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「にゃあ」


「びっくりした。着いてみたらあなたが倒れてるんだもの。思わず部屋に連れ込んでしまったわ」


「ええ、俺もびっくりしました。で、もう一度聞きますけど。何故いるんです?」


 月夜は自分の家に帰宅したはずだ。この合宿に来る段取りもない。

 あたりを見回す。ここは誰の部屋なのだろう。連れ込んだ、と月夜は言った。だが、月夜が自分で用意した部屋とは思えなかった。


「だって。やっぱりあなたに会えないのは寂しいから。だから無理を言ってここを譲ってもらったの」


「……誰に?」


「芝崎くん」


 芝崎、というのは三年生の先輩だ。合宿に参加予定だった。月夜の話によると、彼は月夜にこの部屋を明け渡したせいで今回の合宿を断念したらしい。

 なんて滅茶苦茶な話だ。普通そこまでやるだろうか。


「ほ、他の先輩方は?」


「咲夜と蒼斗くんはもう到着してる。確か明日には相馬先輩も来るのよね?」


「……挨拶しておかないと」


「こら。どこ行く気? まだ安静にしてないと駄目」


額を小突かれ、また寝かされる。


「でも」


「それに時間ももう遅い」


 スマートフォンを突き付けられる。驚いたことに、もう日付が変わる直前だ。五時間くらい寝ていたことになる。練習で疲れた反動のせいか。


「ご飯持ってくるから、おとなしくしておくこと。いい?」


 腹が減っているのは事実なので、月夜の言うことに従う。

 しばらくして戻ってきた月夜の腕にはおにぎりがいっぱいだった。零れ落ちそうになっているのを慌てて支えた。


 簡易テーブルの上におにぎりを転がし、黙々と大樹は食べ始めた。お茶が欲しいと思ったタイミングでペットボトルが差し出される。


「ゆっくり食べて」


 至れり尽くせりで申し訳ない。

 月夜は夕食を取っておいたのか、おにぎりに手を伸ばす素振りはない。ただ優しく目を細めて大樹を見守っている。その視線がたまらなくくすぐったい。


 この五日間は、月夜と会うことはないと思っていた。それなのに、一日と経たずにこうして一緒の場所にいる。

 もしかしたら大樹は、月夜から離れられない星の元に生まれているのかもしれない。


 少し話が大袈裟か。


「ごちそうさまでした」


 片付けを済ませると、一瞬だけ妙な沈黙が生まれた。

 月夜がじっとこちらを見ている。なんだろう。本気で彼女の意図が読めない。


「あの……とりあえず寝ようと思います」


「っ! そう、そうね。寝ましょう。良い子は寝る時間」


 慌てた様子で月夜は布団を整え始める。さっきまで大樹が使っていたものを。


「それじゃあ、自分の部屋に戻ります」


「待ちなさい」


 恐ろしい速さで手首を掴まれる。振り解こうにも凄まじい握力で大樹を逃がしてくれない。


「なんですか」


「大神くんと双葉くんはとっくに寝ているはず。起こしてしまったら可哀そう」


