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「これでいい?」


 もっと早く、答えを出しておけば良かったんだ。

 そうすれば、月夜をあんなに傷つけないで済んだのに。


「俺は、センパイのことが好きです」


 月夜が泣きそうな顔を作ったところで、罪悪感に押し潰されてしまいそうになった。

 彼女の期待を裏切らなければならない。

 本当に口にするべき言葉は、ここからだ。


「でも————」


 人の期待に、気持ちに応えられないことがこんなにも苦しいなんて知らなかった。

 感情に任せて、彼女を喜ばせるために発言を撤回したくなるほどだ。

 心はひとつに決めてきたはずでも、こんなにも揺らぐ。まったくもって、脆い。


 月夜を直視できなくなって大樹は頭を下げた。

 何やってんだ馬鹿。これじゃあ謝っているみたいになる。

 次に続く言葉は、胸を張って自信に満ちた姿で言わなければいけない。

 怖くても、前を向け。月夜を見ろ。



「俺は、楓のことが好きです。……ほかの誰よりも、ずっと」



 うまくできただろうか。


 冷たい風が吹いて、月夜の綺麗な黒髪がなびく。

 彼女がどんな表情をしているのかが見えなくなってしまう。

 やがて、髪を整えた彼女が見せた表情は凛として澄んでいた。


 思わず見惚れてしまったところで、月夜は言う。


「誰よりも?」


 大樹は即答する。


「誰よりも」


「私よりも?」


 月夜は逃がしてはくれない。言いづらいことを言わせようとしてくる。

 けれどもう、迷うわけにはいかない。


「センパイのことよりも、楓の方が好きです」


 胸が苦しくなってくる。


「うん」


 平坦で、素っ気なく見えるその態度が、今は必死に感情を押し殺しているように感じる。

 どんな感情が、その内側に渦巻いているだろう。

 月夜の心の内側に触れることは、もうありえない。


「意地悪なことを聞いて、ごめん」


「いえ。これくらい全然、です」


「でも、いじめたくなったの」


「当然だと思います」


 年月にしてもう三年間だ。

 それだけ長い時間、月夜は一途に大樹のことを想ってくれていた。

 彼女の期待に沿えなかったのは一度や二度じゃきかない。


「一度盛り上げてから突き落とした」


「すみません」


「人が悪い。ほんとに、悪い」


 月夜が大樹を責め立てる。感情を抑えきれず、振り回されている様子は彼女には似つかわしくなかった。

 泣くかもと思った。けれど、瞳はうっすらと潤んでいるだけにとどまっている。


「でも、本心でしたから」


「この……女たらし」


 苦笑いを浮かべる他ない。

 月夜の言い分を甘んじて受け入れる。それしかできない。


「何回振るつもりなの」

「優柔不断」

「君は大馬鹿だ」

「すぐ思わせぶりなことする」


 今にも泣きそうになっている月夜から目を離さずに、彼女の想いを受け止める。

 せめて、それが自分にできる償いだと思った。

 彼女の言葉は一向に止まる気配がなく、無限に溢れてくるんじゃないかと思わせた。だが、大樹が本気で傷ついてしまうような言葉はついに出てこなかった。悪口というにはかなり甘く、可愛げすらある。

