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「手紙?」


 保健室で薬をもらい、楓に飲ませる。

 楓の容態が安定するまでに時間がかかってしまったが、そのおかげで痛みは引いたようだ。顔色も良い。


「もう大丈夫そう?」


 楓は弱々しく頷いた。唯一、目元の泣いた痕だけが残っている。


「午後は休みにしちゃおうか」


 この状態で楓を教室に帰す気にはなれなかった。

 保健室の先生に早退連絡を任せて、かなたは楓の鞄を持ち帰ってきた。隣が大樹の席だというのは知っているが、そこに彼の姿はなかった。


 相談室に戻る道中、楓はかなたの手をずっと離さなかった。

 それどころか、ぴったりと体を寄せてくる。小さな子供みたいで可愛らしい。


「あ……」


 漏れ出た呟きに、楓が不思議そうに顔を上げる。かなたは何でもないと言って誤魔化した。


 そういえば部屋をあのままにしてきてしまった。しかもそれを紅葉に見られた上で。

 紅葉のことだから、気を利かせて片付けてくれているかもしれない。だとしたら申し訳ない。


 相談室に帰ってくる。中に人の気配を感じた。やっぱり……。

 紅葉にどんなお詫びのお菓子をあげようか、考えを巡らせながら扉を引く。


 その光景を前に、かなたは既視感に襲われた。


 その長身の男はソファを独占し、我が物顔で寝そべっている。

 気だるげで、眠たげな瞳がこちらを見据えた。かなたを認めても顔色ひとつ変えてくれず視線まで逸らしてしまう。

 その、懐かしすぎる所作に思わず頬が緩んでしまう。


「か、神谷くん」


「うん」


 素っ気ない返事をされたのに嬉しくなってしまう。


「ひ、久しぶりだね」


「うん」


 そこで部屋の様相に気付く。楓が倒してしまった机や椅子は全て元通りに直っていて、散らばっていたプリント類も綺麗にしまってある。

 紅葉が自信満々に胸を張る。


「私が連れてきたんだよ! 暇すぎて死にそうって言ってたから!」


「言ってねえ……」


 適当なことを言った紅葉に、神谷がクッションを投げつけた。紅葉はそれを難なくキャッチすると神谷に向かって投げ返した。枕投げみたいになってくる。


「ホコリが立つからやめてね」


「はーい!」


 嬉しそうに、それでいて元気に返事をする紅葉。いつもよりはしゃいでいるのが分かる。


「あ、あの……」


 楓がおそるおそるといった調子で前に出る。

 神谷たちに視線を向けられて、楓がひるんだ。そのらしくない所作がとても痛ましい。顔も上げられないまま楓は消え入りそうな声で言う。


「すみません、二人とも……私が、やったことなのに。神谷先輩は、わざわざ来てもらって」


「家は近い」


 短い言葉ながら、それは神谷なりの気遣いだった。楓の状態を見て、珍しく気を遣うことを選んだらしい。


「座れば? 真っ赤なお鼻のトナカイさん」


 と思いきや、二言目には楓をいじり始めた。楓はしゅんとなって鼻を隠す。

 かなたは呆れつつも楓と共に反対側のソファに座る。


「で、どっち」


 唐突に、よくわからない質問をしてくる。かなたと紅葉は発言の意味を理解できなかったが楓には伝わったようだ。


「だいじょうぶ、です……」


「ふ~ん、あっそ。————紅葉、聞いてくれよ。こいつ、篠原のことが好きになったみたいだぞ?」


 神谷は流れるようにカミングアウトをかました。


「ええっ!? そうなの!?」


「なな、なっ———なんで言っちゃうんですか!?」


 女子二人が顔を真っ赤にする。

 かなたは眉をひそめた。


「神谷くん、今のはちょっと」