「……じゃあ俺はどこで寝れば?」


 聞く前から答えなど分かり切っていたが、あえて言葉にしてみる。

 案の定、月夜は目の前の布団を叩いてみせた。


「布団、もう一組ありませんか」


「あるわけない。ここは一人用の宿泊部屋。仕方ないから二人で使うしかないわね。本当に、仕方ないけれど。困ったことに、あなたが使ったあとだけれど」


 などと文句ばかり垂れているが、そのくせあっさりと布団の中に入り込む。

 片側に寄って、ギリギリ人一人が入り込めるスペースが出来上がる。毛布をめくった月夜が手招きしてくる。


「今年もかよ……」


「何か言った?」


「いいえ。お隣、失礼します」


「あ、あら?」


 電気を消し、空いていた片側に滑り込む。やっぱり狭い。

 月夜はといえば、自分からそうなるように仕向けたくせに何故か硬直している。


「も、もう少し粘るかと」


「どうせこうなってましたよ。だったら早い方がいい」


 なんて諦めが早いことを言ってみせたが、簡単な話だ。月夜が眠ってから部屋に戻ればいい。翌朝に小言はもらうかもしれないが、それはそれだ。


 全然眠くはならないが、目を閉じてじっとしてみる。すぐ横にいる月夜もそれに倣ってくれたのかひとまずはおとなしかった。

 だが数分ともたず、月夜は何度も身じろぎするようになった。こっちまで落ち着かなくなってくる。


「なんか、全然眠くならない」


「どっちかっていうと、それは俺のセリフなんですよ」


「おしゃべりしましょう」


 少し考えてみる。


「明日の練習メニュー、ちょっと直そうかと思ってるんですけど」


「却下」


「何故ですか」


「色気もムードもないから嫌」


「逆に、色気とムードがある話をするわけがないでしょう。論外」


「何故」


「月夜さんが変な気を起こしちゃうからですよ」


 軽口のつもりで口にした言葉だった。だが、妙に部屋が静まり返ってしまう。

 月夜の瞳が妖しく光る。獲物を見つけた捕食者のようだ。


「なるほど。変な気を起こすのはおかしいと。合宿中に」


「え、ええ。その通りです」


「私、申し上げたいことが」


「……なんですか改まって」


 気が付くと月夜が身体を少し起こしていた。


「去年の、まさしくこの夏合宿のときだけど。そのときもこんな風にして同じ布団で寝たのを覚えている?」


「……もちろん」


 同部屋の連中から締め出しをくらい、寝る場所がなくて困っていたところに月夜が現れたのだ。そして成り行きで女子部屋に泊ることになった。今思い返してみても謎な急展開だ。


「じゃあ、あのとき。私に触ってきたことも当然覚えているわよね?」


「………」


 触ってきた、なんて言わないでほしい。


「へ、部屋に引き込んだのは月夜さんの方でしょ」


「そうね。確かにその通り。私はこの件でとやかく言える立場にはない。何をされても文句なんてなかった。けれど、当時恋人でもなかったあなたは、何を思ってあんな行動に出たの?」


