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「聴こえたみたいだね」


 時間を遡り、藍咲学園と清蘭高校の試合が始まる少し前のこと。


「あ」


「げ」


 一階の自販機コーナーの前で楓に遭遇する。大樹に見つかってしまった楓は何故だかバツが悪そうに顔をしかめていた。


「なんでそんな嫌そうなの?」


「別に」


 素っ気なく言って、その場から立ち去ろうとする。慌てて大樹は回り込んで行く手を阻む。楓は困り果てた表情で大樹を見上げた。不安そうに揺れる瞳に、心がざわつく。


「今日、どうして来てくれたの?」


「さっきも言ったじゃん。かなささんに誘われたからだよ」


「断ることも出来たじゃん」


「……なに。来たら文句あるの」


「そうじゃなくて。だって、う、嬉しいから……」


 冗談で、試合を観にきてほしいと言ったけれど、まさか本当に来てくれるとは思っていなかった。おかげで、色々と集中力を削がれている。

 今更だが、さっきの試合も観ていたということだ。不甲斐ない姿だったと思う。楓にはもっとちゃんとしたところを見せたい。


「ふ、ふーん。嬉しいんだ?」


 からかい口調の楓。なんだか弄ばれているような気がして一瞬だけムッとするも、存外嫌な気分でもないことに気付く。こうして話しているだけでも幸せだ。


 大樹は浮かれていて平静ではないが、楓の方も、心なしかいつもと態度が違う気がする。本当にごくわずかだが、なんだか緊張しているように見えるのだ。あと、これは多分勘違いだと思うが、若干顔が赤い気がしないでもない。


「だったら、ちゃんと勝ってるところも見せてほしいね。今日は大神のお母さんも観にきてるんだから、責任重大じゃない?」


 冷水を浴びたみたいに、途端に大樹の頭はクリアになった。

 押し黙った大樹を、楓は怪訝そうに見つめる。


「どうしたの」


「大神に、活躍させたいなって思ってさ」


 普通に家族が応援にきただけなら大樹もそこまで気は遣わないのだが、今回は例外だ。

 大神も、大神の母も、今日という日を特別に思っているはずだ。

 大神のプレイはいつもより力が入り過ぎているけど、それだけ必死で、勝ちたいと願っているのが伝わってくる。


「まあ、やることは変わらないけどね。俺がサポートして、大神がスマッシュで決める。今までそうやって勝ってきたんだから、今日も上手くいくはず」


 自分に言い聞かせる。そういう勝ち方しか、大樹は知らない。


「それ、ハマってないと思う」


「え」


 やたら強く、楓が断言してみせるので大樹は戸惑う。


「前にさ、大樹と大神くんのダブルス見せてもらったのを覚えてる?」


「あ、ああ。もちろん」


 以前、大樹と大神が初めてダブルスを組み始めたころ、ダブルスの形が定まらずに楓に試合映像を見てもらったことがある。

 はっきりとした答えを期待していたわけではなかったが、楓が提示したスタイル——大神のスマッシュを徹底的に活かす戦い方は結構ハマって、大樹たちに多くの勝利をもたらしてくれた。


「言い出しっぺは楓なのに」


「あのときはそう思ったよ。でも、朝日先輩とのあの試合を観たら……大樹も十分に武器があるじゃんって思い直したから」


「……どういうこと?」


「まあ、それは自分で考えて」


「またかよ……」


 以前も、こんな感じで答えをはぐらかされてしまった。

 自分で考えろだなんて、まるで先生にたしなめられているみたいだ。悶々とした大樹を横目に楓は観客席に戻ろうとする。


「まあ、頑張って。飽きたら帰るから」


「ええー……」



 清蘭に巡り合わなければ————そして、今日ここに大神の母親が来ていなかったら考えもしなかっただろう。


 大樹と大神の、新しいダブルスの形。


 月夜と戦ったあの日、大樹は限界以上の実力を引き出していた。あれは、ただ勝ちたい以上の気持ちがみなぎっていたから出来たことだ。


 そして、今日も。大樹は胸の内に熱を感じていた。



「セカンドゲーム、プレイ!」



 始まりが肝心だ。


 清蘭のサーブを、ネット前にレシーブをする。大樹はそのまま前に踏み込んだ。後ろを大きく空けるような陣形だが問題ない。清蘭は大神に打たせるようなことはしないのだから。

