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「語るの?」

 沈んだ気持ちのまま、観客席に戻ろうとした。今日はもう出場する競技はない。あとは閉会式までぼんやりと待っていればいい。

 だいぶ疲れてしまった。寝不足もたたっている。今日はこれ以上のイレギュラーは起きてほしくない。


 ……なんて考えていたせいなのか。

 長い一日はまだ終わらないらしい。


「遅かったのね」


 目の前で、朝日月夜が腕組みをしている。明らかに大樹を待っていた様子だ。

 さっきの今だから、身構えてしまう。まだ怒っているだろうか。


「あ、はい。ちょっと」


 紅葉との会話のことは伏せさせてもらう。言っても困惑させる。


「篠原くん、あのね……」


 緊張した面持ちで月夜は切り出した。


「この後……二年生たちが着物に着替えるのは知っているかしら」


「はい、藍咲音頭ですよね」


 二年生による学年種目だ。見た目の華やかさから注目度が高い……らしい。山口太郎がそんなことを言っていた気がする。


「それで、そのあとは自由時間があるのだけど……」


 もじもじと指を絡ませて、大きな瞳がこちらの反応を窺う。

 なんだかこっちまで緊張してきた。何を言う気なのだろう。


「一緒に写真を撮ってくれないかしら」


「………。お安い御用で」


 とんでもない切り込みをしてくるのではと危惧していただけに、大樹は安堵した。

 月夜にしてはかなり可愛らしいお願いだ。


「あとで行きます」


「約束」


 月夜は小指を出そうとして、やっぱり引っ込めてしまった。足早にその場を去っていく。

 大樹も、今のは見なかったことにした。


 一年生たちのブースに戻り、席に座った。ちらほらと、着物姿の男女が姿を見せ始める。見知った顔だと蒼斗や芝崎を見つけることができた。月夜はまだいない。ついさっきまで話していたから、出てくるまで時間がかかるだろう。待たせていたのが申し訳ない。


 観客は彼らに釘付けになって黄色い声をあげる————どころか発狂しそうな勢いだ。着物は、着る人が着ればかなり映える代物だ。普段見られない装いに、男女関係なく観客たちが咆哮をあげる。


 大樹はそこまでになれず、逆に冷静になってしまった。

 視線を外したとき、大樹の視界の端に二人の女子の姿が留まった。


 委員長と楓が何やらコソコソ話をしている。委員長が指差した先には男子生徒がいた。さっきの部活対抗リレーで走っていた誰かだと思う。運動部特有のさわやかな空気感を持った人だ。


