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「いっぱい我慢しました」


「暇」


「………」


「暇よ、大樹くん」


「そうですか。いいことじゃないですか」


 無視して数学の問題を解き進める。公式を当てはめてみても、適切な解にたどりつけない。ちょっとした応用が必要か……。

 大樹がペンでこめかみを小突いて考え込んでいる間も、月夜はおとなしくしてくれない。


「かまってほしい」


 後ろから腕を回され、鼓膜に月夜の小声が響く。一週間前ならこれで陥落していた大樹も、さすがに慣れてきた。継続は力なり………これは誤用かもしれない。


 頑なに態度を崩さない大樹が面白くないのか、月夜は不満そうだ。


「宿題なんて明日やればいいじゃない」


「あの朝日月夜とは思えない言動」


「勉強はいつでもできるわ」


「その機会を奪われ続けた結果こうなってるんでしょ」


 夏休みに入って一週間がたってしまった。そう、一週間だ。

 てっきり一旦実家に戻ってくれるものかと思ったが、予想とは裏腹に————否、予想通り月夜はここに居座り続けた。衣服もここで洗濯してしまうので本当に帰る素振りがない。


 その間に大樹と月夜がどのように過ごしていたかは、想像に任せる。


 大樹は今日、ついに危機感を覚えた。全く手をつけていなかった宿題を片付けにかかる。ある程度進めておかないと夏休みの終わりに地獄が待っているだろう。


 大樹は横目に月夜を盗み見る。


 こうして後輩が勉強している姿を見せれば、月夜も受験勉強をしてくれるはずだ。

 そういうアピールも兼ねているのだが、全然気付く気配がない。ひたすらに大樹に不満を募らせていることだけは分かるが……。


「つまらない」


 月夜がノートをのぞきこんでくる。


「私がどんどん答えを教えようか?」


「いえ。大丈夫です。自力で解けます」


 強がりとかではなく本心からの言葉だ。以前は問いや図を見てもその意味を理解できずにいたが、今は分からない箇所が減ってきている。すぐにはたどりつけなくても時間をかければ正解を導き出せる。

