「何枚持ってんの!?」
「すみません。ちょっとした気の迷いでした」
正座をさせられた大樹はそう言って頭を下げた。額を床にこすりつける勢いで。
その正面では楓が足を組んで椅子に腰かけている。不機嫌そうな顔は相変わらずだ。
「他に何か言うことはないの」
「………。センパイとはあれ以来会ってないし、今後もその予定はないのでご安心いただきたく」
「そういうことじゃないでしょ」
振り絞って引き出した言葉で機嫌を取ろうとするも、楓に一蹴されてしまう。
正直怖すぎて声が出てこない。どうすれば機嫌を直してくれるだろう。
固まる大樹を見かねたのか、楓が助け船を出してくれる。
「明日は何曜日?」
「日曜日です」
「ずっと家にひきこもっているのも退屈だと思わない?」
にんまりと楓は笑う。
埋め合わせをしろということらしい。大樹をこき使うつもりだ。
「明日部活あるけど……」
言い訳を試みると楓の表情が曇った。
「え、一日中?」
「いや十三時には終わる」
「な、なんだ。じゃあ午後は空いてるじゃん。落として上げるとか性格悪い」
心底安心したように楓が胸を撫で下ろす。
足をプラプラさせて浮かれ切った様子だ。
そ、そんなに俺に詫びさせたいのか……。
「なんかムカついたから、明日のデート代は全部大樹持ちということで。よろしく」
「え、マジ?」
勘弁してくれー、と大袈裟に仰け反ってみると楓は声をあげて笑っていた。
明日は多めにお金を持ち歩いておかなければ。貯金は幸いにもある。
しかし、なんだ。何を要求されるのかと思えば、ただのデートじゃないか。良かった、良かった————
「…………」
今、何て言った?
◇
「デート、デート……」
部活が終わった直後に走ってやってきて、約束の時間が過ぎても待ちぼうけを喰らっている大樹だが、楓への不満は出てこない。頭の中で『デート』という単語がぐるぐる回ってそれどころではないのだ。
何回か、女子とそういう経験はあるがどれも成功例とは程遠い気がする。というか、はっきり言って苦手意識がある。相手を楽しませる自信がない。
だが、埋め合わせという名目があるのはある意味で有難い。諭吉さんもたくさん連れてきたし。
「というか、楓まだかな」
さすがに心配になってくる。トラブルでも起きたか。
メッセージを送り、スマホをポケットにしまったところで誰かが大樹の視界を塞ぐ。
「だーれだ?」
「楓」
「ボケろよ」
「無理」
随分とタイミングが良い。まさかとは思うが、わざと遅れてきたのではないか?
心配する大樹を遠くから笑う————楓がやりそうなことだ。というか絶対そうだ。
「っていうか、なんで楓の方が遅いの。俺部活のあとなのに急いで……」
目の前に、見たことないくらい可愛い女の子が立っていた。
彼女の頭のてっぺんから足の先まで、何度も視線が往復する。それくらいに、大樹は見惚れていた。
「見過ぎじゃない?」
彼女は勝ち誇った顔で言う。
なんだか悔しいので大樹は咄嗟に、
「どちら様?」
と、ふざけてみた。
目をぱちくりとさせた彼女は、オバサンみたいな手つきで大樹の肩を叩いてくる。
「あら~、ごめんなさいねえ。どうやら人違いだったようですわ。御免あそばせ。では良い休日をお過ごしくださいオホホホ」
「乗っかってこなくていいから」
まだ動揺は抑えきれない。問題は楓の服装のせいだ。
フリルがついたチェック柄のブラウスに赤いフレアスカートというシンプルな組み合わせだが、女の子らしさが全面的に主張されている。
「てっきり、防寒のことしか考えていないフル装備で来ると思ってた」
「バカにしてんのか」
バカにしているわけではないが、油断も隙も妥協も無い普段着を見てしまったら、こんな可愛らしい恰好をしてくるなんて誰も考えない。
おまけに————
「そのピアス……」
「イヤリングね。さすがに昨日の今日で穴あけないよ」
耳元の髪を上げ、花の形をしたイヤリングが揺れる。
やばい。舐めてた。もう色々と既に限界だ。
単に、スカートが可愛いとかイヤリングがおしゃれとかそういうことじゃない。
楓は明らかに、相手を選んで、特別な自分を見せている。
その相手が自分であることに嬉しさが込み上げてきて、同時に気恥ずかしくもある。
ダメだ、こんな顔は見せられない。
「あ、急に歩き出さないで」
遅れて、小走りで楓がついてくる。
いけない。女性に走らせるなんて減点ものだ。あのお嬢様(母親)を連れて歩くときと同じように注意しなくては。
「それで……どうするの?」
今日の予定を聞いたつもりが、意外な返答をされた。
「ご飯食べに行こう」
「……お腹減ってるの?」
「ばーか。デリカシーない」
頭を小突かれてしまう。
「さほど。だけど、誰かさんがお腹空かせてるんじゃないかと思ってね」
