「ランニングさせるよ」
「体が倒れて前のめりになってる! そんなんじゃ打点がぶれるよ!」
「は、はい!」
「君はリアコートまで下がれてない! 教えた通り、正しいステップを意識!」
「す、すみません!」
二人の女子部員がコート隅に置かれたシャトルを拾い上げ、また別の場所にそれを置く。初心者用のノック練習である。
もうスタミナ不足なのか、彼女たちの動きはおぼつかない。
少し厳しくしたいところだが、相手が年下の女の子だと思うと腰が引ける。怒鳴った結果泣かれたらどうしようかと。
藍咲バドミントン部には十人の新入部員が入ったが、内二名は未経験者だった。
彼女たちは運動部だった経験もないという。育成は難航していた。。
「インターバル! 二分たったら戻ってきて」
「はひぃぃ~」
「分かりましたぁ~」
へろへろな返事をして、その場に座り込む二人。激しい運動の直後、急に止まるのは身体に良くない。「立って!」と声を張ると背筋を伸ばして立ち上がった。
余裕が出来たところで、大樹は別コートに目を向けた。
大神は男子部員を、双葉は女子部員の指導についていた。練習風景を見ていると二人とも順調そうだ。おそらく、今後もこういうスタイルに落ち着くだろう。それならそれで仕方ない。
大神も双葉も、新人にモノを教えるということが壊滅的に下手くそだった。
大神の方はある意味予想通り。誤算は双葉の方だ。
部活開始直後、初心者の二人には双葉がついていた。見た目も話し方も女の子寄りの双葉なら上手くやってくれるんじゃないかと期待して。
数十分後に様子を見た瞬間、期待は粉々になった。
「だからね、こうグッとしたら、シュッと振るの」
「はい……」
混乱する女子部員1。
「す、スマッシュは……」
おずおずと質問する女子部員2。
「とおぅっと飛んで、ブンっと振る!! ……わかるよね!?」
「わからねえわ」
大樹にしては珍しく————本当に珍しく、双葉の頭を叩く。
女子部員1、2は大樹が現れたことで明らかに安堵していた。話を聞いてみると、双葉の教え方はずっとあんな感じだったという。
つい見逃してしまう事実だが、双葉はバドミントンを始めてからの経歴自体は短い。
なんでもすぐに習得してしまう気質だから、時間をかけて誰かに何かを教えるということがきっと彼には出来ない。
予想外の出来事に動揺しつつ、新人の面倒は大樹を見ることになったのだ。
「戻りました、部長。次は何を?」
玉のような汗を浮かべたまま、ひとりが言う。
ウォーミングアップは充分だろう。
「二人ともラケットを持って」
「………!」
「は、はいっ!」
回れ右をしてラケットを取りにいく二人。
こういう素直な反応を見せてくれると、大樹としてもやりやすい。
彼女たちに基礎打ち練習をさせて、次のメニューを決める。
「俺と二対一ね。さっ、いくよ」
月夜が二人にこのメニューで相手をしていたのは、見ていたから知っている。
だからそれを実践してみようと思っただけ。なのだが……。
「部長が、彼女さんの真似してる」
「してない」
「きっと月夜先輩からアドバイスをもらったのよ」
「それはもらった」
「キャー! 仲良し!」
「二人きりだと月夜先輩、どんな感じなんですかっ」
「そこまでにして。あんまり言うとランニングさせるよ」
月夜と付き合っている事実は、ここでも影響が出る。
多少の弊害はあるが、そのおかげで部員たちと打ち解けているのを考えると断然こちらの方がいい。
二人をコートに押し込んで、さっそく開始。
いくら初心者と言えど、二人まとめて相手をするのは誰にとっても大変だ。単純に返球のタイミングが早くなり、こちら側が走らされるからだ。
そのはずなんだが……。
「うわっ!?」
「きゃあっ!?」
一人はステップで足がもつれて転び、もう一人はラケット大振りにして反射してきたシャトルがおでこに直撃していた。
「……大丈夫?」
心配の言葉を漏らすと、二人とも顔を真っ赤にしながら立ち上がった。
その後何度かラリーをしてみたが、やはり同じところでのミスが目立つ。
大樹はラケットを振りコートを走りながら、頭の中で月夜が言っていたことを思い出す。
『よく見てあげて』
何を当たり前のことを、と思った。
試合経験からその感覚は充分養われている。相手の狙いが分からないと次のショットを読めない。攻撃に転じることができない。試合に勝てない。
だが、あの朝日月夜が、そんな浅いアドバイスをするだけで終わるわけがない。
「………………」
ドライブ気味のショットが大樹の目の前に迫った。
ここで、クロス方向に返球すれば空いたスペースに打つことになる。もう一人の女子部員が上手にそのスペースに入り込めば難なく対処できるだろうが……。
「————」
一瞬の思考の末、大樹はロブを打ち上げた。
シャトルは大きく高い軌跡を描き、天井近くまで上昇する。やがて勢いを失ったシャトルは落下を始めるだろう。
「あ……」
「っ!」
その軌道から、二人とも猶予があることに気付いたはずだ。
余裕を持ってバックステップをした女子部員はお手本のようなフォームでシャトルを捉えた。パンッと弾けるような打球音が響く。
良い音だ————これはリアコートまで届くだろう。
大樹もバックステップで下がり、相手のコートに目を向ける。クリアした後衛の彼女はホームポジションに戻り、前衛の子はラケットを高く掲げている。迎撃準備は整っている。
大樹はドロップショットを放つ。ネット前に落ちる緩やかなショットだ。
前衛はラケットを当てるだけでいい。それでシャトルは鋭い角度で落ちる。
彼女がそういう対処をしたのを確認した大樹は、一気に距離を詰める。ラケットを寝かせてグリップを回転させる。
「たあっ!!」
そのときの前衛の彼女の動きは、花丸をあげたいくらいだった。
手ではなく、足が先に動いている。逆サイドに打たれたシャトルを余裕の体勢で追いかけていた。
安定したフォームなら打ち損じることはない。
鋭く、角度のあるプッシュを打たれる。大樹も、これは取れない。
「ナイスショット、だね」
「ありがとうございます!」
思わずといった風に破顔する女子部員。あとから、後衛をしていた子もやってくる。
「私も、あんなに綺麗にクリアが打てたの初めてです」
「試合であれができれば、有利に戦うことができる。君は特にフォームがいいから、無駄な力を入れずに打てるはず」
「は、はい! 月夜先輩のおかげだと思います……」
フォームのチェックは、月夜がしていたのだろう。初心者にしては綺麗だった。
大樹はシャトルを拾い練習を再開しようとするが、その動きがピタリと止まる。二人の女子部員はお互いに顔を見合わせて口元を緩ませていた。
「どうしたの?」
と大樹が聞くと、二人は口々に答えた。
「ちょっとだけ心配だったんです。私たちずっと月夜先輩と練習してきたから、別の人とも上手くやっていけるのかなって」
「さっすが部長です! いや、月夜先輩の彼氏さんって言った方がいいのかな。なんだか私いけそうな気がします!」
「俺は何もしてないでしょ」
大樹の要求に応えることが出来たのは、この数か月で彼女たちに地力がついていたからだ。それは彼女たちの頑張りに他ならない。
「これからもよろしくお願いしますね、部長?」
「頼りにしてます!」
けれど、後輩の女の子にそんな風に言われるとやる気が出てしまうというもの。
先輩としても男としても、大樹はちょろい人間だった。