 もっとひどい言葉をぶつけてくれた方が、こっちとしても楽になれるのに……。



「君のことなんか、嫌いになった」



 ちくりと痛みが走った。大したことないと最初に思った。

 だが、その痛みがじわじわと脈打つように広がっていく。膝が震えて、立っていることが段々難しくなっていく。


「だいたい君は————え?」


 いきなり座り込んだ大樹を見て、月夜は狼狽した。

 彼女もしゃがみこんで、大樹に目線を合わせる。


「篠原くん、大丈夫……?」


「あはは……何か、急に力が抜けちゃって。なんでだろ」


「それ……」


「え?」


 おそるおそる、指摘するべきか悩む素振りを見せながら月夜が大樹を指差す。

 どうしたのかと自分の顔に触れて、湿った感触が返ってきた。

 血の気が引くようだった。


「待って。待って、センパイ。ちょっと……」


 こんなこと許されない。

 普通逆だろう。これは卑怯だ。

 抑えようとしても止まってくれるものではない。せめて両腕で顔を覆うように隠した。

 月夜に心配をかけまいと言葉を紡ごうとしたら、しゃくり上げるような声を出してしまった。


 ああ、駄目だ。どうしてこうなる。

 傷ついたような反応をするな。月夜の方が、ずっとつらいのだから。

 見ていなくても、月夜がおろおろと困り果てているのが伝わってくる。


「あ、雨が降っているのかしら」


 何を言い出したのか、大樹はその意味を理解できなかった。

 腕をどけて、充血した目で月夜を見つめる。月夜は恥ずかしそうに手をいじりながら、


「だ、だから。雨が降ってきたみたい」


 同じようなことを言い放つ。

 ようやく合点がいった。同時に変な笑いがこみあげてきた。

 フォローしてくれたのは有難いが、下手くそというか、不器用過ぎて今度は笑いの方が止まらなくなってしまった。


「雨なんて降ってないですよ」


「……そこは素直に乗ってきてほしかった」


 月夜は不満そうに唇を尖らせた。慣れないことをしたせいで顔がちょっと赤い。

 不意に、月夜は両手を伸ばし大樹の顔を包み込む。

 もう涙は出ていないのに、その跡をなぞってくる。手のひらから伝わる彼女の温もりがくすぐったい。


「ごめんなさい。嫌いなんて嘘だから」


「そこは、容赦なく突き放してくれないと」


「……うん。そうかもしれない」


 どこまでいっても、朝日月夜という人間は、大樹に甘くて優しい。

 よろけそうになりながら大樹は立ち上がった。支えようとする月夜の手は借りなかった。


「どこかで、こうなることは分かっていた」


 ぽつりと。

 虚空に消え入りそうな声で月夜は呟く。

 天を仰ぎ、その瞳を閉じている。


「……センパイ」


「————」


 声をかけるも月夜は無反応。

 やがて、長い時間をかけて瞑目を終えた月夜は強い瞳で大樹を射抜く。


「楓には、もう?」


「それは……そういう雰囲気にもっていこうとしたら止められちゃいました。これで振られるのは三度目ですね」


「そう。それなら頑張らないと」


 ここにいることを許さないと言わんばかりの気迫だ。

 その迫力にのまれて、大樹は流れるように回れ右をした。楓のことを追いかけるつもりで。

 何歩か進んだところで大樹の足は止まった。


