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「どっちから告白したの?」


 翌日の土曜日、楓は約束もなしに大樹の家にやってきた。

 筋肉痛で苦しむ大樹を突いて遊んで、大樹が反撃をしたらそれはセクハラだと言われてさらなる逆襲を受けた。


 騒がしくしたせいなのか。

 前触れもなく大樹の部屋の扉が開く。条件反射で大樹と楓は距離をとった。

 顔を見せたのは大樹の一つ年下の妹の紗季だった。


「ごめん。うるさくしちゃったかな」


 さっきまではしゃいでいたくせに、楓は何事もなかったかのような態度だ。

 今年受験を控えている紗季は今が正念場だ。来月にはいよいよ本番を迎える。勉強嫌いの妹もさすがに焦っているのか、寝ても覚めても参考書を手にしているのが目立つ。


 ただ、どうやらそのこととは別件のようだ。


「いや————本当にお兄ちゃんと楓さん、付き合ってるんだなって」


 二人が付き合うようになったことは、既に紗季と母に報告済みだ。

 母はすんなりと信用して祝福までしてくれたのだが、紗季だけは白けた顔で、


「お兄ちゃん、何言ってんの? いい加減起きて。それは夢の中の話だよ?」


 とバカにしてきた。

 大樹が本当のことだと主張しても妹は一切信じてくれず「じゃあ私の目の前で楓さんとキスしてみてよ!」とよくわからない注文を受けた。



 まさか、本当に実践するとは思わなかったが……。



「まだ信じてない?」


「いやっ! あの、大丈夫です! 大丈夫なんで!」


 楓が自身の唇に触れると、紗季は慌てて出ていった。

 大樹としてもありがたかった。あのときは兄妹揃って取り乱してしまって、それを見た楓が大笑いしていた。


「紗季ちゃん可愛いね」


「そうだね……?」


 どう反応していいか分からず曖昧な返事をしてしまった。


「ねえ、大樹」


「うん? …………うん?」


 楓が何気なく身を寄せてくる。何かの香水でもつけているのだろうか、甘い匂いに頭がクラクラした。楓は上目遣いにこちらを見ている。

 彼女は何も言わない。ただその目が色々なことを語っている。

 途端に心臓が暴れ出した。血の巡りが活発になったせいなのか体が熱を帯びてくる。


 喉が渇いてきた。


「……なんか飲み物取ってくる」


「え、うん」


 逃げるように大樹は部屋を出た。速い鼓動を打つ心臓を落ち着けてリビングに向かおうとすると、そこに紗季が立っていた。


「何? ずっとそこにいたの?」


「うん。ちょっと」


 紗季は床を見つめたまま歯切れ悪く答える。

 早く部屋に戻れというのは簡単なのだが、大樹はそうしなかった。無言のままキッチンに行き、冷蔵庫から二人分の飲み物を取り出そうとして、再び閉めた。


 紗季は、大樹の後ろにぴったりくっついてくる。長く兄妹をやっていると、こういうときは話があるんだろうなと察しがつく。

 大樹は下の棚から茶葉を取り出した。紅茶を作る間だけ話に付き合ってもいい。


「なに?」


「楓さんっていつからお兄ちゃんのこと好きだったんだろうね」


 なんとも答えづらいことを聞いてくる。

 自分のことじゃないのにわかるはずもない。


「楓に聞きなよ」


「うわ、楓だって。呼び捨てになんてしちゃって。やらしい」


「前から呼び名変わってないだろ」


「……恥ずかしくて聞けないよ」


 紗季と楓は性格が似通わないが、波長が合うのか最初から仲が良かった。

 ただ、デリケートな部分になると紗季は気を遣うみたいだ。

 溜息をついて、今度は大樹の方に向き直る。


「お兄ちゃんはいつから楓さんのこと好きだったの?」


