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「心に従え」


「どうして、ここにいるって分かったんですか」


「説明がだるい」


「……そうですか」


 大樹はそれで一応納得することにした。

 普通、上の階に誰がいるかなんて察知できるものではないと思うが、神谷なら気付いてもおかしくない。


「いつからここにいた?」


「薄々分かっているかもしれませんが……実は昼休みが終わるときから」


 教室に戻った大樹は、楓の鞄がなくなっているのを見て青褪めた。体調不良で早退したということを委員長に聞き、大樹も同じ理由で早退してきた。

 本当ならそのまま学校を出るつもりだったが、楓の靴が残っていることに気付き大樹は慌てて引き返した。


 心当たりは一つだけだった。


「みんなの楽しそうな声は、ここからでも聞こえてきました。……楓の様子はどうですか」


 神谷は入ってすぐの椅子に腰かけた。

 わざわざこちらまで近づかないのが何とも神谷らしい。答える必要がないことを、答えないでいるところも。


 泣いている楓に、かなたや紅葉が寄り添っている光景がありありと浮かんだ。

 あんな風に泣かせたかったわけじゃない。今すぐに会いに行って謝りたいが、余計に傷つけてしまうかもと思うと、大樹はここに留まるしかなかった。


「森崎の気持ちはわかってるのか」


「…………」


 不意に投げかけられた問いに、肯定も否定もしない。

 気付くチャンスはいくらでもあったはずだ。


 以前にも増して話すことが増えたこと。

 休日でも連絡をくれるようになったこと。

 月夜と妙に張り合うような素振りを見せたこと。

 時々不満そうに大樹を睨んで、不貞腐れていたこと。


 無意識に予防線を張って傷つかないようにしていただけなんだ。

 もう、気付いていない振りはできない。



 森崎楓は——————篠原大樹を好きなのだろう。



「……ははっ」


 自嘲気味な声が漏れた。

 願ってもないことだったはずなのに、素直に喜べなくなっている。


「ほんと、センパイも楓も、俺の何がそんなに良かったんだろ」


 自己嫌悪に陥っているせいかネガティブなことしか考えられない。

 いや仮に普通の状態でも、自分が異性から好かれるところなんて思いつきやしない。


「直接聞けばいいだろ」


「そんなこと出来るわけないでしょう。わざと言ってますよね?」


 適当なことを言ってのける神谷に怒りを覚えた。


「だいたい神谷先輩には本来関係ない話でしょう。ここに来たのだって結城先生か紅葉先輩に頼まれたからに決まってますし。神谷先輩は俺のことなんてどうでもいいですもんね」


「そうだな。ただでさえ他人に興味なんてないのに、相手が男なら尚更だ」


 歯に衣着せぬ物言いに本気で我を忘れそうになる。

 それくらい、今は気持ちに余裕がない。


「ほんと、どんだけあの二人のことが大事なんですか。言いなりみたいに。情けないとは思わないんですか」


「何も恥ずかしくない。俺にとって紅葉と結城さんは特別だ————お前が、森崎と朝日を大切だと感じるのと同じように」


 俯いていた大樹は、ここで初めて顔を上げた。

 神谷は脱力した姿勢で、無表情のまま黒板を見つめている。


「俺には分かるんだ」


「何が、ですか」


「優先したいものが複数あると、途端に身動きが取れなくなる」


 人が相手なら尚更だ、と神谷は付け加えた。

 慎重に、大樹は神谷の様子を窺った。


「神谷先輩にとってのそれが、紅葉先輩と結城先生なんですよね」


 神谷は何も答えない。だけど、その沈黙は肯定を意味していた。


 常々気がかりだった。一体どんな出来事が起きれば、こんな気難しい人が心を開くようになるのか。誰も、神谷の過去について教えてくれなかったから。


 神谷は頭が良くて器用に何でもこなせる人間なのに、二人のことになると急に熱くなって、周りが見えなくなって————けれど、それだけ愚直になれるところが、眩しく感じられた。


