表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/191

「俺の自慢のセンパイだから」

 見事な逆転劇を見せつけられた会場はどちらのチームにも拍手を送る。観客の誰もが満足感のある清々しい表情で会場をあとにしていく。

 そんな中、楓だけは茫然とその場に立ち尽くしていた。


「………」


 鈍い頭痛が走っている。普段、運動をしない癖に無理をしてしまったせいだ。気分を落ち着かせるために数度深呼吸をしてみる。

 だが、あまりよくならない。楓の足は自然に体育館の出口に向かった。とりあえず、今はこの場所から離れたかった。誰もいないところで眠っていたい。


「待って」


 その声に楓は立ち止まる。振り返る必要は全くなかった。そんなことをしなくても誰なのかは分かっている。声の主は続けた。


「後半戦、どうして途中から手を抜いたの」

 少し硬い口調だ。その言葉はもしかして、自分を責めているのだろうか。全力を尽くさなかったことに怒っているのだろうか。


 確かに、楓は試合の最中に手を抜いた。月夜たちをあれだけ翻弄していたパスカットも全然しなくなったし、攻守交代の際の戻りは遅かった。平たく言えば諦めた。


 この朝日月夜という人間に本当の意味で対峙したとき、自分との圧倒的な差を感じた。

 自分を最大限に活かしつつ、決して仲間をないがしろにはしなかった。特に、未経験者さえにも活躍の場を持たせるだけの技量や度胸があったということが、これ以上にないくらいに楓との差を証明していた。

 それはまるで――


「っ!!」


 そこで思考を断つ。

 余計なことは、考えない。

「朝日先輩……あなたは本当にすごい。マジで嫌になりますよ。あなたとやりあうのは」

 この人を前にして……正気を最後まで保つのは難しい。委員長もあのとき、こんな気持ちになりながら、それでも周りのモチベーションを上げようとしていたのか。


「あなたも……そうなのね」


 ぞくりとした。

 今まで聞いたことのないような月夜の冷たい声に、全身の鳥肌が立つ。振り向いてはいけない気がする。しかし、その気持ちとは正反対に体は勝手に動く。


 いつもの凛とした月夜はそこにはなかった。

 まるで世界に絶望し切っているかのように瞳に力がない。

「あなたみたいに……簡単に諦める人が多いから……つまらないわ」

 そして楓の横を通り過ぎていく。

「あなたとは本気で戦いたかったのに」

 最後にそう呟いて。


 楓はとぼとぼと、特にどこかへ行く当てもなく校舎をさまよった。そしてその途中であることに気が付いた。

「……大樹は?」


 そういえば、試合の始めには確かにいたはずなのにいつの間にか姿が見えなくなっていた気がする。今来た道を戻って彼を探そうかとも思ったが止めた。今は気分的に一人でいたい。今誰かに会ってしまったら、みっともなく愚痴をこぼしてしまいそうだ。


 汗が頬をつたっていき、やがて床に水滴ができていく。ハーフコートとはいえほとんどのパスを防ぐのは想像以上に体力を使った。タオルが欲しい。今日は一日サボるつもりだったからそんな気の利くものは持ち合わせていない。


 だが突然に、頭の上に何かが降ってきた。柔らかくて、いい匂いがする。くしゃくしゃと楓の頭が誰かの手によって撫でられた。

 飛び退くようにして背後に向き直ると、大樹が立っていた。そこで自分の頭に被せられているものの正体に気付く。タオルだった。


「お疲れ。約束通り、ジュース買ってきた」

 紙パックのオレンジジュースが突き出された。大樹はもう片方の手にお茶を持っていた。楓は素早くそっちを奪い取った。


「こっちの方がいい」

 ペットボトルのキャップをはずし、まるで銭湯上がりに牛乳を飲むような勢いでお茶を呷る。コクコクと喉を鳴らす度に冷たさが体中に染み渡っていく感じが気持ちいい。タオルでわしゃわしゃと汗と拭きとる。


