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「将来的にはそうなるんだし」


「いや……ごめん。その日はちょっと」


「あ?」


「ひぃ!?」


 楓に睨まれて、大樹は情けない声を出した。


「何? どういうこと? クリスマスなんですけど? 彼女と過ごすよりも優先したいことがあるわけ?」


「待って、待って。言いたいことはすごくわかるけど。クリスマスは毎年家族で過ごしてるんだよ」


 と口にしながらも、大樹は苦しい言い訳だと感じていた。

 付き合いたての彼女を放って家族といたいだなんて、叩かれても文句は言えない。

 だが、いくら待っても楓からの罵倒は飛んでこなかった。


「はあ。あっそ」


「え」


 意外なことに、楓はあっさりと引き下がった。

 それは、まるでこうなることをわかっていたみたいで……。


「もしかして、知ってた? 毎年そうしてるって」


「うん。つっきー先輩が教えてくれたから」


「え、センパイに会ってきたの!?」


 大樹は本気で驚いた。

 楓と月夜はあまり仲が良くない。会えば喧嘩になるし、人目も憚らずに手が出てしまうのも知っている。


 しかも不仲の原因が自分にあることが心苦しい。


「喧嘩してない!? どこか怪我をしたり逆にさせたりは!?」


「私たちをどういう目で見ているかがよく分かる偏見だね。言っておくけど私たち、超仲良しだからね?」


「ほんとに!? セクハラまがいなこともしてない!?」


「…………。してない」


「なんでこっち見てくれないの!?」


 答えに窮した楓を見て、嫌な予感が的中したことを悟る。

 あとで月夜にフォローを入れておこう……。


「は、話をそらすな。今はクリスマスの話だよ。理由くらい教えて。私が言うのもおかしいけど、つっきー先輩可哀そうじゃない?」


 中学時代の記憶が蘇ってくる。

 月夜には二回クリスマスに誘われていたが大樹はどちらも断っていた。表情の変化に乏しいはずの月夜が、ひどくがっかりしていたのを今でも覚えている。


 当時も悪いとは思っていたが、月夜の想いを知った今となってはその罪悪感も一層強くなった。


「クリスマスイヴは、父さんが母さんにプロポーズをした日なんだって」


「……ほう?」


 意外な話題が功を成したのか。

 楓は興味深そうに目を丸くする。


「でも、知っての通り父さんは中々家に帰ってこれない。母さんはあれで、結構寂しがり屋だからさ。俺も紗季も一緒にいてあげたいんだ」


 両親は仲の良い夫婦だが、二人が一緒に過ごす時間は短い。

 母は父についていきたいはずだが、まだ学生である大樹たちを置いていくわけにはいかないからここに残ってくれている。


「ふーん。プロポーズねえ」


 楓は難しい顔で唸っている。

 納得していない、というよりもピンときていない様子だ。楓の両親はそういうことを祝う習慣がないのかもしれない。


「思ったよりも口を出しづらい理由で困ったわ」


「ごめんね」


「いいよ。だって私も混ざるつもりだから」


「え?」


「だって、家族と過ごすんでしょ? だったら私がいてもいいじゃない。将来的にはそうなるんだし」


