「雨に打たれるのが好きなの?」
◆
篠原大樹様へ
思い切って、人生で初めて手紙を書くことにしました。
似合わないとは自分でもわかっているのですが、あなたの顔を見ながらだと上手く話せる自信がないので許してください。
どんなことを書こうか、実は今でもまとまってはいません。
なので、今感じていることを率直に書こうと思います。きっとめちゃくちゃな内容になると思うので、この手紙は読んだら必ず捨ててください。必ず。絶対に。
さっきはごめん。
あなたがこれを読むのは明日か、もしくは数日先のことになると思うけど、心当たりは一つのはずです。増えていたらごめんなさい。
先日、相談があると持ちかけておきながら何も話さないで、あなたを困らせてしまったことがありました。そのことも一緒に謝らせてください。
本当に、ごめんなさい。
なんだか涙が出てきました。言われても困るだろうけど。
私は、本心を伝えることがすごく怖いんだ。
本音を話したいときは、どうしたって弱っているときだし、そんなときに的外れなことや見当違いなことを言われると泣きそうになる。
だから不満はあるくせにそれを口にしないことが増えて、すごく面倒くさい感じになってるのは自覚してます。ごめんなさい。
なんだか謝ってばかりいる気がする。
こんなことを伝えたいわけじゃないんだ。ちょっと休憩してきます。
少し落ち着きました。
落ち着いた頭で読み返してみるとメンヘラというか、かまってちゃんみたいな文章しか書けていなくて恥ずかしくなりました。新しい便箋でやり直そうともしたけど、こういうところも大樹に見てほしいと思ったので、あえてこのまま残します。
好きです
ちょっと手が震えてしまいました。
たったこれだけのことを伝えるために、かなり遠回りをした気がします。
本当なら後夜祭のタイミングで言うつもりだったんだよ? 信じてくれないかもしれないけど。
あの日の朝は、気持ちいいくらいに晴れていたのを覚えています。
ついついテンションが上がって、実はこっそりあなたの家の前まで行ってしまいました。会うつもりはなくて、顔が見れたらいいなー、くらいに思ってたんだけど。
多分、このときにはもう好きになってたんだろうね。
なんでこんなやつを好きになったんだって、自分でも最初は分からなかったんだ。
好きだって言ったそばから失礼だけど、大樹はイケメンとは言えないし特技と言えばバドミントンくらいだし、ああ、でも部活やってるときはカッコいいかも?
まあ、つまり、大樹よりも良い感じの男子なんていくらでもそのへんにいるのになんでだろってことだね。
今ではその理由が分かるよ。
大樹が、私を好きって言ってくれたからなんだと思う。
現金な性格だと思う? でも、これは私の中ではかなり説得力あるよ。
だって、奏のこともそうだから。
知ってくれてるだろうけど、うちの姉は重度のシスコンで、正直キモい。
昔からスキンシップが過激というか、加減をわからないバカな姉さん。
でも、風邪を引いたときに一晩中看病してくれるし、困ってるときに頼んでもないのに助けてくれて、喧嘩中でも誕生日を欠かさず祝ってくれる。どんなにひどい言葉をぶつけても私を見限ることはなかった。
絶対に本人の前では言えないけど、そんな奏のことがずっと好きだった。
愛されているって感じる。
大樹のときもそうなんだ。
愛なんて大袈裟な言葉を使ってしまって、あなたの方が戸惑っているかもしれないけど私があなたから感じたのはそういうものでした。
見つめられているときも。
触れられているときも。
声をかけてくれるときも。
どんなときでも、本当に、心の底から幸せでした。
ずっと一緒にいてほしいって思います。
書きたかったことは、これで書き切ったつもりです。
この手紙を読んだとき、あなたがどう感じるかは分からないけど。
でも、私のわがままをきいてくれるなら。
私と——————
◇
便箋をぐしゃぐしゃに丸めて、ごみ箱に放り捨てた。
結構時間をかけて書いたものだったけど、後悔は一切ない。今となってはただの文字の羅列に成り下がったのだから。こんなもの大樹に読ませるわけにはいかない。
家に帰る前に気付けてよかった。こんなものを持ち帰りたくない。