 これで終わりにしてはいけないと、心が叫ぶ。

 くるりと体を反転させて、大樹は穏やかな笑みを浮かべた。


「俺にバドミントンを教えてくれて、ありがとうございます」


 この人のようになりたいと、強い憧れを持った。

 あんな衝撃は初めてだった。


「藍咲でまた出逢ってくれて、ありがとうございます」


 奇跡だった。

 まるで魔法のように、抱えていた不安を取り払って、希望を見せてくれた。


「センパイがいてくれて、本当に良かった」


 好きになってもらえて、嬉しかった。

 ありきたりな、こんな言葉じゃ足りないくらいに幸せだった。

 どうしようもないほどに。


 大樹が言い終えた瞬間、我慢の限界とばかりに月夜が飛びついてきた。

 強すぎるくらいの力で抱きしめられる。ふりほどくなんて出来ない。


「センパイ」


「あなたのことを好きになったこと、これから一生の宝物にします」


「っ!」


 そんなことを言われてしまうと、大樹も理性の限界だった。

 月夜に負けないくらいに、本能任せに彼女を抱きしめた。

 触れたら壊れそうなんてよく聞く表現だが、腕の中の月夜の息遣いが、熱が、柔らかさが彼女を一人の女の子だと実感させてくれる。

 艶やかな髪に指を通すと、いつまでも撫でていたくなる。


 ……これ以上はやり過ぎだ。


 腕の力を緩めると、月夜がゆっくりと顔を離した。

 その表情に既視感を覚えた。切なそうな、困った笑みを浮かべている。


「篠原くん」


 名前を呼ばれた。大樹は「はい」と短く答える。


「幸せになって」


 夢の中で見た光景と、ほとんど同じ光景。

 大樹の返答は決まっている。過去と同じだ。

 静かに、けれど力強く頷いた。


「任せてくださいよ」


 軽い調子で答えた。それこそがふさわしい。

 今度こそ振り返ることなく、大樹は走り出した。


 楓に会いたい衝動が再燃した。

 楓はまだ教室にいるだろうか。多分もういないとは思う。だったら探して、追いかけて、もう一度告白するだけだ。誰もいない校舎を疾走して教室にたどりついた。


 教室を見回して、楓がいないことを————というか誰もいないことを確かめて大樹は一目散に昇降口に向かおうとした。

 頭の中で違和感が引っかかった。

 一瞬だけ見た教室の中、いつもと違う何かがあったような気がする。


「なんだ、あれ」


 自分の机の上に見覚えないものが置かれている。何かの紙だろうか。

 しわくちゃになっていたけれど、なんとか読める。初めに自分の名前が記されていて、大樹は驚愕と共にそれを読み進める。


「これは……」


 大樹はその手紙を手にして駆ける。

 楓に会いたい気持ちは、止まりようがなくなった。



「こんなの読んだら……すごく会いたくなるよ」


 大樹が懐から取り出したのは、楓からの手紙だ。

 楓の瞳が驚愕で大きくなる。


「なんで、それ……。わざわざゴミ箱から持ってきたの!?」


「ゴミ箱? 何言ってるの。俺の机の上に置いてあったよ」


「嘘つかないで。私は確かに捨てた」


 楓は怒ったように言い放つが、大樹だって嘘なんてこれっぽちもついてない。

 つまり大樹たち以外の、誰かの仕業だ。考えるまでもなく、それしかありえない。


 一体誰が————?


