「不本意な形ではありますけどね」
「すまない」
「俺たちが不甲斐なかった」
蒼斗と芝崎に頭を下げられて、大樹は困惑した。何を言えばいいのか見当もつかないのだ。
動じていなかったのは大神だ。
「謝ることじゃないだろ」
藍咲高校バドミントン部は、清蘭高校に敗北した。
大樹と大神の第一ダブルスの勝敗は決着しなかったが、それ以外の二試合——第二ダブルスとシングルスでゲームを取られてしまったのだ。
特に第二ダブルス——蒼斗と芝崎の試合は結構早い段階で終了していたようだ。二人はダブルスを組んでから日が浅い。そこまで気に病む必要もないのだが……。
悲痛な顔をしている先輩たちを見て、ふと大樹は双葉のことが気にかかった。
双葉がどんな試合をしていたのかは知らないが、負けてしまったのは事実だ。二人のように落ち込んでなければいいのだが。
双葉は口を開けたまま放心していた。よだれが垂れている。
「亜樹。口、開いてる」
「えっ。……ああっ!? すみません!」
ゴシゴシと口元を拭う。なんだか、想像していたよりも元気そうだ。
「せっかく励まそうと思っていたのに」
「どうしてですか?」
「その……負けたみたいだからさ」
「あ、そういうことですか」
今更納得したかのような顔をする双葉。
「凄かったんですよ。清蘭のシングルスの人。今まで試合をした中で一番——最高に強かったです。あんな風にバドミントンが出来たら、きっと、もっと、楽しいですよね」
……なるほど。試合の余韻に浸っていたというわけか。
見た目に反して、すっかりスポーツ少女になりつつあることが嬉しい。……いや、スポーツ少年の間違いだった。
大樹が勝手に混乱している間に、双葉は立ち上がって伸びをした。
「帰ったらいっぱい練習しましょう。もっと楽しむために」
本当に強い子だな、と思う。
大樹が公式戦で負けたときはもっとウジウジと引きずった。双葉はもう切り替えていて、既に未来を見据えている。それだけ、バドミントンを好きになってくれているのだろう。双葉が入部してきたときはどうなるものかと思ったが、杞憂だったようだ。
「お前が部に入ってくれて良かったよ」
「え、え。そう、ですか? 照れます……」
その可愛い顔やめろ。ほんとに。
◇
解散後の行動は自由だ。
蒼斗や双葉は、清蘭の試合を観たいらしく、まだ残っていくらしい。大樹も普段はそうするのだが、今日は応援に来てくれている人たちがいる。そっちの方に行くのが礼儀だろう。
——などとお行儀のよい言い分を作ってみるが、正直なところ、大樹は楓と早く会いたくて仕方なかった。
アドバイスのお礼も言いたいし、可能なら一緒に帰りたい。
と思っていたのだが。
「か、楓ちゃんは……先に帰っちゃいました」
かなたにそんなことを言われてしまう。とても申し訳なさそうに。別にかなたが悪いわけではないのだから、そこまで気にしなくていいはずなのに。
しかし、大樹はかなり落胆した。退屈させてしまっただろうか。試合が終ってからミーティングもしたから、かなり時間が経っている。楓が律儀に待っている理由など一つもない。
それでも、多分、心のどこかで期待していたのだと思う。
「そうですか。結城先生、それに紅葉先輩も今日は来てくれてありがとうございました」
少々ぎこちない笑みを作る。
かなた達はそれに気付かない振りをした。
「とても良い試合でした。惜しかったですね」
「そー、そー! 篠原くんの試合、最後まで観てたかったな。あれ、絶対勝ててたから、落ち込んじゃ駄目だよ! はい、これ!」
紅葉からお菓子を受け取る。甘いものが欲しかったので丁度いい。
二人を見送って、大樹は会場に戻る。これからどうしようか悩んだ。今からでも部員のみんなと合流して清蘭の試合を観るべきか。だが、なんだか今日はもう帰って眠りたい気分だった。
とりあえず荷物をまとめていると、後ろから声をかけられた。
「篠原」
「ん、大神……。おつかれ」
戦友を労うが、大神の表情は強張ったままだ。口を引き結んで、何かを言いたそうにしている。
「ちょっとこの後付き合え」
「え、なに。こわっ」
不良に絡まれたような気分だった。カツアゲでもされるのだろうか。
有無を言わさず連れていかれた先には、大神の母親と咲夜の姿があった。
「連れてきた」
「ありがとう、蓮ちゃん。いい子、いい子」