「はいはい、さーせん。でも森崎、これでもう意地を張って隠そうとしても意味ねえぞ。遅かれ早かれどうせバレることなんだから、自分から話す方がダメージ少なくね?」


 一瞬だけ神谷の言い分に納得しかける楓だったが、それでも怒りはおさまらないらしい。拳がぷるぷると震えている。


「じ、自分は上手くいってるからって……!」


「こっちだって別れてるわ。余計なお世話だ、うっせーな」


 楓がきょとんとした顔のまま固まった。

 ガチガチと、ぜんまい人形みたいな不自然な動きで紅葉の方を向く。紅葉まで気まずい顔になって、逃げるようにかなたの後ろへ。こっちにきてどうする。


「ついに愛想尽かされちゃったんですね。可哀そうに」


「おー、おー、いいな。いつもの調子が出てきたじゃねえか。ムカつくけど」


 忌々しいとばかりに犬歯を剥き出しにして楓を威嚇している。

 かなたは思わずふきだしてしまう。神谷が疲れたように嘆息した。


「っていうか、急に呼び出されたから昼飯何も食ってない。腹減った」


「そういえば私もお昼が途中だった」


 かなたの弁当箱も、きちんと蓋を閉じてしまってある。


「せっかくだからみんなでご飯にしようか。紅葉ちゃん持ってきてる?」


「こんなこともあろうかと。もともとかなたんと一緒に食べるつもりだったから。楓ちゃんはご飯食べれそう?」


「はい。体調も良いですし、鞄もここに」


「おいおい、俺だけ何も持ってねーよ」


 神谷は一度立ち上がりかけて、やっぱりやめた。購買にいこうかと思ったが食欲よりも面倒くささの方が一枚上手だった。そもそも財布がない。


「しょうがないなぁ。じゃあ神谷くんには余ったお菓子と、あと卵焼きあげるから」


「男の子だし、それだと足りないんじゃない? 神谷くん、良ければ肉巻きもどうぞ。自信作よ」


「じゃあ、あの、私も。おにぎりを……。ちょっと不格好ですけど」


 紅葉が言い出したことで、かなたと楓もそれに続く。あれよあれよと、神谷用の弁当が作られていく。既に一人分の弁当よりも量が多くなっている。神谷は複雑な表情を浮かべた。三人の女性に食料を貢がれるなどこれまでの人生に一度もない。もっと違う形でモテ期が来てほしかったと思う。


「いや、こんなにいらんわ」


「さて! 私は楓ちゃんの恋バナに興味津々なわけですが。わけですが!? 聞かせてくれる!?」


 神谷の文句を無視して、紅葉が鼻息を荒くする。

 躊躇う素振りくらいは見せると思ったが、楓もいい加減観念する方が得策だと気付いたのか、あっさりと承諾する。


「まあ、いいですよ。他二人が知ってるのに、紅葉先輩だけ知らないのは落ち着かないですし」


 不思議な時間だった。

 もうすぐ授業が始まるというのに、三人の生徒がこんなところに集まってご飯を食べようとしていて、その中には教師の自分まで含まれている。この場所だけ学校から隔絶されているみたいだった。

 久しぶりの賑やかな食事。こうして他愛ない話で盛り上がっていると、自分まで彼らと同じ学生なのでは錯覚してしまう。


 もし彼らと同じ世代に生まれていたなら。


 きっとこれからもこうして集まる機会はあっただろう。来年にこの学校を去るかなたには、もう時間が残されていない。


 この光景を忘れてしまわないように、今のうちに焼きつけておこう。



 事情を全く知らない紅葉が質問攻めをして、楓がそれに順番に答えていく。二人が話を盛り上げてくれるので神谷が口を挟む必要はない。


 無口な神谷が聞き役に徹するのはいつものことだが、今日はかなたまでおとなしい。自分たちを見つめるその瞳が妙に優し気で、何を考えているのか手に取るように分かる。いい加減、白状してしまえばいいのに、と思う。


