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「これ以上の言葉はいらない」

 いつも通り、部活が終わってから楓を待っていた。

 そろそろやってきてもおかしくない時間なのに姿を見せてくれない。


「ついに愛想尽かされたか……?」


 不穏なことを口にしながらも辛抱強く待っていると、ポケットの中で携帯が震えた。

 画面には楓の名前が表示されていた。


「楓? いまどこにいるの? もう校門前で待ってるけど」


『着信入れておいたんだけど、気付いてなかった?』


「あ、ごめん。見てなかった。何かあったの」


『うん。悪いんだけど、今日は先に帰っちゃった。ちょっと委員長に誘われてさ』


「委員長?」


 楓との接点はあまりないはず。


「意外。なにしたの?」


『別に。普通に寄り道して遊んで、ご飯食べてきただけ』


「それだけ?」


『……うん』


 応えるまでにわずかな躊躇いがあった。

 ここで急に委員長が接触してきたこと、単なる偶然のようには思えなかった。

 もしかして、彼女なりにフォローしてくれていたりして。


 ……なんて考えるのは都合が良いだろうか。


『私のことはいいんだよ。今部活終わったとこ?』


「そうだよ」


『それじゃ、寄り道せずにまっすぐ帰ること。今日の朝みたいに、どこかの美人な先輩に鼻の下伸ばさないこと。わかった? じゃあね』


 一方的に好き放題言って、楓は通話を切ってしまう。

 どうやら、朝の電車で月夜を見ていたことには気付かれていたようだ。ここ最近大樹のことは無視するくせに、そういう部分は目敏い。


「さて、と」


 大樹は家に帰る素振りを見せず、昇降口まで戻って、そこに腰を落ち着けた。


 早速というべきなのか。咲夜の助言が役立てるときがきた。

 楓の言い付けを破ってしまうことになるが、今は考えないことにしておく。バレたら怖いだろうが。


 五分、十分と待ってみて、姿を現すのは他の部活動を終えた生徒たちがほとんどだった。そのうち大神や蒼斗たちといったバドミントン部までやってきてしまう。


「先に帰ったんじゃなかったのかよ?」


「ちょっと待ち合わせしてる」


 待ち伏せの間違いだ。

 辛抱強く待ち続けて、人の気配がなくなっても月夜は現れない。まさかどこか別の場所から学校を出てしまったのではと疑いたくなるほどだった。靴が残っているのはこっそりと確認済みだ。


 解散時間も地元も同じ場合なのに、最近は月夜と帰り道が同じにならなかった。

 気のせいと思ったが、今日ではっきりした。月夜は明らかに意図的にタイミングをずらしている。


 大樹が更衣室を出たのは三十分も前だ。随分徹底している。


 月夜を待っている間、楓のことが頭をよぎった。いつもこんな寒い中、楓は大樹のことを待っていてくれたのだと思うと、胸があたたかくなる。

 何を考えながら、この時間を過ごしていたのだろう。

 しかも、それを無理している様子もなく平然と、むしろ楽しそうにしているのが面映ゆい。

 馬鹿なことだが、今すぐ楓に会いたくなってきた。


 足音がきこえて、大樹は反射的に立ち上がっていた。


 ようやく月夜が姿を現した。そして大樹を見つけたことでひどく狼狽する。彼女が踵を返して再び階段を降りようとしたところで呼び止めた。


「センパイ、待ってください」


 ピタリと月夜の動きが止まる。ぎこちないロボットのようにこちらを振り返った。

 寒さを誤魔化すためか、自分自身の体を抱きしめて、


「な、なにか連絡事項?」


 声が若干上擦っていたが、こちらを牽制するような意図を感じた。

 明らかに警戒されている。不用意に近づけば逃げられてしまうだろう。

 だから大樹はその場にとどまったまま、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「今日は一緒に帰りましょうか」


 そう言うと、月夜は目を大きく見開いた。何度も瞬きをしている。

 彼女は遠慮がちに問いかける。


「いいの? ……彼女がいるのに」


「帰る方向は同じでしょう? それに……」


 大樹はそこで言葉を区切って、意味深に間を作った。

 ピリついた空気を肌で感じる。もったいぶるのはお互いの心臓に悪い。


「このままじゃ嫌なので」


 短い言葉ながら、これで大樹の考えは伝わったと思う。


 現状、月夜とは部活以外での接点がない。

 あと半年も経てば月夜の世代は部活を引退してしまう。そうなれば姿を見ることすら難しくなる。さらに年月が進んで卒業したら、もう名前を聞くだけになる。


 世の中にありふれた別れ方だと思う。


 中学のときだって、月夜とは一生ものの付き合いになると信じて疑っていなくて、けれどふたを開けてみればあっさりとその関係は途絶えてしまった。

 藍咲で再会できたのは奇跡でしかない。


 二度も、奇跡は起こるだろうか?