「————。————————。え?」


 突然の爆弾発言に大樹は固まった。

 まじまじと楓を見つめてしまう。多分、それが良くなかったんだと思う。


 楓は恥ずかしそうに俯いて、顔を覆ってしまう。


「ごめん、調子乗った」


「いや、こちらこそごめんね!? ちょっとびっくりしただけだから!」


「言うんじゃなかった」


「いやいや、そんなことないよ!? 楓がいてくれたら嬉しいな!? 俺も、紗季も、母さんもきっと!」


 それとなく論点をずらしていく。

 将来的云々の話は今はするべきではないと思う。


「あっ、そうだ! 紗季といえば、あいつのことも理由の一つなんだ。とは言ってもそれほど大した理由ではないんだけど」


「バッカ、お前。可愛い紗季ちゃんのことなら大したことない理由も一大事だわ早く話せ」


「楓、紗季にかなり甘いよね」


 彼女と実妹が仲良しなのは歓迎するべきことだ。

 内緒話をするようにしゃがみ込むと、楓もそれに合わせて目線を合わせてくれた。


「実は……紗季はいまだにサンタクロースを信じてるんだ」


「マジ!?」


「それで、夜中にプレゼントを置く役目があるから、あんまり遠出はしたくないんだよね。だから、毎年クリスマスは人からの誘いを断って————」


「はい! はい!」


「な、なに?」


 座った姿勢のまま勢いよく手を挙げる楓。元気でとても可愛いと思います。


「プレゼント置きたい! 私がサンタクロースになる!」


 思いがけない提案をされて、反射的に否定しそうになる。

 だが、よくよく考えてみると拒むほどのことでもないかもしれない。

 むしろ楓の方が手際よくやってくれるだろう。


「じゃ、じゃあ、お願いしようかな」


「やった! あ、紗季ちゃんのプレゼントは? もう用意はしてある?」


「抜かりなく」


 毎年毎年、それとなく紗季の欲しいものを聞き出すのは至難の業である。

 あまり強引な聞き方をすると疑われかねないからだ。というか、なんで紗季はまだサンタクロースを信じているのだろう。同年代の子たちは既に気付いているだろうに。


「ちなみに何を欲しがってたの?」


「〇ケモン」


「ああ、スイッチで出てるやつね。微妙に旬は過ぎてるけど」


「楓と一緒に遊びたいんだってさ」


「紗季ちゃん……!」


 大袈裟なリアクションと共に瞳を潤ませる楓。


「泣かせてくれるじゃない。私からもプレゼント送っていいよね」


「もちろん。ありがとう」


「そうと決まれば、こうしちゃいられない。色々と準備したいから私帰るね!」


 まだやってきたばかりだというのに楓は鞄を持って立ち上がる。

 少し寂しさを感じつつも顔には出さず、玄関まで見送る。革靴を履いて、扉に手をかけたところで楓の動きがピタリと止まった。


「楓?」


「やばい。忘れるところだったよ」


 さっきまでのはしゃいでいた様子とは打って変わって、神妙な面持ちでこちらを見てくる。どうしてなのか、楓は緊張しているみたいだった。


「他に、私に何か言っておくことはないの?」


「他……?」


 少し考えてみる。が、特に何も思い浮かばない。


「やっぱり怒ってる? でもごめん、あんまり家を空けたくなくて」


