「やだなにこの子たち」
「おはよう、楓」
「うん」
朝、教室に入ると既に登校していた大樹が挨拶をしてくる。
軽い返事をして、隣の席に腰かける。始業のチャイムが鳴るまではあと五分ほど。普段なら時間ギリギリで登校するのが楓の常なのだが、文化祭以降はその限りではない。
楓は机に突っ伏すと、ちらりと隣人の姿を盗み見る。大樹は教科書を眺めて次の授業の予習————のフリをしていた。多分、とっくに予習自体は終わっていて手持無沙汰になっているのを指摘されたくないのだ。にじみ出るぼっちの性。
————私に話しかければよくない?
何のために余裕を持って学校に来ていると思ってるんだ。それに昨日の今日なら話題にも事欠かないのに。
「昨日は……」
仕方ないので楓からアクションする。
「お邪魔しました」
「あ、いえいえ。これはご丁寧にどうも」
大樹がこちらに向き直って頭を下げる。なんか堅苦しい挨拶になってしまった。
そうじゃない、そうじゃない。
「また遊びに行くから」
「———うん。いつでもどうぞ。紗季も喜ぶから」
「………」
楓は微妙な気持ちになった。
自分で予防線を張っておいてなんだが、その設定が段々面倒になってきたのだ。
昨日も、本当なら二人で色々と話がしたかったのに——
「チッ、あの女……」
「いきなり何!? 多分センパイのことなんだろうけど!!」
大当たり。
「お願いだから仲良くしてね……」
「ちゃんと仲良くなったよ、昨日ね」
「そうみたいだね」
その大樹の反応に引っかかりを覚える。
少しだけ月夜と打ち解けたのは、大樹の家を後にしてからだ。当然大樹が知る由もないはずなのに、流れるように自然に同調してみせた。
これは————。
「大樹、もしかしてなんだけど、あの時私たちの後ろにいた?」
◇
「昨日、大樹と一緒に帰ったんですか」
「そう」
「何を抜け駆けしてるんですか」
「なりふり構ってられないもの」
昼休み。
楓は購買で入手したカツサンドにかじりついた。目の前には涼しい顔で弁当を広げている月夜の姿がある。
親睦を深めたいので一緒にご飯食べましょうと言って誘ったのだが、本来の目的はもちろんそうではなく、昨夜のことを問いただすことだ。
「油断も隙もないですね」
「気付かない方が悪い。……好きな人が近くにいたっていうのに」
好きだろうが何だろうが、遥か後方にいられたら普通は気付かねえんだよ。
多分この人相手に尾行とかは通じないんだろうな。
「何話したの?」
「内緒」
「ええ~!? 私とつっきー先輩の仲じゃないですか。教えてくださいよ~!!」
「いきなり図々しい」
ふざけてみたけど、軽くあしらわれてしまった。
抗議の視線を送りつけてみるも、月夜は完全に無視を決め込んで食事を進めている。
メニューはゆかりご飯にツナサラダ、卵焼きに鶏の照り焼きだ。
昨日の肉じゃがのときにも感じたことだけど、完成形がすごい綺麗な料理だ。まさしくお手本というか、おいしそうって思わせることに特化しているというか。
これで見かけ倒しじゃないのが腹立たしい。
じっと見ていると、月夜が無言で鶏肉を差し出してきた。口に入れてみる。ほらね、やっぱりおいしい。楓が何も言えずにいると、月夜は勝ち誇った顔だった。
「弁当、自分で作るんですか?」
「ええ。花嫁修業といったところかしら」
「嫁ぎ先も決まってないのに」
「候補は既に出ている。素敵な旦那様の」
「ハッ————ひいっ!?」
鼻で笑ってみたらすごい眼光で睨まれた。
おとなしくカツサンドをたいらげ、卵パンに手を伸ばす。
「篠原くんって、どんな料理が好きなのかしら」
月夜が自分の弁当箱に目を落としながら言う。
楓は白けた風に答えた。
「どんなって、卵かチーズ使っておけばハズレなしでしょ」
「なんで」
「なんでもなにも……それが大樹の好物だから」
