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「本物ですけど」


「私の家にきてもらえないかしら」


 合宿が明けた翌朝のことだった。

 いつものように現れた月夜は、しかし尋常ではない面持ちで正座して話を切り出した。


 何事かと思ったが、盛大な前振りだったことを安堵する。


「唐突ですね。びっくりしちゃいましたよ」


「私の両親に挨拶してもらえないかしら」


「さっきより要求が重くなってる!?」


 いつもの調子で切り返してみたのだが、月夜の表情は依然強張ったままだった。

 何かがおかしい。異様な雰囲気にあてられて、大樹は背筋を伸ばした。目で続きを促してみる。


「私は気付いていなかったけど……どうやら私は夏休みに入って二週間ほど、一度も自宅に帰っていなかった計算になるの」


「俺はずっと指摘してましたけど。受験勉強してくださいって」


「家族には翠の家に泊っていると嘘をついていたのだけど、何故かバレてしまって」


「そりゃあ、そうじゃない?」


 夏休みに入った途端に娘が帰ってこないとなったら、不自然に思われて当然だ。むしろ、よくここまでバレずにこれたものだ。


「それでどうして、俺が月夜さんの家に行くことになるんですか」


「彼氏の家に泊っていたのだと、洗いざらい母に話してしまったからよ」


 血の気が引く、という表現はこういうときに使うのだろう。

 真夏なのに肌寒さすら感じる。

 娘が付き合っている男を呼び出す母親の気持ちなんて、上手く想像できない。いや、本当はできている。その上で、脳が拒否している。


 ダメだ、頭が重い。


「紅茶を持ってきます」


「えっ? あ、うん……待ってる」


 気を遣ってくれたのか、月夜は部屋に残ってくれる。

 一人になって、大樹はいつもより時間をかけて紅茶を淹れた。慣れ親しんだ動作をしているうち、わずかばかりの平静さを取り戻す。


 自室に戻ると、月夜は綺麗な姿勢で座ったままだった。彼女の目の前にカップを置き、大樹もその正面に座る。


「ありがとう」


 短くお礼を言って、月夜は紅茶に口をつけた。大樹もそれに倣う。

 そっと溜息をつき、腹に力を入れる。いい加減、覚悟はついた。


「それで、月夜さんの家にお邪魔する日は————」


「ちなみに母にはどういう関係まで進んだか全部話したわ」


「かはーっ、かはーっ、はーっ!!」


 大樹は過呼吸を起こした。

 月夜に用意してもらった紙袋の中で息を吐き、また吸い込む。今年の合宿で過呼吸を起こした一年生がいたから、二人とも対処法は頭に入っていたのである。


「む、無理無理、無理! そこまで知られててご両親に挨拶とか! 完全に結婚前提の顔合わせになるよ!」


「け、結婚……。望むところだけど」


「なんでちょっと嬉しそうなんですか!」


「落ち着いて大樹くん。あまり興奮するとまた苦しくなる」


「月夜さんがそうさせてるんだよ!」


 本当に苦しくなってきて、また紙袋を手に取る。

呼吸を整えている間、月夜は背中をさすってくれた。優しさに心を打たれるが、よく考えてみたら月夜が原因で起こした過呼吸だった。


「本題とは少し逸れるけど」


「はい?」


「大樹くんは……嫌、かしら。私と、その、結婚するの」


 心臓がきゅっと絞められる。過呼吸どころが、呼吸自体止まる。

 どうしてそこまで爆弾発言を持ち込むのだろう。しかも厄介なことに月夜は冗談で口にしているわけではないのだ。不安げに、それでいてどこか期待するような目をしている。


 靄がかかった頭を必死に動かす。


「俺は……まだ、結婚とか考えられないです」


 そもそも、それを考える段階にすらなっていない。大樹も月夜も高校生で、まだ若すぎる。

 月夜の期待に沿う発言ではないと分かっているが……。


「そういうのって、ほら。もっと付き合ってみないと。まだ一年も経ってないし、もっと何年も付き合ってみたらお互いの見えてないところが見えてくるはずだし。それを踏まえた上でなら俺も考えるけど……。あ、あと将来の仕事とかさ。月夜さんは何かなりたいものとかある? 俺はまだまだ全然……。結婚するなら仕事もちゃんとしなきゃいけないから」


