「インドアスポーツの地の利が出たな」
「それでは藍咲学園、体育祭を開幕します」
実行委員会が開催を宣言する。大樹たちは綺麗な隊列を形成しながら耳を傾けている。
整列している生徒数はかなりのものだ。毎週の全校集会よりも多い。
この時期、藍咲学園の三年生は受験勉強のために自主休校を許されている。だが、この体育祭は強制参加だ。
だからなのか、三年生たちが面白い。受験勉強させろと苛立ちを露わにする者、逆に張り切っている元運動部たち、久しぶりに会う学友たちと話をはずませる者たち、色々な反応が見れる。
さて、と。
大樹は気を引き締めた。
どうやってこの一日を乗り切ろうか、覚醒した頭を回す。
運動部に所属しているくせに陰キャラ気質は一切変わらないので、種目に出ていない間をどうやり過ごすかが重要になる。球技大会のときは遺憾なくボッチを発揮し、かなり苦しめられた。
出る種目はそんなに多くない。立候補すれば増やすことも出来たが、自信がないものに出ても仕方ない。足の速さとか力比べとか、単純なものを求められる競技は大樹にとっては苦しいのだ。
「何出るの?」
「騎馬戦とか玉入れとか、借り物競争とか」
「見事に誰でもできそうな種目だね」
「うっさい」
ベストな解を引き当てたと思っている。個人の力を比べるような場面ないし、運の要素も充分に期待できる。これで一定の貢献度を稼げるだろう。
「でも屋内で体育祭ってのも乙だね。ちょっとテンション上がってきたよ」
「俺は下がってる」
「なんで」
「部活みたいだからだよ」
バドミントンは屋内競技だ。中学から高校まで、運動と言えば屋内でする感覚が植え付けられている。たまには青空の下で運動してみたい。
『さあ、今年も始まりました! 藍咲学園体育祭! 司会進行は放送部、山口太郎がお送りします!』
「げ」
楓が顔をしかめた。
「山口太郎くんだね。懐かしいね」
聞き慣れた声に大樹は顔を緩めた。
文化祭の時期に、一緒に統括として頑張った友人だ。……友人? と思っていいのだろうか。大樹は直接的な接点は少なかった。
楓はおもむろに立ち上がり、放送席に無言で向かっていった。
『さて、なんと言っても楽しみなのは一年女子の創作ダンスと二年女子の藍咲音頭!! 普段見られないあの子のあんな姿やこんな姿をぜひその目に焼き付けて————え、ちょっと。なんでここに森崎楓がいるんだ、あ、すいません、はい。ちゃんとやります森崎様』
この光景、前にも見た気がする。
楓はうんざりした様子で帰ってきた。
「あいつ何度絞めれば気が済むんだろ」
「そういえば、楓たちのダンスあるんだよね」
太郎の言葉で思い出せたが、一年女子は応援席でダンスを披露して出場選手を鼓舞するのだ。それも一斉にやるのではなくて、時間ごとで各々のクラスがするというもの。
「絶対見るなよ」
「時間が被ってたら見られないよ。楓いつなの?」
「午後の最初」
「……部活対抗リレーだ」
なんとも運の悪い。
体育の授業は男女で別れるから、女子がどんな練習をしているのか知らないし、これが初お披露目になるというのに。
「……楓? どうしたの、その顔」
「別に」
◇
早いもので、もう午後になってしまった。午前中はクラスリレーと玉入れくらいしか出なかった。暇な時間が多く、結局ぼっちで過ごすときもあったが、ときたま楓がきてくれたので心細さはそれほどでもなかった。
どこの体育祭でもそうだと思うが、藍咲学園は紅白で点数を競う。ちなみに大樹のクラスは赤だ。午前中の種目は点数の変動が激しいものが多く、反対に午後の種目はエンタメ色が強い気がする。点数もほとんど入らない。
部活対抗リレーもそのうちのひとつだ。
