「ファウル」
「あ、森崎さんっ!!」
さっき教室で楓と揉めていた委員長だ。彼女は楓を見つけるなり眉を吊り上げた。
「時間ギリギリじゃない!! さっき言われたことちゃんと反省してるの!?」
憤慨する彼女を、しかし楓は軽く「はいはい」とあしらった。その態度が癇に障ったのか頬が引きつりながらも彼女はそれ以上何も言ってこなかった。
楓は気が進まない気持ちで対戦相手を見やる。
全員が自分たちより一つ年上のお姉さま方。そして切り札は中学時代からその名をとどろかせるほどの容姿と運動能力を備えた朝日月夜。
問題なく負けることができそうなのだが……。
今度は自分のチームの四人を観察する。楓が欠けていた状態、つまり四人というバスケにおいては致命的なハンデを抱えた状態でここまで勝ち上がったということになる。
もしかして相当強いのだろうか?
(勘弁してくださいよー)
万が一勝ってしまったらジュースを奢らされる羽目になる上に、自分の自由な時間が減ってしまう。いいことが何もない。
ここは何が何でも負けよう。
「いやー、ごめん、つい! だって私も篠原くんと話してみたかったし!」
「別に、彼と話すくらい何の問題もないわ」
「ふふっ。彼、ですか月夜さん。いきなり彼女気取りですか?」
「………」
「いふぁふぁ!! むほんでほっへはひっはらはいへほ!?(いたた!! 無言でほっぺた引っ張らないでよ!?)」
「何を言っているのか、分からないわ」
「りふひん!!(理不尽!!)」
………。
朝日先輩って、あんな感じの人だったかなあ? いや、もちろん直接話したことはなかったから、実際はわからないけど。
両チームの整列から挨拶。試合が始まる。
ジャンプボールはやはり先輩たちの方に軍配が上がった。
ボールを持った月夜がドリブルで次々と敵を抜き去る。まさに電光石火とでも言うべき早業だ。
残っている二人がブロックに跳ぶ。だがそれを見越していたかのように月夜はゴール下にパスを出す。さっきの身長の低い先輩が走り込んでいた。そのままレイアップが決まった。
なんというか……実に見事。無駄がないし、鮮やかだった。
「ナイスパスだよ、月夜!!」
「あなたもナイスシュート。翠」
攻守交代。だが楓のチームメイトはいきなり浮き足立ったのか何でもないパスをファンブルしてしまい、再び月夜側の攻撃。月夜を二人がかりで止めようとしたのは悪くはないのだが、一人がノーマークになってしまう。追加点を取られた。
「ちょっと森崎さん!! ディフェンス!!」
いやいや、これはちょっと……どうすれば止められるのよ。
開始早々、防戦一方な試合展開になり、月夜のチームに得点が重なっていく。
(……ん?)
だがそんな攻防の中で、楓はこのコートにいる全員の実力がなんとなく掴めていた。
そして彼女は思った。
(これ……もしかして勝てるかも)
ただ、そうは言っても実践するとなると話が別だ。ようするに面倒くさい。
タイムアウトをとる。向こうとは対照的に楓以外の四人が意気消沈したこのチームはなんとも陰鬱な空気を放っていた。
「一方的なんですけど……」
「無理だよー!! あんなの!!」
「負けたな、これ」
「ちょっと、諦めるのが早いわよ!!」
意外なことに委員長だけはまだ闘志を燃やしていた。
この逆境の中、そこまで自分を鼓舞できているのは素直にすごいと思う。
しかし。
最後までその気持ちを維持したとしても今のままでは絶対に勝てない。見えるのだ、この試合が終わったとき彼女が悔しそうな顔が。
「ねえ――」
諦めなよ、そう続くはずだった楓の口はしかしその言葉を飲み込んでしまった。
彼女は今にも泣きそうな顔だった。
たかが学校の球技大会ごときで――そう言ってしまうのは簡単なのだが。
なんだかその表情を見ていると思い出したくない過去を思い出してしまう。
本来、楓は藍咲学園に来るつもりはなかった。もっと学力の高い学校を目指していた。あの完全無欠の姉に届くために。超えるために。
だが、今楓がここにいるということはつまり、そういうことだ。
努力が実るとは限らない。だったら頑張りたくはない、のだが。
「ねえ、勝ちたい?」
「当たり前でしょ……」
「じゃあ勝とう。絶対」
「え?」
無駄な努力は大嫌いだ。だからやるからには徹底的にやる。絶対成功させてみせる。徒労になんかさせない。
「作戦……なくもないけど、聞く?」
「タイムアウト終了です」
コートに選手たちが戻っていく。一年生チームはさっきまでの空気を断ち切り、どこか吹っ切れたような表情をしていた。
それを見て月夜は警戒心を強めた。特に、少し前髪の長いあの子。彼女は明らかに何かを企んでいる。
そしてその勘はこのフォーメーションを見れば確かなものだった。タイムアウト前、月夜にはダブルチームでついていたが、今は一人に一人がつくマンツーマンディフェンスだ。
ボールを持っているのは月夜が警戒しているその彼女だ。さっきまではどこかやる気のない様子だったが冷静に周りを観察するようにコートの全体を一瞥している。タイミングを計っているみたいだ。
ついにその時が来た。
いきなりドリブルを仕掛け、なんでもないように一人を抜く。見様見真似と言った感じのドリブルだがとにかく速い。月夜は彼女のもとへ急ごうとしたがマークしている選手がそれを阻む。月夜以外の四人も同じ状態で動きを制限されているようだ。
フリーでシュートが決まる。攻守交代。
「落ち着いて! 一本行くよ!」
スローインしたボールを翠が受け取りハーフコートまで運ぶ。さっと視線をさまよわせ、ノーマークの選手を見つけた。
(あらら。隙だらけ!)