 それもこれも月夜のおかげなのに……。


「まだ? まだかしら?」


 肩を掴んで揺さぶってくるが、無反応を貫いた。ようやく月夜は諦めたのか、すぐ後ろのベッドに腰かけた。部屋からは出ていかない。じっとりとした視線を背中に感じる。


 そのまま数十分、集中して問題を解き続けた大樹は不意に教科書とノートを閉じた。


「っ! 終わったかしら!?」


 目を輝かせてすり寄ってくる月夜に申し訳なく思う。


「次は英語を」


「えー!?」


「えーって……」


 女の子らしい可愛い声にどきっとした。

 平坦で抑揚のない口調がほとんどだった月夜は、最近では感情豊かなところを見せてくれる。

 正直、ベタベタと体をくっつけている時よりも、こっちの方が心臓に悪かったりする。


 そうして呆けている内の出来事だった。月夜は机に広げてあった教科書類を全て片付けてしまう。止める間もない。


「あ、ちょっと!」


「今日はおしまいよ。今日の大樹くんはいっぱい頑張りました。私もいっぱい我慢しました。ストレスを溜め込むのは良くない。さあ、解消しましょう」


「ベッドに寝転がって言うセリフじゃないでしょう。身の危険を感じるのでナシです」


「もうーっ!!」


 まるで幼子のように暴れる月夜。ここまでくると可愛いというより、ちょっと面倒くさい。

 時計に目をやる。午後九時を回っていた。今朝からほとんど机から離れていないので、少し疲れを感じるのも事実だった。


 小休憩がてら、あの課題をやるのが最適か。


「わかりました。じゃあ月夜さん、一緒に映画を観ましょう?」


 大樹の提案が意外だったのだろう。喜びより戸惑いを浮かべた顔をしていた。


「……いいけど、なんか珍しい。大樹くん、映画なんて全然観ないのに」


「確かにその通りですけど、これも宿題なんですよ」


「それ、総合英語のやつ?」


「おっ、勘が良いですね」


 おそらく、去年月夜も同じ課題を出されたのだろう。

 内容は単純だ。洋画を観て、そこで出てきたセリフをリスニングして書き起こすだけ。観る映画を指定されるわけではなく、好きに選べるのだ。


「これなら、一緒に観ていられるでしょ。月夜さんは横でゆっくりしてていいから」


「むぅ。わかったわ」


 不貞腐れているが、嫌だとは言わない。ここで大樹の気が変わってしまうのは月夜も望むところではないはずだ。

 二人でリビングに移動する。あらかじめレンタルしていたDVDをセットし、月夜とソファに腰かける。


「ところで、何観るの?」


 そんなに近づく必要もないのに、大樹の肩に寄り掛かってくる。

 大樹はタイトルを告げた。


「シャイニング」


「んぇっ?」


 月夜らしからぬ素っ頓狂な裏声が耳元できこえて、大樹はびっくりした。


「ど、どうしました?」


「え、えっと。それってあの有名なホラーのやつ……?」


「そうです。あの、叩き破った扉から顔を出してるやつ。ずっと気になってたんです。あ、もしかして月夜さんは観たことあります?」


「い、いえ。ないけれど」


「エスターとかシックスセンスも候補だったんですけどね」


「……大樹くんは結構、その、ホラー映画に詳しいのね」


「いや、そんなに詳しいってほどじゃ————って、ん?」


 さっきまで密着するくらいに近かったのに、段々と離れてしまう月夜。

 まさか、と思う。

 あの朝日月夜が?