食事が遅れたせいで、着替えるのがギリギリになってしまった。大樹の装いは試合用のユニフォームに変わっていた。他の部活も同じように練習着を用意するらしい。
ネタ枠だと言われる所以が分かる。例えば、剣道や柔道なら胴着で走ることになるのだから。真面目に走るとかなり危ないことになる。
「しーのはらくーん」
唐突に声をかけられ、大樹は後ろを振り返った。
「お久しぶりです! 相馬先輩に真琴先輩」
「元気だったー?」
「真琴って呼ぶな」
元バドミントン部の相馬と真琴だ。夏に引退してからもこうして話すことが結構ある。
「久しぶりに後輩たちに会えて嬉しいや。リレー頑張ってね。上で応援してるよ」
「一位とってきます!」
「陸上部がいる時点で無理でしょ」
真琴に突っ込まれる。それは言っちゃいけない約束だ。やる前から勝敗はある程度目に見えているが、何も勝率がゼロというわけではない。
「こら、水差さないの。……ここ最近学校に来れてなかったし、久しぶりに運動できて良かったよ」
「受験勉強ですよね」
「そそ」
相馬は中々優秀だと聞いているから何も心配していない。
問題なのはもう一人の方だ。
「真琴先輩は?」
以前聞いたときはかなり不安そうだったが。
「次その話題を出したら〇すわ」
「〇す!?」
一気に放送禁止用語に抵触した。
「あ、あはは。ごめんね。真琴は僕が連れていくよ。それじゃ」
苦笑いしながらの相馬と顔面蒼白の真琴が去っていく。
今は笑ってみていられるけど、二年後は同じ地獄が待っているんだよなぁ……。
「………」
嫌なことを考えるのはやめだ。早く戻ろう。
会場は様々な部活の部員たちでひしめきあっていた。こうして眺めていると、みんな服装がバラバラで面白い。先月のハロウィン仮装を思い出す。
「お、やっときたかよ篠原」
二年バドミントン部の芝崎だ。後ろには残りのバド部メンバーが既に待っている。申し訳ない。頭を下げつつ、挨拶する。
「すみません。遅れてしまいました」
「おう。いいか、今日は全力で一位を狙っていくからな」
一番気合が入っているのは芝崎だ。元々運動が得意な人だし、こういう勝負ごとに手を抜かない主義なのだ。
藍咲バドミントン部は七人の部員がいるが、人数制限の都合で六名での出場だ。
「篠原くん。また後で」
月夜にはそう声をかけられて、彼女は向こうのブロックに走っていった。アンカーである月夜にバトンを渡すのは大樹の役目になった。ちょっとだけ緊張する。
「行ってくる」
「頑張ってください」
バド部の第一走者は現部長の神谷蒼斗だ。体格・走力ともにずば抜けていて、蒼斗なら良い結果をもたらしてくれるはずだ。
ついさっきまで騒がしいほどだったのに、選手たちがコースに入った途端会場は静寂に包まれた。この空気で、スイッチが入れ替わる。
かわいた音が静寂を切り裂く。横並びだった選手たちが一斉に走り出した。蒼斗は陸上部に続いて二位の位置をキープしていた。さすがだ。蒼斗のすぐ後ろを、テニス部とサッカー部が追いかけている。彼らはどんどん加速していって————
「うおっ!?」
「やべっ!!」
コーナーを曲がれ切れず転倒していった。後続の選手たちもそれに巻き込まれる。
午前中、嫌になるくらい見た光景だ。
「インドアスポーツの地の利が出たな」
ぼそっと、隣で大神が呟いた。
体育館を上履きで全力疾走するのは、足に負担がかかって難しい。無茶をするとああやって転んでしまう結果になる。
絶対王者の陸上部も、いつもと勝手が違うステージに本領を発揮できずにいる。
見事というかなんというか。蒼斗は陸上部さえも抜いて一位でバトンを繋いだ。
「よくやった蒼斗ォ!!」
芝崎の雄叫びがここまで聞こえてくる。芝崎はリードをさらに大きくして第三走者の大神へ。