当然のごとくその選手にパスを出す。
だがそのパスはカットされた。さっきの前髪少女によって。
「あ!?」
ゴールに向かってボールが放り投げられる。走り込んでいた選手がそれをキャッチし得点を決めた。
「ドンマイよ、翠」
「う、うん。ごめんね」
しかしパスカットはこの一度きりではなかった。次に出したパスもさらにその次も前髪の長い彼女によってボールを奪われ一年生チームは少しずつ得点を重ねていく。
(彼女……巧い!)
月夜はひそかに舌を巻いた。彼女はわざと隙を見せているのだ。弱点を晒すことによって月夜たちを罠にかけている。しかし、それだけでこのパスカットは実現しているわけでない。彼女のチームメイトが上手くパスコースを限定させることによって、次のパスを予測出来るのだろう。
ここまでの連携を行えるということは、おそらく全員がバスケの経験者か少し齧ったことのある人材ということだ。それに対し、実は月夜のチームは月夜と翠以外はバスケの経験が浅い。マークをはずせないのは技術的な問題だった。そして、あの前髪の彼女はこちら側に未経験者が多いことを見抜いている。彼女はこっちの弱点を瞬時に把握し、そこを突いてきた。
「翠! 迂闊にパスは出さないで、ドリブルで攻めて!」
「うん!」
スローインでボールを受け取った翠に立ちはだかったのはやはり彼女だった。
「すごいね、君! 名前は?」
「試合中に喋ってるなんて、随分余裕ですね? ……森崎楓です」
挑発してくるかと思いきや律儀に答えてくれた。楓と名乗った女子生徒は翠に接近してプレッシャーをかけてきた。
(ふうん。でも甘いよ!)
パスカットは大したものだったが、ディフェンスはそうでもないようだ。簡単に抜ける……!
「えっ?」
抜き去るその瞬間、翠の体が楓に接触した。そんなに強く当たったつもりはないのだが楓を大袈裟なくらいに転倒させてしまった。
ピッ! とホイッスルが鳴った。
「ファウル」
試合は中断され、ボールは一年生に渡る。
「ご、ごめんね? 大丈夫?」
翠が差し出した手を楓はつかむ。そしてなんなく立ち上がってみせた。どうやら平気のようである。
「大丈夫ですよ。でも――」
楓は不敵な笑みを翠に向けた。
「ここから先は、気を付けた方が賢明ですよ」
「?」
どういう意味だろうか。もちろん故意にぶつかっていくつもりはない。やはり今のことを根に持ってしまったのだろうか。後でちゃんと謝っておこう。
「ドンマイ、翠。次、行こう」
「う、うん」
再び失点をしてしまってから、さっきと同じシチュエーション。ボールマンは翠。そして相手は楓。
(う~ん……、さっきファウルとられちゃったし抜きづらいけど……パスはなあ……)
楓が目の前にいる上に、フリーになっている選手はいない。やはりドリブルしかないようだ。
(審判は厳しそうだし……当たらないように、スピード勝負!)
速さを重視し、一瞬で楓を抜き去る。そしてそのまま敵のゴールを走っていこうとして――試合を中断する笛の音を翠は聞いた。
「ファウル」
審判がそう告げたとき、慌てて翠は振り返った。そこには、さっきと同じように尻餅をついている楓の姿があった。
翠は混乱した。ドライブを行った際、体がぶつかったような感触はなかったからだ。
彼女は審判に食ってかかった。
「ちょっと! どこ見てるの!? 今のは当たってないんだからファウルじゃないじゃん!」
「手をあげて、早く!」
「はあ!?」
なおも反抗的な態度を見せる翠の肩に月夜は手を置いた。
「月夜?」
月夜は首をゆっくりと振る。
「確かに翠は、彼女に当たってなかった」
「だったら……!」
「でも彼女の方が一枚上手だった……」
月夜の視線の先に目を向けると、丁度楓がチームメイトの手を借りているところだった。
「やっぱり彼女、体の使い方が巧い。ファウルをもらう技術を持っている。下手な経験者より厄介よ」
いたずらっ子のようにこちらに舌を出す楓を見て、翠の眉間に皺が寄った。
「なんて卑怯なの……!」
「いいえ。立派な戦術だと思う。ファウルも、今の態度も。こちらを苛々させるのが目的よ。とにかく彼女には出来るだけ近づかないように」
だが、それは難しかった。楓は月夜のチームの未経験者を集中的に狙った。そしてそれをカバーするために月夜と翠が前に出るしかなかったのだが、彼女の思う壺だっただろう。ついファウルを何度もとってしまい、次第に翠のフラストレーションも溜まっていった。
「……まずいわ」
「うん、分かってるよ。とにかくあの子をなんとかしないと……」
「いえ、それだけじゃなく」
「?」
「私も見落としていたわ」
月夜が得点板を指で示す。翠もそれを見たとき、彼女は驚愕した。たった数分の間に逆転を許し、さらに十点以上の差がついていた。
前半終了のブザーが鳴る。