「……意識したのは、台風の日に楓をここに泊めたとき」


「あのときかー。やらしいね」


「別にやらしく————ないとは言い切れないか」


 あのときは付き合ってもないのに一緒の部屋で夜を明かしてしまった。

 誤解のないよう言い訳をしておくが、同禽などしていない。楓にベッドは貸したが、大樹は朝になってから部屋を出て、リビングのソファで眠ったのだ。


「どっちから告白したの?」


「俺。で、振られて、その後も何回かしてようやく付き合うことになった」


「うわっ、意外」


 その反応は、大樹から楓に告白したことではなくて、何度も告白をしたという事実にかかっていると思う。

 大樹も信じられない気持ちだ。自分の意思で好意を伝えて、断られたのにもう一度挑戦する。今までの自分からは想像できない行動だと思う。


「でも、いざ人を好きになると、恥ずかしいとかそういうのはなくなるんだね」


 浮かれた気分になって、普段より大胆になったのは否定できないが。

 でもそういう風に変わった自分のことが、大樹は嫌いではなかった。


「ねえ。聞いてて恥ずかしいんだけど」


「そっちが聞いたんじゃん」


「あー、もうっ! 気になって集中できない! 受験落ちちゃう!」


「人のせいにするな」


 今度こそ紗季を追い返す。扉を閉め切るまで、ぶーぶー文句を垂れていた。

 あと少しで紅茶は完成しそうだが、もうそれほど喉の渇きは感じていなかった。紗季と話している間に気持ちもフラットになっていた。


「刺激強いなぁー」


 さっきの上目遣いは反則的に可愛かった。

 服越しに伝わる肌の柔らかさや、普段つけていない香水に心がかき乱される。

 自分が何をするか分からなかったから、逃げてきてしまったのだ。


「あー、やばい。やばいなあ」


 思い出したらまたそわそわしてきた。無意味にうろうろ歩くことでなんとか平静さを取り戻そうと努める。

 あんな風に肩が触れ合って、香りが移りそうになるくらいの距離感が普通になってきているのだ。ここで取り乱したり余裕をなくしたりしたら楓にからかわれてしまうだろう。


「……それも悪くないんだけどさ」


 浮かれ切ったことを考えていたら紅茶が出来上がっていた。心ここにあらずだったからか、完成度はイマイチ。でも、美味しくないわけではないと思う。


 紅茶と菓子をトレーに乗せ、小走りくらいで部屋に戻る。

 ドアを少し開けたところで、大樹は部屋に入るのを躊躇った。


 隙間から見える光景に目を疑ったからだ。


 引き出しを開けたり、ファイルをめくったり、本と本の間をのぞいたりと、楓は忙しなく部屋中を漁っている。


 何かを、探している?


 前にふざけてエロ本を探していたことはあるが、そういう戯れとは思えなかった。目つきと手つきが真剣過ぎる。

 浮気の証拠を探されている旦那の気分になってきた。よく知らないけど。


 さて、どうするか。


 紅茶を横に置いて、大樹は腕を組みながら悩む。完全にタイミングを失った。

 楓の狙いがちっとも想像できない、というのが怖い。見られて困るものはないはずだが、もう少し泳がせてみるか。


 楓は焦っているのか、次から次へと物をひっくり返していく。それ、ちゃんと後で片付けてくれるよね? どんどん部屋が散らかっていくのだけど。

 楓が押し入れを開いた。下の段から段ボール箱を取り出す。


「あ、それはあんまり触らないでほしい……」


 その箱は大樹が宝物ボックスと称しているものだ。昔遊んでいたオモチャとか、小さい頃紗季が描いてくれた似顔絵とか、藍咲の合格通知書とか、ボロボロになったシャトルとか……大樹にとって想い入れのあるものばかりを詰め込んでいる。