「状況だけ見れば、俺とお前は似ているんだ」


「似てる?」


「追いかけたい人と、追いかけてくる人がいるって部分が」


 強張っていた大樹の体から力が抜けていく。同時に、想いが、言葉が、喉元までせり上がってきた。全てをぶちまけてこの人に任せてしまいたくなった。


 大樹は初めて、神谷隼人の核心に触れたのだ。


「お前は何に迷ってるんだ」


 何を言うべきだろう。何を伝えるべきだろうか。

 長い時間をかけて迷った結果、


「色々、と」


 大樹はそれだけ口にした。


「……色々?」


「はい」


「…………そういうことだったんだな」


「え?」


 神谷は椅子の上であぐらをかき、腕を組んだ。大樹を一人置き去りにして、神谷は勝手に全部納得しているみたいだ。


 もっと話したい、聞いてほしいことがたくさんあるのに、神谷はそれ以上大樹の言葉を求めていないようだ。肩透かしをくらった気分になる。


「あの——」


「二人とも、望みは叶わないな」


 神谷の刃が急所を斬りつけた。

 血の気が引く。ひどく後悔した。神谷の言葉に踊らされて、弱い部分を見せてしまった。わずかなやり取りでしかなかったのに、神谷はそれだけで全てを悟ったのだろう。


「てっきりお前は森崎を選ぶのか、朝日を選ぶのかの二択を絞り切れずにいるもんだと思っていたんだが————それ以前の問題か」


 なんで、なんだ。

 どうしてこの人は何もかも、全てを見透かしてしまうんだ。


 大樹は両肩を抱き、その体を小さくした。何かに怯えているのか、目の焦点が右往左往して定まる気配がない。

 その先を口にしてほしくない。


「やめてください……」


 大樹の懇願は、しかしあっさりと無視されて神谷は踏み越えてくる。


「誰とも付き合わないつもりなんだな?」


 ひっ、と声が漏れた。カタカタと奥歯が音を立て続ける。震えを止められない。

 怯える必要なんてないのに、責められているような気分になってくる。

 言い訳がついて出た。


「よくない、ことですよね?」


 機嫌を窺うような、下手に回った言葉。情けないくらいに声が震えている。

 神谷は頬杖をついて、感情を読ませない瞳でこちらを見ている。覇気の抜けた顔をしているせいで、本当に何を考えているのかわからない。


 大樹は顔を伏せた。


「でもそれが一番、良いと思うんですよね」


 しぼりだすように言う。

 もう隠し立てをする必要性もない。


「センパイと楓には仲良くしてほしいんですよね。せっかく今いい感じなのに、俺のせいでヒビ入っちゃうのは申し訳ないし。二人の気持ちは嬉しいんですけど、今の俺はやっぱり、誰かと付き合うとかは……ちょっと考えられないんです」


 少しだけ、心が軽くなるのを感じた。

 ここにいる間、どうするべきかずっと考えていた。明日からどう振舞えばいいのか。

 月夜と楓の二人に、自分にできることは何か。


 考え抜いて、導き出した結論だった。


「それが、お前の望みなのか」


「そうです」


「嘘だ」


 力強い否定の言葉。神谷は自分の言葉を真実として疑っていない。

 言いがかりだ。何の根拠もないくせに、先ほどからこちらの心情を決めつけるようなことばかり言っている。


「嘘なんかじゃないですって」


「面倒な水掛け論は嫌いだ。はっきり言う。お前を好きな女に、そういう手合いの嘘が通用すると本気で思うのか?」


 ただの可能性の話、推論に過ぎない。それなのに、神谷の言葉が頭から離れなくなってしまった。

 大樹は、そうだと言うことが出来ない自分に気付いた。


「やめてくださいよ……そんな冷たい、何もかも見透かしたような顔で人のことを分析するのはやめてくださいよ!」


「そんな大袈裟なものじゃない。俺にでもわかるくらいだ。そんな見え見えじゃ、誰も騙されてはくれないだろうな」


「だから……!」


「二人のことを好きでも、変なことじゃない」


 はっとして、大樹は二の句を継げなくなった。

 理解してくれるような言葉を投げかけられて、甘えてしまいそうになる。そんな自分に本気で嫌気がさした。頭をガリガリと強くひっかく。


「変ですよ」


「どうして」


 大樹は思いの丈を叫んだ。


「俺は! 自分がもっとまともな奴だと思ってました。こうだと決めたら、迷わずにいられるって……。なのに、センパイや楓の言うことに一々振り回されて自分がどうしたいのか全然わからなくなる!!」


「………」


「俺、楓に告白したんです」


「知ってる」


「振られてからも諦めきれなくて……なのに、センパイに何回も好きだって、あんな風に言われたら、気持ちがどんどん傾いて……!」


「別にいいんじゃねえの。朝日に気持ちが流れても。むしろそれが狙いなんだから」


「でも、俺は楓に告白したのに。一か月しか経ってないのに。それで気持ちが変わるかもしれないなんて、楓に対して失礼な気がして」


「いいだろう、それで。そのときのお前の気持ちに嘘はなかったんだから。お前は一生を捧げる覚悟で森崎に告白したわけじゃないし、そんな高校生は普通いない。言ってしまえば、学生恋愛なんてままごとなんだよ」


