「全身全霊で支えるわ」
激闘を制した三人(一応紗季にも)にアイスを振舞った。
冬にアイスなんて、と思うかもしれないがこの時期に食べるから美味しいと思っているし、文字通り頭を冷やしてほしいという意味合いもあった。
アイスを完食し、月夜がおもむろに手を挙げた。
「はい、どうぞ」
「篠原くんのお部屋がみたいです」
思わず喉から変な音が鳴った。
個人的には別に構わないのだが、楓がどういうリアクションをするのかが気がかりだ。
だが予想に反して楓は無反応。
ちらりと顔色を窺うも、ツンとしていて全く読めない。また何かしら言うと思ったのだが……。
「別にいいですよ」
大樹が答えると、月夜が控えめにガッツポーズを取る。
月夜を部屋に案内しようとしたところで、楓も立ち上がった。
「私も行く」
「……紗季と遊ばなくていいの?」
「そうしたいけど、紗季ちゃんは勉強したいってさ」
紗季が苦笑いを浮かべる。
勉強嫌いの紗季が自主的にそういうことを言い出すのは素直に感心する。……ただこの場から逃げたいだけだと思うが。
「ごめん、紗季ちゃん。今日は、その、熱くなりすぎちゃった」
「いえいえ! ゲームは本気でやってこそですよ!」
妹の必死のフォローが悲しい。そんな上手いこと言えたのか。
楓だけでなく、月夜も流石に申し訳なくなったようである。
「さ、さ、さきちゃん。ほったらかしにしてごめんなさい。今度来たときはゆっくりお話がしたい」
「はい! あの、今日は月夜さんに会えて良かったです! いつも、遠くから見ているだけだったので」
紗季と月夜は中学時代に一年だけ在籍期間が被っている。
だが、三年生と一年生では中々接点も出来ない。
「月夜さんって結構面白いですよね。あれだけゲームに本気になる人、初めて見ました」
「きょ、今日のことは忘れて。恥ずかしいから」
「肉じゃがも美味しかったですし……。間近で見たらすごい美人だし……」
「え、えっと」
珍しく月夜が照れている。それくらいの賛辞は言われ慣れているだろうに。
唐突に紗季が頭を下げる。
「こんな兄ですが、どうかこれからもよろしくお願いします!」
……?
しっくりとこない違和感を覚える。社交辞令としては勢いが強すぎる。
月夜や楓もポカンとしている。
「彼氏として頼りないところも多いと思いますが、良いところも色々あるので……!」
……彼氏?
誰が? 誰の?
「お兄ちゃん! こんな綺麗な人が彼女になるなんて、人生でもう二度とないことなんだからね! ちゃんと大事にしないと駄目だよ!」
……彼女?
誰が? 誰の?
いや、思考停止したフリはやめよう。紗季は盛大な勘違いをしている。
「ちが、違うの、篠原くんは————」
当事者である月夜が否定しようとする。
かと思いきや、セリフの途中で口を噤んでしまう。
————どうしたんですかセンパイ? 言葉足らずですよ?
「————。————————。ええ、任せて。彼女として全身全霊で支えるわ」
「あんた彼女じゃないだろ!!」
鋭いツッコミを炸裂させたのは大樹ではなく楓の方だった。
ものすごく必死な形相だった。
「え、違うんですか? てっきり付き合っているものとばかり……。だから今日ウチに来たんじゃないんですか?」
「違う違う! 私が大樹の家に遊びに行くって言ったら、朝日先輩が勝手についてきただけ! だから! 決して! この人は! 大樹の彼女じゃない!」
なんでそこまで力いっぱい否定するんだ。
「あ、あははー! すみません! 私、とんでもない勘違いをしたみたいで。で、ですよね。月夜さんがお兄ちゃんを好きなわけ……ないか」
その通り。全部、紗季の勘違いだ。会ったこともないのに、勝手に変な妄想をするから恥ずかしい想いをするんだぞ。
————と。
ほんの少し前なら、そう言ってこの場を収めることができただろう。
でも、今は。
自分は何かを言える立場ではない。
「それこそ違うわ」
間髪入れずに紗季の言葉を否定する月夜。
「私はあなたのお兄さんのこと、大好きよ」
……本当に。この人の物怖じしない態度には毎回驚かされる。
紗季が目を見開いて、月夜を凝視する。
