「なんとなくわかるだろう?」
「なあ、なんで咲夜先輩からの告白を断ったんだ?」
「聞いてただろ。そういう風に見れないんだよ」
「それだけ?」
「むしろそれ以外に何があんだ?」
呆れたように、大神は溜息を吐いた。
部活後に行われる、いつもの自主練。大神と中々二人きりになれない大樹は、このタイミングで大神の真意を探ろうとしていた。
例の告白からは既に数日が経過しており、大樹が何を言ったところで大神の答えが変わらないだろう。もちろん、大樹本人にもそんなつもりはないのだが……。
「お前、もうちょっとだけ咲夜先輩に気を遣ってあげられないの?」
「俺はいつも通りだ。あの先輩のことは眼中にない」
「そんな言い方」
あんまりにも咲夜を蔑ろにした発言に、大樹は少し苛立ちを覚えた。乱暴に力を加えたショットが大神の顔面に迫る。大神はそれをなんてことのないように弾き返す。
「何キレてんだよ」
「お前が、咲夜先輩のことを何とも思ってないのがムカつくんだよ。あれだけお前や、お母さんのことを気にかけてくれてるのに」
「母さんのことについては感謝している。心が打たれなかったわけでもない。けど、それとこれとじゃ話が別だ。俺にその気がない以上、あの人の気持ちには応えられない。それでこの話はもう終わってんだよ」
大神がスマッシュの構えをとった。シャトルとの距離、狙えるスペースの広さ、整った体勢————完全に大神の形だ。
放たれた豪速球に触れるどころか、目で捉えることも出来ない。
スコアを数えると、丁度大神のマッチポイントだった。
「俺は何か間違ったことを言ってるか?」
間違ってなんかいない。正しすぎるほどに、大神の言うことは正論だ。大神に恋愛感情がない以上、周りがとやかく言っても無駄だしそうすべきでもない。
だが、どうにもモヤモヤする。
誰かと誰かが結ばれるのとは逆に、気持ちが通じ合わなかったり別れてしまったりすることは珍しくもなんともない。よくある、ありふれた話だ。
でもそれが自分の目の前で——少なからず想い入れのある人たちが当事者になっているという事実を、大樹は上手く受け止め切れない。彼らの幸せを願うことは、そこまで身勝手な感情だろうか……?
「大神は……誰かを好きになったことがないの?」
「お前、だいぶしつこいな。朝日先輩にたぶらかされて恋愛脳になってんのか?」
「ち、違う……。そんなことはない。俺は純粋に、興味本位で聞いてる。
「それはそれで迷惑な話だ」
大神はそれで話を終わらせた。
閉館の時間までゲームを繰り返して、何回か勝って何回か負けた。
帰り道の途中、大神とは当たり障りない会話をした。次の大会に向けての練習法、ダブルスの連携技術のこと、正しい筋トレの本を見つけたこと————決して咲夜の話題が挙がることはない。
意識的に避けているわけではなくて、それこそ自然らしい振舞いだった。
大神蓮の中には、咲夜の存在が占める部分があまりにも小さすぎるという事実が残酷なまでに表れている。
咲夜のことを思い浮かべると、彼女への仕打ちがあんまりな気がする。
大神に苛立ちをぶつけたくもなる。けれどそれが筋違いなことなのも気付いていた。
大神に気持ちがない以上、周りがどうこう言ったって仕方ないし、形だけ整えても誰も幸せにはならない。
大神と別れた後は、そんなモヤモヤが自分に向いてしまった。
考えるのはもちろん月夜のことだ。ひたむきに、真っ直ぐに好きだと言ってくれて、自分からの答えを一途に待っている。
大樹はそれについてイエスもノーも伝えていない。
今こうしている間にも、月夜は大樹からの返事を待っていて不安を感じているかもしれない。
もしノーを突き付けたとき、月夜とはこれまで通りの関係を続けていけるのだろうか。
大神と咲夜の二人が今後どうなっていくかは分からないが、少なくとも今以上に親密になることはないように思えた。
————だからきっと。俺たちも。
こんなにも大神たちのことが気にかけるのは、彼らの中に答えを見出そうとしているからなのかもしれない。
月夜が大樹から離れていくとき、自分はそれを許容できるだろうか。
答えは考えるまでもなかった。
大樹は携帯を取り出して、月夜の名前を表示させた。今、電話をかけても迷惑ではないだろうか。最近は彼女も交友が増えているところだし————やはり言い訳が先に出てしまう。
通話ボタンを押そうとしたときだった。
「大樹」
不意に、親しみのある声に呼ばれて携帯を落としそうになった。
振り返ると、予想通りそこにいたのは実の父————篠原直樹だった。
「今帰りか」
「ああ、うん」
大樹は携帯の画面を消した。
話すこともまとまってなかったし、衝動的な行いだった。多分月夜を困らせることになっていただろう。……やっぱり言い訳だ。安心している自分がいる。