「これ、誰の?」

「俺の」

「ないわー……」

「なんだよその反応!? 一度も使ってないぞ!? 昨日洗濯したばっかりだ!!」


 なんか、大樹をいじるのが楽しい。ここまで面白いリアクションをしてくれるのだから、ついつい歯止めが効かずに遊びすぎてしまう。


「惜しかったな」

「そうかね」


 そんな言葉は筋違いな気がする。それは最善を尽くした人間にかけられるべき言葉だ。


「何か元気ないな?」

 と大樹は彼女を案じた。


「ねえ、ひとつ聞いていい?」

「なんだ?」

「大樹ってさ、朝日先輩とずっと同じ部活だったわけじゃん」

「中学の話だけどな」

「才能の違いとか、感じなかった?」


 楓がそう言ったとき、大樹は「あー……」と髪を掻き上げた。


「お前もそういうこと言っちゃうか……」

「なんだよ、大樹の癖に。もったいぶらないで言いたいこと言いなよ」

 楓は急かす。


「あんまり、センパイに対して才能の話はするなよ? あの人、そういうこと言われるの嫌だったはずだから」

「ん?」


 言っていることが分からない。あの人に才能があるのは誰の目にも明らかだ。普通の人間はあそこまで多くのことを為すことは出来ない。


「俺がセンパイに初めて会ったのは、もちろん中学に入学したときのことなんだか」

 大樹は回想するためにその目を静かに閉じて語り出した。

「当時二年生だったけど、他の男子とかさらに一つ上の先輩にも、あの人は負けなかった。はっきり言って一番強かったし、本当にすごい人だと思った。一年たっても、センパイの実力には全然追いつかなかったし、出来が違うとも思ったよ」


 出来が違う。その言葉は鈍器で頭を打たれるような衝撃を持っていた。競争を強いられるこの世界に生きている以上、自分より実力のある人間がそこらじゅうにごろごろいることを嫌でも知ることになる。それは誰の前にも平等で、大樹も、もちろん楓も経験している。


「でも、そうじゃなかったんだよ。あの人は確かにすごい人だけど、それ以上に努力を重ねている人なんだなって気付いたよ」

「あー、はいはい。なるほど。努力の天才だと。そう言いたいの?」

 でも、そんな努力なんかじゃどうにもならないくらいの才能はこの世界に厳然と存在している。


「……お前、今軽く流したけど、本当に分かってる?」

 その疑うような言い方が気になった。

「なにが?」


「あの人の努力の量は異常だ。ずっと近くで見ていた俺なら分かる。よく、血のにじむような、なんて表現があるけどまさにそれ。あの人は自分を高めるために自分の体を執拗にいじめているし、そしてそれを全く厭わない。センパイのそういう部分を知った時、それまでの自分が恥ずかしくなったよ。この人に比べたらまだまだだなって」


 随分と饒舌だ。普段の彼は決して口数が多くはないし、さらにここまで熱っぽく語ることはなかった。

「なんか、自慢顔だね」

「うん、俺の自慢のセンパイだから」


 誇らしそうなその顔に曇りはない。彼の言っていることが本当なのは伝わる。が、あまりすんなりと納得は出来そうにない。それが出来るようになるのは、月夜のそういう部分を見た時だ。

 ……今度、謝っておこうかな。


「まあ……そういうことなら分かったよ。悪かったよ、才能の話をして」

「お、おう……。なんか急にしおらしくなられると対応に困るな」

「失礼だな、君は」


 大樹の脇腹に手刀を叩きこんで生意気な口を黙らせる。

 ……結局のところ、問題は楓の意識の中にある。まだ割り切れていないのだ。自分より上の存在がいることが悔しくて、でもどうすることも出来なくて。ずっと前に歩き続けなきゃ何も変えられないことくらい分かっているが……。

 前向きに考える、というのは簡単なようで難しい。


「それでさ、部活の練習が終わった後は必ずセンパイの自主練に毎回付き合わされて――」


 いつの間にか、聞いてもいないのに大樹は中学時代の思い出話に花を咲かせ始めた。

 内容的には、ほとんど聞いたことのあるものばかりなので退屈で仕方ないのだが、何故だか別に不快ということはない。大樹の目がまぶしすぎて、止める気にはならない。目の前の彼のように、前を見つめ続けることができたらどんなにいいだろう。


 なんだかんだで篠原大樹はバドミントンを本気で好きで、そして同じようにバドミントンが好きな朝日月夜のことも好きなのだ。

 こんなにも楽しそうでいられる彼が、楓は少し羨ましかった。

 ぼんやりと、自分にもそんな存在があってくれたら、と楓は思った。


 球技大会、一日目終了。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