「私と簡単なゲームをしない?」
なんでここにいるのだろう。
奏の姿を見ていると、まともに呼吸をするのも難しい。
「おっ、おっ、お……。お久しぶりです」
「驚きすぎではないかな」
驚くなという方が無理だ。そもそもどうやってここまでやってきたのだ。
いや、分かり切ったことなのだが……。
「電気くらい、つけてもよかったのに」
「こっちの方が面白いと思って」
無表情のまま、奏が横ピースしている。発想も言動も、楓に通ずるものがあるのにまったく可愛くない。むしろ怖い。
「い、いつ東京に戻ってきたんですか」
「ついさっき。その足でこちらにお邪魔したの」
その割にはかなり軽装なのが気になる。
「……また不法侵入ですか?」
「あなたに会いに来たと言ったら、快く通してくれたよ」
「母さん……」
客人がいるならせめて一言いっておくべきじゃないのか。
そして奏は電気もつけずに待っていたことになる。もはやホラー。
「いつまでそこに立っているつもり? あなたの部屋なのだから、楽にしたら?」
座るように促された大樹は、奏に倣って正座で向き合う。
奏は不機嫌な顔でこちらを見ている。怖い。何をしに来たのかがわからないところが、本当にもう。
とりあえず客人はもてなすべきだろう。
「こ、コーヒーにお砂糖はいりますか?」
「お構いなく」
「こ、紅茶ならどうでしょう。自分で言うのもなんですが、淹れるのは得意で————」
「お構いなく」
全部拒絶される。取り付く島もない。
と、そこで奏の真横に紙袋があることに気付く。
大樹の視線を感じた奏が、恭しく頭を下げてそれを差し出す。
「以前にお邪魔したときはお騒がせして申し訳ありませんでした。つまらないものですが、ご家族の皆さんでお召し上がりください」
恐縮しながら紙袋を受け取る。
中に入っていたのは八ッ橋だった。中学での修学旅行で京都を訪れて以来大樹の好物のひとつだ。こういう状況でなければ思わず頬が緩んでいたかもしれない。
「こ、これはご丁寧にどうも……」
言葉の上では真っ当なやり取りに思えるが、完全に社交辞令だ。形式的に言葉を交換しているだけで、心が全く通っていない。
「ところで、あなた。私に何か言いたいことがあるんじゃない?」
背筋がひやりとした。
突然の来訪、そして詰問するような口調で確信を得た。奏は、大樹と楓が交際関係にあるのを既に知っているのだ。
「言ってみなさい」
逃げることは許されないようだ。
大樹は姿勢を正して、真っ直ぐに奏を見つめた。
「お姉さん、実は僕————」
「誰がお義姉さんよ! あなたにお義姉さんと呼ばれる筋合いなんてないから!」
「そういう意味じゃないですよ!?」
誰もそんなつもりで呼んだつもりはない。気が早い。
「やっぱりあなた。楓と付き合っているのね」
全てを白状するまでもなく、大樹の口振りで全てを察したのだろう。
奏がすっと目を細めた。つまらなそうに肘をついて。
「お、お姉さん———い、いえ、すみません。奏さんはどうしてそれを? 楓から直接聞いたんですか」
再びお姉さんと口にしたところでまた凄まじい殺気を感じて、大樹は慌てて呼び方を変えた。迂闊な発言ができない。
奏は不機嫌さを隠そうともせず、鼻を鳴らした。
「直接的なことは何も。きっかけはあったけど」
「きっかけ?」
「楓から電話がきたのよ」
奏は自身のスマホを取り出すと、それを手の中で弄ぶ。
女子大生らしくないシンプルなデザインのスマホカバーだが、奏がそれを身に着けていると何故だかオシャレに見えてくるのが不思議だ。
「あの子から連絡が来るなんて滅多に————いえ。一度だってなかったから私は舞い上がったわ。しかも直接電話で話せるなんて奇跡かと。この世の全てに感謝した」
大袈裟すぎる。実妹から電話がかかってきただけなのに。
憧れの芸能人に偶然出会ったみたいな興奮のしかただ。
「洋服とか化粧とか、楓の口から意外な話題が出てきて、そういう年頃なんだなと。嬉しいような寂しいような気分だったわ」