月夜の箸の動きが止まった。彼女は卵焼きを全て食べてしまっていた。
「それ、確かな情報? 篠原くんが言ってたこと?」
「本人が言ってることだし、実際美味しそうに食べるから間違いないです」
「なんであなたにそんなことがわかるの」
「付き合いの長さのせいですかね」
「笑わせないで。私の方がずっと長く付き合いがある」
「じゃあ、好きな食べ物すらわからないくらい薄っぺらい関係だったってことですかねー」
卵パンを口に運ぶ。
月夜が何か言いたそうにこちらを見ていたので、無言でパンを差し出してみると一口噛まれた。さっきの照り焼きのお返しだ。
もぐもぐと口を動かす月夜は、おもむろに携帯を取り出すとフリック操作を始めた。
「今度、本人に裏を取る。……で、他には?」
「え? なんでそんなこと教えないといけないんですかね」
楓は笑顔で聞き返す。別にいじわるをしているわけでも煽っているわけでもない。以前までならいざ知らず、今だったら楓の意図が伝わるはずだ。
月夜は嘆息した。
「何が望み?」
「んー、特にコレってものがあるわけじゃないですけど。むずかゆいので、昨日、あの後何があったのか解説よろしくです」
「別に。あなたが家に入るのを見届けて、篠原くんに声をかけた。二人で一緒に帰った。以上。終了」
「……本当にそれだけ?」
「強いて言うなら、手を繋いで帰ったかしら」
口元を緩めきって、月夜は言う。今にもよだれを垂らしそうな感じのだらしない顔だった。
よせばいいのに、大樹と月夜の二人が仲睦まじく手を取り合う光景を想像して、楓の気分は下がった。
「とても幸せだった、とだけ言っておくわ」
「……はあ。魚ならサンマが一番好きみたいですよ」
「丁度良い。秋で旬だから」
月夜はメモを残していく。時々「炊き込みご飯? それとも……」なんてブツブツ言いながら。もうメニューを考えているのかよ。
「ふ、ふん。まあ私は同じ部屋で寝たこともありますから。手を繋ぐとか繋がないとかいちいち気にしないですけど」
ぴくりと月夜の眉が動いた。不機嫌そうに目を細めてこちらを見つめる。
「あなたが家出をしたときの話ね」
「ああ、そのあたりの話も聞いてましたか」
「ええ。大雑把に。……マウントを取ろうとしているところ悪いけど、私は彼と同じ布団で寝たことがある」
「はい? 寝言ですか? どう考えても嘘じゃん」
「夏、あなたが篠原くんの家にお邪魔して彼と入れ違いになっている間、私と彼は部活の合宿に行ってた。五日間もあって、何も起こらないとでも?」
強気に言い切る月夜を見て、楓は言葉を詰まらせた。じっと観察してみても動揺する素振りは崩れない。
楓は額に手を当てた。え? まさか本当のことなの? 全くのデタラメだとは思えないし、でも大樹に限って————いや流されてしまったかも……。
「あの夜はお互いに激しく求めあったわ」
「はい、ダウト。それは真っ赤な嘘っすね」
真っ赤な嘘というか、真っ赤な月夜というか。
今のは完全に見栄を張ったのだと分かる。そっちだってマウント取ろうとしているじゃないか。
「あの、二人ともそのあたりで……」
控え目に仲裁に入ったのは、相談室管理人のかなただった。
完全に空気になっていたので忘れてた。
「いたんだ、かなたさん」
「いるに決まってるでしょ!? ここ相談室だよ!?」
「私も……。どこで食事をしているのか一瞬頭の片隅だった」
「朝日さんまで!?」
ガックリと項垂れるかなた。ここまで傷つけるつもりはなかった楓はフォローの言葉を必死に探す。
「いやー、ほら。かなたさん、もしかしたら一人ぼっちかもしれないって思ったらからさ。神谷先輩や紅葉先輩も来なくなっちゃったし」
「か、楓ちゃん……」
感極まったのか、かなたが瞳を潤ませる。
……なんかごめん。本当は人目のつかないところに来たかっただけだから相談室じゃなくても全然良かったんだけど……。なんて今更言えない。
