「確かな繋がりが欲しい」
「ねえ。本当にその恰好で行くの? ただプレゼント置いてくるだけなんだよ?」
「任せて。このミッション、完璧にこなしてみせるから」
「そんなに意気込む必要はどこにもないんだけどね?」
サンタクロースの衣装に着替えて楓が無駄に張り切っている。
この日のためにわざわざ用意したものらしい。
直視するのが気恥ずかしくて視線を下げるが、今度は白い太ももが目に飛び込んできて慌てる。どうしてそんなにスカート短いんだ。
「じゃ、行ってくる」
「う、うん」
楓が紗季の部屋に向かっていく。一切足音を立てないその所作はサンタクロースというより忍者みたいだった。
踵を返し、大樹は自分の部屋で楓の帰りを待つ。
そう、彼女はここに戻ってくるのだ。ゲストルームを出た後で、おそるおそる楓に今日はどうするか聞いたところ、平然とした顔で「泊るよ」と言い放った。
別に、楓がこの家に泊るのも、この部屋で眠ることも初めてのことではない。だが、大樹は不安と期待のせいで全く落ち着けない。さっきから、よく分からないが身体が震えている。寒いわけでもないのに。
「落ち着け……落ち着くんだ、俺」
今日は聖夜だ。
普段とは違うことが起こるかもしれない。
それでも毅然とした態度でいなければ。
大樹は扉のほうをチラチラと見る。何度も視線をさまよわせている内に、今度は別の不安が生まれてきた。
「遅くない?」
プレゼントを置いてくるだけなのだから、一分だってかからないはずだ。
何かトラブルだろうか。
立ち上がりかけたそのとき、部屋の扉がゆっくりと開かれた。
「おかえり。ちゃんとできた?」
楓サンタはプレゼントを入れていた白い袋を床に置くと、これまた緩慢な動作で扉を閉めた。
そして大樹の隣に三角座りになると、開口一番にこんなことを言ってきた。
「バレた」
「え。ええええええ!?」
変な声が出た。
いや、まだ分からない。楓はつまらない冗談を口にするときもある。
「え、え。ガチ? ネタ?」
「ガチ。いや、ごめん。まさか起きてるとは……」
これは冗談や嘘の類いではなさそうだ。
「寝たフリだなんて……紗季め、小賢しいことをしてくれたね」
「いや。紗季ちゃん、普通に勉強してました」
「それは楓の方が迂闊だったんじゃない!?」
「だって大樹が『この時間なら絶対寝てる。間違いない』とか言うから! アンタを信じたのが馬鹿だった! 私すごい間抜けじゃん、どうしてくれるの!?」」
そこを突っ込まれると返す言葉がない。
普段なら、日付が変わるずっと前に紗季はベッドに入ってしまう。読み違えたのは、受験期のせいだ。紗季がそこまで勉強熱心とは思わなかった。
「それで、紗季は? なんて?」
「『楓さんがサンタさんだったんですか!?』って言うから、咄嗟に『そうだよ』って返しておいたよ」
「なんでだよ!」
「去年も一昨年も実はここに来てたことになっちゃった」
「絶対嘘なのに!?」
妙なところで純粋さを発揮する紗季である。
楓がそうだと言えば、紗季はきっと全部信じてしまうだろう。
「それなら、これから毎年来てね」
「……えっ?」
「当然でしょ。自分で蒔いた種なんだから。これからは楓がサンタクロース役になって」
「————」
なぜ黙りこくっているかは知らないが、正当な要求をしているつもりだ。
これからは大樹がプレゼントを用意しても、全て楓の手柄になってしまうのだから。置きに行くぐらいはやってもらいたい。
……いや待てよ。
なんか、今の言い回しだと、別の意味に取られかねない気が……。
「まあ、別にいい、ですけど」
楓は自分の髪をいじりながら、もごもごと答える。
可愛らしい反応に頭がぼーっとしてきた。
ちょっと雰囲気を変えたい。なにか、なにか……。
「ん? その袋、まだ何か入ってる?」
「こ、これは……」
紗季へのプレゼントを入れていたサンタ袋は、膨らんだ形のままだ。
楓は座る位置を直しながら、それを体のうしろへ隠してしまう。
————もしかして、俺へのプレゼント?