図星を突かれて大樹は黙り込む。確かに食事をとる時間も惜しくてこの場にやってきた。
楓がスマホを使って、周辺のマップを確認してくれている。
「どうする? まあ、このへんは何でもあるけど、ファミレスとかにしとく? いつもどこ行くの?」
「いや……外でご飯食べるとか、滅多にないからわかんない。ファミレスだって数えるくらいしか入ったことない」
半年以上前に楓と月夜と一緒に行って以来、ファミレスは使っていない。外食はしない主義だし、何より紗季や母親のために食事を作らなければならないのだから、家での食事が主になる。
「そういえばそうだったね」
「あ、でも小さい頃とかよく行ってたな。おじいちゃんとおばあちゃんが連れていってくれてさ、家族みんなで」
「ほう、家族そろって皆で。いいね」
楓は安心したように何度も頷く。
「でもなんか堅苦しいところだったんだよね。ちゃんとしたスーツとかドレスとか着なきゃお店に入れないし、食べてる間は静かにしてなきゃいけないし、量は少ないし。まあ味はすごく美味しかったのは覚えてるんだけど、俺は皆でわいわい楽しめる空気の方が好きだな」
「うん? う~ん? そうだね???」
楓は首を何度も傾げる。
大樹のセリフに、楓は引っかかるものをいくつも感じていたが、そこは掘り下げないようにした。藪蛇になる気がしたからだ。
「よし、決めた。そういうことなら、久しぶりにあそこに行ってみようかな」
行先を決めてくれた楓についていく。ほんの数分ほど歩いて着いた店の看板にはこう書かれていた。
「スイーツバイキング?」
「そう。お姉ちゃん————ごほん。奏と昔、よく来てたの」
「そっか」
若干顔を赤くした楓はスタスタと先を歩いていってしまう。
「最近お姉さんとは話すの?」
「別に。ちょいちょい連絡くるけど全部無視してる」
「可哀そうすぎる……」
涙目になって落ち込む奏の姿が思い浮かんだ。妹想いの良いお姉さんなのだが、いかんせん拗らせ過ぎて重度のシスコンを患っているせいで楓にはウザがられてしまっている。
店の中に入る前に、券売機が並んでいる。
「なるほど。先にお金を払うのね。食堂みたいな感じで」
「そういうこと」
楓が自分の財布を取り出したのを見て、大樹は慌ててそれを止めた。
「え、いいよ。楓の分は俺が払うから。今日はそういう約束でしょ」
「いや、流石にあれは冗談だから。一高校生に全部払わせるわけないし」
「おじいちゃんからもらったお年玉全部持ってきたから平気」
「もうすぐ年の瀬だよ。どうせそんなに残ってないでしょ。見栄張るな」
大樹は無言で財布を取り出すと、その中身を見せた。
楓がのぞきこんでくる。
「えーっと? 諭吉さんがいちまーい、にーまい、さん————何枚持ってんの!?」
楓が驚愕している隙をついて券を購入する。店員に席まで案内してもらう間、楓は自身の分のお金を払おうとしてくれたが大樹は頑として受け取らなかった。
「さて。これってもう自分で好きなものを取ってきていいの?」
勝手がわからないので楓にたずねるが、彼女は座ったまま無言を貫いている。
なんともいえない表情をしているのが怖い。
「どうしたの」
「いや……随分持ってるなと」
「あんまりお金使わないからね」
大樹にはお金を使うような趣味はない。せいぜいバドミントンで少し支出するくらいだ。
「そうかもしれないけど……そもそも大樹の家がお金持ちだよね?」
大樹は曖昧な態度で苦笑する。
素直に頷くのは嫌味だが、変に否定して誤魔化すほど楓は他人じゃない。
「あんまり言い触らさないでね? ……うちのおじいちゃんが会社の社長をやってるんだ。自分で起業したらしいんだけど、そこそこ大きく成長してるみたいでさ。あのマンションもおじいちゃんが用意してくれたものなんだよね」
「ふ、ふーん。ち、ちなみに何ていう会社か聞いても?」
「知ってるかどうかは分からないけどさ」
大樹が祖父の会社名を口にすると、楓は一気に青褪めた。
「ちょ、余裕で知ってる。めっちゃ有名。そこそこどころか大企業じゃん! あー、もう、嘘でしょ!? ここまでとは聞いてない!」
「落ち着こうよ」
「なんだよ、おじいちゃんが社長さんで、お父さんは大手銀行員、お母さんは上品で綺麗だし、紗季ちゃんは可愛いし、大樹も……お前の家はエリート家族か!」
「紗季の可愛さは関係ないだろ。あと俺も」
「大樹。真剣な話なんだけど、私と結婚しない? 誠心誠意尽くすからさ」
「ま、真面目な顔して唐突にふざけ出さないでくれる!? 丁重にお断りします!」
「そっか。残念」
大樹は絶句した。
え、ちょっと、それどういう意味で残念って言ったの?
気になるのでちゃんと教えてくれませんかね……。