「というか、篠原くんは意外に隅に置けないというか、なんというか。あなた達もあなた達で結構……。最近の若い子は積極的なんだね」
「つっきー先輩がおかしいだけですよ」
「つ、つっきー?」
「楓。あんまり人前でその呼び名を出さないで」
「か、楓?」
違和感を感じ取ったらしい。かなたが混乱している。
「つっきー先輩。部活での大樹の写真見せてください。どうせ一枚や二枚じゃきかないくらい撮りまくってますよね」
「楓は何を見せてくれるの?」
「クラスグループにアルバム保存されてる大樹の写真を提供します」
「まったく、そんなもので私が釣れるとでも……。試合の動画もつけるので見せてください」
「えっ、マジっすか。そんなのあるんすか」
お互いにスマホを操作して二人は仲睦まじく(?)情報交換に勤しんでいる。
蚊帳の外のかなたは一言。
「やだなにこの子たち急に可愛い……」
◇
振替休日があったため、久しぶりの部活だ。
開始時間の前に、アップがてら月夜と基礎打ちをする。
今日も今日とて彼女の打球音は澄んでいて、調子の良さが窺える。表情も真剣そのもの。こういうときだけは文句なしに尊敬できる先輩なのだが……。
ちらほらと、大樹たち以外の部員たちが姿を現し始める。横目にそれを確認していると不意に咲夜の姿が見えた。大樹はシャトルをフレームに当ててしまった。
月夜は戸惑ったように眉を寄せているが、そっちに意識を割けない。
悪いけど————俺はアンタを、そういう風に見れない
大神のセリフが一言一句忘れられない。
咲夜は一見いつも通りに見える。変に気落ちしているということはなさそうだが……。そのまま咲夜の観察を続けていると、頬を引っ張られた。
「ねえ。どうしてさっきから咲夜のことをじっと見てるの」
振り返ると、かなりご立腹な月夜がいた。どう言い訳しようか悩む。事情をそのまま話すわけにもいかないし……などと考えていると当の本人からの叱責が飛ぶ。
「そこの二人! さっさと整列!」
いつも通り、よく響く声だ。どうやらもう咲夜は大丈夫のようだ。
実際、その後の部活も滞りなく進んでいった。大神が意識していることもないし(それはそれでどうだろうと思う)咲夜もいつも通り恐い(これもどうかと思う)。
部活の終わりの時間に、片付けをしている咲夜に声をかけにいく。
「お疲れ様です、咲夜先輩。もう平気みたいっすね」
大樹が軽い調子でそういうと脇腹を思いっきり殴られた。
咲夜は口を真一文字に結んで、頬をひくひくとさせている。————今にも泣きそうだった。
「大丈夫なわけねえだろ……!」
「で、ですよね。すいません」
ポールからネットを外して、緩みがないように引っ張ってもらう。ネットを綺麗に畳むには二人以上の人間が必要なのだ。
「顔見ただけですっげー、なんて言っていいのか分からない気分になるし、出来れば視界に入れない方がいいって思うけど、でもやっぱり見ちゃうしカッコいいから……あたしどうしたらいい?」
「そ、そっすね」
答えあぐねていると、月夜と大神が近づいてきた。
「篠原くん一緒に帰りましょう」
「篠原、今日も練習行くぞ。片づけ手伝うか?」
「センパイすみません! 今日は先約があるので気を付けて帰ってください! 大神! 手伝いはいいから昇降口で待っとけ!」
即座に二人を追い返す。大樹としては気を遣ったつもりだった。
だが、咲夜からはまるで親の仇を見るような目を向けられる。
「いいよなー、お前は。可愛い彼女がいるし、なんならあたしの好きなやつとも遊ぶ約束しやがって。二刀流か? お? ……羨ましすぎて泣きそう」
途中から尻すぼみになって、また泣きそうになってる。
「……。…………。咲夜先輩も、そのうち良いことあります、よ?」
「慰め下手くそか」
丸めたネットが顔面に飛んできた。