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「応援しないと損じゃない?」


 楓はその人物に見覚えがあった。それも、学内で少し見た程度のものではなくて、ここ最近よく顔を見ている。今日も、体育館でその姿を見ている。

 髪は短く、活発そうな印象の女子だ。同性の楓から見て、かっこいいと思う。


 大樹と同じバドミントン部だってことは分かっている。名前は知らないが。あ、確か先輩だったっけ。


 その人は、困ったように楓とかなたに視線を送っている。


「……と思ったんだけど、あたしはお邪魔?」


「いや、大丈夫っすよ」


 楓はフランクに答えた。もう帰ろうとしていたのだ。この人の邪魔をするつもりはない。


「ホント?」


「平気ですよ。……つまらない男の愚痴を聞いてもらってスッキリしたところなので」


 あなたの部活の後輩のことなんですけど。ちゃんと指導してもらいたい。いや無理か。

 そんな楓の言い回しに引っかかりを覚えたのか、目敏く反応される。


「もしかして————好きな人の話だったりして」


 一瞬で見抜かれ、楓は誤魔化すことも取り繕うことも忘れて言葉を詰まらせた。

 どうして分かったのだろう。

 素直に認めようか迷うが、どうせ今後接点などないのだから下手に嘘をつく必要もない。


「まあ、そうですけど……」


 横で、かなたがニヤニヤしている。鬱陶しい。

 こんな恥ずかしい質問をしてくれた先輩の顔を見やると——ほっとしたような、落ち着いた表情をしていた。楓は悟る。この人も、自分と同じなのだと。


「ごめんな、いきなり。あたし、村上咲夜。バドミントン部の副部長やってる」


「……森崎楓。一年生です。よろしく先輩」


 先輩——咲夜に握手を求められ、なんとなしに応じる。加減を知らないのか、結構痛かった。ああ、スポーツマンだなあ。


「で、結城先生には相談乗ってもらいたいんですけど——」


「わかりました。じゃあ奥の個室に移動しましょうか」


「それなんですけど、楓も一緒にいてもらっちゃ駄目ですか」


 楓とかなたが同時に目を見開く。主にナチュラルに下の名前を呼ばれたことに驚いて。

 咲夜は申し訳なさそうに、けれど憎めない笑顔で両手を合わせた。


「頼むよ、楓。ガラじゃないってのは分かってるんだけど、こういうの初めてだからさ。同世代の女子の意見も参考にしたいんだよ」


「えっと……」


 楓は一瞬だけ躊躇いを見せた。

 今から大樹のことを追いかけようと思っていた。多分、月夜がべったりマークしてるけど。


 ………いや。


 どうせ楓がいったところで、割って入るような度胸もない。ここ数日は、自分の臆病さに嫌気がさすくらいだ。また気分を下げるだけ。


「はい、わかりました」


 果たして恋愛初心者の楓に何が出来るかは分からないが。

 かなたが許可してくれるなら、楓としては断る理由がなくなった。

 楓と咲夜がかなたの顔色を窺う。


「……? はい。お二人がそれで良いなら、私は止めませんけど……?」


 ポンコツかなたは、咲夜の相談内容に気付いていないようだった。

 マジか。



「へぇ~! 咲夜ちゃんが大神くんのことを好きだったなんて、全然気付かなかった!」


 咲夜の相談にそう反応したのは、かなただ。

 楓も、前のめりになって聞いてしまう。咲夜の想い人である、大神蓮——当然、楓も知っている。大樹とダブルスのペアを組んでいる、ワイルド系のイケメンだ。バドミントンをしている姿しか見たことがないが、スマッシュが抜群に速かったのを覚えている。


 他人ならいざ知らず、わずかでも知っている人たちの話なら身近に思える。


「そういう風に感じるようになったのは、つい最近なんで……」


 顔を赤くして、咲夜は自分の顔を手で仰ぐ。意外と可愛い先輩だ。


「何かきっかけでもあったの?」


「きっかけというか……。部活が大変だったころまで、話は戻るんですけどね」


 部活が大変だったころ————月夜の退部騒動があった時のことだろう。

 大樹もその当時はかなり荒れていて、楓が一肌脱ぐことになった。やはりあの事件は大樹だけでなく、他の部員にも多大な影響があったのだろう。

 かなたは、控え目に首肯する。


「あたしも嫌になっちゃって。副部長の立場も放って部活に行かなかったんですよ。あたしがいたって、どうしようもないって。周りも多分、そういう風に思ってたんで」


 咲夜がその時感じていたコンプレックスについては、楓はよく分からない。中学から今日まで、ずっと帰宅部だったから。部活内での人間関係のもつれを上手く想像できなかった。


 けど、全部話すまでもなく、咲夜が追い詰められていたのだということは分かる。咲夜はそういう気持ちに押しつぶされそうになっている人間の顔をしていて————そういう表情を、楓は鏡で何度も見ていたからだ。