 神谷の意見は寂しすぎるほどに正論だった。悔しくなるほどに。


「楓のことは諦めようとしたんです。本当に。楓は色んな人から告白されているみたいで、そのうち楓にお似合いの人が現れてくれるかもって思ってたのに……でも楓が俺を好きかもしれないっていうなら、また気持ちがぶれる」


 自分で何を言っているのか分からなくなる。胸から湧いたものをそのまま言葉にしている。まだまだ言い足りない。抑えられない。


「こんな自分が、すごく、嫌いなんです」


 大樹は一度、無理やりに深呼吸をした。高ぶった感情を鎮めるために。下手をしたら泣いてしまいそうになる。


「俺は、どうしたらいいんですか」


 こんなことを言われても、普通なら困るのは目に見えている。

 それでもわずかばかりの期待に縋りたくなってしまったのは、神谷にはその答えが見えているように思えたからだ。


 神谷は重苦しい溜息をついた。


「たった一人のことしか好きにならない人間なんていない」


「………」


「これから何十年も続いていく人生の中で、選んだ一人以外に心を動かされないはずがない。かかわれば情が移る。惹かれる。もしそうならない潔癖症の人間がいるとしたら、俺はそいつのことを軽蔑する」


「そう、ですか」


「たとえばの話だ」


 神谷が指を一本立てる。


「お前が朝日と付き合うことになったとして、森崎に対する未練は綺麗さっぱり消えてなくなると思うか」


「……いいえ」


「逆は? 森崎と付き合った場合、朝日を他人みたいに扱えるか」


 大樹は首を横に振る。わざわざ答えるまでもない。

 楓も月夜も、大樹にとって大切な存在だ。そんなスイッチを切り替えるみたいにはいかない。器用に心をコントロールできるならこんなに苦労していないのだ。


「そういう人間の方が、俺にとってはずっと好ましい。だから二人を好きでも俺が許す」


「なんか……今日の神谷先輩、優しいですね」


 指摘すると、神谷はとても不愉快そうに顔を歪めた。照れ隠しと思いたいところだが本当に嫌そうだったので、これくらいにしておく。

 感謝したい気持ちは、本当なのだが。


「で、結局どっちが好きなの」


 おざなりで適当な感じに聞かれた。大樹は考え込んでしまう。

 それを判断できないから困っている。二人とも、自分にはもったいないくらいに魅力的だ。優劣をつけてしまうこと自体がおこがましい。何様のつもりだと。


 そんな葛藤を、多分神谷は見抜いているだろう。


「楽しい話題のはずなのに、なんでそんな辛気臭い顔してんだ」


「楽しい、ですか」


 本来ならその通りかもしれない。

 自分を好きな人がいて、了承さえすればすぐにでも付き合えるというこの状況。しかも相手が二人もいる。望んでも手に入らない人の方が圧倒的に多いだろう。


 けれど、逆に浮かれてしまうことも一切できない。


「————森崎と付き合ってみたら、どんな風になると思う」


 出し抜けに妙なことを聞かれる。


「は? なんですか急に」


「いいから、考えてみろよ」


「知りませんよ、そんなこと」


 突飛な発言に付き合う気に全くなれなくて大樹は話を終わらせようとする。

 だが神谷はお構いなしだ。


「俺の予想だと、森崎は変わるぜ」


「なんですか、もう」


「ああいうタイプは付き合ったりとか関係性が変わったりすると急にベタベタしてくるのがセオリーだな。多分、お前が思ってるよりも積極的になる」


「何を根拠にそんなこと……」


「経験則だよ。まあ彼女いない歴=年齢のお前には分からんだろうが」


「付き合ったことありますけど!?」


 すごく短い期間の話だが。

 神谷は鼻で笑った。


「あいつとはよく暇つぶしに遊んでた時期もあるが、退屈しなかったぞ。ああ見えて流行に敏感だしな。放課後にどこか寄ってみたり、休日に遠出したり、夜通しゲームしたりが出来るわけだ」


