね。口下手はあなたもだけど」


 不服そうに唇を尖らせるところを見ても、やっぱり似ているなと感じた。月夜が大人になったらこういう風になっていくのだろう。

 月夜母は仕返しのつもりで、意識して怖い目つきを作ってみせた。娘は涼しい顔で受け流しているが、初見の大樹は萎縮してしまう。


「月夜。あなた、連日彼氏さんと遊び呆けている件ようだけど」


 名指しされたのは月夜だが、大樹が頭を下げる。

 今度は勢い任せにならず、慎重に言葉を選ぶ。


「重ね重ね申し訳ありません。言い訳のしようもないことです。月夜さんの大事な時間を僕が奪ってしまいました。今はすごく大事な時期なのに、僕のわがままに月夜さんは付き合ってくれたんです」


 事実としてはほぼ真逆なのだが、こういうことにしておけば角が立たないはずだ。

 大樹は月夜母の言葉を待つが、先に口を開いたのは横に座っていた月夜だった。


「お母さん。大樹くんは悪くないわ。仕方なかったの。愛ゆえに私を求めすぎてしまったみたい。若い男の子なんだから大目に見て」


「月夜さん、何言ってるの? いまそういうのマジでいらないよ」


 泥をかぶろうとしたのを後悔しそうだ。

 案の定、月夜の母は呆れ顔になっている。


「月夜……あなた何言ってるの」


 怒られてしまえ。


「男の子のそういう部分を受け止めるのは当然でしょう。年上としての余裕を見せつけてやりなさい」


「あれ!? お母さま!? すみません! これは俺がおかしいんですかね!? お二人が何を話しているのかさっぱりついていけないんですけど!」


 独特のリズムに翻弄され、場の雰囲気に溶け込めない。

 朝日親子は大樹に構わず、勝手に話を進めてしまう。


「私はあなたに説教しているのよ。月夜」


「嘘をついていたこと? そういえば聞いてなかったけど、どうして気付いたの」


「初めから気付いていましたよ。何年あなたの母親をやってきたと思っているの」


 月夜はきょとんとした顔で、困惑しながら母を見つめた。

 月夜母は真顔のまま呟いた。


「まあ、本当は。あなたの言い訳の仕方が昔の私にそっくりだったからなんだけど。理由まで全部同じだったから」


「そんなことだろうと思っていた。だってお母さん、あんまり頭良くないし」


「なんですって」


 場違いにも噴き出してしまったのは大樹だ。

 二人は怪訝な顔をこちらに向けてくる。


「なんでもありません。続けてください」


 普段のやり取りが想像できる会話だ。思わず笑ってしまったのは仕方ないだろう。こんなに砕けた口調の月夜は滅多に見てこなかった。


「分かった上で見逃していた——黙認のようなものだと思うけど、どうして今更になってこんな場を設けたの」


「そろそろストップをかけておかないと、取り返しがつかないタイミングだから」


 意味が分からない、とばかりに顔をしかめる月夜。大樹の反応もそれに近かった。

 月夜の母は指を二本立てる。


「理由は二つ。一つは単純に受験について。あなた、夏休みになってから————というよりそれ以前からあまり勉強していないでしょう。大学進学は諦めたの?」


「いいえ。大樹くんとのキャンパスライフが待ち遠しい。必ず進学するわ」


「そう。ならいいわ」


「え!? そんなあっさり!?」


 大樹は思わず割り込んでしまった。

 この場は、彼女の受験について話し合うところではなかったのか。


「結構重要な話ですよね!? 人生の山場と言っても過言じゃないですよ!?」


「問題ないわ」


 応えたのは母の方だ。


「そうは言っても……。月夜さんが藍咲で特進クラスに所属しているのは当然お母さまもご存知でしょう? 日本一の大学だって目指せるんです。もったいないですよ」


「……そうかもしれない。けれど私たちは月夜に頭の良い人間に育ってほしいと願っているわけではないの」


 ここまで感情を顔に出さないでいた月夜の母から、今は確固たる決意を感じ取れる。


「月夜がどこへ進学しても、あるいは就職しても。それは月夜の意思で決めること。誰にも口を挟む権利はないと思う」


 多分、以前にも家族で話し合って出した結論なのだろう。月夜の様子からも、初めて耳にする回答ではないとわかる。

 ここまで強く言い切られると、何も言えなくなる。確かに、月夜の選択を邪魔するなんて誰にも許されない。


 気を落とす大樹のひざを、月夜が指で叩いてくる。

 顔を上げた大樹に耳打ちしてくる。


「安心して。どういう進路になっても、最終的にあなたに嫁ぐのだけは揺らがないから」


「そ、そうですか」


 めちゃくちゃに惚気た発言なのに、顔色は一切変わってない。器用なことだ。

 月夜は母親の方に向き直り、姿勢を正す。


「それでもう一つは?」


「月夜。あなた、このままだと彼に愛想を尽かされるかもしれないわ」


 それまで澄ました態度だった月夜は、その言葉に面食らって固まった。

 月夜と目が合う。大樹は首を横に振った。月夜母の真意は読めないが、今のところ月夜に愛想を尽かす予定はない。


 月夜は、ほんのりと怒りを滲ませて語気を強める。


「……何故、何も知らない母さんがそんなこと言えるの」


「言っているでしょう。何年母親をやってきているのかと。経験談として聞きなさい」


 聞き分けのない子供を諭すように、静かに彼女は語り出した。


「私もあなたくらいの頃、一つのことに熱中しやすいタイプだった。恋愛に当てはめるなら付き合う人にだけ盲目的になって周りが見えなくなってしまうのが悪いくせだった」


「………」


「朝起きてから夜眠るまで、化粧とトイレのとき以外ずっと彼にべったりだった。当時、私は幸せでしょうがなかったからその状況に疑問を持たなかった。けど、ある日彼に言われてしまったの。『君の愛情は僕には重すぎる』って……」