 最近だって、大事なものが一つ増えて……。


「あ」


 楓の探しているものに思い当たった。と同時に焦燥感が駆け巡る。迷わなかった。

 間髪入れずに部屋に踏み込む。楓がぎょっとしているうちにその腕から段ボール箱をひったくる。


「……何をしているの」


 部屋を見渡しながら、大樹が言う。楓を泳がせていたのを悟らせないように。

 元々言い訳を用意していたのか、楓は特に動揺した様子もなく答える。


「思春期の男子高校生だからね。そういう系のものを一つや二つ持ってるんじゃないかと。彼女チェックだよ」


「楓一筋だから安心して」


「む。……ほんと?」


 ちょっとだけ、楓の頬が緩む。大樹の態度がお気に召したらしい。

 よし、上手い具合に話を逸らしていこう。


「本当、本当。好き好き大好き超愛してる」


「………」


 あ、失敗した。ふざけたせいで楓の機嫌を損ねた。


「その大事そうに抱えた箱の中、見てみたいなあ」


「プライバシーだからダメ」


「やっぱり彼女に見せられないものを隠してるんだね。けど安心してよ。そういうのに理解あるほうだから。あんまり言うと逆効果だと思うし。大樹がどういうのが好みかは知りたいだけだから」


「何を言われてもダメなものはダメ」


 にじり寄ってくるたびに大樹は楓との距離を空ける。なんとしてもこの中身は死守する。

 だが狭い部屋の中で逃げきれるはずもなく、呆気なく壁際まで追い詰められてしまった。箱は頭上に持ち上げているから、身長差のある楓には届かないのだが。


「チッ、小賢しいことしてないで渡しなさい」


 楓が必死に手を伸ばす。時々ジャンプもする。


「もう諦めてよ」


 あと密着するのもやめてほしい。今は持ちこたえているが、いつまでも意識をそらしておけるものではない。

 不意に、楓が意地悪な笑みを浮かべた。

 あ、嫌な予感……。


「こちょこちょこちょ」


「あはははは! 待って、やめて! 危ないから! あっ———」


 くすぐられ、バランスを崩したせいで箱を思い切り楓の頭にぶつけてしまった。


「~~~~!!」


「え、だ、大丈夫……?」


 楓が頭を押さえてうずくまっている。

 さっきまでのバカ騒ぎが嘘みたいに、静けさだけが残る。

 こんなことなら素直に見せておけばよかった。

 と、思いきや、


「引っかかったな!」


 機敏な動きを見せて、楓は宝物ボックスに覆いかぶさる。

 まだ余裕があったらしい。楓がほくそ笑む。


「最初からこれが狙いだったんだよ。油断したな、大樹!」


「いやそんな涙目で言われても。絶対偶然だし」


 手を伸ばそうとすると、警戒した楓が「フシャー!!」と威嚇してきた。

 だが、大樹の狙いはそんな段ボールではなく、楓の頭だ。ついこの前も、何故か頭にコブを作っていた。これ以上傷をつけてほしくない。


「……なによ」


「痛くない?」


 髪の上から頭を撫でると、彼女の体がぴくっと跳ねた。

 痛みをこらえた反応かと思ったが、少し違う気もする。箱を抱えた姿勢のまま楓は微動だにせず、されるがままだ。


 ……なんだか恥ずかしくなってきたな。


 手を離そうとすると、楓がチラリと見上げてきた。


「……まだちょっと、痛い、かも」


「そう」


 そういうことなら仕方ない。大樹にとっても役得なのだから。


「別に、本当にエロを疑ってムキになってたわけじゃないよ」


「うん。わかってる」


 楓が宝物ボックスに手をかけた。その目が「開けていい?」と聞いている。大樹は観念しながら頷いた。

 震えた手で蓋を開ける。

 それを見つけた途端、楓の頬が赤くなった。


「やっぱり持ってた……」


 その便箋はしわくちゃになっており、ところどころ破れてもいる。しかし、懸命に修復しようとした痕跡が残っていた。


「そりゃあ、そうでしょ。……初めてもらったラブレターだし」


「こ、これはそういうのじゃないし!! そもそも渡してすらいないから!!」


 楓を追いかけることに迷いがあった大樹を、その手紙が後押ししてくれた。

 今でも時々読み返して、なんとも言えない気持ちで床に就くこともしばしばだ。

 本人は置いてない、捨てたはずだと強情な態度でずっと否定し続けているが……。

 楓は手紙を懐にしまった。


「ちょっと。それ俺の。返して」


「私が書いたんだから私のでしょ!」


「いや宛名は俺だし……」


「それは無効に決まってるでしょ!? だいたいわざわざゴミ箱からこんなもの拾ってくんな!」


「だから机の上にあったんだってば!」


「嘘つき!」


 この話題になるとどうしても意見が食い違う。大樹は嘘偽りなんて一度も言ってない。だから必然的に楓の方が嘘をついている————はずなのだが、楓の態度を見ていると彼女の言うことも真実だと分かる。


 つまり答えは簡単だ。


 他の誰かが、この手紙を大樹の机に置いたのだ。


 一体誰が?