「な、なるほど。最近の高校生は進んでるんだね」


 紅葉が興奮した様子で何度も頷いている。楓も照れくさそうだ。自分も高校生のくせに何を言っているんだ。


「何の話だよ?」


「神谷くんは本当に人の話聞いてないよね。楓ちゃんが篠原くんの家に泊まったときの話をしてんの」


「なんだそれ」


 初耳だ。神谷は前のめりになった。かなたも、表情を変えないように努めているが、興味津々なのがバレバレだ。

 全員の注目が楓に集まる。


「親と喧嘩して、勢いで飛び出してきちゃったんで帰るに帰れなくなってたんですけど……。大樹が泊まっていいよって言ってくれて。その日は台風だったんで助かりました」


 となると、今から一ヶ月くらい前の話か。確か最大規模の台風だとかなんだとかテレビで騒いでいた。学校も夕方の時間で完全下校になったのを覚えている。


「もうずぶ濡れになっちゃって」


「————ということはお風呂も借りたってこと?」


「そ、そりゃそうですけど……」


 緊張した面持ちで紅葉が聞くと、動揺しながらも楓はそう答えた。

 気まずい静寂がおとずれて、女性陣が頬を赤らめて黙ってしまう。異性の家で裸になる意味は、彼女たちの方が重く受け止めているはずだ。


 神谷の加虐心がくすぐられる。


「お前、どこで寝たの? それ」


「え、え。大樹のベッドを借りましたけど」


 今度こそ、かなたと紅葉が押し黙る。言葉にこそしないものの、何やら色々想像をはたらかせて悶々としているのが丸わかりだ。

 異性の家でシャワーを浴びて、本人が普段使っているベッドを借りる……。


「お前、やった?」


「なんてこと聞くんですか神谷くん!」


「デリカシーない!! このスケベ!!」


 両隣からボコスカ叩かれる。痛い。手加減してほしい。

 楓が勢いよく立ち上がって、早口で否定してくる。


「あ、あのときは本当に余裕なくて! そもそも大樹のことをそういう風に意識したのも文化祭が終わってからです! 変な勘繰りしないでください!」


「で、ですよね!? わぁーっ、もう! びっくりしちゃいました!」


「わかってた! 最初からわかってたよ、楓ちゃん! うんうん、全然変なこととか、これっぽちも考えてないからね!?」


 わちゃわちゃと言い訳がましいことを言っている二人を、神谷は白けた目で見ていた。


「二人の方がよっぽどスケベなこと考えてない?」


「考えてない!」

「考えてません!」


 すごい剣幕だ。これ以上突くのはやめておくべきだと判断する。

 話題を変えておこう。個人的に気になる部分もある。


「なんで篠原のこと好きになった? 告白されたからか?」


 初めて事実を聞いたときから、そこだけが疑問だった。

 神谷が知っている森崎楓の人物像は、篠原大樹に好意を寄せるタイプではないのだ。その認識のズレが引っかかりになって落ち着かない。


「なんで……なんでしょうね。告白されてから意識したのは事実ですけど」


 自分でもよく分かっていないらしい。

 額を指で叩いて、楓は唸りながら頭を悩ませる。


「でも————うん。いいなって思ったのは、文化祭のときに私のことを色々助けてくれたことかも」


「姉貴のこととか?」


「あいつ、めちゃくちゃですよね」


 楓には、奏というたった一人の姉がいる。

 すれ違いをしていた姉妹だったが、二人を仲直りさせるために大樹はあちこち奔走していたようだ。文化祭当日、仲睦まじく(?)している森崎姉妹の姿を神谷たちは目撃している。


「二人で過ごす時間を作ってあげるなんて、篠原くん良い子じゃない」


「でも、勝手に他人の姉貴と連絡取り合うってなんなんでしょうね。ちょっとお節介すぎますよ」


 言葉とは裏腹に、楓は満更でもなさそうだ。頬が緩んでいる。

 上機嫌になった楓は芋づる式に色々な話を始めた。朝になるまで自分の話を真面目に聞いてくれたとか、風邪を引いた自分を優しく看病してくれたとか、二人で夜の街を歩いて公園でバドミントンをしたのが楽しかったとか。