「不思議な話。そんなに重い?」


「当時はお母さんにも意味がわからなかったのよ」


 ————いや充分重いよ。


 大樹は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。この親子はその価値観がデフォルトなんだ。


「それなりに経験と年齢を重ねたから受け入れられることもある。男女が末永く上手くやっていこうとするなら、一人きりの時間を作るのは肝要よ。あまり束縛していると嫌われてしまうものなの」


「言いたいことは分かるけど、母さんと私は違う。付き合っている相手だって。大樹くんはそんなことで私を嫌いにならない」


 だよね? と、言葉を発することなく月夜が問いかけてくる。毅然とした態度に見えるが瞳がわずかに揺れている。一抹の不安は感じているらしい。

 大樹が何かを答える前に、月夜母が話を引き継いだ。


「月夜がいると、篠原さんもちゃんと休めないでしょう」


「そんなことない。毎日癒している。私を前にするとすごく元気になる」


「あら♡」


「月夜さんマジでもう喋らないで」


 自分でも驚くくらい温度のない声が出た。

 月夜は、何故か必要以上にあたふたとしながら弁解してくる。


「ご、ごめんなさい。軽率な言動だったわ。あ、あの、大樹くん。嫌いになる……?」


「ならない。ならないけど、気を付けて」


 月夜母が変な脅しをかけなければ、月夜もそこまで過敏にならなかったはずだ。

 なんだかんだで、母親の指摘も正しいものだと感じ取っているからこそ不安な気持ちが膨れ上がるのだろう。


「大樹くん……私といると疲れる?」


「俺は————」


 反射的に、そんなことはないと言おうとした。

 だが、ふと頭によぎった考えが大樹の言葉を止めた。想像する。せっかくの機会が舞い込んだこのタイミングで、言いたいことを言わないままでいたらどうなるか。


 本当にこのままでいいのか。


「大樹くん?」


「確かに……一人の時間が欲しいな、とは。思っていました」


 口にした瞬間、胸のあたりが苦しくなった。月夜の顔を見れない。見なくたって、どんな顔をしているか分かってしまうから。


「ほら。言う通りだったでしょう月夜。あなたは勝手過ぎたのよ。これからは適切な距離感で————」


 月夜の母は粛々とした態度でいる。想定内だからか。だが、次の大樹の言葉は予想外のはずだ。


「お母さま。俺は夏休みが終わるまで、月夜さんとはもう会わないつもりです」


「えっ?」


 案の定、裏返った声で月夜の母は驚いている。

 一刻前の堂々とした振舞いは早々に崩れ去り、落ち着きをなくして手を動かす。テンパり方も親子でそっくりだった。


「待って。待ってほしい篠原さん。そこまでしなくてもいいのではなくて? そんなに月夜が迷惑だったかしら」


「いえ、そんなことは。おかげ様で毎日が楽しいです」


「もしかして、私が怒ったからここに呼ばれたと思ってる? だとしたら違う。あなた達の付き合い方に口を挟んだ形にはなるけど、お互いに納得しているなら毎日会うのだって反対してないの。お泊りだって結構。だから、変な気遣いは不要」


「そこを気にしているわけじゃないんです」


「……受験のこと?」


 大樹は控え目に首肯してみせた。


「月夜さんや、お母さん達が受験についてどう考えているのかは理解しました。けど、俺はそれじゃ納得できないみたいです」


「……どうして」


 静かに成り行きを見守っていた月夜から声があがる。ひどく、かすれている。


「私を遠ざけようとしているみたいに聞こえる」


「だって、勉強はしないと」


「夏休みが終わったら勉強はする。私も浪人する気はない。でも高校生の夏休みは私にとって今回で最後。大樹くんと出来るだけ一緒にいたい」


「ん……」


 可愛いことを言ってのけてくる。月夜はいつだって甘え上手だ。

 そうやって流されてきた結果、こうなってることを思い出す。


「でも俺は、頑張る月夜さんが見たいし、そういうあなたを応援したいな」


「………」


「俺が好きになった月夜さんは、そういう人なんだ。せめて、成績を以前のものに戻してくれないと、俺は安心できない」


「それまで会ってくれないってこと? 学校で次の成績が発表されるまで下手したら三か月かかる」


 三か月か。それは極端な気がする。けれど、咄嗟に話の落としどころを見つけられない。


「こういうのはどうかしら」


 困り果てていると月夜母が口添えしてきた。


「八月末は全国共通模試があったはず。前に月夜が受けたのを覚えているわ。そこで去年以上の順位を取ってきたのなら、篠原さんも言うことないのでは?」


「待って。去年以上ってことは三十位以内ってこと? 今からじゃ間に合わない」


「それくらいなんとかしなさい。でないと受験が終わるまで会ってくれないかも」


 月夜母は大袈裟に言っているだけだろうが、大樹は元々それくらいの覚悟で赴いたつもりだった。最悪別れろと言われても仕方ないはずだった。


「それじゃあ、話はまとまったということで、俺は失礼します」


「え、大樹くん!?」


「月夜さん。次会えるのを楽しみにしています」


 深々と頭を下げた大樹は、何かを言われる前にくるりと背中を向けた。

 後ろからの静止の声を振り切って家を飛び出していく。


 こうした別離から二週間が経過した。

 その間、大樹は月夜と一切の連絡を取らなかった。


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