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「勘違いしないよーに」


 篠原大樹が目を覚ましたとき、まだ日は昇っていなかった。


 起床時間はいつもと変わらない。しかし、以前はこの時間で既に窓の外には薄い蒼の空が広がっていた。

 日の出時間が遅くなっている。季節の移ろいを感じつつ布団から出ると、思ったよりも寒くて体が震えた。冬はもうすぐそこまで近づいている。


 ……今朝はいつも以上に目が冴えていた。


 手早く家事を済ませると、大樹は登校の準備を終わらせて家を出た。

 道中、秋風が撫でるように吹く。今は心地よく感じるそれも、あと一か月もすれば身を裂くような冷たさを伴ったものになるだろう。


 いつもとは違う時間の駅のホームは、人がまばらだ。考え事をするには、これくらい静かな方がいいだろう。


「咲夜先輩、平気かなー……」


 昨日の出来事は、強烈にして中々忘れがたい。

 告白現場に同席を求められるのも初めてだったし、その結果が残念なものに終わったのもショックだった。



「あーあ。駄目だったなあ……。おい、篠原、あんまりこのことは言い触らすなよ。部員の耳に入ると流石に恥ずかしいからさ」



 咲夜と帰る道すがら、そんな風に釘を刺されたが大樹にその気は一切なかった。

 努めて平静さを装う咲夜を見ているのが辛くて、大樹はいつも以上に明るく振舞うことにしたのだった。


 家に戻ってからも、大神と咲夜が向かい合っているあの光景が何度も思い出された。そして同時に大樹が思い起こしてしまうのは————自分が楓に告白したときのことだった。


 ……もしかしたら、楓の対応次第ではもう二度と言葉を交わすことがない関係になっていたのかもしれない。

 その可能性に気が付くと背筋が凍った。往生際悪く二回も告白したのに、それ以降も変わらずに接してくれている楓には感謝しかない。


 今日、楓に会ったらその幸運を噛み締めつつ、また楽しく話ができたらいい。


 それにしても、分かり切っていたとはいえこんなにも早い時間で学園に着いてしまうとは。朝練をするよりもさらに早い時間帯だ。どうやって時間を潰せばいいのだろう。教室に行ったとしても誰もいないだろうし、暇を持て余すだけだ。


「……あ、相談室」


 この時間から開いているだろうか。もしかなたが既にいるのなら彼女には色々な話を聞いてもらいたい。いないならいないで、その時は仕方ない。


 相談室前にたどりついた大樹はほっと胸を撫で下ろした。幸いなことに人の気配がある。


 ためらいなく戸を開ける。


「え?」

「は?」


 そこで大樹は固まってしまった。何故ならそこには予想外な人物がいたからだ。


 この相談室の管理人である結城かなたの他にもう一人。だがそれは見知らぬ人物などではなく——むしろ先程まで胸中を占めていた彼女だ。


「楓……どうして」


「大樹こそ……」


 やばい、まさかここで出会うとは思わなかった。全然心の準備が整っていない。

 放心している大樹だが、何故か楓も口を半開きにしたまま何も言ってこない。気まずい沈黙が訪れた。


「お、おはようございます、篠原くん。その……中に入ってはどうですか」


「そ、そうですね。お邪魔します」


 かなたに助け船を出される。

 いそいそと中に入る。二人は机を挟んで向かい合うように座っている。楓とかなた、どちらの隣に座るか一瞬の思考の後、楓の横に腰をおろした。


「………」


 無言で楓に距離を取られる。あ、嘘、嫌われてる……?

 軽く——いや、かなりのショックを受けつつ大樹は気を遣って椅子を離す。すると、どうしたことか楓がずいっとこちらに寄ってきた。ええ、どっちなの……?