「そ、そうですか」
「でも、なんか引っかかって」
「何がですか」
奏がスマホの画面をこちらに向ける。大樹は目を凝らした。
何のアプリかは知らないが、SNSのアカウントのようで————あ。
前にも見たことがある。楓のアカウントだ。
最近の投稿が表示されていた。
『はあ。好き』
『ずっとあいつのことばかり考えている』
『いまなにしてんかなー』
読んでいくうちに、いたたまれない気分になってきた。
顔が熱い。こういうのは見てはいけないと思う。
「これ。どう考えてもあなたのことよね」
「ま、まだわかりませんよ。あ、ほら! もしかしたら奏さんのことかも」
「そんなわけないじゃない。いつも既読スルーされているのに」
急に卑屈になる奏。そして楓もなかなか非道。
奏はやる気のない溜息をついて、ころんと体を横にした。再度、溜息。
「いいわね、この床暖房。冷たい体にしみるわ」
「あの、怒らないんですか?」
おそるおそる機嫌を窺ってみる。
「怒る? 私が、どうして」
澄ました顔で奏は言うが、若干声が上擦っている。
「楓があなたのことを好きなのは分かっていた。だからこういう話も時間の問題だと思っていた。何も意外なことなんてない」
床に『の』の字をなぞりながら言われても複雑だ。
「どこぞの馬の骨なら再起不能になるまですり潰してあげるところだけど。君なら、まあ、うん、いい。悔しいけど楓との関係が修復されたのは君のおかげ。だからそのことに恩義を感じないことも、ない」
なんということだ。
奏が大樹を褒めるような言動を取った。相当まいっているらしい。
「こうやって、楓は私の手から離れていくのね……」
結婚する娘を見送る父親みたいなことをいう。
実際、心境としては似たようなものかもしれない。奏は以前から、親代わりのように楓のことをずっと守り続けてきた。
「奏さん」
柔らかいトーンで奏を呼ぶと、身体こそ起こさないものの視線がこちらに向く。
大樹が深く頭を下げる。床に額がくっつきそうなくらいに。
がばっ、と物音がする。見えていないけど、奏が身体を起こしたのだと思う。
「あなた、何をしているの」
「楓のお姉さんとして、楓のそばにいてくれたこと————感謝します」
顔を上げると、奏は困惑した様子で大樹を凝視していた。
脈絡のない話をされたら、そういう反応になるのは当然だ。
けれど、大樹は胸中に湧いてくる感情に身を任せる。
「最近、思うんです。自分の知らないところで誰かが見ていてくれているって。自覚はなかったけど、色々な人に支えられて気にかけてもらって、ここまで生きてきたんです。俺も……きっと楓も」
自分で掴んだ幸福だが、そこに至るまでの道を整えてくれた人たちがいる。
人は一人では生きていけないとか、助け合いが大切とか、そういう言葉をよく聞く。
今の大樹には、それが実感のある言葉として受け入れられる。
「楓が楓らしさを失くすことなく俺と出会えたのは、それまで奏さんが楓を見守ってくれたからこそです。……奏さんには、俺と楓のことを認めてほしいんです。他でもない、あなたには」
奏が心から祝福できるくらいに安心させなければならない。
すごく困難なことに思えるが、いつかきっと————
「何を言うのかと思えば。勘違いも自惚れも甚だしい」
奏は呆れたように溜息をつく。口調も刺々しいものだった。
「私が楓を守るのは当たり前のこと。私は楓の家族で、あの子を愛しているから。だからあなたに感謝される謂れはない」
「はい……」
「でも、悪い気はしていない。————どういたしまして」
初めて、奏の笑顔を見た。笑い方まで楓にそっくりで、やはり姉妹なのだと思わされる。
直視するのが気恥ずかして、大樹は照れ隠しに額に手を置く。
「あなた、楓のどんなところが好きなの」
「えッ」
出た。彼女に聞かれたら結構困る質問の筆頭。
いつか本人に聞かれるだろうと思っていたが、まさかその身内に先を越されるとは。