大神母が宙に手を伸ばす。大神の頭を求めて、さまよっている。
大神は思いっきり顔をしかめた。かと思ったら、今度は大樹と咲夜を睨む。わけがわからず、大樹は両手を上げて降参のポーズをとった。敵意はないですよー。
溜息をつき、大神はひざをついて頭を下げた。息子の髪を撫でる母の表情は満足げだ。
「ああ、なんだ。恥ずかしかったのか。……痛っ!?」
肘が入った。
「ごめんなさいね、篠原くん。いきなり呼んでしまって。でも、どうしても篠原くんとお喋りしたくて」
「ああ、そんなの全然いいですよ」
正直、大樹も大神母とは少し話してみたいと思っていた。
大神母の隣に座ろうとした大樹だったが、何故か大神が止めてくる。
「話なら、帰りながらでもいいだろ。母さんの話は長い。俺は先に行く」
大神はスタスタと歩いていく。慌てて咲夜が彼を追いかけていった。
「もうっ、あの子は本当に……。私たちも行きましょうか」
「はい。……あの、腕、掴まりますか」
立ち上がった大神母にそう提案すると、一瞬驚いた顔をしながらもそっと大樹の腕を掴む。彼女の歩調に合わせてゆっくり歩き出す。
大神と目が合う。先に行くなどと言いながらも母が心配なのだろう、離れすぎているということはない。後ろから声をかけたらすぐに駆け付けてくれると思う。
会場を出て駅に向かう。大神の家は藍咲学園のすぐ近くにあるようで、大樹の帰宅方向とは一致している。
駅までの道中、大樹はことあるごとに大神母に注意を促した。
「そこ、段差あります。気を付けて」
「小学生くらいの子供たちが走ってきてます。ここで一旦止まりましょうか」
「あ、俺に車道側を歩かせてください。自転車とかバイクがすぐ真横を通りますから」
などなど。大神母は、自分の息子が学校でどんな風に過ごしているかを聞きたいみたいだったが、次第に興味が大樹の方に移ったみたいだった。
「篠原くん、すごい気遣い上手なのね。……失礼かもしれないけど、ご家族の誰かが私と同じように目が見えなかったりするの?」
「いえ、そういうことはないんですけど……。まあ、目を離すことができない身内がいるので、その影響かもしれないですね」
大樹は遠い目になって、自分の母親と妹のことを思い浮かべた。
胃がキリキリと痛む。そういえば今日はこれから帰って夕食の準備をしなければならないのだった。疲れてるんだけどな……。
「小さいご兄弟がいるのかしら。大変なのね。でもきっと、篠原くんには感謝していると思うよ」
「そうでしょうか」
「だって私も、蓮たちにそういう気持ちでいるから。同時に、申し訳ないとも思うけどね。私は親なのに、あの子たちの負担になってる」
自責の念の込められた言葉に、大樹は沈黙する。かけるべき言葉は見つからず、しかし引っかかりを覚えた部分があった。
「……たち?」
「蓮の下に、次男と長女がいるの。家族四人暮らし」
本来いるべきはずの人物が登場しないことに気付いても、あえて指摘するような野暮なことはしない。事情はそれぞれだ。
「下の二人は分かりやすいんだけど、蓮は口数が少なくてねえ。何を考えているのか、顔も見れないから分かってあげられないの。学校でもそんな感じなのかしら?」
心配そうな声音に、しんみりとした気分になる。
「そう、ですね。バドミントンのことに関してはすっごくうるさいんですけど、それ以外のことは全然知らなかったです。例えば、お母さんの目のことも……。生まれたときから見えていないんですか」
「いいえ、そんなことは。この目は心因性で見えなくなってしまって。もう三年以上も前になるかしら」
三年……。
長い年月だ。それだけの間、ずっとこの人の世界は暗闇に包まれている。
心因性ということは、何らかのストレスを抱えているということか。
「色々と無理なことを続けてきた罰が当たったのかしら」
「いえ……そんなことないですよ」
「特に蓮には色々苦労ばかりかけてるから。私の目が見えない分、身の回りのことを全部やろうとしてくれるの。遊びたい盛りの高校生なのにね……。口では言ってないだけで、無理してないか気が気じゃなくなる」
うおお、どこかの母上にも聞かせてあげたいセリフだ。
それはそうとこれ以上、大神母の気分を落ち込ませたくない。
「お母さん、大丈夫ですよ。大神は————れ、蓮はそんな不満は全然持ってないと思いますよ」
「どうしてそんなことが分かるの?」