「今日はどうしたんですか、篠原くん。随分早いですね」


「特に理由はないんですけど、早くに目が覚めちゃって。結城先生がいたら話し相手になってほしいと思って来てしまいました」


「そうでしたか。私で良ければいつでもお付き合いしますよ」


 かなたが嬉しそうに微笑む。

 それはそうと、実は部屋に入ったときから気になっていたことがひとつ。

 隣の楓をちらりと見る。


「それ何?」


 楓は氷が入った袋を頭の上に乗せていた。


「……たんこぶができて痛いんだよ」


「ええっ、大丈夫? どうしたの?」


「どうしたって……。ちょっと重い一撃を喰らっただけ」


 はぐらかされた気がする。高いところから物でも降ってきたのだろうか。

 何の気なしに、大樹は楓の頭の上をのぞきこむ。見ただけではよく分からないので触れてみた。


「ちょ、ちょっと」


 狼狽した様子の楓だったが、それを無視する。手を滑らせるようにして確認すると確かに不自然に盛り上がっている箇所がある。


 うわ、これ結構痛そうだな……。


「どっかにぶつけたの?」


「ま、まあ。そんなところかな」


「気を付けてね」


 大樹は優しい手つきで頭を撫でる。楓は段々と顔を俯かせてしまった。

しばらくそのようにして、ここが相談室なのを思い出す。嫌な予感がしつつ、かなたを見るとニマニマと口元を緩めていた。そ、そういう顔初めて見た……。


 途端に恥ずかしくなって慌てて手を離す。


「あっ」


 楓が上目遣いに見てくる。すごく不満そうだった。まるで、お気に入りのおもちゃを取り上げられてしまった子供みたいな反応で……。


 大樹の心臓が激しく暴れた。


「大樹……その」


 楓が何かを言いかけたところで、彼女もかなたからの視線を感じたらしい。思いっきり眉間に皺を寄せた楓は、近くにあったクッションをかなたに投げつける。


 しかし、かなたにしては機敏な反応でそれを避ける。


「なんで逃げるの!」


「どうして私が怒られるんです!? ……はあ、もう。そんなにお邪魔ならかなたさんは消えますー。しばらく二人でイチャイチャしてたらいいじゃないですかー」


「ちょっ!?」


 これには大樹が一番慌てた。楓の目の前でそういうことを言わないでほしい。

 冗談かと思いきや、本当にかなたは部屋を出ていってしまった。その際、意味深なウィンクを大樹に残して……。


 微妙な空気のまま二人で取り残された。


「……楓?」


 名を呼ぶと、楓は慌てた風に顔をそむけた。緊張しているみたいに背筋を伸ばしているので、首だけあっちを向いているのが物凄く不自然な恰好だった。


 大樹が楓の顔を見ようとして前に回り込もうとすると、楓自身もクルクル回って中々顔を見せてくれない。回転椅子じゃないのになんでそんな器用なことができるの……。


「えっと……」


 困惑する。大樹はお手上げだった。楓は気まぐれで機嫌もコロコロ変わりやすいから、何かちょっとしたことでも気分を害してしまうことがままある。


「怒ってる?」


「は、え、なんで」


 楓が顔を見せてくれる。何故そんなことを言われるのか分からない様子だった。どうやら怒ってはいないみたいだった。

 少しほっとする。大樹の早とちりだったようだ。もっと楓が分かりやすかったら、こんなにやきもきする必要もないのだが。


「そういえば、昨日は応援ありがとう」


 部活の大会のことを話題に持ち出すと、楓は肩をすくめて笑う。


「律儀だね」


「結城先生たちには直接伝えられたんだけど、楓は先に帰っちゃったみたいだったから。……退屈させちゃった?」


「そんなことはなかったけど……。まあ色々予定あったのよ、ごめんね」


 なんか謝られた。予想してなかった言葉で、大樹はやはり戸惑う。なんだか今日の楓はいつもと雰囲気が違う。なんか、ちょっと————優しい?


 また窓の方に頬杖をついてしまった楓だが、チラチラとこちらを見てくるのが分かる。何度か目が合う。楓は自分の頭を掻こうとして————たんこぶに触って「いたた」と悶えていた。一人で何をやっているのだろう……。


「……大樹。今日は部活ないんだっけ」


「うん。振替で休み。……なんで知ってるの?」


「——咲夜先輩から聞いてた」


「昨日から気になってたんだけど、どういう繋がり?」


「まあ、そんなことよりさ」


 大樹の疑問はさらりと受け流して、楓がじっとこっちを見つめてきた。

 視線がめちゃくちゃに泳いでいて、口元がもごもごしている。そんなに言いづらいことなのだろうか。


「ほ、放課後にさ、ちょっとご飯でも食べにいこうよ」


 かと思いきや、食事の誘いだった。肩透かしを食らう。もっと切り込んだ話題でもぶつけてくるのかと身構えていたのに。


 しかし……。


「ごめん。それは出来ないや。帰って母さんや紗季のご飯を用意しないといけないからさ」


「あ」


 しまったという顔をして楓が額を押さえた。楓は大樹の家の事情を知っているので、これは単純なド忘れだったのだろう。

 何故だか、みるみる楓の顔が赤くなっていく。


「……今のなし。忘れて」


「や、ちょっと待ってよ。よ、良かったら今日ウチに来ない? 丁度冷蔵庫の中も空になってたし、帰りに手伝ってほしいん、ですけど……」


 しどろもどろになりながら言う。これでは下心を全然隠せてないではないか。ちょっと必死な感じが出過ぎているというか。こんな言い方では警戒されるのではないか……と不安に駆られる。


 だが、楓の返事は予想に反するものだった。


「あ、ま、マジ? お邪魔していい?」


「う、うん。どうぞ……」


 大樹が了承してみせる。楓がにへらと笑った。どこか浮ついた空気を感じさせた。



「楽しみ」



 —————————。



 大樹は咄嗟に、楓を抱きしめたい衝動に襲われた。理性を総動員して、なんとか拳が少し浮いた程度で抑える。


 危なかった。一体何をやらかそうとしていたのか。


 なんとか失態を犯さずに済んだ大樹だったが、平静を保つには至らなかった。口元が緩んで、にやけてしまう。


 楓がはっとした。


「あ、いや、これはあれだ。紗季ちゃんに久しぶりに会えるからっ。そういう意味で楽しみってことね!」


「うん。分かってる」


「そこんところ、勘違いしないよーに」


 今から放課後が待ち遠しい。

 朝のホームルームが始まるまで、楓とずっと他愛ない話をしていた。かなたが時間を教えてくれなかったら、もっと居座っていたと思う。


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