大樹への気持ちはここにおいていく。
鞄を手に取り教室を出る。
人気のない、冷たい廊下。足の先まで体が冷えていくような感覚に身震いして昇降口を急ぐ。
視界がぶれる。堪えろ。こんなところでみっともない。
誰にも会わないように祈りながら、最短距離で正門を目指して中庭を通り抜けようとした。急いでいるあまり、周りが見えていなかった自分を呪う。
大樹と月夜の姿がそこにあった。
「っ!」
回れ右をしてその場から離れる。
あのときと同じだ。
保健室で二人の姿を見て、逃げ出した。
前回は勘違いで終わったが、今回はそうはいかない。ちらりと、一瞬だったがはっきりと見てしまった。
大樹と月夜が、お互いを抱きしめ合っているところを。
きっと、想いが通じ合ったんだろう。
そう理解した途端、堰を切ったみたいに涙が溢れた。必死に止めようとしてもどうにもならない。うずくまって、おさまるまで待った。
どれくらいそうしていたかはわからない。
一分もかかってないかもしれないし、十分くらい動けなかった気もする。
いずれにしても、さっきよりはマシになった。
目元を服の袖で何度も拭う。
「終わったなー……」
しわがれた声でつぶやく。
一日ずっと続いていた緊張がほどけて、どっと疲れが押し寄せてくる。
体に全然力が入らない。
うまく歩けているかもわからない。
それでもなんとか靴を履き替えて、学校の外に出ることが出来た。とりあえずは一安心といったところか。
校舎に背を向けて、ひたすらに駅を目指す。
通い慣れた通学風景が色褪せて見えた。自分で思っているよりもショックは大きいらしい。
たかが失恋ぐらいで大袈裟なものだ。
頭の中にいる冷静な自分が告げる。
『相手なんて星の数ほどいるっしょ? 言い過ぎ? じゃあ三十五億人で』
『振られたくらいで泣くなよ。死ぬわけじゃあるまいし』
『なになに? 運命の人がいるとか考えちゃうピュアな思想をお持ち?』
そうやって笑い飛ばして————いや、これは嘲笑だ。
冷酷な自分を叩き潰す。
きっと、人を好きになったことがない人にはわからない。
世界が終わっちゃうみたいな感覚なんだ。明日からのことなんて考えられないくらいの絶望なんだ。
また涙が流れて、地面に落ちる。
そんなに泣いているはずはないのに、どんどん水滴の跡が広がってアスファルトを濡らしていく。
「雨か……」
折り畳みの傘を取り出そうとして、その手を止めた。
濡れて帰るのも悪くないかな、と思った。泣いていても誤魔化せる。
家出をしたときのことを思い出した。親に反発して飛び出して、行くあてもないのに嵐の中をさまよっていた。
あのときの心細さは筆舌に尽くしがたい。
何もできなくて、こんな風に意味もなく曇った空を見上げて————
「楓って、雨に打たれるのが好きなの?」
視界が黒い布に覆われて、身体を濡らしていた雨粒が途切れた。
その声を聞いて、楓は動けなくなってしまった。
頭の中は疑問でいっぱいだ。
振り返りたい。振り返って、その顔を見たい。
何も言わず固まっている楓に痺れを切らしたのか、声の主が正面に回ってくる。
「濡れるから、中に入って」
傘を傾ける大樹の声音は優しい。
ようやく理解が追い付いてくる。
どういうわけか、大樹がいる。目の前に。月夜のところにいるはずなのに。
「つ……」
「つ?」
「つっきー先輩のところに行ったんじゃなかったの」
「行ってきたよ」
「じゃあなんでここにいるの」
「用事はもう済んだ」
「用事……?」
告白を用事と言ってしまうのは、物悲しい響きだ。
「今すぐつっきー先輩のところに戻ってよ」
「どうして?」
「普通、付き合うことになったら一緒にいるものでしょ。それを、上手くいったからって……。女心が分かってないんじゃない?」
そんなつもりはなかったのに、責め立てるような口調になってしまった。
大樹は困惑したように眉を寄せた。ぼそぼそと小さい声で何かを言う。聞き取れなくて、楓は耳をすました。
「————ない」
「え?」
「付き合ってない」
聞き間違いだと思った。
だってそんなはずはないから。
だが、大樹は駄目押しのように告げる。
「俺とセンパイは付き合ってないよ」
あと、二話くらいで完結します。