「あれは……」


「あれは?」


「……すみません。ちょっと魔が差してしまいました」


 言い訳しようとしたが、見苦しいかと思ってやめた。

 実際、下心が起きたのは事実だったのだから。今ならともかく、女子と同じ場所で眠るのは刺激が強すぎた。


「ふ、ふん。そうなの。そう、魔が差して……」


 問い詰めるような口調から一転、月夜はしどろもどろになる。

 そして満更でもなさそうに見える。

 ごろんと、月夜は仰向けになって、ほのかに灯る電球を見つめた。


 たっぷりと時間を置いて、こんなことを言う。




「今日は魔が差さないの?」




 今のは、月夜が悪い。

 そういうことをこういう状況で言ってしまうのは、あまりに無警戒だ。

 ここまでされて、大樹が何もしないと思っているのか。


「あっ……」


 指先を首筋にあてる。あの日みたいに、月夜の体が強張った。

 そのまま、定規で線を引くみたいになぞってみる。反応は顕著だった。くすぐったさに免疫がないのか身体が思い切り跳ねた。


 大樹から逃れようと、月夜は背中を向けた。去年とほぼ同じ形だ。

 狙ってそうしたのか奇しくもそうなったのか、それは気にならない。大樹は彼女の背中に指を這わせた。

 さっきみたいに線を引いてみたり弧を描いたりして遊んでみる。月夜は縮こまって好きにされていたが、か細い声が届く。


「あ、『あいさき』?」


「え? 何ですか」


「ち、違うの? 背中文字かと思った」


 ……あ、なるほど。特に意識していたわけではないが、適当に動かしていても文字っぽいのか。

 思いつく言葉があって指を走らせる。『受験』。そろそろ本格的に勉強を始めてくれますようにという願いを込めてみた。


「……画数が多くてわからない」


 届かぬ願いだった。

 別の言葉を考えてみる。『自重』とかどうだろうか。今度は伝わりやすいようにもう少しゆっくり書いてみる。


「んっ」


 妙に艶のある声でびっくりした。

 大樹の指の動きが止まる。振り返った月夜は両手で口元を覆っていた。彼女だって、そんなつもりはなかったのだろう。顔が段々と赤くなっていく。


「ご、ごめんなさい。わざとではないの」


「あ……はい」


 嘘ではないだけ(たち)が悪い。何も言えなくなってしまう。

 再開し、おっかなびっくりに文字を完成させようとする。しかし……。


「あっ、はあっ、あんっ、ああっ」


「もうやめます。俺が悪かったです」


 意外にも、くすぐり耐性がゼロなのかもしれない。


「待って。当てる。わかったから。『青春』でしょ」


「全然違います」


 それとこの状況で『青春』などと言えてしまう神経を疑う。

 わずかだが頭が冷えてきた。布団をかぶる。明日も早いのだ。


「おやすみなさい」


「待って。お願いだから。泣きの一回。次は真剣にやるから」


 こんなことに真剣にならなくていい。何が月夜をそこまで駆り立てるのかわからない。だが、あまりにも必死に懇願してくるものだからもうちょっとだけ付き合うことにした。


「これで最後にしますからね?」


「絶対当てる」


 当てたら満足してくれるだろうか。先ほどの二問は月夜には難しすぎたみたいだから、今回はひらがなで、二文字くらいにしておく。

 大樹がそれを書き終わったとき、月夜の強張っていた身体から力が抜けた。


「え……?」


「はい、おしまい。もう寝ましょう」


 今度は大樹が背中を向ける番だった。それにしても、真後ろからの圧力がすごい。背中に目がついてなくても、視線とは感じ取れるものらしい。


「……なんだかんだで、大樹くんは私に甘いと思うの」


「そう?」


「うん。こんなことされたら逆効果だって気付かない?」


 仰向けにされた。そう認識したときには月夜が馬乗りになっている。


「わたしだって『すき』なのに」


 キスをしようとしている。だが不思議なほどに冷静でいられた。迷わず、大樹は手を伸ばして首筋を撫であげた。


「んぅっ!?」


 仰け反って、勢いを殺しきれず月夜がひっくり返った。

 形成が逆転された好機を逃さず、今度は大樹の方が馬乗りになる。


「もしかして、攻められるより攻める方が好きだった? だったら最初からそう言ってくれたらよかったのに————くふっ!?」


 横腹をくすぐってみると喋っていられなくなったらしい。抵抗してお腹を隠したところで今度は脇の下に手を入れてみた。

 口を真一文字に結び、意地でも声を出さないようにしている。が、それも早々にこらえきれなくなったらしい。


「あはっ、あははは! こら、もう! やめて! 後で覚えてなさいよ!?」


 口調を崩し、高い笑い声をあげる月夜は新鮮だ。楽しいのでやめる気はない。

 実に五分間のくすぐり刑が執行された。体感的にはもっと短かったが、月夜が明らかに限界だったので手を緩める他なかった。


 暗闇の中でも分からくらい、月夜の顔は真っ赤だ。喘ぐようにして呼吸している。

 こんなところ誰かに見られたら、間違いなく誤解されそうだな。

 弱点のあご下に触れてみても、もうほとんど無反応だ。


「や、やめなさい。そんな、猫と戯れるみたいなの……」


 確かにちょっと調子に乗り過ぎた。

 彼女の上から降りて、大樹は大きく息を吐いた。そろそろ帰ろう。これ以上は危険な気がする。

 大樹が立ち上がるのを見ると、月夜はふいにこんなことを言ってきた。


「猫、好き?」


「え、普通かな」


「ふーん」


 質問の意味が分からず困惑する。

 彼女は猫の手のポーズを作ると、


「にゃ、にゃあ。にゃーん……なんて」


 悪ノリをするものだから。


 結局大樹は自分の部屋に帰ることができなかった。


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