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「もう少し場所を選んでほしいといいますか」


 数週間が経過して、藍咲学園は体育祭の日を迎えていた。

 他の高校に比べると、こんな遅い時期に体育祭がある藍咲は特殊かもしれない。場所もグラウンドではなく近くの大学の体育館を借りて行うようだ。


 大樹はジャージ姿で家を出た。今日は一日この恰好で過ごすようだ。軽装は楽なので嬉しい。

 マンションの入り口を出たところで、こちらを見据えている瞳と目が合う。


「エントランスで待っていてくれても良かったんですよ?」


「さすがにこの恰好で待っているのは恥ずかしくて」


 嬉しそうに駆け寄ってきたのは、もちろん朝日月夜だ。彼女が大樹の家を訪れて以降、登下校を一緒にすることがほとんどになった。

 駅に向かう途中、大樹は小さなあくびを漏らした。


「寝不足?」


「ええ。まあ、ちょっと」


「今日は一緒のチームで走れるから、すごく楽しみにしてる」


 やる気に満ちた月夜の発言に、大樹は苦笑した。

 種目の中には部活動対抗リレーがある。蒼斗や大神たちと共に戦うことになる。味方の頼もしさを感じる反面、足手まといになる後ろめたさも感じている。大樹はあまり足が速くないのだ……。


「必ず勝ちましょう」


 もちろん、そのつもりはある。情けない姿を見せるわけにはいかない。

 駅に到着すると同じジャージ姿の生徒を多数見つけることが出来る。いつも以上に電車内がすし詰め状態になることが予想できた。


 ホームに出たところで、さっそく同級生を見つけた。


「よう、楓」


「……おす」


 かすれた声で楓は答える。目が半開きの状態だ。体は半分寝ているらしい。

 月夜も楓の姿を認めると、呆れたように溜息をついた。


「なんでそんなに眠たげなの?」


「寝るのが遅くて」


「あなたのことだから、どうせゲームでもしていたんでしょ」


「んー……」


 楓は一瞬だけ、意味ありげに大樹に視線を向けた。

 大樹の表情が引きつったところで、楓は月夜に向き直った。


「まあ、そうですねー」


「電車の中で寝ないで。置いていくから」


「えー、お願いしますよ。つっきー先輩が頼りなんですってば」


「楓近い。寄らないで」


 眠気マックスの楓が月夜に抱き着く。ここ数週間で見慣れるようになった光景だ。

 二人の言葉を借りるなら『仲良くなった』ということらしい。出会えば喧嘩ばかり

していたのが嘘みたいだ。逆に怖い。


 大樹はもう一度あくびをした。

 やはり、体育祭の前日に夜更かしをするべきではなかった。断れなかった大樹にも非があるとはいえ。


 楓とのおしゃべりは止め時がわからない。



 きっかけなんてものは些細なことが多い。

 宿題でわからないところがあったとき、大樹は楓を頼ることが多い。普段はメッセージでのやり取りがほとんどなのだが、あるとき楓からこんな返答があった。


『教えづらいから通話にしていい?』


 大樹はそれを見たとき、思わず固まってしまった。画面をスクロールしてみて、何かの間違いでないことを確認する。時刻は夜の十一時くらいだった。こんな遅い時間に女子と——楓と電話……?