「ええっと、その……」
思いついていることがないわけではないが、それは楓に向けた言葉であり奏に話すようなことじゃない。
中々答えようしない大樹を見て、奏の目がすっと細くなっていく。
「あっ、そうだ」
奏が手を合わせる。何を思いついたのか、とても無邪気な表情だった。
ああ、何故だか背筋が凍る。楓もこういう顔をするのだ。そういうときは大抵、ろくでもないことが待っている。
「私と簡単なゲームをしない?」
「ゲーム?」
「それで私に勝つことができたら、私はもう何も文句を言わない。心からあなたたちを祝福するわ」
あまり気が進まない。すごく嫌な予感がするからだ。
大樹の内心が表情に漏れていたのだろう。奏は肩をすくめる。
「別に難しいことじゃない。ただの山手線ゲームよ。大学の飲み会でよくやるから覚えていても損じゃないと思う」
一つのテーマを決めて、それに適した言葉をリズムよく答えていく遊びだ。
頭の回転の速さ、語彙力や発想力が求められる。
これはかなり厳しい戦いになるかもしれない。
「あなたが先攻よ」
「それでお題は?」
「それはもちろん……」
奏に嗜虐的な笑みが浮かぶ。
「楓の好きなところ♡」
「え!?」
「はい、スタート!」
驚いている間もなく開始を宣言された。
思いついたことをとりあえず叫ぶ!
「顔が可愛い!」
「姉想い」
「器用で多趣味!」
「甘え上手」
「髪型おしゃれ!」
「頑張り屋さん」
「物怖じしないクールな態度!」
「流行に詳しい」
テンポが速い。
「えーと、口喧嘩強い!」
「異議あり!」
突然発生する異議。
「楓はそんなことありません。というかそれ、褒めてることになるの?」
「お言葉ですけど、あなたの妹さんはマジで口喧嘩強いです」
大樹に対するものに限らず、そういう姿を何度も見てきた。
まあ、ただの暴言も多いのだが。
「デタラメばっかり言って……」
奏は一切信じていないようだ。
意外に思う。もしかしたら、奏は本当に楓のそういう一面を知らないのかもしれない。
「それと初手で顔が可愛いとか言ったの、聞き逃してないから。真っ先にそれ浮かぶ?」
「そこ言うのはナシでしょう。だいたいそっちの姉想いも何ですか。異議ありますよ。既読スルーされてるくせに」
「い、言ってはいけないことを!」
奏が大樹の首をしめてくる。
冗談でやるならまだしも、割と本気で力を入れるものだから大樹の顔は真っ青になる。
そんな感じで勝負はうやむやになった。
大樹と奏はお互いに相手が知らない楓を自慢してマウントを取り合う。幼稚な争いだ。
奇しくも同時刻、別の場所で二人の少女が大樹のことでマウントを取り合っていた。
「どうやらまだまだのようね。これからも精進なさい」
「負けたつもりはないので今回はドローです。再戦楽しみにしてます」
「……なんだか喉が渇いたわ。この家は客人にお茶も出さないの?」
「あなたがお構いなくと言ったんでしょう。少し待っていてください」
大樹は部屋を出て、リビングで紅茶の準備をする。
奏を招き入れた張本人であるはずの大樹の母は、ソファで眠りこけている。文句を言う気も失せてしまって黙々と紅茶を淹れた。
数十分で自室に戻ったとき、奏は正座をしたまま微動だにしていなかった。
もう少しくつろいでもいいのにな。
奏の目の前に紅茶を置く。
「————あら、意外と美味しい」
「でしょう?」
自慢の特技だ。奏の口にも合ったことが素直に嬉しい。
だが次の瞬間、奏は紅茶を一気に飲み干してしまった。もっと味わってほしかったのに、と苦言を呈する暇もなかった。
丁寧な手つきでカップを置く。
「そろそろ帰る。新幹線の時間が近いから」
「新幹線って……えっ、もう京都に帰るつもりですか!? さっき東京に戻ったばかりだって言ってましたよね? とんぼ帰りになっちゃいますよ!?」
京都で何か用事でもあるのかと訊ねると、奏はゆるゆると首を横に振る。