「それはもういいの! それ以外で!」


 楓の剣幕に圧される形で、さらに頭をひねってみる。しかしやはり妙案は出てこない。

 楓はずっと、目を逸らしてくれない。

 多少の罪悪感を覚えつつ、両手を挙げる。


「降参。なに? 教えて」


「……はぁー」


 何故か心底がっかりされたみたいだ。

 訳を聞こうとするも、楓は話す気がないらしい。


「もういい。とにかく、明後日はクリスマスパーティを開催します。異論は認めません。覚悟しておくように」


「楽しみにしておくように、じゃないんだ……」


 物騒なことを言い残して、今度こそ楓は去ってしまう。

 結局、楓が何を気にしていたのかは分からずじまいだった。



「メリークリスマス!!」


 クラッカーがはじけ、紙吹雪が舞う。

 楓と紗季が無邪気な笑みではしゃいでいる横で大樹は淡々と紙屑を回収する。


「さて、さっそくケーキを食べちゃいますか」


 楓たちの目の前には、まだ切り分けられていないホールケーキがある。

 楓がナイフを持つ素振りはない。大樹は無言でケーキを切り分けて並べた。


「あ、飲み物も出てないね。紗季ちゃんはジュースでいい?」


「うん!」


「じゃあ私はコーヒーにしようかな」


 当たり前のように、楓たちは席から離れない。

 大樹は死んだ眼で飲み物を注いだ。


「あ、大ちゃん。私はいつもの紅茶でお願いしますよ」


「………」


 ついでのように母が言う。

 物申したい感情を無理やり抑えつけて、いつものように紅茶を淹れる。

 ポットを掴む手がわなわなと震えた。


「……ふーっ。なんか肩が凝ってるかも」


「いや流石に人使い荒くない!?」


 ここまで文句も言わず従ってきたが、流石に我慢できなかった。

 クリスマスイヴを二人で過ごせないお詫びとして、飾りつけや料理の準備は全て大樹が行った。ここまでは別にいい。元からそのつもりだったからだ。


 だがことあるごとに、意味もなくこき使われるのは抵抗がある。

 肩が凝っただと? 十代がそうそう肩凝りなんて起こすものか。


「あ、この後でゲームするつもりだから配線繋いで起動だけしといてくれる?」


 大樹の抵抗も、絶対王森崎楓には全くの無意味だった。

 いそいそとテレビゲームの準備を進める。久しぶりなのでこれで合っているのかは分からない。不安だ。


「え、美味すぎ!? なにこのケーキ!?」


 なにやら騒がしいと思って振り返る。

 楓はフォークをくわえたまま固まっていた。


「毎年お爺ちゃんが送ってくれるケーキなんだけどね、なんか……誰だっけ。パティシエさんが作ってくれてるんだって。美味しいよね」


「う、うん。……うわあ、これ普通に食べようと思ったらいくらになるんだろ」


 偶然、箱に書かれていたパティシエの名前を見つけ、さっそく検索をかける楓。

 次の瞬間、愕然とした顔になる楓。何度も画面とケーキを見比べている。


 ……良いリアクションが見れたので満足しておこう。


「さ、紗季ちゃん。こっちのチキンもおいしそうだよ。た、食べよっか」


「うん!」


 楓はなるべくケーキ以外のものを食べるようにして、しかしやはり誘惑には勝てなかったのか後で噛み締めるように味わっていた。うまいもんね?