 楓がその男子生徒のもとへ走り寄っていく。二人は体育館を抜け出した。


「えっ」


 思わず変な声が出た。大樹は条件反射で二人を追いかける。

 同じく体育館を飛び出すが、既に楓の姿はない。どこへ行ったのだろう。大樹は意味もないのにあたりを見渡した。


「篠原くん、何してんの?」


 突然、声をかけられて大樹は驚愕した。

 大樹のクラス委員長(真)だった。紛らわしいことに、大樹のクラスには『委員長』というあだ名の生徒と本当の委員長がいるのだ。目の前にいるのは後者の方。


「どしたの?」


「あ、いや、かえ————」


 慌てて口を押さえる。どうしてそんなことをしたのか自分でもわからない。


「かえで? 森崎さんのこと? さっきすれ違ったけど」


「マジ!?」


「え、何……?」


 興奮した様子を見せた大樹に委員長(真)はドン引きしている。

 大樹が踵を返して走り出すと、どうしてなのか彼女も追いかけてきた。


 会場の外に出てすぐのところで、二人の姿を見つけることができた。慌てて隠れる。物音ひとつで気付かれかねない。


「あのさ、こういうのあんまり良くないと思うけど」


 声をひそめて、委員長(真)は言う。


「……どうして?」


「気付いているくせに。どう考えたって告白でしょ。これ」


 薄々感じ取っていたことを言葉にされてしまう。大樹はバツの悪さを感じたが、今更引き返すこともできない。


 男子生徒の方は、少し緊張している様子。楓は後ろ向きなのでどういう顔をしているか見えないが、いつも通りな気もする。この状況をどういう風に感じているだろう。


「時間とってくれて、サンキュ」


「別に」


 男子生徒とは対照的に、素っ気ない態度で楓が答えた。

 楓も、この時間がどういうものかを察しているはずだ。なのに、この対応は少し違和感がある。一切動揺を感じられないのだ。


「なんか楓、妙に落ち着いてない? 慣れてる、っていうか」


「そりゃあ、あの子にとっては何回目だよって感じだろうから」


「え?」


「気付いてなかったの? 色んな人から結構告られてるよ?」


「え、何それ知らない……」


 衝撃の事実が委員長(真)によってもたらされてしまった。

 本人からはそんなこと、一度だって聞かされたことがない。


「なんで委員長は知ってるの?」


「なんでっていうか。最近じゃ森崎さんに会わせてくれって言ってくる人多いし。みんな知ってるでしょ」


 なんで自分は知らないんでしょう、友達が少ないからですかね。

 それよりも気になる言葉が混じっている。


「最近?」


「文化祭でかなり目立ったでしょ? それのせいじゃない?」


 はっとした。

 確かに、先月の文化祭で魔女の仮装をしたり、大勢の前で司会をしたりと楓の存在感は際立っていたと思う。普段のイメージとのギャップもあっただろう。


 委員長(真)と話している間に、向こうの話も進んでしまっている。


「よく見ると結構可愛いのにさ。今まで誰も話題にしないから全然ノーマークだったっていうか。何で気付かなかったんだろうって感じ」


 男子生徒のそのセリフを聞いて、なんだか無性にイライラするのを感じた。


「委員長の目から見てさ、楓って可愛いと思う?」


 問いかけるも、それに返ってくる声はない。聞こえなかったわけではなく、意図的に無視したのだと思う。まあ、別に答えを求めていたわけではないからいいのだが。


「ねえ、何が言いたいの?」


 楓が先を急がせる。


「まあ、ようするにさ——俺と付き合わない?」


 ついに決定的な言葉が紡がれてしまった。

 もしかしたら、言った本人よりも大樹の方が緊張してしまっているかもしれない。


 楓は何も言わない。気になり過ぎてしょうがないのでもう少し身を乗り出すと、委員長(真)に引っ張られた。やり過ぎらしい。


 早く何か言ってくれ。気がおかしくなりそうだ————



「誰とも付き合う気ないから」



 楓の返事を聞いた瞬間、大樹はその場に座り込んだ。

 安心と、落胆が一気に押し寄せてくる。


「あちゃー。やっぱそういうタイプだったか。お前、恋愛とか興味なさそうだもんな」


「よく言われる」


「そう? じゃあさ、その気になったら声かけてくれよ。いつでも待ってるし。あ、連絡先教える?」


「いや、いらない」


「んだよ」


 男子生徒の方は、朗らかに笑う。打たれ強いな。

 楓が帰ろうとする素振りを見せたので、大樹たちは慌てて隠れ直す。


「戻らないの? 寒いよ」


「いや、少しここで時間潰すわ」


「そ」


 足音が近づいてくる。すぐ近くを楓が通り過ぎていった。

 委員長(真)と共に気配を殺し、楓がいなくなったところでようやく大きく息を吐いた。


「心臓に悪いったらないわ」


「付き合わせてごめんね」


「勝手に付いてきただけだし」


 彼女はそう言うが、一緒にいてくれた分、罪悪感は軽くなった。このことは二人だけの秘密にしたい。


「あのさ、委員長は誰かと付き合ったこととかある?」


「なに恥ずかしいこと聞いてんの? ないわよ」


「そっか。俺はあるよ」


「は? 自慢? はあ???」


「怖い、怖いよ委員長……」


 ものすごい剣幕で凄まれてしまう。そんなに気に障ったのだろうか。

 あの頃の思い出は、かけがえないものであると同時に苦々しいものでもある。成功と失敗をいっしょくたに経験したのだ。


「中学のときの彼女なんだけどね?」


「え、突然なに。語るの?」


 許してほしい。咲夜や紅葉、月夜たちにあてられたせいで昔の記憶が蘇る。




 今から二年前の春、同学年の女子に恋をして、縁あって付き合うことになった。

 月並みな表現しか出てこないが笑顔がとても素敵な人で、それに大樹が惚れ込んでしまった形になる。


 初めてできた恋人だから、当時は有頂天になっていた。


 人生で最も楽しい瞬間で、ただ自分が楽しくなることに夢中になってしまった。

 彼女を見る目が段々と曇ってきて、気が付いたときには手遅れになっていた。


「あなたといても面白くない」


 シンプルなセリフと共に、彼女は別の男の手を取って去った。

 元はと言えば独りよがりだった大樹が悪いのだが、的確に心をえぐって他の男と並んでいる光景は、かなりつらかった。


 初めての恋愛をそういう風に終わらせてしまったことをひどく後悔している。

 次に人を好きになったなら、もっとうまくやりたい————




「面白くもない話だったね」


「あれ、デジャヴ……?」


 当時のダメージが鮮明にリフレインした。大樹が胸を押さえると、隣の委員長(真)はケラケラと笑った。わざとのようだ。罪深い。


「元気出せ、出せ」


 今度は背中を思いっきり叩いてくる。励ましているつもりなのか?