大神もバドミントン以外にはからっきし興味ないが、平均以上の運動能力を秘めている。大神は結構速い走りを見せるが、追いかけてくるのは上級生たちがほとんどで若干リードが縮まってしまった。
続くのは女子の咲夜だ。男子が多い中ではかなり不利な戦いを強いられるかもしれない。その次の大樹自身もあまり足が速くないから、ここでできるだけ余裕を残したままで月夜に託したい。
大神が迫ってくるのを見て、咲夜はスタート位置から走り出す。ベストなタイミング。全力疾走してくる大神のスピードを存分に活かせる。大神と咲夜が腕を伸ばして、バトンは咲夜の手に。
そのとき、大神と咲夜の手が触れた。
「あっ」
時間が止まったみたいだった。
バトンがゆっくり落下し、止まり損ねた大神がそれを蹴り飛ばしてしまった。ここにきて痛恨のミス。バトンパスは成功していない。
大神が方向転換し急いで拾いに行くが、後続の選手たちがその行く手を阻む。彼らが通り過ぎた後でようやくバトンは咲夜の手に渡された。
ここまで一位を守ってきたが、一気に転落し順位は四位。咲夜は懸命に走ってくる。
走れば血が巡って熱を帯びるはずなのに、咲夜の顔面は青白かった。
「ごめん、篠原!」
泣きそうな声で言う。
ミスをした理由は分かっている。それだけに責められないし、その気もない。
勝ちたい。勝たなきゃいけなくなった。
「任せてください!」
咲夜からバトンを握りしめ、全力で駆ける。
気合が入ったからといって、いきなり実力が変わるわけじゃない。大樹ではこの状況をひっくり返せない。
だから、月夜の実力を最大限に引き出す。それだけ考えることにする。
理屈の上では、月夜のトップスピードに近い形でパス出来れば最高の形になる。アンカーだけは一周するルールだ。だから月夜が選ばれた。走力と持久力があの蒼斗をも凌いでいたから。
コーナーを曲がって、開けたコースへ。月夜は大樹を待っている。その表情は真剣そのもの。
————立っているだけでカッコいいとか、ずるくない?
力んでいた体から、少しだけ硬さが取れるのが分かった。安心感が違う。
月夜が、大樹の変化を感じ取ったのだろう。子供みたいに白い歯を見せて笑った。
大樹との距離が遠いのに、月夜は地面を蹴った。大樹の中に焦りはなかった。今ならその背中に追いつけそうな気がした。
足が軽い。月夜も最高速度に近い。いい、いける。
「頑張って!」
月夜は振り返らなかった。前だけを見ている。
速い。綺麗なフォームだ。また目を奪われる。ただ走っているだけなのに、ずっと見ていたくなる。この人のことを、今も昔も、ずっと見ていたくなるのだ。
刹那だけ静寂が訪れて、会場が湧き上がる。勝負は一瞬だった。
ゴールテープを巻き付けた月夜に、大樹と蒼斗、それに芝崎が群がる。
三人で思いっきり月夜を胴上げした。そんな経験が初めてだったのか、月夜は悲鳴を上げている。奇跡の大逆転を演じてくれた月夜を前に、男たちは興奮を隠せなかった。
「センパイ! センパイ! なんであなたはいつもそう……! 凄すぎる!」
特に一番興奮していたのが大樹だった。月夜に抱き着き彼女を褒めちぎる。普段なら絶対にしないことだが、恥のリミッターが壊れているため大樹は止まらない。
月夜は顔を真っ赤にして、されるがままだった。
「オイィィ!! 大神! 咲夜! なんでそんな離れたところで突っ立ってるんだ!? こっちに来い!!」
「なんで俺まで……」
「あたし……ミスったし」
「うるせぇ!! 関係ねえ!! 喜んでおけェ!! 終わり良ければ全てヨオォォシ!!!」
「そうですよ! 勝ったからいいんです!」
大樹も芝崎に続いて後押しする。大神と咲夜は顔を見合わせると、渋々といった感じでこちらにやってきた。大樹が二人の腕を引っ張る。とりあえず、仕切り直しでもう一度月夜を胴上げしておいた。