大樹は、ふところに忍ばせていた包みの感触を確かめる。
よかった、ちゃんとある。本当はもっと早く渡しておきたかったが、皆が遊びにきたからタイミングを逃していた。
楓も同じではないだろうか。やたらと時計を気にしてそわそわしている。
ここは、自分がリードするべきだ。
「楓。これ、クリスマスプレゼント」
「えっ?」
赤の帽子が揺れる。
大樹が震えた手でそれを出す。まじまじと見つめ返された。しばらく放心していた楓はようやく、贈り物用に装飾された包みを受け取る。
「あ、ありがとう。まさか用意してくれているとは思わなかった」
「あれ?」
急速に、大樹の中で期待がしぼんでいく。
白く大きい袋を目で追う。じゃあ、それは何?
「あのさ、大樹」
「ん?」
「最終確認なんだけど」
「最終確認?」
物騒な言葉が出てきてちょっとびっくりした。
「私に何か言うことないの?」
その袋には何が入っているの?
……と聞きたいところなのだが、求められている答えはそれではない気がする。
「サンタの衣装、すごく似合ってると思います」
「嬉しいけど、そうじゃない」
楓はムキになっていた。
けれど怒っているというより、なんだか悲しそうな顔だ。
そういえば。
数日前にも全く同じ質問をされていたのを思い出す。
つまり、あの時点で何かを言わなければならなかった、ということになるが……心当たりがまるでない。
楓が、再び置時計に目を向ける。
先程からやたらと時間を気にしている。何かを待ってる?
長針も短針も、まもなくてっぺんを指し示すその直前のことだった。
おもむろに楓が袋へ手を伸ばした。
「はい。誕生日おめでとう」
日付が変わる。
十二月二十五日。
それは篠原大樹の十六歳の誕生日だった。
「………」
ポカンとする大樹をよそに、楓は何でもなさそうな顔をしている。いや、よく見ると唇を固く結んでいた。恥ずかしいのを必死にこらえているときの仕草だ。
「紗季か、母さんに聞いたの?」
お礼を言うのも忘れて、一番気になる部分を問いかける。
今日が大樹の誕生日であることは、楓には教えていなかった。
「これもつっきー先輩に教えてもらったの。あの人結構私に塩を送ってるよね」
「……そっか。センパイが」
数日前、楓は月夜と会っていたらしい。そのときに聞いたのだろう。
「大樹、自分から言うつもりなかったでしょ」
「うん……って痛たたっ!? なんでつねってくるの!?」
「なんで言わないんだよ」
さらに痛みが増した。
「だって、付き合い始めたばかりだし。いきなり言い出したら催促したみたいで嫌だったから」
「……あのね。それで後でバレたら私が怒るって想像しなかったの」
「怒るの?」
「当たり前でしょ。だって————」
楓は何かを言いかけたが、言葉が喉の奥に詰まったみたいに固まった。
いつの間にか、その顔は真っ赤になっていた。
すっと、楓が顔を寄せてきた。大樹は動けなかった。いや、本当は何をしようとしているのかが分かってしまって、わざとじっとしていただけだ。
熱い吐息が頬にあたった。
「照れ隠しにキスするほうが、恥ずかしくない?」
「うるさい。嬉しいくせに」
「ま、まあね」
素直に言うほかない。
「好きな人の誕生日は祝いたい。普通のことでしょ」
「……そうだね」
ちゃんと言葉にしてもらって、ようやく理解が追い付いた。
なんだか急に恥ずかしくなってきた。楓の純粋な気持ちを蔑ろにするところだった。もし逆の立場になって楓にそんなことをされたら、大樹はかなり落ち込むはずだ。
「それなのに、言うことがないって————自分の誕生日を忘れちゃう系主人公かな? 『あ、そっか。今日、俺の誕生日か』って。漫画でしか見たことないよ。大樹、本当は高校生じゃないんじゃない? 前世はブラック企業勤めのサラリーマンとか?」
散々な言われようだ。
別に誕生日を忘れていたわけではない。