「でもなんか、あれだね、意外。篠原くんもそういう風に人を好きになったり悩んだりするんだ?」


「そりゃあ、するよ。……そんなに変?」


「変っていうか。篠原くんってどういう人なのかよく知らなくて。目立つときとそうじゃないときの差が激しいし」


 クラスメイトと馴染めていない弊害がこんなところに。

 それはそうと、自分が目立ったときなんてあっただろうか。そう思っていると「球技大会とか文化祭とかさ」と言われた。


 ……あー、なるほど。おとなしくしてると思ったら急に動き出すからびっくりするのね。


 大樹がクラス内でどういう認識をされているのかはっきりした。


「でもなんか今日話してて、篠原くんも普通の人なんだなって安心しました、とさ」


「そりゃそうだよ」


「ね。……ってことでお互い頑張っていこう。大丈夫、大丈夫。私たちは恋多き高校生だよ! 好きな人くらいいくらでも出来るって。そのときに頑張ればいいのよ」


 警戒心が解けた結果なのか、恥ずかしいことを堂々と話す委員長(真)。

 大樹もだいぶ口が軽くなってしまう。


「うん、ありがとう。まあ俺も楓に告白したけどね」


「ふーん。………。……え? ええっ!? ごめん、もう一回言ってもらっていい!?」


「やだよ」


 困惑する委員長(真)を尻目に大樹は立ち上がった。急ぎ足でその場をあとにする。

 逃げたわけではない。そろそろ戻らないとい月夜との約束を守れなくなる。


 走りながら、大樹は先程の告白の一部始終を思い出す。そして、楓の言葉も。



 ————誰とも付き合う気ないから



 楓が告白を断ってくれたのは嬉しい。でも他の誰であっても楓の心を開くことができないのだとしたら、ひどくやるせない。

 未練たらしく追いかけてきたのは自分の中で焦りがあったからだ。楓が他の誰かのもとへ行くのが嫌だったからだ。だから、俺は楓を好きなはず……だ。


 頭をくしゃくしゃにする。もやっとした違和感が絡みついてきていて気持ち悪い。

 違和感が付きまとうのは、自分の中に引っかかりがあるせいだ。さっきの場面を、自分に置き換えて考え直してみる。


 自分は、楓と付き合いたいのだろうか?


 ほんの少し前だったら、迷いなくイエスと言える。けど今は素直に首を縦に振ることができない。必ずしも、それが楓との関係における正解ではない気がする。

 今一度、自分に問いかけなければならない。




————俺は楓とどうなりたいのか、を。




 誰だか分からない人からの告白を断って、ようやく体育館に戻ってこれた。

 そういえば、あの人名乗っていかなかったな。本当に名も知らぬ誰かさんのまま別れてしまった。


「どうでもいいけど、さ」


 文化祭が終わってから、やたらと声をかけられるようになった。一過性のものにすぎないはずだけど面倒なことこの上ない。月夜の気持ちが良く分かった。


 時間をとられている間に、藍咲音頭は終わっていたらしい。

 観客席の生徒たちのほとんどが下におりて二年生たちと写真を撮っている。普段見られない姿だから興奮もひとしおだ。


その中でも特に大きい人だかりの中心にいるのは予想通り朝日月夜だ。次から次へと引っ張りだこにされているのが気の毒……と言いたいところだが、本人は意外にも一人一人に丁寧な応対をしている。そのせいで人の流れは途切れない。


「随分丸くなったなー」


 楓の知っている月夜は、ああいうことはしなかった。

 一定の距離を取り、自分に群がる人間に笑顔など浮かべない。そしてそんな自分の在り方を微塵も疑わない。それが、楓の見てきた朝日月夜だ。


 何が、そんな彼女を変えたのか。


 答えは隣にいる男の影響だろう。


「大樹……」


 立ち尽くしているうちに、大樹と月夜が寄り添うように並んだ。翠がスマートフォンを構えている。写真を撮るようだ。

 遠くからでも分かるくらい、大樹も月夜も顔が赤い。月夜はやけになっているのか、大胆にも腕をからめてさらに密着してきている。


 爪が肌に食い込むほどの激情を覚える。


「いやなものばっかり見ちゃうなあ」


 部活対抗リレーでバドミントン部が勝って、大樹が月夜に抱き着いていたのを見たときも耐えきれないで拳を強く握った。おかげで手の平から出血している。


「ふぅー………」


 痛みをこらえきれなくなったところで、ようやく手を緩める。

 最近の自分は全く冷静じゃない。感情に振り回された行動が多い。心の平穏を保つために、とりあえず後ろでも向いておこうか。


「………」


 気持ちは少しも落ち着かない。

 苦しい。楽になりたい。私は何がしたいんだ。


 いや、分からない振りはしない。大樹にちっとも近づけないこと。そしてじたばたしているだけの自分にイライラしている。

 必要なのは、月夜と同じ土俵に上がること。


 証明するんだ。




 ————私は大樹とどうなりたいのか、を。


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