 神谷たちは呆気に取られて、言葉を挟めずにいた。


「……? どうしたんですか?」


 黙りこくった神谷たちを見て、楓は不思議そうに首をかしげた。

 そんなに生き生きとした顔をされたら、何も言えない。


「お前が篠原を大好きなのは十分伝わったわ」


 神谷の一言に、楓が頬を紅潮させる————ということはなかった。

 さっきまでの浮かれ具合が嘘みたいに、楓の表情が曇る。


「どうした」


「でも、もうそういう風にできないかもしれないです。喧嘩しちゃったんで……」


「はあ?」


 気持ちの上がり下がりが激しいことだ。

 そのあたりの事情は聞いてなかったので全部喋らせてみる。要約すると生理でイラついていたから八つ当たりみたいになってしまったということだった。

 かなたに続き、紅葉が理解を示す。そのへんの事情はスルーさせていただく。男の神谷がとやかく言うことじゃない。


 それよりも、今の楓の話通りなら……。


「その捨て台詞、篠原にもうバレてんじゃね?」


「な、何がですか」


「お前が篠原を好きなのを。良かったな、結果的に告白できて。なし崩し的にだけど」


「う、うそ」


 顔を青白くして、この世の終わりみたいな顔をする。


「明日になったら、何かしら言ってくるかもな。いやあ、楽しみだ」


「今日で世界が滅べばいいです」


 物騒なことを言っているが、明日もきっと世界は平和だ。楓の破滅的な願いは届かないだろう。楓は机に突っ伏してしまう。


「終わった」


「そうなのか」


「だって私が男だったら、こんな面倒な女願い下げですよ。まあ、そもそも強力なライバルがいるんで無謀な戦いだったとも言えますが」


 その名前を口に出さなくても、誰のことなのか全員が知っている。

 絶望的な気分になるのはわからないでもない。女なら、あいつが恋敵だって想像するだけでも嫌なはずだ。


「でもさ、楓ちゃんはそれでいいの?」


 固い声で、紅葉がそう聞く。楓はわずかに身じろぎをした。

 やがて、搾りだしたような声で、


「私、初めて人を好きになったんです」


 顔を伏せたまま、楓は心情を吐露した。


「嬉しかったんですよ。こんな自分でも誰かをそういう風に想えることが。一年前からじゃ絶対想像できない私になれたことが」


「………」


「でも、今日思ったんですよね。怖いなって」


「篠原が、か?」


 楓はゆっくり首を横に振った。


「今日みたいなすれ違いは、きっとこれっきりにはならなくて。これからもそういうことが積み重なっていくんです。もし、付き合うようになったら数えきれないくらい。そういう風にしてて————いつか大樹のことを嫌いになるんじゃないかって怖くなるんです。お姉ちゃんのときみたいに」


 森崎姉妹のことは些細な行き違いが原因だったのだと思う。

 でなければ、一日でその関係性が修復されることなんてあり得ない。


「明日からのことだって、本当に怖いんですよ。もしかしたら、もう大樹は私と口をきいてくれないかもしれない。そうじゃなくても、今までみたいな距離感じゃいられないかも。だったら、何もなかったことにして、私は、大樹を好きなままの私でいたい」


 好きなままの私でいたい、か……。

 神谷はその言葉に少なからず共感を覚えていた。何も好きなものがなかった灰色の日々のことを思い出す。色鮮やかな世界を知ってしまったからこそ、逆戻りになったらと思うと恐ろしくなる。再び世界から色が失われたら正気を保つ自信がない。


 楓もきっとそうなのだろう。自分から見える世界を、つまらないものにしたくないのだ。


 神谷は口を閉ざした。珍しく、なんと言葉をかけてよいのかを迷ってしまう。

 突如、紅葉が人差し指を高く掲げた。その姿勢のまま、じっと固まっている。何をしているんだ?



「———これは、私の元カレの話なんだけど」



 爆弾発言に紅葉以外の三人の目が点になる。


「ちょっと待て。何を喋る気だ」


「私は元カレの話をするだけだから。誰も神谷くんのことだなんて言ってないでしょ」


「は、はあ?」


 お前は俺としか付き合ったことがないだろ、というツッコミは頑張って控えた。

 あくまでも神谷のことではないという体裁で話を進めるつもりみたいだ。

 納得いかないが、とりあえず神谷は成り行きを見守る。


「その人って、かなりの変人だったんだよね」


 いきなりなんてことを言うんだ。


「初めて会った頃とかもうね、すごくて。会話が成り立たないの。口を動かすのがだるいとか喋ると疲れるとか、ふざけたこと言うんだよ。おかげでこっちが一方的に喋ることになるの。しかもね、あっちから告ってきたくせに全然そういうところ直さないの。自分から交際を申し込んだんだから、そういうところはきちんとすべきなんじゃないかな、礼儀として!」


「どこの誰だか知らんが、まったく不愉快な男だな。そんなやつが現実にいるだなんて信じられない」


 自分のことではないらしいので、適当にヤジを飛ばしてみた。

 紅葉がすごい形相で睨んでくる。何故だ。


「こういう態度だからね、よく喧嘩になったよ。って言っても私だけが怒ってるっていうか、感情的になってたと思うけど。嫌いになった回数なんて両の指じゃ足りないくらいだし! なんでこんな変なのと付き合ってるんだろって思った回数も数えきれないよ」


 紅葉がどんどんヒートアップしていく。

 なんだ、なんだぁ?