でも楓には教えてなかったから、楓がそれを気に掛けるのはありえないと除外していた。
「プレゼントだって、すごく迷ったんだよ。大樹、趣味らしい趣味なんてないし、かといって無難なものを贈りたくもないし。時間も一日しかないもんだからさ」
「開けてみてもいい?」
「どーぞ」
ラッピング包装を出来る限り綺麗にほどく。
顔を出した小箱の表面に描かれたイラストを見て、大樹は首を傾げた。
「ブレスレット? いや、時計かな?」
「時計って。スマートウォッチって言ってほしいんですけど」
「すまーとうぉっち……」
「まさか知らない!?」
カタカナに弱いのが大樹だった。
さらに開封を進め、実物を目にしたところでようやく合点がいった。街中でこれをつけている人をよく見かける。
「これってどうやって使うの?」
「もう。しょうがないなあ」
文句を言いながらも面倒見の良い楓は手早くセットアップを済ませ、大樹の手首にスマートウォッチを巻いた。
ついでに、多種多様な機能についてレクチャーされた。最初はいまいちその利便性が分からない大樹だったが、スポーツトレーニングにも活用できると分かった途端目の色が変わった。
「えっ!? じゃあ走った距離とかペース配分とか全部記録してくれるの!? 消費カロリーの計算も!?」
「全部できます」
「へえー! すごい未来! ありがとう楓!」
「なにそれ。どういう喜び方よ」
はしゃぐ大樹の言葉を、楓は大人ぶった態度で受け止める。
「そこまで喜ばれるとは思わなかった。色気ないし」
「……色気あるプレゼントって?」
全然想像つかない。
「なんか、こう……お揃いのアクセサリーとか? 手編みで何か作るとか。でもそういうのって、ちょっと重いっていうか。馬鹿みたいだから」
「——————。ふーん。重い、馬鹿、かぁ……」
大樹は無言でこっそりと、さっき渡したばかりのプレゼントに手を伸ばした。
バレないと思ったが、その手を掴まれる。
「ちょっと。これはもう私のものなんですけど」
「なんか別のものを用意するから、これは一旦回収します」
「ダメです。認めません」
小競り合いがしばらく続いて、やがて大樹は観念した。
もうどうにでもなれという気分だった。
「おっ、予想通り。ストラップ?」
クリアーとブラックのアクリルが重なった携帯用ストラップである。
装飾にこだわることができるみたいだったので、三月生まれの楓の誕生石であるアクアマリンが埋め込まれている。
「わ、わあ~。名前まで彫ってある……筆記体で」
楓がこちらを見つめてくる。何を訴えているのかは、すぐに分かった。
大樹も同じものを持っている。既にスマホにもつけてある。ちなみに誕生石はラピスラズリだ。
楓も、自分のスマホにアクセサリーを結ぶ。
「……どう?」
並べてみる。思ったより恥ずかしかった。誰が見てもカップルの持ち物だ。
こういったことに大樹はあまり耐性がなかった。自分で用意したくせに。
楓の反応が怖い。笑ってくれたらマシだが、引かれたら立ち直れない。さっきも馬鹿だって言っていたし……。
「楓。……楓?」
「————」
大樹の呼びかけに楓は応えない。
目を見開いて、二つのストラップを見つめている。
その眼差しは真剣というか、熱を帯びている。
「なんか、いいかも」
「え?」
「うん、いい」
楓はストラップを手に取る。
そしてそれを胸に抱いて、大事そうに握りしめた。
「大切にするね?」
えへへ、と無邪気な笑みを見せてくれた。
いつもと印象の違う笑い方だったせいか、その顔を直視できない。つい、そっぽ向いてしまった。
冷静さを取り戻すまで、インターバルが欲しい。
だというのに、楓は後ろから抱き着いてきて、さらに大樹の心をかき乱してくる。
「は、離れて」
「いやー♪」
どうしたことか。彼女が物凄く可愛い。
「こっち向いて?」
その誘いに応じず頑としていると、楓の指先が大樹の脇腹をくすぐってきた。