 やがて、月夜は控え目に首肯した。



「………」

「………」


 沈黙が重苦しい。

 二人で電車に揺られてから十分は経過するが、一切会話は生まれなかった。


 勢いだけだった……。

 何も考えてなかった……。


 月夜といるときに無言になるのは珍しくないが、それは本来居心地が良いもので、こんな別れる寸前のカップルみたいな空気にはならない。

 いや、似たようなものか?


 会話の糸口を見つけようとするが、ろくな話題が思い浮かばない。このままでは何も話さないまま解散になってしまう。


「さ、最近何してます? 部活が終わったあととか、休みの日とか」


 あんまり仲良くないクラスメイトとの会話みたいだ。

 月夜はこちらに視線も向けずに答える。


「何もする気にならない」


 地雷を踏んだ。

 暗に大樹が原因だと言われている。

 かき集めた勇気が粉々になったが、幸いにも月夜が言葉を返してくれる。


「逆にあなたは何をしているの」


 反射的にありのままを答えようとした大樹は言葉に詰まった。

 困ったことに、楓との思い出しかない。一緒にテスト勉強をしたり、家にお邪魔されたり、泊っていったりと————月夜に伝えるのが憚られるものばかり。


 月夜は口元を歪めて卑屈に笑った。


「そうよね。きっと楓と色々あるのよね。あんなことやこんなことも経験して、大人の階段を上っているんだわ……。私の方が年上なのに」


「そこまで進んでもいないですけど」


 せいぜいキスするぐらいだ。

 物憂げに溜息をつく月夜は、失礼ながら絵になる。今も、車内の人間が男女問わず月夜に注目している。思わず見惚れてしまっているのだろう。


 大樹もその他大勢と同じだった。言葉を跳ね除けられてしまう以上、ただ静かに月夜の表情を窺うしかない。


 不躾な視線を感じたのか、大樹と一瞬だけ目が合う。すぐに逸らされてしまうのは相変わらずだった。

 どうしたものか悩む大樹だったが、月夜の一言が不意を突いてくる。


「けれど最近、あなたも元気がない」


 問いかけではなく、断定するような口調。

 自分の目で見たものに確信を持っているのだろう。

 咄嗟に言い訳することを忘れて、大樹は唖然としてしまう。


「楓と喧嘩でもした?」


 突き放すでも心配するでもない淡白な口調に、思わず頷いてしまう。


「ちょっと、すれ違いみたいな感じです」


「へえ」


 気のせいかもしれないが、月夜の声に張りが戻った気がする。

 居住まいを正して、大樹の顔を真正面に見つめる。


「詳しく聞きたい。何があったの」


「実は……」


 続く言葉を、大樹は呑み込んだ。

 危ない。何を話そうとしているんだ。いくらなんでも無神経だ。


「いえ。なんでもないので、忘れてください」


「そこまで匂わせておいて、今更?」


「センパイにだけは絶対話せないですよ」


「……あっそ」


 不貞腐れて、また不機嫌になってしまう月夜。

 大樹は努めて明るく振舞った。


「他の楽しい話しましょうよ」


「あなたと楓の別れ話より楽しい話題はない」


「ひどい……」


 月夜の心情を鑑みれば、そういう気持ちになるのは納得だが今はもう少し気を遣ってくれると有難い。今はメンタルが弱体化しているのだ。


「そのまま別れてしまえばいい」


「やめてやめて」


 反射的に耳を塞ぐ。もしそんなことになったら立ち直る自信がない。

 考えないように頭の隅に追いやっていたのに、一度考えだすと止まらない。こうしている今も、楓との禍根は残ったままなのだ。


「あなたが楓と別れたとしても、私はあなたと付き合わないわ。せいぜい私を振ったことを後悔すればいい」


「そんなの当たり前じゃないですか。何言ってるんですか」


「————」


 多分、言うべきセリフを間違えた。

 月夜の機嫌を完全に損ねたようだ。脇腹の肉を凄まじい力で捻り上げてくる。公共の場で声をあげるわけにはいかない。


「私を怒らせたくて待っていたの?」


「ち、違いますって。だってセンパイ、あれからずっとよそよそしいから! 前みたいに戻りたいだけですって」


 あまりの激痛に耐えかねて、本音を白状させられてしまう。


「前みたいに……」


 ふと、捻る力が弱まる。

 ようやくまともに喋る余裕が戻ってきた。


「ちょっと、怖いんですよ。なんか、中学のときみたいになりそうで。センパイが卒業したら、もうそれきり会えなくなるみたいな。そういう未来が予想できちゃうんです」


 小細工なしに本音をぶつけてみる。

 月夜が押し黙っている姿を見て、胸の中で不安が膨らむ。大樹は言葉を続けた。


「俺、センパイとそういう風になりたくないんです。卒業して進路が分かれても、大人になった後でも、たまに顔を合わせて、もしかしたらお酒でも飲みながら『あの頃は楽しかったね』なんて言いながら部活の話をするんですよ。そういうの良いと思いません?」