 ひとしきり腹を満たした後、宣言通りゲームをすることになったらしい。

 以前、楓が月夜と対戦(?)していたものと同シリーズのパーティゲームだ。

 楓と紗季にコントローラーを手渡し、大樹は食器の片づけに取り掛かる。


「なにやってんの。大樹もここにきて」


 楓がソファの空いたスペースをぽんぽんと叩く。

 うっかり食器を落とすところだった。


「え……あ、はい」


 ほとんど反射的に体が動いて、大樹は楓の隣に腰かける。

 コントローラーを持ったところで、ようやくこの状況に頭が追い付いてくる。


「……接待プレイをご所望で?」


「はあー? 本気出したって大樹弱いじゃん」


「おい。やってみなくちゃ分からないだろ」


「はいはい」


 ムキになる大樹をよそに、楓が黙々とコントローラーを操作していく。

 ふむ、チーム戦で大樹だけを仲間外れするわけでもなさそうだ。

 いや、どこかで何か仕掛けてくるに違いない。大樹は警戒を解かないように気を張って、画面を睨みつける。


 だが、いつまでたってもそれらしいことは起こらない。

 気が付けば素直にゲームを楽しんでいる自分がいた。


「スターの位置が毎回遠いのなんで!?」


「仮に追いつけたとしてもミニゲームで負けまくってるんだからコインが足りないでしょ」


「楓さんエグいくらい強いもんね……。お兄ちゃん、次は楓さん倒そうね」


「コラコラー、徒党組むのはナシだぞー」


「こうなったらボーナススターでワンチャン……!」


 神頼みも虚しく、結果発表では楓の圧勝。大樹たちはコンピューターも含めてドベ争いに甘んじていた。

 だが、まあ、楽しかったのは間違いない。


「ハッ、なんか、普通に遊んじゃった」


「いや普通に遊べよ」


 夢中になっていたら一時間以上たっていた。

 いい加減、出しっぱなしの料理や食器は片付けてしまいたい。

 コントローラーを置いてキッチンに戻る素振りを見せると、楓も立ち上がった。


「あ、私も洗うの手伝う」


「え? ……え?」


「なに、その意外そうな顔」


「だって、今日は俺を一日こき使う日じゃないの?」


 外に出掛けない代わりに、大樹を馬車馬のように働かせるつもりだと覚悟していた。


「何を言ってるの? あ、紗季ちゃん少しだけ待っててね。すぐ戻るから」


 呆れたように鼻で笑うと、大樹よりも先にキッチンに向かってしまう。

 二人で並ぶようにして洗い物開始。それなりの量があったはずなのに単純に作業効率が二倍なのですぐに片付いてしまう。


「あとはそれだけか」


 手つかずのケーキが一切れ残っている。

 有名パティシエお手製のそれは、実は大樹も毎年楽しみにしていた。あとでこっそり食べようと思う。

 と、サランラップをかけようとしたところで、楓にケーキを取られてしまう。


「あ、た、食べたいの? ……別にいいけど。毎年食べられるし」


「そんなに悲しい顔するなし。それに、私もおなかいっぱいだよ」


 じゃあなんで取り上げるんだよ────その文句が出る直前、フォークで突き刺したケーキが大樹の口元に突き付けられた。


「はい、あーん」


「え。あ、うん」


 ためらいがちに大樹はケーキを咀嚼する。


「おいしい?」


 間違いなく美味い……はずなのだが、状況のせいで味がよくわからない。

 一口食べ終わるごとに、楓がまた新しく口元に運んでくる。ケーキが全てなくなるまでそれは続いた。


 嬉しいというより、かなり恥ずかしい。


「いつもこんなおいしいの食べてたの? 良い御身分だね」


「う、うん。ありがとう……?」


「なにそれ。どういう返しだよ」


 頭が茹っているせいで妙な返答をしてしまった。

 熱を冷まそうと、あえて冷水で最後の食器を洗っていると大樹の背中に楓がしがみついてきた。


「ちょっと。動きづらい」


「いいじゃん♪」


 さすがクリスマスとでも言っておけばいいのだろうか。

 楓がいつもより積極的な気がする。……いや、普段からこんな感じだったかもしれない。


「楓。前、みて」


「……まえ?」


 大樹の背中越しから前を覗く楓。

 この家の構造上、キッチンからリビングを見通すことができる。そしてそれは反対側からでも同じこと。