 具体的なたとえ話を持ち出されたことで、ようやくイメージが伴ってくる。神谷が言っていたことを頭の中で反芻する。


 確かに、楓は性格に反して目新しいことにどんどん興味を持つし、流行的なものにもすぐに順応する。何を話すにも話題に事欠かないだろう。

 部活がない日だったら、一緒に帰ることもできる。今度からはクラスメイトとしてではなく、恋人として。一分一秒が以前よりもずっと大切な時間になる。

 休みの日にはデートの約束をして、どこかへ行くのだ。大樹はそういう計画を立てるのが苦手だが、楓なら。二人でなら楽しい思い出を作れる。


 付き合うことができれば、楓の知らない一面を見ることになる。

 今のところはうまく想像できないが、彼女になった楓はどう接してくるだろう。人並に恥ずかしがったり、嬉しそうに笑うのか。それとも態度には出さないで今まで通りか。楓らしいと言えばらしい。

 そんな彼女の姿を————見てみたいと思う。


「ちょっとは楽しくなってくるだろ」

 

 悔しいが、神谷の言う通りだ。

 心が前向きになっているのを感じる。


「それで、朝日月夜だが……」


 大樹の喉がごくりと鳴った。


「俺が一々説明するまでもなく、お前が一番わかってるだろ。あの通り、見た目が抜群に良い女だ。連れて歩いているだけでも鼻は高いだろう。頭も、俺ほどじゃないが中々優秀だ。色んな場面でお前を助けるだろうし、お前以外の男には見向きもしないだろうな」


 思わず笑ってしまった。自意識過剰と言われるかもしれないが、そうだと思う。

 月夜はきっと、恋人らしいことをどんどん迫ってくるだろう。並んで歩くときに手を繋いでみたり、人目を気にせず抱き着いてきたり。昼休みに月夜の作った弁当を一緒に食べることもあるだろう。


 そして、月夜と付き合うことになったら色々と大変なことになるはずだ。学園中の男子からリンチにされてしまうかもしれない。それだけ絶大な影響力がある人だ。


「それと、俺の独断と偏見だとあの女はむっつりすけべだ」


「ちょ、なんてこと言うんですか」


 本人に聞かれたら烈火の如く怒り狂いそうだ。

 いるはずもないのに、キョロキョロしてしまう。


「何言ってんだよ。暗闇に誘ってマッサージと称して馬乗りになってきそうなのに?」


「………」


 先日、まったく同じ目に遭ったばかりだ。

 そこまで完璧に言い当てられると、実は見ていたんじゃないかと疑いたくなる。

 神谷に顔を見られないようにあらぬ方向を眺めておく。変に勘繰られたくはない。


「なんとなく伝わるだろ」


「まあ、センパイは多少……多少? はい、そういうのに積極的な面もあるような気がしないでもないですね」


「フォローしたいのか、そうじゃないのかはっきりしろよ」


 歯切れの悪い大樹に神谷がツッコむ。

 月夜に申し訳なさを感じつつも、完全に否定してあげられないのが残念だ。


「朝日と付き合うのも楽しそうだな?」


「そうですね。……本当に」


 さっきまでは悲壮な感情だけが頭を占めていた。少し見方を変えればわかることなのに、そんな簡単なことすらできないほどに心に余裕がなかったのか。


「————そっか。彼女になってくれるんだ」


 春、リア充を目指すと宣言した日のことを思い出す。

 人並に青春がしたくて掲げた、漠然とした目標だった。友達を作りたいとか部活で活躍したいとか、彼女がほしいとか。この半年間、特別その目標を意識していたわけではなかったが、気が付けばその全てが叶いそうなところにまで来ている。


 感慨深いものだ。


「難しいことは考える必要ない。本音から目を逸らすな。どっちと付き合う方が楽しそうかだけで判断しろよ。心に従え」


「そんな風で、いいんでしょうか。簡単すぎるというか」


「他にどんな選び方があるんだよ。ここで他人の目を気にしたり、誰かに気を遣うようなら誰も幸せにならない。お前も、選ばれた方も、選ばれなかった方も、全員」


 両肩に重くのしかかってくるものを感じる。

 それだけは絶対ダメだ。

 大樹を想ってくれる人たちのために。


「お前自身が幸せを感じる選択しなきゃいけないんだぞ」


 軽はずみに選ぶことは許されない。責任がかかっているから。


「その上で、もう一度聞くぞ」


 神谷が大樹の目を見据える。初めて、こちらに向き直って。


「朝日月夜と森崎楓————お前がより好きなのは、どっちなんだ?」


 その言葉が、耳朶を打つ。


このシーン、アイディアは一年も前からあって、ようやく書くことができてほっとしてます。

もうすぐ完結します。

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