 わずかに月夜の口元が緩んだ。

 でも、それが薄ら笑いでしかないことに大樹はまだ気付いていない。


「だから、前みたいに仲の良い先輩後輩に戻りたいんです」


 いっぱいいっぱいになりながら、思いの丈を全て伝えた。まるで愛の告白のような、いやそれ以上に恥ずかしいことを言っている自覚があった。心臓がうるさいくらいに強い鼓動を繰り返す。


 言うべきことは言った。あとは彼女の答えを待つのみだ。


「篠原くん」


 月夜の瞳には強い光が宿っていた。


「それは、嫌よ」


「————」


 目の前が真っ暗に染まったような感覚に陥る。

 てっきり、控え目な肯定が返ってくるものとばかり思っていた。そうでないにしても、ここまで明確にノーを突き付けられるはずはないと。


 大樹が茫然としていたせいなのか。

 聞こえていなかったわけではないのに月夜は再度同じ言葉を告げた。


「い、や、よ」


 今度は力強く、はっきりと。

 誤解も勘違いも、そんな余地は一切入り込まない。


 電車が停まると同時に月夜は立ち上がった。

 追いかけられない。その資格もない。打ちひしがれた気分で大樹はその背中を見送る。


「何をしているの?」


 どういうわけか、月夜がこちらを振り返る。


「え?」


「閉まっちゃうわ」


「え、え、ええ?」


 混乱しているせいで大樹はまだ動けない。扉が閉まる直前、月夜が大樹の手を引っ張り無理やり立たせた。

 バランスを崩しながら車両を降りる。出た直後には扉が閉まって、電車が走り出した。

 突風に似た風が吹きすさぶ。轟音が鼓膜を刺激している中、その声は確かに聞こえた。


「全部なかったことになるみたいで、嫌なの」



 最寄りに着くよりも前の駅を降りてしまった。

 二人で見慣れない道を練り歩く。大樹がおろおろと視線をさまよわせる横で、月夜は堂々とした足取りだ。


「あの、さっきの言葉の意味って」


「そのままの意味よ」


 それじゃ分からないから聞いているのだが……。


「私はあなたのことを好きになった」


「んっ!?」


「あなたも私のことが好きになった」


「ちょっと!?」


 こんな往来で何を言い出しているのだ。大樹は顔を真っ赤にしているのに対して、月夜はひどく冷静だ。顔色ひとつ変えず淡々としている。なんだか慌てている自分が馬鹿らしく思えてきて、大樹はおとなしく話をきくことにした。


「ここまでのことがあったのに、前に戻るなんてできない」


「それは……もう俺とは関わりたくないってことですか」


 自分から聞いたくせに、その答えは聞きたくなかった。

 薄々、望んでいない答えが返ってくることは予想できていたからだ。


「卒業後、君と会えなくなってもいいと思っている」


 落胆を隠せない。

 ここまで、月夜の心と距離ができてしまっているとは……。

 思わず足を止めた大樹だったが、月夜も、振り返らないままで止まった。


「会わなくても、思い出すだけで充分だから」


「え」


 月夜がこちらを向いて笑う。憑き物が剥がれたみたいに気持ちいい笑顔だ。


「好きになったことを宝物にするって言ったの、覚えてる?」


 唐突にそんなことを言われる。

 気恥ずかしさを感じつつ、大樹は控えめに首肯する。


 雨雲が空を覆う中、二人で抱きしめ合って泣いた日のことが蘇ってきた。お互い、感情を爆発させながら恥ずかしいことを色々言った気がする。だが、もちろん記憶からこぼれているなんてことはない。


 流石に、ここまで無表情を貫いていた月夜も少しは羞恥を覚えるらしい。

 長い黒髪を指先でいじる姿が可愛らしかった。


「将来、君と私にはほとんど接点がなくなってしまうかもしれない。けれど死ぬまで君のことを忘れられないと思う。それだけ篠原くんから受けた影響は大きかった」


「センパイ……」


「私は、あなたのことで思ったこと、考えたこと、感じたこと、全部持っていく。何一つとして取りこぼさない。だから————もうこれ以上の言葉はいらない」


 俺も同じ気持ちですよ、そんなことを言おうとして先んじて封じられてしまった。

 きっと大樹がそういうセリフを返してくることを読んでいたのだ。


 月夜は、大樹との新しい関係性を求めている。


 強いなと思った。あれからまだ日も浅いのに、どこまでも前を向いている。


「センパイかっこよすぎですよ」


「可愛いって言われたい」


「もちろん、そっちもです」


「彼女以外にそういうことを言ってはダメ」


 こういう軽口が言い合えるのは中々楽しい。

 そうさ。楽しめばいい。終わることを悲観している場合じゃない。


「センパイ。軽いノリで聞いてほしいんですけど」


「なに?」


「センパイは、全校生徒が見ている校庭のど真ん中で愛を叫ばれたらどう思います?」


「引く」


 シンプルな回答が返ってきた。当然だ。

 そういう告白は今では好まれないようだ。


「見ているだけなら楽しい」


「間違いないですね」


「でも————」


 月夜は暗い夜空を見上げる。白い息を吐いて、こんなことを言った。


「好きな人にされたら、嬉しいかも?」


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