 妹の紗季が目を見開いて、こちらを凝視していた。


「あ……やば」


 大樹たちの視線に気付いた紗季は脱兎のごとく逃げ出す。

 楓があーんをし始めたときから紗季がこっちをじっと見ていたのを大樹は気付いていた。何も気付いていなかったのは楓だけだ。


「~~~~っ!?」


 その場に座り込んで、楓が悶えている。さすがに恥ずかしかったらしい。

 数分たったところで、ようやくメンタル回復をしたらしい。ふらふらとした様子で楓が立ち上がる。


「大樹のお母さん、思ったよりもいつも通りだね。もう少しアンニュイな感じになるのかと思ってた」


「まあ、別居生活も長いからね」


「ふーん、そっかぁ……。へ、へえ~」


 妙な空気のせいでどこか会話がぎこちない。

 それとなく話題を提供してあげたいが、悲しいことに何も出てこない。


「だ、大樹のお父さんってどんな人?」


 頑張って振り絞った質問だったはずだ。だが、結構クリティカルな話題だ。

 なんと答えたものか、大樹は迷った。母と違って、父はこれといった特徴のない平凡な男だ。


「すごく素敵な人ですっ!」


「わっ!?」

「きゃあっ!?」


 言葉に詰まっていると、大樹と楓の間からキノコみたいに母が現れた。


「じ、地獄耳……。父さんの話をするとすぐこれだね」


「その前から二人の話し声はこちらまで聞こえていましたよ。仲睦まじいようで、私としてはとても喜ばしいです」


「ちょっと、大樹のお母さん。それ、どれくらい聞こえてたか教えてほしいんですけど。紗季ちゃんにも色々見られてましたけど、結構声も響いてます……?」


「それより直樹さんの話をしましょう!」


 こうなったときの母は止まらない。

 これまでに何百回と————誇張なしに本当に何百と聞いた話を延々聞かされた。

 大樹は耐性がついているが、楓はそうじゃない。小一時間ほどでたって、楓が得た大樹の父親への印象は、


「えっと。十年に一人の秀才で、様々な分野に精通し、慈愛の心を持って世界を救った英雄——ってことでいいのかな?」


 ファンタジー世界の住人のようなステータスだ。


「いや、真に受けないで。母さんの主観が入ってだいぶ歪んでるから。実際は普通の父親だよ」


「そ、そうだよね。うん、分かってた。分かっていたよ」


 楓の洗脳を解いたところでインターホンが鳴る。

 これ幸いと、大樹と楓は同時に逃げ出した。


「ところで誰? お客さん来る予定あったの」


「そんなわけない。だって家に上げるわけにもいかないから。だから宅配便とかでしょ————」


 楓が何か言いたげにこちらを見ている。

 大樹はふと足を止め、さっきの呼び出し音の違和感に気付いた。あれはエントランスではなく、部屋の外に来客がいることを知らせるものだったのだ。


「まさか、奏?」


 秋に奏が急襲してきたときと状況が酷似しているが、彼女はつい先日京都に戻っていったはずだ。

 前回の反省を生かして、真っ先に扉を開けたりしない。

 のぞき穴から来客が誰かを確認しようと、大樹が扉に体重を預けたときだった。


 ガチャ、と。


 オートロックが解除される音が聞こえた。


「は?」


 大樹はよろけた。

 なんでだ。鍵がないと、この扉は開かないのに————。


「ん? 大樹か。わざわざ出迎えてくれたのか」


 しかし、何も不思議なことはなかった。

 ただ単に、この部屋の家主が帰ってきただけのこと。


「ただいま」


 篠原直樹————久しぶりに見る父の姿だった。



「お、おかえり。え、仕事は?」


「有休が溜まってたから、消化しないといけないんだ」


 学生の大樹には実感がないが、確か有休消化をしないと企業は罰金を受けなければならないとか聞いたことがある。


「どれくらい休めるの?」


「正月まで休む気でいるよ」


「へえ。結構長いね」


 一週間以上この家にいるということだ。

 大樹も嬉しいが、母がこれ以上ないくらい喜ぶだろう。


「それはそうと、父さんはどうやら疲れているらしい」


「なに?」


「大樹の後ろに、なんか、女の子が見える……」


 直樹の視線が、すーっとスライドしていく。

 後ろを見ると大樹の背中に隠れるようにして、楓は成り行きを見守っていた。