「逃げるように帰ってすぐ、家に誰かが来たんですよ。その時は居留守を使ったんですけど、誰なのかは次の日わかりました。大神が、あたしの教室まで謝りにきたんで」


 ここで、ようやく大神の登場か。謝るって何のことだろう。


「今だから許すけど、あいつ、あたしが部活にいなくても俺は困らないって言ってのけたんですよね。……ひどいっしょ?」


「そ、そうすね」


 咲夜に同意を求められて、楓は反射的に頷いた。

 いや、改めて考えてみると本当にひどい言葉だな。イメージぴったりだけど。


「あたしは『もういいよ』って言ったんですけど。大神はあたしが部活に戻るまで何度も会いにきました。そのときも酷い言い分で。『あんたがいないと部活が出来ない』って。どんだけバドミントンがしたいんだよって怒鳴ってやりました」


「それは怒っていいっすよ」


 楓は憤慨した。

 けれど分からないのは、そんな険悪な関係性だったのに、咲夜が大神に対して恋愛感情を持つことになった経緯だ。

 そこの説明を促されていることに気付いて、咲夜は続きを話す。


「その大神って奴はさ、部活中もストイックな野郎でさ。本当にバドミントンのことしか頭にないんだ。多分、他の部員から見てもそういう認識で合っていると思う。でも、なんでそんなにバドミントンにこだわるのか、誰も知らなかったんだよ。だから聞いてみたんだよな。『何がお前をそこまでさせんのか』って」


「そ、そうしたら?」


 咲夜は目を細めて、少し視線を上げた。

 やがて、ふっと口角が動いた。


「いや……これは言えないな」


「ええっ!?」


 何故そこでもったいぶるのだ。一番肝心なところだろう。


「別に口止めされてるわけじゃないけど、多分あんまり知られたくないことだろうし。大事なのは、それを知って大神の印象が変わったってところだよ。案外良い奴じゃんって思ったね」


「う、うわあ……。ここまで話に付き合わせておいてそりゃないっすよ。咲夜先輩」


「こら楓ちゃん。言いたくないことを言わせないの」


 実にもどかしい。

 恨めしく思う楓の視線を、しかし咲夜は涼し気に受け流す。


「悪かったって。で、本題なんだけど、どうしたら異性として意識くれると思う?」


「普通に玉砕してくればいいじゃないですか」


「なんで玉砕前提なんだよ!?」


 やけくそなアドバイスに咲夜が嘆く。


「やっぱり男みてえな見た目と話し方が悪いのか? 楓だったら好きな相手との距離をどうやって詰める?」


「それは、よくわからないですけど。私だったらなりふり構わずアピールしたいところです」


 かなたの視線をヒシヒシと感じる。それが出来ずにうじうじしていたのだから、その反応は当然と言えば当然だ。

 咲夜は「おっ!」と手を叩いた。


「気が合うじゃん! あたしもそういうシンプルな考えの方が性に合ってるんだよね! とりあえず明日は男子の試合だから全力で応援したいと思う!」


「え、こういうのって女子部員も応援行くものなんすか?」


「え、普通行くでしょ?」


 そんな当たり前みたいな顔をされても困る。

 咲夜が肩をすくめる。やれやれと。なんかその仕草に腹が立った。


「せっかくさ、好きな奴が頑張っているところが見られるんだから。見て、応援しないと損じゃない?」


 好きな人が、頑張っているところ。


 楓はその光景を想像した。練習とは違う、真剣勝負の空気の中で懸命になっている姿。

 一度だけ——球技大会のときに、そんな大樹を見たことがある。あの頃は大樹のことをただのクラスメイトとしか思っていなかった。にもかかわらず、かっこいいと素直に認めてしまったのを覚えている。


 今の自分がそんな大樹を目の当たりにしたらどうなるだろう。


 鼓動が高鳴るのを感じた。


「ついでに告ってみるのもアリかもなー。……うん。よし、これで行こう! サンキュー楓! 結城先生! 明日は気合入れるわ! そんじゃ!」


 いきなり現れて、勝手に納得して帰っていく咲夜。騒がしい人だった。


 静まり返った相談室で、沈黙を先に破ったのは楓だった。



「ねえ、かなたさん。明日って暇?」





 どういうことだ。どういうことなんだ。


 訳が分からず、大樹は頭を抱えた。

 今は、バドミントンの大会の日の朝。目の前で談笑している彼女たちの姿を直視できない。幻覚か何かだと思っている。


 実は昨日、部活から帰った後で結城かなたから連絡があった。明日は応援に行きたいので、会場がどこかを教えてほしいと。大樹は快く了承した。前顧問として、部活のことを気にかけてくれたことを嬉しかった。