 覚悟が決まらないうちに着信音が鳴ってしまう。


「うわあ!?」


 比喩表現なしで携帯を放り投げる。画面にヒビが入っていないことにホッとしつつ、慌ててイヤホンを探した。

 通話ボタンをタップする。


『なんで出るの遅いの』


「いや、あの、びっくりしたから」


『なんでよ』


 大樹は無言で音量調整した。イヤホンをしているせいで、すぐ真横で楓が喋っているような感覚に陥る。駄目だ、全然集中できない。

 その日は普通に宿題を教えてもらって、何事もなく通話を終えたのだが、それからポツポツと楓から電話がかかってくるようになった。


 初めこそ理由があってそうしてたが、昨日にいたっては——


「ど、どうしたの?」


『ううん。特に何もない』


 なんて言ってきた。ちょっとむずかゆいというか、嬉しいというか、なんとも言えないけれど悪くない心地だった。


『明日、体育祭だね』


「正直、気が重い……」


『バドミントン以外何もできないもんね』


「部活対抗のリレーに出ることになっちゃった」


『大丈夫、大丈夫。ちゃんと録画しておくから』


「いらんことするな」


 クラスのことや、最近あった面白いこと、友人の話、どれもこれも直接会って話せばいいことなのに話したいことが無限に溢れてくる。


 気付けば日付が変わってしまいそうな時間になっていた。


「そろそろ寝ようよ」


『そうだね』


 しかし通話が切れる気配はない。いつもなら後腐れなく終わるところなのに、今日に限って何故……。


「……切らないの?」


『そっちから切って』


「え、っと」


 そうしようと思うが、指が動いてくれない。

 大樹はもう一度時計を見て……。


「もうちょっとだけ大丈夫でしょ。明日は授業じゃないんだし」


『そ。じゃあ続きは布団の中で』


「ふ、ふとん……」


 楓の寝間着って、どんな感じだろう……なんて気持ち悪い妄想をしながら大樹もベッドの中に入った。眠くなったらいつでも寝れる体勢だ。


 その後、先に音を上げたのは大樹の方だった————と思う。自分がいつ寝たのかは覚えていないが通話終了時刻は午前四時前で表示されていた。



 そんなこんなで眠気を堪えながら、目的の大学にたどりついた。

都内でかなりの面積を誇るようで、体育館への行き方が全然わからない。右往左往している同級生も多い。


「こっち」


 迷いない足取りで月夜が言う。そうか、去年も経験しているのだから当然か。

 ついでに腕もとられるが、ここでも楓がだる絡みを発揮して、月夜が二人を引っ張るという奇妙な図が出来上がった。


「楓の方は離してほしいのだけど」


「体育館どこかわかんないですー」


「後ろからついてくればいい」


「じゃあ大樹もそうすべきではー?」


「彼はいいの」


「えー?」


 月夜が不満げな声をあげるが、楓は全て受け流している。何を言っても通じない相手って、ある意味コミュニケーション最強かもしれない。


「センパイはどこの大学に行くつもりですか?」


 構内には私服姿の若い男女が多くいる。当然ながらここの学生だろう。彼らは物珍しそうにこちらをちらちらと見ている。いきなりこれだけ高校生が現れたらその反応も頷ける。


「東大」


「で、ですよね……」


 もしかしたらと思っていたけど、予想通りの回答だ。最難関クラスの大学だが、そこに通う月夜の姿がありありと思い浮かぶ。彼女の成績なら合格できない道理がない。


「うへえ、マジですか。つっきー先輩」


「楓も実は成績が良いって聞いてる。目指してみれば?」


「いやですよ、絶対」


 楓は思いっきり顔をしかめている。……と思いきや急に月夜の手を離して、何やら考え込んでしまった。色々と葛藤が生まれているようだ。


「行きたいかどうかは別にして、選べるくらいには勉強しておくべきかな……」


 多分大樹にしか聞こえなかったと思う。口ではなんだかんだ言いながら、楓は結構努力家なのだ。


「もちろん篠原くんもぜひ来てほしい。キャンパスライフも一緒に楽しみたい」


「あ、あはは。俺はあんまり勉強できないですよ」


「それなら私が勉強教えるから」


 月夜が力を入れるので、大樹の腕が悲鳴を上げている。本気で自分に勉強させる気だ。どうせスパルタ教育になることは目に見えている。丁重にお断りした。


「あ、着いたかな」


 私立大学の体育館だからか、かなり立派だ。後で知ることだが、大樹たちが使うのは第二体育館と言われる場所で、こことは別に体育館があるらしい。

 丁度、サッカーの試合会場と同じ造りと言えば伝わるか。観客席にそれぞれ荷物を置くようだ。


「また後で」


 月夜は綺麗な黒髪をたなびかせて、二年生のエリアに向かっていく。月夜が姿を現したことで二年生たちが一斉に沸いた。楓と一緒に苦笑いしてしまった。態度が正直過ぎて。


「いこっか」


「うん」


 一年A組の担任に出欠を取ってもらい、観客席に荷物を置いてぼんやりと会場を見渡す。開始まではもう少し時間がある。丁度いい。ちょっと仮眠でも————


 首筋を、冷たい何かが撫でた。


 悲鳴みたいな情けない声をあげて大樹は飛び上がった。


「ごめん、ごめん。そんなにびっくりした?」


 言葉の上では謝っているが、まったく反省の色が見られない。さっきのは冷え性な楓の指だと思う。

 恨みがましい視線をぶつけてみる。


「眠そうだったから、起こしてあげたんだよ」


「言うけど、眠いのは楓のせいだからね。あんなに何度も(電話してきて)」


「途中で(通話)やめられなくなってたくせに」


「いつ終わらせていいか分からなかったんだよ」


「それだけ(会話を)楽しんでもらえたということかな」


「……まあ、うん。否定はしないけど」


 にんまりと笑みを浮かべる楓。それはそうとなんだか自分たちのこの会話、かなり際どいような。なぜって、すぐそばで委員長が顔を赤くしているから。めちゃくちゃ聞き耳立てられてる……。


不意に大樹の腹の虫が鳴いた。かなり小さい音だったけど耳ざとい楓は聞き逃していなかった。


「え? お腹鳴った? ねえ、大樹さん? そんなアニメみたいな音出ます??」


「うっさい。笑うな。今日の朝は余裕なかったでしょ。お互いに」


「そうだね」


 委員長がぽつりと「朝……」と呟くのが聞こえた。待って待って、おかしい。委員長が勝手に変な勘違いをしているような。


 空腹の大樹を尻目に、楓は鞄から何やら取り出した。菓子パンだった。当然のごとく、こっちに施しを与える気はない。


 と楓がそれを口にする直前、彼女のお腹も鳴った。

 グゥゥ~、とこっちの方がよっぽどアニメ的でコミカルだった。

 これ、遠くの委員長にも聞こえてるんじゃないかな……?


 楓にしては珍しく、顔を赤くして固まってしまった。流石に不特定多数に聞かれると思ったら羞恥心も出てくるようだ。


「ねえ、楓。俺の腹が悲鳴を上げてるから、ちょっとくらい分けてくれない?」


「! しょ、しょうがないな」


 楓が菓子パンを押し付けてくる。全部をよこせとは言ってないのだが。

 と思ったら別の菓子パンが出てきた。二人して無言で咀嚼する。楓が妙におとなしい。何でもいいから喋ってほしかった。


 それまでじっとこちらを観察していた委員長が接触を図ってきた。


「そろそろ集合時間なので……二人とも」


「ああ、ありがとう、委員長」


「私、先に行くから」


 小走りで楓が走り去ってしまった。委員長はちょっと赤い顔をしている。


「あの、何か言いたいことでもあるのかな」


「い、いえっ! あの、仲が良いのはとても素晴らしいことなので……! でも、そういう話をするときはもう少し場所を選んでほしいといいますかなんといいますか」


 うひゃー! と黄色い声を上げている。

 どう訂正すべきか、大樹は頭を悩ませた。


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