 読み通り、再びネット前に返球される。ふわりと優しいタッチだ。大樹は素早くプッシュを決めた。


 次のラリーもネット前での攻防になった。大神にはいつでもスマッシュを打てる体勢で準備をしてもらい、大樹は至近距離での清蘭選手との打ち合いに全神経を注ぐ。


 基本に忠実で変な癖もなく、綺麗で上手いのは認めるが、こうして打ち合ってみると感じることは多い。——俺はこの人に、ネット前で負けない。


 サイドに大きく振って、翻弄する。速過ぎるテンポでのラリーは一見両者互角のように思わせたが、戦い方に大きく差がある。清蘭はお手本のように的確に返球してくるが——ありきたりで意外性がなく読みやすい。大樹は得意のクロスヘアピンを多用しつつも、シャトルに触れるタイミングをずらしたりフォームを整えないまま飛びついたりしている。


 単純に、経験の差だ。バドミントンに関わっていた時間の違いが、この差を生んでいる。清蘭の選手には、まだ『自分の戦い方』がない。


 背を向けながらのバックプッシュで得点する。


 シャトルを受け取り、サーブラインに戻るまでのわずかな時間で、清蘭の選手たちが何かを話している。

 大樹は一球に全神経を集中し、サーブを放つ。ショートサーブは、当然ネット前に返ってきた。大樹は前に踏み出し、目を見張った。

 清蘭の二人ともネット前に飛び出している。後ろのスペースを完全に度外視した捨て身の陣形。


 流石に、二対一ともなれば分が悪い。

 二人がかりで返球されたらどんな人間だって後手に回る。バドミントンをやっている人間なら共通の認識だ。


 だから、後ろに控えていた大神が前に飛び出してくるのは自然な流れ。


 大神が前に走り出した瞬間、清蘭は後ろのがら空きのスペースにアタックロブを放った。


 このときの清蘭の判断は最善と言えるはずだった。

 誰もいないスペースに攻撃を仕掛けたのだから文句なしに得点になる。


「篠原!!」


 大樹は大神と入れ替わるようにしてリアコートまで下がる。

 体勢を整える余裕も十分だ。しっかり狙える。


 清蘭の二人はサイドバイサイドになって守備陣形を整えつつも、その相貌は唖然としている。大樹に攻撃力があるのか、彼らにとっては未知数だろう。


 大神と組んでから————いや、大神のスマッシュを初めて見たときから、大樹は自分のスマッシュを恥ずかしく思った。ここまで迫力のある武器を大神は持っていて、大樹にはそれがない。