 一気に喋るとまたつらくなってきた。紅茶を一口飲む。すっかり冷めてしまっているが、口の滑りを良くするために全部飲み干す。


「だから、この話はまた何年後かに————待って。なんで笑ってるの?」


「い、いえ。これは、違うの」


「めっちゃ肩が小刻みに震えてますけど」


「だって大樹くんが嬉しいこと言ってくれるから……」


「どのへんが?」


 今の発言のどこが嬉しかったのか本気で分からなかったから教えてほしかったのに、月夜は大樹の疑問に答えてくれなかった。


「大樹くん。これからも、なが~いお付き合いをしましょう」


「そうですね。ぜひ」


 なんとか結婚云々の話には決着がついたが、本題の方はなにも片付いていない。親御さんへの言い訳を考えておかないと、本当に責任取って結婚させられるかもしれない。


「大樹くん安心して。とりあえず会ってもらうのは母だけだから。父は仕事」


「あんまり安心する要素なくない?」


「だってお父さんに全部知られたのだとしたら、多分大樹くん殺されちゃう……」


「お父さんに挨拶するときは、死ぬつもりで向かうよ」



 まさかこの歳で『彼女の両親 挨拶 初めて』と検索するとは思わなかった。

 清潔な服装と手土産は必須らしい。ネット上の記事ではスーツを推奨されていたがこの場合適切ではない気がする。夏だし、さわやかな印象になるシャツを着ていく。持っていくお菓子は祖父の系列会社の和菓子メーカーから選んだ。


 月夜の母が、楓の母のような人だったらどうしよう。わざわざ呼び出すくらいだ。文句の一つや二つ言われるくらいは覚悟しているし、今後の付き合い方も見直されるかもしれない。


 同じ地元なだけあって、月夜の家は近かった。大樹のマンションから自転車を十分ほど漕いだ住宅街にある二階建ての一軒家。表札に『朝日』とある。ここで違いない。

 自転車を停めながら、外観をもう一度眺めてみる。見れば見るほど普通の家だが、ここで朝日月夜が育ったのだと考えると感慨深い。


 なんて気を逸らしておかないと、緊張が収まらない。

 震える指を、無理やりにインターホンに押し込む。もうあとに退けない。

 扉があっさりと開く。え、早い。


「は、初めまして。篠原大樹といいます。本日はどうぞ……」


 そこまで言ったところで、大樹は口を噤む。中から出てきたのは月夜だったからだ。


「おはよう、月夜さん。最初に出迎えてくれるのが月夜さんで良かった。なんか安心する。上がっても、いい、かな……」


 大樹の視線は月夜の胸元へ落ちていく。女性に対して不躾なことだとは思う。しかし、流石に無視せずにはいられない。


「月夜さん……なんですか、その胸」


 中に風船でも仕込んでいるのだろうか。薄いワンピースは内側から押し上げられている。

 もはやネタにしか思えない。中学生男子がやる具合の悪ふざけ。


「もう。そんなバカなことで笑いを取りにいかなくていいから」


 緊張をほぐそうとしてくれるのは有難いが。

 月夜が大樹の手を取る。そのまま自身の胸元まで引っ張っていく。


「わ、わ、ちょっと。触らせようとしないでください。って、あれ? なんかこれ、風船にしては柔らかいような……?」


「これ、本物ですけど」


「…………」


 思考停止。

 指先に力を込めると、月夜(?)は身をよじった。

 待て、この人はもしかして————


「大樹くん……なにやってるの」


 後ろからもう一人月夜が現れる。もう一人?

 あとから現れた月夜は大樹に蔑むような目を向けている。初めて見る形相だ。月夜はこんなに怖い顔をするのか……。


 改めて、目の前の女性に目を向ける。


「はじめまして。月夜の母です。……ちょっとえっちな彼氏さんね?」


「お母さんの方がね!! え、お母さん!?」


 ツッコミを入れながら自分で驚く。

 目の前の女性は、母親にしてはあまりにも若すぎるのだった。


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