「だ、大樹。こちらのお嬢さんは……? 紗季の友達か?」


「あ、えーと。名前は森崎楓。俺と同じ藍咲のクラスメイトで————」


 そこまで口にしたところで、ふと思い直す。


「父さんに紹介するのは初めてだけど、俺の彼女なんだ」


「……。…………!? !?!?!?!?」


 何も声を発していないのに————否、まともに話せないくらい動揺したのだろう。

 大の男が滑稽なほどうろたえて、大樹と楓の顔を見比べる。

 父親のそういうリアクションは見たくなかった。


 楓は楓で、直樹の反応を見ている余裕はないらしい。


「ちょっと大樹!?」


 と、大樹の背中をポカポカと叩いてくる。ちょっと力が強い。

 両者ともアドリブに弱いが、混乱状態から先に脱け出したのは楓の方だった。胸に手を当て、意識的に呼吸を整える。


「あ、あの、初めまして。私、大樹くんとお付き合いをしている————え?」


 直樹は楓のすぐ真横を無言で通り過ぎていく。彼女がまだ挨拶をしている最中だというのに。

 まるで楓を無視するかのような態度に、大樹は目を疑った。


「父さん!」


 大樹の声に振り返ることなく、直樹は自分の寝室に消えていく。

 楓の顔から色が消えた。


「ね、ね、ねえ? もしかして私なんか失礼なことしちゃった?」


「いや、そんなことない。ちょっと文句言ってくる」


 失礼をしたのはむしろ直樹の方だ。

 不安そうに立ち尽くす楓の頭を撫で、父の寝室に向かう。


 ノックをするタイミングで、少しだけ扉が開く。

 直樹が手招きをしている。入ってこいということか。

 二人きりになったところで、大樹は父を問い詰める。


「なあ、さっきのは何だよ? いくらなんでもあんまりじゃないか。楓が何かした?」


「……いや。彼女は何もしていない」


「だったらどうして」


 つい大きな声が出てしまう。楓に聞こえていないだろうか。

 一度冷静になろうとしたところで、大樹はあることに気付く。

 父の体は小刻みに震えていた。


「寒いの?」


「違う。そうじゃない」


「じゃあ、なに」


「父さんな、ちょっと、ああいう、イマドキの女の子らしい女の子と話したことなくて……つい逃げちゃった」


「なんで父さんの方がびびってんだよ!?」


 実にしょうもない理由だった。


「本当はこんなおじさんの相手なんてしたくないのに、無理に挨拶をしてくれたんじゃないかな。そんなことは気にしなくていいんだよと、彼女に伝えてくれ」


「自分の口で言えよ!」


 直樹はすっかり腰が引けており、部屋から出られそうにない。

 仕方がないので、逆転の発想で楓を部屋に招き入れる。両親が使っている部屋に自分の彼女がいるという特殊な状況に頭が痛くなってくる。

 二人の間に生まれた誤解を解いてみれば、あっという間に打ち解けてしまった。


「ふふ。やっぱり、大樹のお父さんって感じ。すごく安心しました」


「いやー、その、先ほどは失礼しました。いつも息子がお世話になっております。どうか、末永く息子と仲良くしてくれると嬉しいです」


「は、はい」


 ちらりと横目に大樹を見ながら、赤い顔で頷く楓。

 その視線がどういう意図を含んだものだったのかは、想像に難くない。


「ところでさ、大樹のお母さんは直樹さんの話をすればすぐに飛びついてくるんだよね? 地獄耳ってくらい」


 思い出したように楓は言う。


「うん、そうだね」


「じゃあさ、なんなら目の前に本人がいるっていうのに、どうして大樹のお母さんはやってこないんだろうね?」


 楓の鋭い指摘を受け、大樹と直樹の顔が青くなった。


 コン、コン、と。


 部屋が控え目にノックされる。

 大樹と直樹は、それだけで瞬時に理解した。扉の前に誰がいるのかを。既に、身の危険がすぐそばまで迫っていたことを。

 ここは父と母の寝室だ。すぐ後ろにはダブルベッドがある。


 やばい————ただ、それだけを思った。


 条件反射で直樹はクローゼットに身を隠そうと走る。大樹も、そんな父のサポートをするため、中にしまっている衣類を両腕に抱えた。


 あとは、楓が少しでも時間を稼いでくれたら、それでよかった。


「はーい。今、開けます」


 致命的な連携不足。楓は何の躊躇いもなく扉を開ける。