「だって実家に行くつもりなんてないから。楓には会いたいけど……またウザがられたり嫌われたりしたら立ち直れないもの」
「もうそんなことにはならないですよ」
数か月前までならいざ知らず、今では姉妹間のわだかまりも解消したはずだ。
現に楓本人から奏に電話がかかってくるほどだ。そこまで不安になる必要もない。
なのに、奏は首を縦には振らなかった。
なかなか強情で困るお姉さんだと思う。
「それなら年末に京都に遊びに行ってもいいですか。もちろん、楓と一緒に」
奏が困ったように、寂しげに笑う。
「楓が嫌がるでしょ。そんなの」
「説得しますよ。楓だって、本音のところは奏さんのことが好きなんですから」
「いいわよ。そんな見え透いた気遣い。楓が私を嫌いでも、私が楓を好きならそれでいいの」
「————風邪を引いたときに一晩中看病してくれるし」
「ん?」
突然口調が変わった大樹に、奏は眉をひそめた。
変な目で見られていることは自覚しているが、大樹はそのまま続ける。
「困っているときに頼んでもないのに助けてくれて、喧嘩中でも誕生日を欠かさず祝ってくれる。どんなにひどい言葉をぶつけても私を見限ることはなかった」
徐々に奏の目が大きく見開かれる。誰の言葉なのか、直感したようだ。
「そんな奏のことがずっと好きだった。愛されているって感じる」
手紙の内容を思い出しながら、大樹はそこまで言い切った。
「楓の言葉です。一言一句間違っていません。これ、俺が言ったって言わないでくださいね……って、奏さん?」
奏はくるりと、器用に回って背中を向けてしまう。大樹の見間違いでなければ、その肩は小刻みに震えていて……。
「奏さん?」
「静かにしていなさい」
ぴしゃりと言いつけられてしまう。あまり奏の方を見てしまわないように顔を俯かせ、ただ時間が過ぎるのを待つ。
やがてこちらに向き直った彼女は、いつも通りの森崎奏だった。
「そういうところかもね」
「え?」
「楓があなたを好きな理由」
何気ない所作で、奏が距離を詰めてくる。
大樹が一歩下がると、奏はさらに一歩近づいてくる。
「あなたは歳の割に気が利くし、優しいところもあるみたい。こんな人が彼氏になってくれたら幸せだろうね」
「なんですか。ちょっと、あの、照れますけど」
「もう少し早く逢えていたなら私の方から声をかけていたかも」
会話の流れと雲行きが怪しい。
ついには壁際まで追い詰められて壁ドンまでされる始末。なんだこの少女漫画みたいなシチュエーションは。
大樹の耳元で奏はささやく。
「いっそ、私にしてみない?」
艶っぽい声音が鼓膜を震わせてくる。
これは罠だ。明らかな挑発。からかわれているだけ。
考えなくても分かり切ったことなのに、これだけ距離感が近いと頭が痺れて判断がにぶってくる。
返答を逡巡した大樹の頬を、冷たい手が触れる。何か知らないけれどゾクゾクした。
指先は顎骨をなぞり、今度は喉の上をくすぐってくる。
変な声が出てしまわないように慌てて口元を押さえる。
大樹の反射に、奏自身が驚いているようだった。
奏は大樹の両頬を掴んで思い切り引っ張る。
「いててて!」
「……こんな安っぽい誘惑に引っかからないの。楓だけを見ていなさい」
「ふぁい!」
良かった。やっぱりからかれているだけだった。
けれどあのまま続けられてたら危なかった。何が、とは言わない。あれ以上悪ふざけが過ぎればお互いに痛い思いをしたはずだ。
流石は年上の女性である。
あからさまな演技だったのにそれでもドキドキしてしまった。
できるだけ動揺を出さないようにするが、ちょっと上手くいかない。震える手でドアノブに手をかけた。
「し、下まで送りますので」
「それは本当にお構いなく。玄関まででいいわ。それと、私が来たことはくれぐれも秘密に。ウザがられてしまうから」
「りょ、了解です」
そして何気なく扉を開けて。
目の前には少女が立っていた。
大樹と奏は飛び上がる。いつからそこにいたのか、奏にそっくりな顔は不機嫌に歪み、その眼光は鋭くこちらを射抜く。