「いつ、こっちに戻ってきたの?」
「ついさっき。また、明日明後日には出ると思うけど」
「どうしていつも急に戻ってくるの? 母さんへのサプライズ?」
「サプライズ……。そういうのも面白いけど、あらかじめ連絡してから帰ると母さんが騒がしいかと思ってな」
「それは確かに」
いつもソファの上から動かないくせに、父が帰ってくるなどと知ったら部屋中をうろつき回って「まだですか、まだですか」と言いながら待つことになるだろう。それはかなり鬱陶しい。
父と二人、無言で家を目指す。父はあまり会話が得意な人間ではない。自身の子たちである大樹や紗季とも必要以上に言葉を交わすことはない。コミュ障は遺伝だったか……。
だからお互いに無理に何かを話すことはないのだが、今日は父に聞いてみたいことを見つけた。
「父さんはさ、なんで母さんと結婚したの?」
出し抜けにそう切り出した。
突然のことで直樹は目が点になっていた。大樹の心情を探るように、こちらの目を見つめている。
けど、多分探り切れなかったのだろう。やがて前に向き直る。
「父さんと母さんが出会ったのは、大学の頃の話で————」
「違う、違う。そういう馴れ初めじゃなくって。なんでってこと」
馴れ初めの話は聞き飽きている。聞いてもいないのに母が自慢してくるからだ。
いつ、どこで、どんな風に出会って、どのように恋に落ち、結婚にいたったか。そこまでの障害、苦難も日付ごと覚えている。
けど、それは経緯であって理由にはならない。
「………」
父は歩きながら遠い目をしている。時々頭を押さえたりもして……そんなに難しい質問をしたかな? シンプルに答えてほしいんだけど?
「か、可愛いから、かな」
「………」
求めている答えと全然違う。
大樹が冷ややかな目で見ると、父は顔を逸らしてしまった。付け加えるように言葉を足す。
「この人を守ってあげたいって思ったというか。なんとなくわかるだろう?」
わかりすぎるくらいにわかるけど。
「守ってあげたいっていうのは凄く分かるけどさ。それは別の人の役目でも良かったんじゃないの?」
「ちょっと待って大樹。なんだ、その……お義父さんと話している気分になってくる」
確かに、今のは性格の悪い聞き方だった。
祖父と、父はあまり仲が良くない。母の結婚相手として、父のことをあまり良く思っていないのだ。大樹や紗季のいるところでは表に出さないが、裏では今も苦労しているらしい。
「じゃあさ、それだけ反対されてても、母さんと結婚した理由は何?」
祖父に認めてもらうために、父が人生で一番頑張ったのはこのときだったと知っている。
その原動力はどこからきたのか。
「これ以上の出会いは、もうないかもしれないと思ったからだ」
先程までの自信のなさが嘘みたいに、力強い口調だった。
呆気にとられ、大樹は言葉を失った。
「お義父さんとは何度も衝突したよ。『そこまで結婚相手が欲しいなら、私が探してきてやる』とまで言われて。ここまで辛いならいっそのこと諦めてしまおうかとも思ったよ」
初耳だった。
父自身が昔の出来事を話すこと自体滅多にないけれど、そういう生々しい部分を見せてくれたのは今回が初めてだ。
沈んだ声で父は続ける。
「父さんもまだ若かったから。学生で将来への考えも足りてなかったし、それなのに本物の社長から詰められるんだよ? どうにかなりそうだった」
急に寒気がして、大樹は身震いした。
何も聞けなくなって、ただひたすらに父の言葉を待った。
「ただ、それでも。そういう時間に意味を持たせてくれたのも母さんだったんだな」
父は少しだけ明るさを取り戻して言う。
「これだけお義父さんと言い争ってるのに、母さんときたらのんきでさ。『次はいつお出かけしましょうか』とか『直樹さんのご飯おいしいですね』とか『一緒に寝てください』とか——ああ、待て。最後のはナシだ」
うっかり発言で勝手に照れているが、大樹はいつになく真剣な面持ちだった。
「多分、この人はどんなときでもこういう雰囲気の人で————いつも父さんの励みにも支えになってくれる。そんな人とは離れられないよ。俺は出逢いに恵まれた」
そう言って、話を締めくくった。
思いの外、良い話だったのでリアクションに困る。聞いたのは自分だが、ここまでのものを期待していたわけではないのに。
「何かの参考になったか?」
大樹が何かしらの意図を持っていたことは、父にはお見通しだろう。
だから素直に答える。
「いや、そうでもない」
「そうか」
父は大きく頷いた。
「なら、その問題は大樹にしかなんとかできないものなんだろうな」
そうとも。それだけは確かだ。
父の話を、そのまま今の自分の状況に当てはめることはできないが————それでも気付いたことが一つだけある。
母さんのことを嬉しそうに話す父さんの横顔は。
————月夜にとてもよく似ていた。