耐えかねて身をよじると唇にキスされる。勢いそのままに押し倒されてしまった。
起き上がろうとするが、楓がしがみついた体勢なのでそれもかなわない。
もみくちゃである。
「あのさ、大樹」
「うん?」
「……ありがとね」
大樹の胸に額を押し付けたまま、楓が言う。
その声音にどうも湿っぽさを感じてしまって、大樹はおとなしく耳を傾けた。
「藍咲にきたときは、こんなに大事なものが増えるなんて思ってなかった」
しがみつく力が強まった。
「きっと、苦しくて寂しい日々になるはずだったのに、そうはならなかった。かなたさんがいて、神谷先輩と紅葉先輩がいて、大樹や————ついでにつっきー先輩とお姉ちゃんが、私の近い場所にいてくれた」
大樹は何も言わずに両腕を彼女の背中に回した。
楓の鼓動と熱が、ゼロ距離から伝わってくる。
「でも、いつまでも皆がいてくれるわけじゃない」
楓の声が震えた。
「神谷先輩たちは卒業するし、かなたさんも将来のために藍咲を出ていく。仕方のないことだって分かってる。でも、そういう『仕方ない』を重ねて、段々と皆と疎遠になっていくかもしれない」
「そんなことないよ」
反射的にそんな言葉を使ってしまう。
でも、それだけじゃ楓の不安を払拭するのは不十分だと、痛いほどに感じた。
「大樹とも————いつ別れることになるか分からない」
悪い冗談はやめてくれと、笑い飛ばせればよかった。
それが出来なかったのは、大樹自身、経験があるからだ。好きだと思っていても、些細なすれ違いに気付けずに別れることはある。本当に、よくあることなんだ。
「付き合い始めたばかりなのに、不穏なことを言わないでほしいな」
そう強がってみせるのが精いっぱいだった。
「大事だって思うほど、失ったときのことを考えて怖くなる。お姉ちゃんのことはなんとかなったけど。それも家族だからっていう繋がりがあったからだと思う。だから————」
楓が身体を起こす。帽子を外して、サンタ衣装の上着を脱ぎ捨てた。
「大樹とも、確かな繋がりが欲しい」
「楓、それってどういう意味……」
困惑する大樹を置き去りにして、楓は薄手のセーターに手をかけた。さらにソックスを片方脱いだところで、大樹は今更ながら楓が何をしようとしているのかに気付いた。
その考えの危うさにも。
「っ、大樹……離して」
「俺も、経験があるわけじゃない。だけど、こういう繋ぎ止め方はダメだと思う」
冷え切った楓の手を握って、その動きをやめさせる。
楓は俯いてしまった。
「軽蔑する?」
「全然しない」
びっくりはしたが。
毛布を引き寄せて、楓の肩にかけてやる。
「楓らしくないね」
「私らしいってなんだろうね」
自嘲気味な溜息が漏れる。
「私、大樹が思っているより、かなり臆病なんだよ。いつも不安になる。面倒くさい女でしょ」
なんだ、そんなことか。大樹は今度こそ笑い飛ばした。
「それについては今更じゃん」
「そこは否定してくれないんだ」
「面倒くさくないよって言うよりも、そういうところが好きだよって言ってあげる方が安心しない?」
「……ふふ、むかつく」
楓の目に光が戻る。
ちょっとだけ元気になったかな。
楓に比べたら、大樹の人生なんてほとんど苦労知らずだ。
家族とそりが合わないなんてことはなかった。ただでさえつらい受験期に一人で踏ん張って頑張る必要もなかった。絶望しながら、無機質な日々をひとりぼっちで過ごしたこともない。
楓の痛みを、本当の意味で分かってあげることは大樹にはできない。
「じゃあ、そんな言葉信じられないって言ったらどうする?」
大樹を試すようなことを言う。
だが不思議と、もう大樹の中にその答えはあった。
「ここで、俺がさらに言葉を重ねても、きっと楓は納得しないよね」
「そうだね」
「言葉が信用されないなら、行動と態度で示すだけだよ」
「…………。え~っと?」
肩にかけていた毛布をはずす楓。
違う、そうじゃない。