 大樹がネット前でのショットコントロールやタッチの柔らかさを極めようと思ったのは、間違いなく大神の影響だった。自分のスマッシュは見劣りする。


「でも、ちょっと卑屈だったかもね」


 サポートに徹するとか引き立て役になるとか。

 そんな一歩下がった形ではなくて、もっと大神と肩を並べるように。


 大樹は腕を振りぬく。甲高い音を伴ったショットが放たれる。


「はやっ……!」


 清蘭は反応しているが完璧には返球できなかった。甘い球が上がる。


「大神来るぞ! 警戒しろ!!」


 清蘭の監督が声を張り上げる。

 大神に注意が集まるが、しかし大神は打ちあがったシャトルを見上げたまま動かない。


 大樹は再びスマッシュの体勢に入る。今度は飛び上がって。


 角度のついたジャンピングスマッシュは清蘭の守備を貫く。大樹への警戒を怠っていた清蘭だがそれでもなんとか返球する……が、体勢を崩して一人が尻餅をついた。


「大神!!」



「大神!!」


 そんなにデカい声を出さなくても見えてるし、分かっている。

 篠原の一回目のスマッシュが視界に入った瞬間、予感があった。脳が判断を下すよりも早く、体は既に動き出していた。


 待ちに待った絶好のチャンス。もうここしかないと思わせたタイミングで、しかし篠原はそれをあえて見送る。何度も戦った俺だから分かる。こいつはそういう奴なんだ。


 だから俺も、あえて見送って機会を窺った。多分、これでいい。


 右手をかざし、シャトルとの距離感を把握する。ジャストポイントで打ち抜ける自信があった。最高のスマッシュが繰り出せる。滾りを抑えられない。シャトルが落ちてくるのがおせえ。いいや、もう。飛んじまえ。


 跳躍し左腕に力を蓄えている間に、振り向いた篠原と目が合った。


 お前に言われるまでもない。


 サッカーでシュートを決めるように。

 バスケでダンクを決めるように。


 バドミントンでは————スマッシュを決めたときが最高に気持ちいい。


 最初はそういうつもりで打っていたわけではなかったのに、いつの間にか俺にとってスマッシュは唯一無二の武器に進化した。


 俺のスマッシュは最強だ。


 見ろよ、お前ら。見ろ、篠原。


 見えねえ奴は————しっかり聴け。


 いつものストロークで腕を振りぬいた。確かな手応えがガットから伝わってくる。



 会場にいる全ての人間が、大神に注目していた。

 耳をつんざくような轟音。相変わらず凄まじい一撃。倒れていないもう一人の清蘭を狙ったスマッシュだったが、彼は全く反応できていなかった。


 ポイントがコールされる。


「大神!!」


 大樹は大神に走り寄った。スマッシュが決まったことに遅れて気付いた大神は片膝をついてこちらに視線を向けた。


「篠原……」


「今の、綺麗に決まったよな!? 今日最高のスマッシュだよな!?」


「ああ……」


 大神が素直に認めたところで大樹は興奮を抑えきれなくなった。無言でラケットを突き出す。大神はおずおずと、同じようにしてきた。


 カツン、と小さい音がなる。今この瞬間、大樹と大神の心はひとつだった。

 思えば、今までにこうして喜びを分かち合ったことはなかった。技術的にダブルスを成功させたことは何度もあったが、今は真の意味で二人でダブルスなのだと実感する。


 大樹も、そして大神も————観客席に目を向けた。

 こちらに向けられる視線を確認して、大樹は安堵した。


「しっかり、聴こえたみたいだね。まあ、相変わらず凄いスマッシュだから当然と言えば当然なんだけど」


「ありがとう。篠原」


 ぎょっとした。大神がお礼を口にした……?

 スマッシュを褒めたことを言っているのかと思ったが、どうやら違うようだ。雰囲気で感じる。


「俺はずっと……この時のためにバドミントンで、スマッシュを打ち続けてきた。やっと、肩の荷がおりた」


「……まるで辞めるみたいな言い草だね」


「お前がバドミントンをやっていてくれて、本当に良かったと思う」


「……マジでどうした」


 大樹の疑問に答えることもなく、大神はシャトルを受け取るとサーブラインに立った。試合の再開を促される。溜息を吐いて、渋々大神の後ろで構える。


「なんとか上手くいったが、一発だけで終わる気はさらさらない。俺がスマッシュを打てるよう、お前も存分に暴れろよ」


「はい、はい」


 ——俺も、お前がバドミントンをしていてくれて良かった。


 大神の背中を眺めて、心底そう思った。

 ずっと争い続けてきた大神が、こうして同じチームとして目の前にいることに不思議な縁を感じる。頼もしいなんてものじゃない。こいつといれば、どこまでも強くなっていける——そんな予感を与えてくれるのだ。


 もう、サポートで終わらない。これからは二人で戦っていく。


 大神がシャトルをサーブする。


 大樹は爪先に力を入れて、前に飛び出した。


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