「またお邪魔しに来るわ。次会う時は————彼女として挨拶ができれば、いいと思う」
自分の気持ちがぐらぐらと揺れているのが分かる。
どうして、俺はこの人の想いを受け入れようとしないのか。その理由が曖昧になってくる。
月夜はいつだって、こんなに真っ直ぐなのに……。
「えーっと、こう申しておりますが、兄上の返事は?」
「……ノーコメントで」
「情けなっ!!」
「お前は勉強しろ。受験まで時間ないんだから」
「あー!! 強引に話を終わらせようとしてる! こんな話を聞いた後で勉強なんか集中できるわけないでしょー!?」
騒ぐ紗季を無理やり部屋に押し込める。
溜息が漏れる。ちょっとタイム欲しい……。
泣き言を言っている暇はないようだが。
「さて、お部屋を見せてくれる?」
「あ、はい。こちらへどうぞ」
なんだかんだ、恥ずかしかったようで。
お互い真っ赤になって、目を合わせられない大樹と月夜。
「って、うわっ!? 楓どうしたの!?」
なにやら楓が壁に手を当てて項垂れていた。
体調でも悪いのだろうか。
「私は一体何を見せつけられているのだろうと……。最初こそムカムカしてたのに途中から情けなくなって」
「な、情けないって、どうして? 母さんのところで休む?」
「いや、それはいい。それに、今の大樹と朝日先輩を二人きりにすると何が起きるか分からなくて怖いし」
割と同意見だ。
気を持ち直して楓がスタスタと歩いていく。もちろん足取りは大樹の部屋に向かって迷いがない。「む、また知った風……」と月夜が微妙に嫉妬心をのぞかせつつ彼女についていく。
大樹の部屋に入ると、楓はまるで自分の家のようにくつろいで漫画を読んでいるし、月夜は興味深そうに色々と物色していた。
すごい光景だ。月夜と楓——二人の女子を自分の部屋に招いているこの状況、去年の大樹に伝えても絶対信じてくれないだろう。
「あ、これ……」
月夜が手にしたのは大樹の中学の卒業アルバム。
「それ、見てもしょうがなくないですか?」
大樹は苦笑する。月夜も大樹と同じ中学校を卒業しているのだ。目新しいものは何もないはず。それなのに、彼女は楽しそうにページをめくっていく。
「ううん。君とは部活でしか会えなかったから……それ以外での写真が見れるのは楽しい」
「………」
恥ずかしいことを言われてしまった。
月夜は写真のひとつひとつから、大樹を探している。「あ、いた」「ここにも」なんて、見つける度にいちいち報告してくるのがむずかゆい。
「森崎さんもいるのかしら」
月夜の興味が楓にも向けられた瞬間、楓はすっとアルバムを取り上げてしまった。
「何をするの」
「探さなくていいんで」
口調はいつも通りだが、すごく嫌がっているのが分かる。
楓は中学時代、大変な想いをしながら過ごしていた。身だしなみに気を遣う余裕がなかったとも言っていた。だから、本当に見られたくないのだろう。
本気で嫌がられているのを察したのか、月夜もそれ以上は何も言ってこなかった。
「小さい頃のアルバムはないの?」
「あるにはありますけど……恥ずかしいです」
「見せなさい」
すごい迫力だ。
どうやって言い逃れようか考えあぐねている大樹は、ふと楓に目を留めた。
ここまでの色々なやり取りで疲れが出たのか、彼女は体を横にした————大樹のベッドの上で。
ベッドの軋む音に、月夜が後ろを振り返った。
「!?」
月夜の顔が驚愕で染まる。
「も、森崎さん何をしてるの。そ、そこ、篠原くんが使っている寝具でしょ」
「別に良くないですか」
気だるげに楓は応える。
そのまま枕に顔をうずめてしまう。
「良くない。なんで篠原くんまで平然としてるの」
「そ、そうですね」
別に使われても不快感なんて起こりようがないし、いくらでもくつろいでいいのだが、さすがにその恰好は見てるこっちが恥ずかしい。
スカートから覗く太ももに目を奪われる。
「どいて」
「えー。初めて使うわけじゃないし」
空気が凍ったのを感じた。
あ、そ、それ言っちゃうんですか……?
月夜が完全に固まってしまっている。大樹も開いた口が塞がらない。いくらなんでも、今の発言はスルーできない。変な誤解を生む。それくらい楓にだって分かっているはずだ……。
まさか、わざと?