「だって、顔見れば分かりますよ。心の底からお母さんの身を慮っているのが。今だって、ことあるごとにこっちを振り返って、お母さんのことを見てますよ」
「————」
大神の母が、視線を上げて前を見据える。大神は慌てた様子で前に向き直った。大神母が穏やかに微笑む。その瞳には何も映っていないはずなのに、まるで今の光景が見えているかのように……。
「何度もすごい音がしたの。……蓮なの?」
試合のときのことを言っているのだと、遅れて気付いた。
大樹は、自分のことのように誇らしく自慢げに語った。
「ずっと、練習してきたんです。多分、バドミントンを始めたその日から。今日までずっと何回も、何年も打ち続けて。誰よりも速くて、強いスマッシュを打つために。その音を轟かせるために」
「……そう、なの」
大樹の言葉の意味を噛み締めるように、大神母は俯いた。その足がピタリと止まる。横を歩いている大樹もそれに倣った。しばらく、彼女はその場で立ち尽くして小さい肩を震わせていた。
異変に気付いた大神と咲夜が、こちらに走り寄ろうとしてくる。大樹はそれを手で制した。多分、今はそっとしておいてほしい場面のはずだ。
しばらくして大神の母は顔を上げた。
「ありがとう」
「……いえ。俺は何もしてないので」
「ううん。今日だけのことじゃないの。蓮とずっとバドミントンを続けてくれたお礼なの。あの子が今もそうしているのは、あなたのおかげだから」
「……どういうことですか」
ちょっと意味を測りかねる。そういえば試合のときも大神が意味深なことを言っていたのを思い出す。それと関係することだろうか。
「多分知らないことだと思うから驚かずに聞いてほしいんだけど。昔の蓮はね、運動なんて全然しない子だったの。外に出たがらないで、絵を描くのが好きだったのよ」
「ええっ!?」
思ったよりも大きい声が出た。
「……やっぱりビックリした?」
「す、すみません。なんというか、その、意外過ぎたので」
でもそういえば、大神のクラスの選択授業は美術だった気がする。大樹は消去法で音楽を選んだが、もしかしたら大神は好きで決めたことなのかもしれない。
「……でも私も、似たような気分だったかしら。運動嫌いだった蓮が急にバドミントンやりたいって言いだした時は。正気を疑ったわ」
何気にひどい言い方だ……。
「でも、どうして蓮はバドミントンを始めたんですか」
「私の影響だと思う。まだ蓮がずっと幼かった頃————私も目が見えていたから、二人でバドミントンをしたことがあってね。でも蓮はすごく嫌がって、すぐにやめちゃうの。私がそれに付き合わせる形になって……」
「はは。今じゃ全然想像できないですね。むしろ俺たちが嫌がってるのに無理やり付き合わされてますし」
ほんと、毎度毎度部活終わった後で打とうなどと言い出すのだ。
最近じゃそこに六花総合の高宮凛まで加わってきて休む暇がないくらいだ。
「中学校の部活動から始めたんだけど、運動音痴のあの子は最初、ずっと無理をしていたと思う。試合をしても全部負けちゃうって。あの子は好きでもないことに一生懸命になれるほど器用じゃないから。すぐにやめちゃうかと思ってた」
「え、待ってください。まさか蓮がバドミントンをやめなかった理由って……」
「篠原くんに勝ったからだね」
大樹は引きつった顔になった。
初めての公式戦のことは忘れもしない。対戦相手は大神蓮だった。
まだまだ初心者だった両者による試合は、お世辞にも見栄えの良いものではなかった。サーブミスも空振りも当たり前。たまにラケットが飛んでいくなんてこともあった。そんな泥試合をどちらが制したかも、もちろん覚えている、のだが……。
「そんな理由なんですか!?」
「でもそれ以降、蓮の口から何度もあなたの名前を聞くようになったわ。今日は勝った、負けたって。声だけでわかった。本当に楽しんでるんだって。だから————あの子にバドミントンの楽しさを教えてくれてありがとう」
「なんというか、不本意な形ではありますけどね」
だがおかげ様で、切磋琢磨して技術を磨くような関係性になったのは喜ばしいことだ。
大神がいなかったら、大樹もここまで強くなっていたかは分からない。
「ごめんなさいね、こんなおばさんの話に付き合わせちゃって。あなた、本当に良い子ね。うちの蓮の方が可愛いけど」
「なんか急に何か自慢してきた!?」