 大樹は頭を振った。

 真実がどうであっても今は関係ない。

 大事なのは大樹がこの手紙を読んだこと、楓に追いついたこと。それだけだ。


「楓、俺————」


「かえして」


 楓が不意打ちで手紙を奪おうとしてきた。咄嗟に仰け反ったことで、楓の手は何も掴めず空を切る。

 さらに飛びかかってきそうな気配を感じて、大樹は校舎に引き返す。

 当然、楓も追いかけてくる。


「楓、すごい顔赤いけど……! どうしたの!?」


「ばっ、おまえぇぇ……! わかってて聞いてるでしょ!?」


 失言によって余計に楓を怒らせてしまう。冷静さなど全部吹き飛んだだろう。

 猛然と迫ってくる楓だが、単純な走力の問題で大樹には追い付けない。最初こそ混乱気味だった大樹も、どうやってこの場を収めようかを考え始めていた。


 ふと閃いて、サッカー部の練習場へ方向転換した。

 ちょっとスピードを緩めながら、走る。楓の足音がすぐ近くまで迫ったところで大樹は素早く体を反転させた。


「ちょっ……!」


 楓は止まろうとするが、勢いは殺し切れない。

 正面からぶつかり合う形になって、二人は体勢を崩しながら人工芝の上に転がった。

 お互い、額をしたたかに打った。痛みのおかげで我に返った楓は、大樹に馬乗りになったまま固まった。

 手紙を取り返したところで、意味がないことに気付いたのかもしれない。


 今なら答えてくれるだろうか。


「楓は俺のことをどう思ってるの?」


 手紙に綴られた想いとは別に楓から直接聞いておきたかった。

 楓は言葉こそ返してくれなかったものの、可哀そうなくらい赤面していて大樹はそれ以上追求できなくなった。


「てっきり」


「うん」


 優しく相槌を打った。


「つっきー先輩を選んだのかと思ってた……」


 力尽きたように、楓の頭が垂れてくる。

 胸の上だけが重い。色々な箇所が密着して体重がかかっているはずなのに。


「幸せで、そう思わせてくれる人がいるって言ってたじゃん」


「言ったっけ」


 記憶の糸をたぐりよせてみると、確かに朝にそんなことを言った気がする。


「だから、私は絶対ありえないって思った」


「なんでだよ」


 卑屈な考えを笑い飛ばす。

 あのセリフは、家族や相談室メンバー、部活の仲間やクラスメイトといった、これまで大樹と出会ってくれた大切な人たちを思い浮かべたから出てきた言葉だった。

 もちろん楓もその中の一人だ。


「わかってるからって言ってたのは何だったの?」


「……わかってるから、わざわざ振らないでってこと」


「わかってないじゃん」


 ぐっ、と楓は何も言い返せず黙り込む。

 だが、勘違いをしたのはお互い様だ。

 楓が大樹の想いを見抜いた上で、大樹にその言葉を言わせないようにしたものとばかり思っていたから。

 外堀が埋まってきたところで、大樹は深呼吸をした。


「楓、す————」


「つっきー先輩と抱き合ってたのは何なの?」


「————」


 びっくりし過ぎて喉の奥から変な声が出そうになった。

 胸から顔を離し、楓が睨み上げてくる。大樹はそっと視線を逸らした。

 まさか見られているとは思ってなかった。後ろめたいことは何もない————と言いたいところだが、ちょっとだけ雰囲気に流されたのも事実だ。


「あ、あれは」


「あれは?」


「すいません……」


 特に言い訳が思いつかなかったので素直に謝っておくことにした。

 雨はまだ降っているが、雲の隙間から陽の光が差してくる。

 溜息をついて、楓は大樹の横に寝転がる。デジャヴを覚えたのは、球技大会の日もこうして二人で過ごしたのを思い出したからだ。

 二人して、未だ雲の多い空を見上げている。


「朝日月夜を選べばさ」


 つっきー先輩という愛称を引っ込めて、楓は言う。


「すごい自慢の彼女になると思わない?」


「そうかもね」


「私が男だったら迷わず付き合うよ」


「嫌いなんじゃなかったの?」


「で、付き合ってみたら全然喧嘩とかにならないんだよ。あの人大樹のこと大好きだから」


「…………」


「すごい、いつでもずっと仲良くてさ。卒業してからも付き合い続けて、あっさり結婚までいっちゃうと思う。将来的には、大樹の両親と同じでおしどり夫婦になるの。きっといつまでも幸せな家庭なんだろうなあ……」


