「へっちゃら」
部活対抗リレーでの勝利の余韻もそこそこに、次は借り物競争だ。
とりあえず参加者たちの列に集まってみたものの、心臓は未だ激しく暴れている。興奮は全くおさまらない。もうちょっとだけ皆と喜びを分かち合っておきたかった。
そわそわしていたせいなのか。気配に気付けず後ろから誰かに抱き着かれて、目を覆い隠されてしまった。
「だーれだ?」
「………亜樹?」
「正解♡」
えへへ、と照れて笑うのは双葉亜樹だ。ジャージのサイズが合ってないせいで萌え袖みたいになっている。あ、あざとい。あとそういうのに関係なく可愛い。彼女かと思ってしまった。彼女いないけど。
「リレー、みんなカッコよかったです。羨ましかったなぁ」
「ごめんね!? 来年は絶対一緒に走ろうね!?」
説明が遅れたが、彼女は大樹と同じバドミントンの所属で————間違えた。
彼は期待の新人部員なのだ。
背格好も顔も艶やかな黒髪も、どこからどう見ても女の子にしか見えないが、性別は男だ。
油断してはいけない。亜樹と話すときは『こいつは男、こいつは男……』と唱えておくことが重要だ。じゃないと忘れてしまう。
「絶対ですよ?」
お互いに小指を絡ませる。
「ゆびきーりげんまん。ウソついたらはーりせんぼん、のーます」
ご機嫌に口ずさんでいる。さっきとは違う理由で心臓がうるさい。すごい恥ずかしい。でもずっとこの子とイチャイチャしていたい欲に駆られる。
『お待たせいたしました! いよいよ借り物競争を開始します!』
山口太郎の声が、大樹を現実に戻した。危なかった。あのままでは意識をやられるところだった。
「またあとでね!」
「お、おう」
競技のルール説明がされる。大樹は耳を傾けた。
『さあ、この借り物競争、一瞬で勝負がついても面白くないとのことで、借り物の難易度はかなり高め! もし用意できない場合はチェンジも可能! ただし交換には三十秒のロスタイムがあるので要注意だぞ!』
楓がお灸を据えた結果なのか、彼の実況は意外とまともだった。楓が随分悪しざまに言っていたので、印象がだいぶ改善された。
……すぐにひっくり返ることになる。
スタートラインに並ぶ。空砲と同時に一斉に走り出した。このときだけは走力を求められるが大した痛手ではない。さて、係員から紙を受け取り、折られているそれを広げる。
「あ、手書きなんだ、これ。………は?」
そこに書かれている文字を見て、大樹は目を白黒させた。天を仰ぎ、冷静さを取り戻した上でもう一度読んでみる。
『おっぱいが!!! デカイ人!!!』
書き殴られた文字から伝わってくる熱量が半端じゃない。それとこの字癖、心当たりがある。放送席にいる彼だと思う。
こんなものどうしたらいいんだ。まず、誰を連れてきていいのか、この条件を満たす人に心当たりがない。仮に思いついたとしても、このお題で人を連れてくるのは論外。大樹が変態扱いされる。
「ちぇ、チェンジで」
時間ロスがもったいないと思ったが、他の選手たちも困惑している様子だ。
どれも似たり寄ったりだったか。
「どうぞ」
次に差し出された紙を受け取る。今度こそはもう少しまともな借り物であってほしい。
『彼氏か彼女。いなければ気になってる人でもいいぞ♡』
明らかに恋愛脳の女子が書いたな、これ。
これもやばい。
何がやばいとは言わないが、今の大樹は恋愛方面の話題は受け付けないのだ。体育祭あるあるには乗っからない。頭に浮かんだ二人のことは今は放置しておく。
『三年生の知り合い』
なんで一年生の借り物競争にこんなものがあるんだ。連れてこれない人もいるだろ、配慮してほしい。
でも、今まで一番まともだ。幸いなことに該当する知り合いが多い。
「相馬先輩か、真琴先輩……!」
部活に入っていて本当に良かった。三年生のブースに一直線。一人一人の顔を確認していって、ようやく見つけることが出来た。
「真琴先輩!」
「うわっ、なに」
「お願いします!!」
お題の紙を見せる。
「嫌」
まさか拒否されるとは思っていなかった。
「なんで!?」
「受験の話をしたから」
「まだ根に持ってるの!?」
「あと、あなたが赤組だから」
真琴は自身のハチマキを指差す。白かった。
押し問答を繰り返したが、結局了承は得られなかった。たぶん赤白とか受験とかは本当は関係なくて、『借り物』として人前に出るのが嫌だったんだと思う。
相馬ならその点を許してくれると思うが、近くに彼の姿が見えない。別のクラスの席か。
「ゴォール!! 一着は……双葉亜樹!! お題は————……」
亜樹!? 早い!