「これは没収します。帰宅したのち、速やかに処分させていただきます」


 まずい。そうこうしているうちに手紙は鞄の中にしまわれてしまった。

 あれが二度と読めなくなるなんて我慢ならない。世界の損失だ。


「楓の字ってすごく綺麗だよね」


 楓が振り返る。ジト目でこちらの真意を探ろうとしている。


「急になに」


「なんかカッコいいなと思って」


 女の子にありがちな丸みを帯びた文字ではなく、教科書のお手本に載っていそうな書体をしているのだ。楷書体というのだったか。この前のテスト勉強でも、つい目で追ってしまった。


「習字をやってたから。そのせいだよ」


「やっぱり。俺も色々習い事やらされたけど、習字はやらなかったから。こういうのすごいと思うよ」


「……褒めても絶対返さないから」


 純粋な気持ちで褒めているつもりだったが、楓は複雑な心地らしい。

 嬉しさと恥ずかしさが半分ずつくらいか。言葉とは裏腹の気持ちが顔に出ている。

 大樹が澄んだ瞳で楓を見つめると、彼女は居心地悪そうに身をよじる。


「手紙をさ、どうしてその段ボールに入れていたと思う?」


「さあ。知らないけど」


「それね。今までにできた宝物をしまってる箱なんだ」


「え?」


 楓は宝物ボックスに釘付けになった。


「それ、楓には捨ててくれって何度も言われたけど、そんなことできないよ。すごく大事なものなんだから。なかったことにしたくない。だから……お願い」


 大樹が手を合わせて、照れくさそうに笑う。

 楓は口をパクパクさせて、何か言いかけて、でも結局何も言葉にしなかった。赤い顔のまま睨みつけてくる楓だったが、やがて観念したように手紙を大樹の胸に押し付けてきた。


「今回だけ特別に返す」


「ありがとう」


「でもあんまり読まないで。裸を見られるより恥ずかしい」


「そこまでいく?」


 夜寝る前に読むと良い夢を見て眠れるのに。

 なんて余計なことは言わないでおいた。言ったら、やっぱり返せと言われそうだ。


「その中、見てもいい?」


「うん。いいよ」


 ガラクタ同然のものがほとんどなのに、ひとつひとつ優しい手つきでそれらを取り出していく。大樹にとって大事なものだから、丁寧に扱ってくれている。それが嬉しかった。

 そんな楓を横目に、大樹はある決断をした。



 ————やっぱり、恩人を探そう。



 大樹と楓を結び付けてくれた人は、確実にいる。

 今、自分が幸せでいることを伝えて、お礼もしなければ。

 幸いにも心当たりはある。早速明日から————


「大樹」


「うん?」


「これはどういうことかな???」


「————」


 猫撫で声の楓に振り返って、大樹は凍りついた。

 楓が持っているのは二枚の写真。どちらも、絶世といっていいくらい美人な女性が写っている。特徴的なのは、どちらもバドミントンのユニフォーム姿であること。


 ようするに、朝日月夜の写真であった。


「あ、あ、これはその……」


 見られて困るものガッツリ置いてるじゃねえか。何やってんだ俺。


「中学生の頃の写真があるのはまだ納得してあげる。でもつい最近のものがあるのはどういうことなの??」


 それは月夜の友人である翠から送られてきたのである。

 大樹と月夜が初対戦をした日、月夜は普段とは違う髪型をしていて、あの姿に惚れ込んだ者たちは少なくない。大樹も例外ではなかった。こっそり現像したくなる程度には。


「ねえ???」


「や、これは、その、なんといいましょうか……」


 しどろもどろになって、やがて黙り込む大樹であった。


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