 彼女の行いを責めることはできない。事情を把握していない楓は、いかにこの状況が危険かに気付いていなかった。


「直樹さん、もしかして帰ってますか?」


 おそるおそる、という具合に母が部屋に踏み入る。

 間に合わなかったことを悔いる時間もなかった。


「直樹さんっ!!」


 おっとりとした母からは考えられない、俊敏とも言える動き。

 一気に直樹との距離を詰めて、タックルするようにその体に抱き着く。


「ぐふっ……!?」


 衝撃を殺しきれず、直樹は苦悶の声を上げて母と共に倒れ込む。

 両親の体をベッドが受け止めた瞬間、大樹は全てを諦めた。心の中でご愁傷様と呟いておく。


「今年は、帰ってきてくれたんですね」


「あ、ああ、ただいま」


「どうして連絡してくれなかったんですか」


「だってあらかじめ連絡したら君が騒がしいと思って————ウソ、ウソ。冗談。これはそう……ちょっとしたサプライズだ」


「ふふ。直樹さんったらお茶目なんですから」


「あ、あははは……」


 直樹は引きつった顔で愛想笑いを浮かべている。なんとかベッドの上から逃げようとしているが、がっちりとホールドされて身動きが取れないらしい。

 瞳にハートマークを浮かべた大樹の母は、直樹のシャツに手をかけ、ボタンをひとつひとつ外していく。


「楓。戻ろうか」


「いやいやいや!? あんたのお母さん、何食わぬ顔で直樹さんの服脱がしてるけど!! これ止めなくていいの!? 大丈夫!?」


「ん、ああ。いいよ」


「ええ!?」


 見飽きた光景である。今更、何の感慨もない。 

 楓が目の前にいるというのに、母はお構いなしに父の唇を奪った。

 くちゅくちゅ、と粘着質な音が鼓膜に届いた。


「キスってこんな生々しいものだっけ」


「いやだから何を冷静に観察してるの!? 止めろよ!!」


「好きにさせてあげよう」


「え、待って。っていうか何この動き。えっぐ!! どういう体勢? え。ええ? えー!?」


 まだ導入部分なのに既に激しい。

 アクロバティックな様相はさながら体操選手。問題は個人技ではないこと。


「あーっ、あ、あ、うわあ。わわわ。ええー! そうなる!?」


 目を白黒させつつ取り乱す楓。頬は熟れたトマトみたいだった。

 こんなときになんだが、楓のリアクションがいちいち面白い。だがこれ以上は目の毒なのでそろそろ退出しようと思う。


 楓の手を引く。


「ひゃあっ!?」


 なに、その可愛い裏声。



「いつも大樹には苦労をかけてすまなく思っていた。せっかくのクリスマスだ。彼女さんとどこかに出掛けてくるといい」


「父さん。嬉しいけどいい加減ズボン履いたら?」


 第一ラウンドを終えた父が大樹を労ってくれる。

 しかし、そんなボロボロな姿を見せられると、流石に同情を禁じ得ない。


「ハッハッハ。どうせまたすぐに脱がされるんだから無駄だよ」


「実の息子に何を聞かせてんだ」


 慣れてきたとは言っても、積極的に聞きたい話ではない。

 餞別だ、と言って直樹が小遣いを持たせてくれる。穏やかな笑みを浮かべたまま、直樹は自室に消えていった。


「というわけなんだけどさ、どうする? 楓」


 時刻は夕方を過ぎたくらい。今から遊びに出掛けても充分な時間がとれる。

 元々、楓は大樹を外へ連れ回すつもりだったはずだから、直樹の気遣いをてっきり喜んでくれるものだと思っていた。

 しかし、当の楓は難しい表情で唸っている。


「……すけべ」


「何が!?」


「さっきの今で、二人きりになんてなれるわけないでしょ!」


 ネコみたいに髪が逆立つ。

 デートは却下らしい。


「どうするかな」


 家に留まるというのも……できなくはないが、個人的にはナシだ。両親の声が届かないとも限らないし、仮に聞こえなくてもそういう行為をしていると知っている以上、落ち着くに落ち着けない。


「あっ」


 楓が何か閃いたらしい。


「じゃあ、我儘を言ってもいいかな」


「うん。もちろん。どうぞ」


「確かこのマンション、ゲストルームが取れるよね?」


「……え?」


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