 目を閉じながら、そんな可能性の話をする楓。

 瞼の裏では本当にそんな光景が見えているのかもしれない。


「私じゃ、そういう未来を大樹にあげられない」


「物騒な物言いだね。不治の病で余命いくばくもないの?」


「すぐキレるし」


「誰かのために怒っているときが多いよ」


「頭も良くない」


「俺よりずっと良いけどね」


「全然可愛くないし」


「可愛いってば」


「なんでもかんでも否定してくるね」


「この場合はむしろ肯定してるんじゃない?」


 ただ、どれだけ言葉で楓のことを肯定したところで、それが楓の心には響いていないみたいだ。悲しいくらいにそれがわかる。

 叩いても叩いても、鎧の固い感触が返ってくる。

 想いを伝えても、相手にしてはくれないだろう。


「今からでもつっきー先輩のところへ戻った方がいいよ。その方が絶対いい」


「楓って本当は俺のこと嫌い?」


「えっ……」


 不意を突かれたみたいな声を出して、楓が上体を起こす。

 大樹はそのまま寝そべって、空だけを瞳に映していた。


「なんか、俺のこと全然信じてくれないから。実は単純に俺のこと嫌いなんじゃないかと」


「……そんな、ことないけど」


 本当は聞き取れていたけれど、聞こえなかった振りをしてみる。


「なんて?」


「いや、だから……」


 もう一度言いかけたところで、楓の唇の動きが止まった。

 澄ました顔でとぼけるつもりだったけど、我慢できなくてにやけてしまった。

 楓は悔しそうに表情を歪めて、そっぽ向いてしまった。


「俺さ、いつも楓のこと考えてる」


「うっさい」


「学校がある日なら、今頃宿題やってるのかなー、とか。そろそろ寝たかなとか。休日はきっと外に出掛けるだろうから、どこに行くんだろうなとか」


「何が言いたいの」


「俺にとっての好きってそういうことなんだと思う」


 人は皆、それぞれ自分だけの時間を持っている。

 好きなことや楽しいこと、たまに辛くて苦しいことも経験しながら、夢中になって自分の人生を生きている。

 けれどそんな中で、自分じゃない誰かのことを想い馳せるなら。

 篠原大樹にとってはそれが、その人を好きだという何よりの証拠だ。


「お姉さんにだって負けないつもりだよ」


「そこで姉貴に張り合う?」


「あの人、なかなか手強いから」


 大樹も体を起こした。手を重ねてみる。楓はそれを振り払わなかった。


「もう、俺が諦めるのを諦めてほしい」


 やっと雨もやんできた。

 隠れていた太陽は少しずつ顔を出してきて、地上をあたたかい光で照らす。

 楓がゆっくりとした動きで手を裏返すと、指を絡ませるように握り返してきた。


 楓がこっちを向いてくれないから、顔が見えない。

 すっ、と急に楓が立ち上がる。


「帰ろっか」


「え?」


 てっきり返事をもらえると思っていただけに、肩透かしを食らった気分だ。

 しかも帰る振りじゃなくて本当に帰ろうとしている。

 大樹も慌ててその後を追う。


「制服濡れちゃった」


「着替え持ってないの?」


「ないよ」


「貸そうか?」


「…………きも」


「なんでだよ。…………ねえ、返事は?」


 せっつくようで申し訳ないが、はっきりさせないと気が済まない。

 それでも無視して歩き続けるから、むっとしながら先回りをして道を塞ぐ。

楓はようやく観念したように、そっと息を吐いた。


 飛び跳ねるようにして楓が抱き着いてきた。一瞬で首の後ろに両腕を回してくる。

 バランス感覚を失って、大樹は前のめりに倒れかけた。足を前に出すことでなんとか踏ん張った。

 文句を言おうとしたが、それはできなかった。


 唇を何か、柔らかいもので塞がれる。楓の顔がびっくりするくらい近くにある。

 そこまで考えてようやく、キスをされていることに気付いた。

 得も言えぬ感覚だった。

 全身が痺れたみたいに硬直して、時間は止まる。

 いつまでもこうしていたい。大樹が楓を抱き寄せようとしたところで、彼女はあっさりと離れてしまう。


「これでいい?」


 唇が触れあっていたのはわずか一秒程度だったが、大樹は魂でも吸い取られたみたいに脱力して座り込んだ。

 途端に頬が熱を帯びる。


「なんでそんなに恥ずかしがってるの?」


「————」


 何も言い返せず、大樹は自分の唇に触れた。

 楓が気恥ずかしそうにしながら、同じようにしゃがみこむ。


「中学のとき彼女いたじゃん。キスくらいどうってことないでしょ」


「……してない」


「はい?」


「元カノとも、それ以前でも——誰かとキスしたことない、んだけど……」


「ええっ!?」


 当然、恋人同士ならそれくらい当たり前のようにこなすのだろう。

 ただ、奥手だった大樹はそういうスキンシップを求めることができなかった。がっついてると思われたくないし、どういうタイミングですればいいのかも分からなかった。


 そうこうしているうちに以前付き合っていた女の子とはそのまま別れてしまった。


「じゃ、じゃあ、あれなの? 今日が人生で初めてで、私がその相手なの?」


「そうなる……」


 酔ったような感覚になりながら首肯する。

 ふと、楓が白い歯をのぞかせて悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 楓の人差し指が、大樹を誘惑するように唇に添えられる。



「————もう一回する?」



「いや、もう、ほんと、勘弁してください」


 今度は耐えきれる気がしない。頭が沸騰しそうだ。

 そういうことは……また、時間を置いて、落ち着いた雰囲気のときにしたい。


 心の中で言い訳しながら、大樹は思った。


 中学の頃から何も変わらないな、と。


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