 しかし、会場に到着してみれば予想外の光景が広がっていた。


「おひさー! 篠原くん! 元気してた?」


 元気に飛び跳ねるのは、桜庭紅葉だ。三年生の先輩で、神谷隼人と同様に相談室の常連でもある。最近は受験勉強に専念しているため、こうして会うのは久しぶりだ。


「お菓子食べる?」


「いえ、これから試合なので……。わざわざ応援にきてもらってすみません」


「ううん! 受験勉強が辛かったからさ、息抜きしたいなって思って! だから全然気にしなくていいよ!」


 紅葉がやってきたのは驚いたが、素直に歓迎している。かなたが誘ったのだろう。

 そっちはいいとして、もう一人の乱入者に目を移す。


「……なに?」


「なにっていうか、その……」


 なんでいんの? とは言えなかった。言ったらすごい剣幕で怒られそうだから。

 それにしたって、謎だ。どうしてここに楓がいるのだろう。


「かなたさんに誘われたんだよ」


 言い訳みたいなセリフ。


「そうなんですか?」


「ソウデスネー」


 かなたに確認を取るも、彼女はどこか棒読みだ。

 大樹は突然首根っこを掴まれた。その正体はバド部二年生の芝崎だった。


「おいおい、どういうことなんだよ、お前。二人も女子連れてきやがって。朝日と付き合ってる癖に——モテ期ってやつか!?」


「いや、そういうんじゃないんで! っていうか誰とも付き合ってないし……」


 しかし芝崎は聞く耳を持たない。ひとしきり大樹を小突いてストレスを解消したところで、ようやく離してくれた。


「蒼斗! 俺ちょっと走ってくるわ。ここにいたんじゃ気分悪ィ。全員揃ったら呼んでくれ」


「ああ、わかった」


 芝崎は一人で走ろうとして、一旦立ち止まって双葉も連れていった。女子を一人でも置いておきたくないのかもしれない。いや、双葉は男子なのだが。


 大樹はその場で固まった。試合までは結構時間がある。今からウォーミングアップをしておくには早すぎる。かといって、楓がいるこの場に留まっているのも心臓に悪い。


 まだ到着していないのは大神と咲夜の二人だ。二人はあらかじめ遅れてくる旨を蒼斗に伝えていた。早く来てくれないだろうか。この空気の中、何もすることがないのはしんどいのだ。


 楓とは何度か目が合う。けれど、お互いに話しかけようとはしない。

 ちらちらと視線をぶつけていると、その間に入っていく人物がいた。


 朝日月夜だ。


「………」


 無言の圧力。月夜は大樹に背を向けている形になっているので、彼女がどんな顔をしているのかは分からない。相対する楓の表情はよく見えている。なんというか挑発的だ。


「なんですか」


「別に」


 こっっっっっわ。


 すぐに試合がしたい。やる気があるとか関係なく、この嫌な雰囲気を変えたくて。

 駅の方向に目を向ける。あとの二人がやってくるのを信じて。そんな大樹の必死な願いが通じたからではないだろうが、視線の先に大神と咲夜の姿を見つけられた。


「いんじゃん! おーい、大神! 咲夜先輩も! 遅いですってー!」


 珍しく大樹は声を張り上げた。

 しかし、どうしたことか、二人の歩みは遅い。というか、大神の傍らにもう一人誰かがいるような。


「あ、そういえばお母さんを連れてくるって言ってたっけ」


 じゃあ、隣の人がそうなのか。サングラスをしているし遠目だからよく見えないが、大神にはあまり似ていないかもしれない。父親似なのだろうか。

 三人がゆっくりとこちらに近づいてくる。本当にゆっくりと。大神の母の歩幅はかなり小さいようだ。


 ようやく三人が大樹たちの元に到着する。

 大樹は彼らに歩み寄り、そしてあることに気付いた。自然と目が見開かれる。


 大神の母が手にしていた杖……どこかで見たようなデザインだと思っていた。全体が白く、先の部分が丸みを帯びていて、地面の感触を伝えてくれるはず。白杖だ。


 大神の母は大樹が近づいているのに、そちらを向かない。


「あの……」


 声をかけたことでようやく、大神の母はこちらに顔を向けた。しかしサングラス奥の瞳は全然焦点を定めていない。音のした方向に顔を向けた——そんな感じだ。


「ああ、ごめんなさいね。もしかしてバドミントン部の子かしら? 今日は突然お邪魔しちゃってご迷惑ではないかしら」


「い、いえ、全然……! 大神から聞いてたんで、その、お待ちしてました! こっちの方へどうぞ」


「ありがとう」


 大樹は大神たちを誘導する。当然、ゆっくりとした歩調で。


 そうか、そういうことだったのか。昨日、大樹が大神に『明日は勝っていくところを見せよう』と言ったとき、大神の反応の仕方は妙だった。まるでそこに触れてほしくなさそうなリアクションだった。


 だが、それも仕方ないこと。


 彼女は————大神の母は。






 目が、見えていないのだ。


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