「森崎さん。あなたは篠原くんと————」
「さあ。どうでしょうねえ??」
最高に人を小馬鹿にした顔で、楓が煽る。
月夜が拳をぷるぷる震わせているのが見えた。
あ、また胃に悪そうなことが起きそう。
大樹は苦渋の決断で生贄を捧げることにした。
机に隠していたあるものを差し出す。
「これ、子供の頃のアルバムです……」
「ちょっと、なんで二人とも黙っちゃうんですか」
「………」
「………」
月夜と楓が食い入るようにアルバムを見ている。
さっきまで喧嘩していたくせに、今は二人で横に並んでいる。しかも正座で。
「次、ページめくっていい?」
「はい」
月夜が短く確認し、楓が了承する。
ちなみにこのやり取り、五分に一回くらいのペースでしか行われていない。
お分かり頂けるだろうか。写真を眺めている時間が異常に長いということを。
大樹がアルバムを渡してからすでに一時間くらい経つのに、写真の中の大樹はまだ五歳だった。いやおっそすぎだろ……。そんな見るとこある? 実の親でもそんなことないでしょ。
「……ふぅ~」
楓が目頭を押さえて息を吐いた。そんなパソコン見続けたみたいな反応する?
「ちょっと、目を逸らさないで」
「これ以上は体に悪いっす。休憩させてください」
「……待ってあげないから」
月夜がアルバムに視線を戻す。この際、もういくらでも見てくれて構わないが月夜の瞳がカピカピにならないか心配だ。瞬き一切してないし。
「あ、鼻血」
ええっ!?
大樹が慌ててティッシュを探そうとするも、楓の用意が早かった。
「写真よごさないでくださいね。朝日先輩も休んだ方がいいです」
「……そうする」
もう帰ろうよ。
割と遅い時間ですから。
しばらく休憩して、二人は再びローテーブルの前へ。しかしかなり疲弊しているようで、目が半開きだ。眠くても頑張って勉強する受験生みたいだった。
「あ」
ようやく小学生パートに突入したところで、楓が声を上げた。
何を見つけたのかと思って、大樹ものぞきこんでみる。幼少期の大樹が、サッカーボールを追いかけている写真だった。
「サッカーやってたの?」
「うん。まあ一瞬だけだったけどね」
記憶も定かではないくらい短い間のことだ。
今度は大樹がページをめくる。
プールで泳いでいる大樹、キャンパスに筆を走らせる大樹、ピアノを弾く大樹。
サッカーに限らず、色々な習い事は経験した。どれも全然上達することなく辞めてしまったのがほとんどだったが。
「私と、一緒だね」
ぽつりとこぼれた楓の言葉に、大樹は曖昧に頷いた。
一生懸命に様々なことを学び取ろうとした楓と比べれば、自分はかなり甘えていた。
「森崎さん、習い事多かったの?」
楓は少し驚いたような顔をしていた。
月夜が自分に話を振ってくるとは思っていなかったんだろう。
「家の人が厳しかったんで」
「ふーん……」
会話自体はそこで途切れた。
しかし、深く掘り下げることはなかったけど、月夜は何事かを考えているように見えた。
「さて、そろそろ本当に遅いですから、二人とも帰る準備をしてください」
二人とも、大樹の言葉に素直に従い帰り支度を始めた。
意外と聞き分けが良い。
「家の近くまで送ります」
大樹は上着を羽織った。この時期になると、夜は一気に冷え込むのだ。
しかし、月夜はゆるゆると顔を横に振った。
「せっかくだけど遠慮しておく」
「え? ですが……」
「森崎さんのことなら、私が責任持って送り届けるわ」
「……? センパイのことも心配しているんですけど」
夜道に不審者が潜んでいないとも限らない。
月夜は少し嬉しそうに笑うが、それでも首を縦には振らない。
「大樹。朝日先輩がこう言ってるんだから大丈夫だよ。この人なら何の心配もいらないって思わない?」
「それを、あなたが代わりに言っちゃうのはどうかと思うけど……。本当に大丈夫。護身術なら一通り覚えてる」
「ご、護身術?」
月夜が不意に、大樹の下腹部に蹴りを放ってきた。慌てて足を閉じる。
直撃の寸前で勢いを止めてきた。初めから当てる気はなかったようだが、心臓に悪い——いや、この場合は股間に悪いというべきか。
「それ、冗談でも次から禁止してもらっていいですか」
男相手に、それは絶対やっちゃいけないことだと思う。