 昔の男の愚痴をする場所か、ここは? よろしい、ならばこっちも倣って、昔の彼女という体裁で反抗しよう。


「でもね、付き合わなければ良かったと思ったことは一度もない」


 きっぱりと紅葉が断言する。神谷は開きかけた口を閉ざした。


「なんでだと思う?」


 急にクイズ形式。解答権は楓に与えられる。

 楓はしばらく黙考して、答えを口にする。


「や、優しいから……とか? いや、絶対違うか」


「オイ」


 たまにはそういうところもあったはずだ。多分。


「では、正解発表。正解はね————何度も惚れ直させてくれたから、だよ」


 仰々しい仕草で紅葉は言うが、楓はピンときていないみたいで、紅葉のことをじっと見返す。


「人付き合いだから、どう頑張って相手の嫌なところが見えてくるものだけど、でもそれと同じくらい……ううん。多分それ以上に、何度でもその彼のことを好きになったんだと思う。付き合うって、こういうことなのかなって私は学んだつもり」


 ……こういう話を、まさか本人の口から聞かされることになるとは。どういう反応をしていいか悩ましい。

 神谷は紅葉と付き合っていくなかで特別なことを意識していたつもりはない。彼女が少しでも喜んでくれた瞬間が存在したなら、なによりだ。


「で、前置きがかなり長くなったんだけど、楓ちゃんにはそういうのを体感してほしいなって思う。思い切りぶつかって、喧嘩して、嫌いになっても、篠原くんが何度でもまた惚れ直させてくると思う。期待していいんじゃない?」


「い、色々言いたいことがあるんですけど……。なんかそういう相手任せなのはどうかと思うというか、負担になりたくないというか……」


「わかってないなぁ。付き合っていて一番楽しい瞬間はね、どうやったら相手が喜んでくれるのかなって、考えているときのことだよ!」


 完全に紅葉のペースにのまれてしまって、楓は体をのけぞらせる。

 ずいっと顔を寄せて紅葉が追撃する。


「こんなに楽しいことを、楓ちゃんは知らないままでいいの?」


「……紅葉先輩」


 楓が紅葉を呼ぶ。しかし、すぐに首を横に振った。


「いや、やっぱりなんでもないです。忘れてください」


「えー!? 気になるじゃん! それに言いたいことは言うって約束でしょ!?」


「そんなことを約束した覚えはないですけど……」


 苦笑いをした楓が紅葉を手招きして、何事かを耳打ちする。直後、紅葉はケラケラと腹を抱えて笑い出した。


「ない! ない!」


 大袈裟に手をぶんぶんと振って、紅葉がそう言う。

 紅葉がかしこまった仕草で「ご清聴ありがとうございました~」と話を締めくくる。聞いているこちらの方が恥ずかしくなってくる内容だった。


「あの……神谷先輩」


 楓が改まった態度で神谷を見つめてくる。


「なんだよ」


「神谷先輩は、どういう風に紅葉先輩に告白したんですか」


「————」


 何気ない楓の一言に、神谷から表情が消えた。

 いきなりカウンターをもらった気分だ。おかげで頭が真っ白になる。紅葉と目が合う。彼女はいつの間にか素知らぬ風にお菓子を食べている。


「聞いてた?」


「なにを?」


 首まで傾げられる。本当に聞こえてなかったのか?

 神谷は無表情のまま答える。


「……そんなもん、忘れた」


「えー、うっそだぁ。この人嘘ついてるよー!」


「やっぱり聞いてんじゃねえか」


 間髪入れずに入った紅葉の指摘に、神谷は渋い顔になった。


「えっとねー、実はねー」


 もったいぶった態度でニマニマ笑う紅葉。


「おい」


 ドスのきいた神谷の剣幕に、紅葉は怯まない。

 するすると楓の横に躍り出た紅葉が、楓に何かを耳打ちしている。

 楓の顔つきが変わった。


「……手紙?」


 本当にバラしやがった。


「意外、ですね」


 楓が頷いて、興味深そうに話の先を促していた。そういう反応こそ意外だと思う。もっと笑われるものかと思っていた。


「懐かしいね。神谷くんが聞いてきたんだよね。『いまどき手紙なんて書く男をどう思う?』って。結果大成功だったね」


「結城さん……ちょっと余計なことを喋り過ぎじゃない?」


「神谷くんもお口が軽いじゃないですか」


 そう言い返されると何も言えないが。


「二年以上前の話だ。もう覚えてない」


「え~!? あんなに長文なのに!? 今でも持っているよ? 今度見せようか」


「いや捨てろよ……」


 何が悲しくて、昔自分が書いた手紙をもう一度見せられなきゃならないのか。

 このままだと黒歴史が不特定多数に公開されかねない。神谷は素知らぬ顔で軌道修正を図った。


「……別に焚きつけるつもりじゃねえけど、何事も早い方がいいと思うぞ。篠原はお前に告ったみたいだけど、気持ちなんて割と簡単に変わっていくもんだと思ってる。朝日に言い寄られて、つい傾くなんてこともおかしいことじゃない」