「もしかしてホラー苦手ですか」


「そんなことは、ない……」


 と口では言いつつも、大樹の顔をまともに見ていない。気まずそうに視線を逸らしてしまう。嘘をついているのは明らかで、しかもバレバレなのに隠そうとしている。

 予告映像が一つ終わるたび、月夜の顔が強張っていく。



 大樹はこの日、好きな女の子をいじめる男の心理を理解した。



 意外な弱点の発見に、ガラにもなく大樹の心は躍った。

 思いつきで部屋の照明を消してみる。


「なんで電気消すの!?」


「こっちの方が雰囲気出ると思って」


 無言で月夜が立ち上がる。

 そのまま部屋を出ていく素振りを見せたので、腕を掴んで離さないようにする。


「一緒に観てくださいよ? リスニングは結構苦手で」


「や、やらなきゃいけないことがあるから」


「さっきまで暇だ暇だって騒いでたじゃないですか」


「あ、あ、はい……」


 一瞬で論破されて、月夜は力なくソファに体を預けた。

 大樹は何げなく彼女の真隣に移動して、手を握る。面白いことに、いつもと立場が逆転していた。


 本編が始まったことで、二人とも口を噤む。作品自体は四十年近く昔だが、思ったより綺麗な映像だ。導入もわかりやすくて、内容がすらすらと入り込む。

 月夜も緊張がほぐれてきたのか、リラックスした体勢で見入っている。


 場面は、主人公たちの家族たちが舞台のホテルへの滞在が決まったところに移っていた。

 まだ、惨劇には程遠いと思って油断していた。


「っ!?」


 月夜が小さく悲鳴をあげた。大樹も声が出かかった。

 あたりは血の海。尋常ない量の血液が扉から漏れだしている。佇む双子の女の子。意味深なこのシーンは、おそらく後の惨劇を予感させるものだろう。


 ぶるぶると震えて手を握ってくる月夜を横目に、大樹はリモコンを手に取った。


「あ、すいません。今のところ、ちょっと聞き取れなかったんで巻き戻しますね」


「えっ!? う、嘘よね?」


 ジョークではなかったので、しれっと同じシーンまで戻す。

 何食わぬ顔をしている大樹を、恨めしく見ている者が横に一人。


「大樹くん。今のところ、そこまで難しいセリフは……というかセリフすらなかったような気がするけど」


「リスニング苦手なんですってば」


「今のはあんまり関係ないじゃないっ」


 白々しいとは自分でも思うが、月夜の反応が面白くてやめられない。


「月夜さん、やっぱりホラー苦手ですよね?」


「そ、そんなことない。これは……怖いフリをしているだけ」


「フリ?」


「だってこうすれば合法的に大樹くんに抱き着けるから」


 そう言って腕を絡めて密着してくる月夜。

 抱き着くというより縋りついていると表現する方が正しい。

 月夜が自分以上に怖がってくれるおかげで大樹は冷静でいられた。その後も、とりあえずショッキングな映像が出るたびにわざと一時停止し、彼女の挙動を面白がっていたらついに叩かれた。容赦ない本気の一撃だった。




 全て観終わったとき、二人は精気の抜けた顔でぐったりしていた。

 調子に乗って電気を消すべきではなかったかもしれない。

 ホラー耐性のある大樹でさえ、終盤の展開には息つく暇がなかった。なんてことだ。休憩のつもりだったのにひどい気疲れをした。


「ちなみにこれ、続編もあるんですけど————」


「いい、いい。いらない」


 食い気味に断れても気分は害さない。大樹ももうお腹いっぱいだった。

 時計の針は頂上に達しそうになっている。


「そろそろ寝ましょうか」


「……そうね」


 気だるげに立ち上がり、寝室に向かう。誤解のないように忠告しておくが、いくら付き合っているからと言って寝床を共にするわけがない。朝になったら月夜が布団に潜り込んでくることが、たまにあるだけだ。


「おやすみ」

「おやすみなさい」


 だからこの日も、別々に眠るつもりだったのだが。

 ほんの数分後に月夜は大樹のもとをおとずれていた。


「あの、大樹くん」


「どうしました?」


「その……一緒に寝て、くれませんか?」


 枕を手にしながら大樹の機嫌を窺うその姿がとてもいじらしい。


「なんで敬語?」


「だってこれは、ただのわがままだから」


 いつもならこっちの許可なんて求めないで好き勝手やるくせに。

 そんな軽口を挟もうとして、大樹は結局無言で月夜を迎え入れた。

 シングルベッドに二人で横になると少し窮屈だった。


「月夜さん、こっちに寄ってください。落ちちゃいますよ」


 可愛いと思ってしまったせいか、つい優しい言葉をかけてしまう。

 月夜は嬉しそうに目を細めてお礼を言うと、身体を寄せてきた。彼女はずっと大樹の方を見ていて、目を離さない。大樹も、ここで目を逸らすのは負けた気がして意地になった。


 ただいつまでもこうしているのは段々恥ずかしくなってきて、沈黙に耐えかねた大樹は血迷ってこんな言葉を口にしてしまった。


「キス、します?」


 言った瞬間、後悔が押し寄せる。こんなことを言ったら自分の身が危険なのに。


「今夜はやめておく」


 おかしな話だが、大樹は驚いた。断られるとは思ってなかったのだ。


「さっきの映画みたいになりそうで」


「俺は襲ったりしないよ」


「そうね。むしろ襲うのは私の方だから」


「さてはもう本調子だな?」


「あ、お、押さないでくれるかしら」


 怖がっているかと思って心配したのに。


「結局、ホラー系は苦手じゃなかったんですか」


「いえ、あまり得意ではないわ。愛し合っている人が引き裂かれたり、子供が襲われたりするのは特に」


「……なるほど」


 その意見を新鮮に感じたのは、意外と月夜の趣味嗜好を知らないせいだ。

 これだけ長く濃い付き合いなのに、好きなものすら分からないでいた。


「じゃあ、月夜さんはどんな映画が好きなんですか?」


「えっ、どうかしら。考えたこともなかったけど。でも……動物と触れ合う感じのが好きかも」


「え、意外」


「ペットとか飼ってみたくて。大樹くんは?」


「俺はそうですね————」


 目が冴えてしまっていたせいだろう。眠くなる頃には日が差し始めていた。月夜は「今から眠れば怖くないわ」なんて笑っていた。


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