「ずっと、俺はこれから証明し続けていくよ。その代わり楓は、俺の言葉や行動が嘘っぱちだって思うまでちゃんと疑い続けてね」
言葉が届かないなら行動で。それでも通用しないなら未来を賭ける。
「それって、いつまで続くの?」
「楓がもういいって言うまで。望むならいつまでも。ただし、俺と楓が生きている限り」
「永遠の愛とか、ずっと好きだよとか、そういうのは信じないようにしてるんだけどな」
「信じなくていいんだよ。俺が証明に失敗したときは好きなだけなじってくれていい。でも最後の最後に勝ち誇っているのは俺の方だよ」
「……なるほど。そうきたか」
楓は数回頷いた。
「そういう風に言われると、私もこの場では何も言えないね。上手く言いくるめられた感はあるけど。あとカッコつけてるつもりだろうけどスベってるよ」
「す、すべ……」
自分でもちょっと良いこと言えたな、と思っていただけにかなり傷つく。
「でも、りょーかい。じゃあ大樹のことは信じずに、ずっと疑っておくね。一生」
「うん、よろしくね」
わだかまりがなくなったのを感じた大樹は、空気を変えるために一度パン! と手を鳴らした。
「さて! というわけで、こういった悪ふざけはダメだよ。お互いに、そうしてもいいかなって思ったときに、そういうことをしよう。寒いでしょ? 着替えるなりシャワー浴びるなりしたら?」
緊張状態から解放されたはずみで、早口で言葉をまくしたてる大樹。
それを聞いていた楓の顔には、不満がありありと浮かんでいる。
「それとこれは、話が別じゃないかな」
「…………え」
「私、結構頑張ったんだけど」
ベッドを二回叩く。シーツに楓の手形が残った。
「いや……でも、ほら。もう不安だからとか、怖いからって理由で繋ぎ止めようってのはナシになったでしょ!?」
「純粋に興味があるって言ったら?」
「いや……あの……」
「大樹は、私のこと好きだよね」
「も、もちろん。好きだよ」
「うん、ありがと。私も好き。じゃあ何の問題もないよね」
ない……だろうか?
ダメだ、再び極限状態に陥ったせいで冷静になれない。
「私、動かないから」
大樹のベッドに、楓は仰向けに寝そべった。
薄いシャツ、サンタのミニスカート、ソックスは右だけという中途半端な服装のままで。
これはやばい。
彼女は蠱惑的にこちらを見上げている。
「早速、最初の証明をしてもらおうかな」
カッコつけてしまった手前、発言の撤回はしない。する気もない。
でも、こういう流れになるとは予想外だった。
呼吸が乱れる。なんか汗も噴き出してきた。
大樹の手は空中をさまよっている。
見かねた楓が助け船を出してきた。
「まずはこの靴下をどうにかしてくれない?」
「あ、うん。わかった」
何もわかってないのに、わかったなんて言ってしまう。
自分の指先が、楓の柔肌とソックスの間に入り込んでいる。
そのまま、指に力を込める。どこかで引っかかってるのか、少し手こずった。
楓が察して、少し足の高さを変える。スカートの中が見えそうになって慌てて視線を逸らした。これが犯罪にあたらないか心配になった。
全力疾走した直後みたいに心臓はバクバクだ。
「ねえ。次は?」
「つ、次……!?」
もうシャツとスカートしか残っていない。
どちらに手をつけても、ラインを踏み越えていくことになる。
いつか訪れるはずだった『そのとき』は、予想以上に早くきてしまった。
もっと準備しておけばよかった。リードしたかった。
というか、なんでこんなに楓は余裕そうなんだ。
恨みがましい視線を向ける。と、全然そんなことはなかった。
「は、はやく……」
消え入りそうな声も、潤んだ瞳も、震えた肩も、全て彼女の余裕のなさを表わす証になる。
ドがつくくらいに緊張しているのはお互い様だった。
後には退けない、そう思った。
大樹が覚悟を決めて、スカートに触れる寸前のことだった。
ピピピ…………!