まずい、続々とゴールする人たちが現れ始めた。ぐずぐずはしていられない。
「!」
一筋の光明が差す。
何故、見落としていたのだろう。こんなにも近くにいたのに。
やっぱりというべきなのか、その人はいつも通りお菓子を食べている。コソコソと隠れているが見つかったらただでは済まないのに。肝が据わっている。
「もう、紅葉先輩だけが頼りっす!」
彼女の顔前に思いっきり紙を突き付けると、紅葉が少し仰け反った。やがて困ったように笑われる。
「うん、オッケー。じゃ、いこっか」
了承をもらい、二人でゴールへ向かう。それにしてもこうして並んでみると本当に小柄な人だ。この人も来年には卒業して大学生になってしまうのだと思うと寂しい……いや、信じ難い。
「ありがとうございます、紅葉先輩。本当は部活の先輩を連れていこうとしたんですけど、断られちゃって」
「断られるなんてことある?」
「受験について話題に出したら怒られちゃって」
「それは、気を遣ってあげても良かったかもね」
楓に聞いた話だと、紅葉は以前のように相談室には通っていないらしい。
真琴たち同様、この時期の三年生はやはり忙しいようだ。
大樹は四着だった。十人中の四位と考えれば、まずまずの結果と言えるだろう。
「大樹さん! 見てみて!! 一位!!」
双葉が旗を持ってはしゃいでいる。分かったから落ち着いてほしい。飛びついてきそうな勢いだったのでちょっと距離をとってみる。
「はいはい。おめでと。……って、え!? なんでセンパイがいるの」
旗で顔が隠れていたが、双葉のすぐ横に月夜が立っていた。こうして二人で並ばれると姉妹みたいだ。どちらも黒髪美人で顔が整っているし。
「ボクのお題が朝日先輩だったの」
「どういうお題?」
「当ててみて」
「ん? そうだね。例えば美人な————」
大樹は言葉を止めた。月夜が聞き耳を立てている気がする。
双葉に近づいて、内緒話をするように耳打ちする。
「あ、ちょっ、耳。くすぐったい……んっ」
色っぽい声を出されてしまった。もうどうにでもなれと思う。一々リアクションするのに段々疲れてきた。
「もうっ! 何て言ったか分からないじゃないですか!」
「もういいから紙見せてくれる?」
息が上がっている双葉からお題の紙を受け取ると、シンプルな言葉が書かれている。
『朝日月夜』
「まさかの名指し!?」
「意外と簡単だった~♪」
「そ、そう。俺は結構苦労したけどね」
おっぱいデカい人とか好きな人とか。
双葉にも見せてあげようとしたとき、それまで静かに黙っていた月夜がそれを素早く取り上げた。大樹が静止の声を上げるよりも前に、読まれてしまう。
「ねえ。これ、どういうこと?」
月夜が指摘してくるのは、当然二枚目のお題について。低い声で詰問してくる。お願いだから小首を傾げて睨みつけるのはやめてほしい。あまりにも怖すぎて、双葉が大樹の袖を掴んでいる。
ふん、と不機嫌に鼻を鳴らす。
「なんでこのときに私を呼ばないの」
少し落ち着いたのか、今度は不貞腐れたような残念そうな顔をされてしまう。
なんと言い訳しよう。
「……亜樹がもうゴールした後のことでしたから」
「嘘つき」
月夜はそっぽ向いて、そのまま去ってしまう。かける言葉が見つからなかった。
双葉はおろおろと視線をさまよわせた後、大樹に頭を下げると彼女を追いかけていった。何やら一生懸命話しかけている。
思わず溜め息がこぼれた。
誤魔化すにしても、さっきのは失敗だった。きっと月夜は、競技が始まった瞬間から大樹のことをずっと見ていたのだろう。三枚目のお題を引き当てるまで、一歩も動けずにいたところも。
それまで様子を静観していた紅葉が、大樹を気遣う。
「なんか、すごかったね」
「お騒がせしております……あと今見たことは全部忘れてくれませんかね」
「うん。頑張ってみるよ」
大人な対応をする紅葉に、少しだけ拍子抜けになる。以前の紅葉なら、もっとぐいぐい根掘り葉掘り聞いてきそうなのだが。
「ところで、勝手に紅葉先輩を連れてきちゃいましたけど、大丈夫ですかね。あとで神谷先輩に怒られるかも」
神谷とは紅葉の彼氏のことである。大抵のことに興味を示さない風変りの人だが、紅葉のことになると途端に熱くなるのだ。こうしているだけでも嫌な汗が流れる。
「あ、それは大丈夫。神谷くん休んでるから」
「ああ、相変わらずですね。神谷先輩らしいですけど。出席日数とか足りてるんですか」
「多分大丈夫だと思うけど。私と別れてから全然学校来てないみたいだからちょっと心配かな」
「…………………………………………………え?」
「たっぷり溜めてきたね」
「聞き間違いでしょうか」
何気ない会話の中にとんでもない爆弾を放り込まれた。
紅葉の表情は普通だ。相当なカミングアウトをしたという自覚が足りない。
「別れたんですか!? なんで!?」
「大袈裟だよ。……うん、そうだね。簡単に言えば愛想尽きちゃった。私の方から別れてくださいって言ったよ」
開いた口が塞がらない。
気持ち的には今日一番のブルーだ。
あまりにも大樹が落ち込んでいるからなのか、紅葉が申し訳なさそうに顔をのぞきこんでくる。
「大丈夫? そんなにショックだった?」
「ショックというか、なんかもう……。ええ……?」
衝撃的なことを聞かされると、言葉が全く出なくなるのが人間というもの。
なんならその場にひざまずいていた。紅葉もひざを折る。
「なんというか、ごめん。そこまで気にかけてもらえるなんて思ってなくて。ジュースでも奢るよ」
「いや、どうかお気遣いなく。……そっかあ」
ぼんやりと浮かぶのは、相談室で仲睦まじくしている二人の姿だ。
あの光景を目にすることは二度とない。
「最近、周りで別れるとかフラれたとかの話題が多い気がして。……マジかーって感じですね」
「マジかーって感じね。うん。分かるよ」
お互いに言葉は少ないが、気持ちは通じ合ってしまう。
大神に対しては色々と噛みついてしまったが、今では反省している。別れてしまった以上、部外者がかける言葉など何もない。
紅葉に対してもそうだ。大樹が何を考えようと蚊帳の外だ。
「……平気ですか」
「うん。へっちゃら」
「そうですか」
「そんなものだよ」
別れ際、紅葉は大樹の口にチョコを押し込んでいった。これ以上喋るなという意味だろうか。
気分とは裏腹に、味はとてもおいしかった。もう一つと欲しがることはできないけれど。