「誰に何を秘密にするって?」
楓が部屋に足を踏み入れる。キシィ……と床が軋む音がした。
楓が一歩動く度、大樹と奏は震え上がる。
「見覚えのある靴が置かれてるから、まさかとは思ったけど」
「か、楓。いらっしゃい……。いつからいたの?」
「いつからだと思う?」
あ、これはかなりご立腹だ……。
こういう風に楓が返事をはぐらかしてきたときは大抵怒っている。少し前に気付いた楓の癖だ。いや、そんな癖なんて知らなくても、今の楓は誰が見ても怒って見えるだろうが……。
「か、楓。私と篠原くんはとっても仲良しよ。ね?」
奏は、自分が大樹の頬をつねっているところを見られたと結論付けたようだ。
それは間違いないのだろうが、仲良しアピールのために腕を組むのは明らかに悪手だ。どうやら奏も動揺しているらしい。
楓は顔を真っ赤にして怒っている。
「どういうこと。楓がどんどん不機嫌になっている気がするんだけど」
「くっついてくるからじゃないですが」
嫌でも女性らしい柔らかさが伝わってくる。
「お姉ちゃんのバカ! 大樹から離れて!」
密着する大樹と奏の間に割って入って、楓は姉を突き飛ばす。
さっきまで奏がそうしていたのと同じように、楓が大樹の腕にしがみつく。大事なモノを取られまいとする子供のようで大変微笑ましい。頭を撫でてあげたくなったが、ここは堪えておく。
ちらりと奏を見る。
最愛の妹にぞんざいに扱われてショックを受けていないか心配だったが、本人は「お姉ちゃんって呼ばれちゃった……!」と喜んでいたので大丈夫そうだ。
「もう帰って! 帰ってってば!」
ぐいぐいっと奏の背中を押して外まで追い出すつもりだ。
さすがに止めに入ろうとしたが、やっぱり奏は悦んで(?)いるようなのでもう大樹は気にするのをやめた。
ガチャン、と強い音を立てて扉が閉められる。
「それにしても、もうちょっと仲良くできないの?」
「妹の彼氏に色目使ってくるようなの人のことなんて知りません」
あ、そこから見られていたのか。ちょっとそれはバツが悪い。
「色目って大袈裟だよ。ちょっとからかわれただけ」
「だって、あれ。絶対照れ隠しだし……」
「奏さんが? 俺に? ないない。ないよ、それは」
あはは、と笑ってみせるが、自分の声がやけに空虚に響くのを感じた。
大樹は自分の見立てが間違っているとは思わない。だが、楓の様子は真剣そのもの。姉妹でしか見抜けないものがあるのかもしれない。
大樹が玄関の扉を見つめてしまうその横で、楓は小さな声で呟く。
「奏に本気なんて出されたら、勝てないし……」
ともすれば聞き逃してしまうところだった。
それは分かりやす過ぎるくらい子供っぽい嫉妬で、そんなことを気にしている楓がいじらしくて可愛かった。
「何を笑ってるの」
「だって、勝ってるから。断トツで」
楓と奏が争って競う必要はない。
そもそも勝負が成立していないのだ。
「俺が好きなのは楓だよ。忘れないで」
余裕たっぷりの態度で大樹は答えた。
それでも気持ちが伝わるように、目だけは離さない。
楓は一瞬だけ不機嫌な顔になって大樹のすねを蹴ってきた。大樹が痛みに悶えている間に、いつもの楓に戻る。
「まあ? そんなことは分かってましたけどね? だって私可愛いし」
「そうだね、可愛い」
「あ、うう……」
まだ不完全だったらしい。
自分で言い出したくせに自分で照れている。
こらえきれなくなって大樹が笑ってしまうと、再びすねを蹴られた。痣にならないか心配だ。
「この話は終わり! っていうか大樹に確認したいことあるんだけど!」
「なに?」
「明後日のこと」
神妙な表情で呟く楓の言葉を耳で反芻して、明後日の日付を確認する。
はっとした。最近色々あったせいで完全に見落としていた。
「ねえ、大樹」
不安と期待が入り混じった瞳が大樹に向けられる。
大樹に、逃げることは許されなかった。
「クリスマスは私と一緒にいてくれるよね?」