「けど……。やっぱり」


「案外、答え合わせをしてみたら逆転勝利かもしれないだろ」


 楓は顔を赤くしたり青くしたり、頬を緩めたり渋面になったりしている。

 百面相している場合かよ。


「顔を合わせて何かを言うのが難しいっていうなら電話でも…………それこそ、手紙でも届ければいい」


 後半の方は苦虫を噛み潰したような顔になってしまった。


「大樹は……今でも私を好きなのかな」


 楓が心の片隅で感じていながらも、絶対に言おうとしなかった言葉。

 それが、ぽろりと漏れ出た。誰にも答えなんて分かるはずもないがないと分かり切っていたから、楓はその本音をずっと隠し続けたのだろう。


 ————本人に聞かない限り、人の気持ちなんて分かるはずもない。


「神谷くん? なんで上見てボーっとしてるの?」


「帰る」


「……はい?」


 六限の授業は終わって、一般生徒たちも帰りだす時間だ。

 神谷はそそくさと身支度を済ませて、相談室を後にしようとする。


「ちょっと!? え~!? なんでもう帰るの!?」


「急用を思い出した……。なんでひっつく」


 紅葉が背中に密着してくるせいで身動きが取れない。引き離そうとしたところで、かなたが神谷の服の袖をつまんできた。腕の動きまで封じられる。


「あ、あの、もう少し一緒にいてほしいなー、なんて。思ったり、思わなかったり……」


 上目遣いに見つめてくるのに耐えられなくなって、神谷はかなたを意識の外に飛ばす。

 そのまま扉に向かおうとしたところで、急に残りの片腕まで重くなった。


「いや、お前がくっついてくるのは意味不」


「面白いかと思って」


 両サイドをかなたと楓に押さえられ、後ろからは紅葉が体重をかけてくる。モテ期再来。

 嬉しいというよりは、うっとうしい気持ちが圧倒的に勝った。


「本当に用事ができただけ。離れろ、お前ら」


「とかなんとか言ってますけど、どう思う楓ちゃん」


「絶対嘘です。私のことが面倒くさくなって帰る気なんです。逃がしませんよ、まだまだ付き合ってもらいます」


「結城さん、なんとかして」


「……いや、かも」


 一番常識人のかなたに助けを求めるが、あっけなく却下される。楓に倣って、かなたも腕を絡めようとしてくるが、恥ずかしさがあるのか顔が微妙に赤い。

 そんな顔を見るのは心臓に悪い。


「はあ。後で戻ってくるから。それでいいでしょ」


「ご飯食べにいこうよ! ここのみんなで! まだまだ喋り足りないからさ!」


「俺は別に腹減ってないんだが……わかったよ」


 ここでごねると無駄に長引きそうなので素直に頷いておく。

 楓と紅葉はそれで離れてくれたのだが、ただ一人、かなただけが名残惜しそうな顔のまま、神谷の腕を取っている。


 ……一番離れてほしい人なのだが。


「結城さん?」


「たまには、顔を見せてくださいよ。一人だと寂しいですから」


 冗談っぽく言っているが、本心からの言葉であることが伝わってくる。

 受験勉強中の紅葉がここに訪れる頻度も、今では激減しているだろう。


「うん。暇だったらね」


「神谷くん、いつも暇じゃないですか」


 そう言われてしまうとその通り過ぎて、神谷は何も言えない。今日も寝るだけの一日で終わりそうだったのだから。

 神谷は自分で気付かないうちに笑みを浮かべていた。


「またね」


 相談室を出た神谷は、その足で一つ上の階に移動した。ここにも特別授業で使われる教室が多い。神谷はまっすぐにとある教室に向かっていく。相談室の丁度真上に位置する場所。


「————篠原」


 その後ろ姿に声をかける。

 驚いたように、そして意外そうな表情で見つめ返してくるその瞳を、神谷は直視する。


「今、いいよな?」


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