唐突に鳴り響いたアラーム音に水を差された。
「え、な、なに!?」
予想外の出来事に大樹は取り乱した。
何の電子音だろう。普段の生活で耳にしたことがない音だ。そう思って楓に視線を向けると、彼女は何故か大樹の腕を注視している。
「あっ!?」
アラームはスマートウォッチからのものだった。
でも何故急に音を出したのだろう。画面を確認すると心拍数を測るアプリが起動したままだった。
「…………」
「ねえ。もしかしてなんだけど。心拍数が急激に上がったせいでアラームが鳴った?」
「そうみたいです……」
素直に白状すると、楓は顔を隠してしまった。
でも、見えているものもある。例えば、やたらと頬がぴくぴくしているとか、口元がニヤニヤしているとか。ようするに、笑ってしまわないように必死にこらえていた。
「どれだけ興奮したの? 見せて?」
「うるさい! 見せない!」
「どうする? 仕切り直してもう一回やり直す?」
楓が自身のスカートをつまんで煽ってくる。
完全にマウントを取られてしまった。
「やる! もう一回横になって!」
「はーい♪」
色気もへったくれもない。
スマートウォッチは手首から外して、もう一度さっきの雰囲気を再現しようとする。
しかしその瞬間、大樹のスマホから通知音が鳴った。
「今度は何!?」
楓はもう腹を抱えて笑っていた。
完全に雰囲気はぶち壊しだった。
腹を立てた大樹は自分のスマートフォンを手に取る。マナーモードにしていなかった自分も悪いが、こんな時間に連絡をしてくる方も非常識だ。ガツンと言ってやらないといけない。誰が相手でも。
だが、トークメッセージを表示して差出人の名前を見た瞬間その勢いは削がれてしまう。
『お誕生日おめでとう。楓にはちゃんと祝ってもらってる?』
送ってきたのは朝日月夜。しかも誕生日を祝う文言だった。
これでは怒るに怒れない。
「で、戦犯は誰だった?」
画面を消さなくてはと思った。だが、一瞬早く楓が真横に現れて、バッチリ通知内容を見られてしまう。相手の名前も。
「…………」
「あ、えっと」
「はい、これは没収」
スマホを取り上げられてしまう。
「別に。つっきー先輩と一切喋るなとか、そんな束縛強い面倒な彼女みたいなことは言いません。……言いません」
口ではそう言うが、気にしているのがバレバレだ。
その証拠にスマホを返す気配がまるでない。
「でも、まだまだ二人の関係を疑っているので、罰としてこれは朝まで預かります。それと今日は別の部屋で寝ましょう。おやすみなさい」
「ええっ!?」
敬語でやたらと距離を置いてきた楓は、そのまま逃げるみたいに部屋を出ていってしまった。
あまりにも一瞬のことで追いかけることもできなかった。
…………。
明日、どうやって機嫌をとろうか。
それはちょっと、楽しみなことでもあった。
これにて! 楓のAfter Storyは終了でございます!
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました! 本編が終わったくせに作者の自己満足のために延長戦が行われています。
さて、次回の更新からはもう一つの可能性の世界、大樹が朝日月夜を選んでいたらというIf Storyを書いていきます~!
一か月後を目途に更新が再開できたらと思います。またそのときにお会いしましょう。
それでは(≧▽≦)