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「皆のことを好きになりたいんです」



 楓たちが去っていた後の相談室は、とても静かだった。

 かなたは二人が十分に遠ざかっていったのを見てから、ようやく気が抜けたようだ。ソファが軋む。多分、体を横にしたのだ。いつも神谷に注意するくせに。


「なんだか今日は疲れました」


「(ほんとだよ)」


 神谷は心の中で呟いた。聞いているだけでこの疲労感。そしていつまでもこんなところに閉じ込められていることにも、そろそろ飽きてきた。かなたが帰ってくれたなら、とっとと撤収できるのだが。


 しかし、神谷にとっての災難はまだまだ続く。


 不意に扉が開いた音が聞こえた。


「あ、あなたはっ!?」


 嫌な予感がした。


「あ、朝日さんですか!?」


 神谷はその場で崩れ落ちた。今度はこいつか……。今日は一体何なんだ。お腹いっぱいのところにトドメの巨大パフェがやってきてしまったみたいな気分。胃もたれは確実だ。


「すみません。少しだけお時間いいですか」


「は、はい! 何のお構いも出来ませんが、どうぞ!」


 かなたが畏まって、月夜を椅子に座らせる。


「そ、それにしても、今日はいつもと雰囲気違いますね! その髪型どうしたんですか」


「ああ、これは」


 そう言って月夜が少し間を置いた。

 どんな髪型をしているのかは神谷からは見えないが、どうせ月夜のことだ。最高に似合っているのだろう。


「翠がやってくれたのを、少し真似してみたんです。……変ですか?」


「いえ! とっても似合ってますよ。可愛いです!」


「……ありがとうございます」


 意外にも月夜は照れているようだった。

 数多の男から賛辞を受ける月夜でも、同性から褒められるのは気恥ずかしいのか。


「結城さんには改めてお話をしなければと思っていました。今回の件、結城さんを始めとして、色々な方々にご迷惑をおかけしてしまいました。申し訳ありません」


「わ、私のことは、どうかお気になさらず。頭を上げてください」


「恥ずかしながら、バドミントン部に戻ることにしました。これからは部の皆のために尽くしていきたいと思います」


 へえ……。

 結局なるようになったか。一時は見る影もなく荒れていたようだが、月夜が戻ってきたことによってこれからは部活が円滑に機能していくだろう。

 神谷にはどうでもいいことだが、身内が——弟が喜ぶことになるのは悪い気はしない。


「そ、それで、ここからは私事で、少し恥ずかしいお話なのですが……」


 きた。神谷は身構える。言いたいことは察することができる。


「い、いいんですよ、ここは相談室なんですから。私事でも何でもどんとこい、です」


 と言いつつも若干声が震えているかなた。

 楓の相談を受けた後となっては、予想ができてしまう。神谷は壁に耳を張り付けて月夜の一言一句を聞き逃さないように。



「人と仲良くなるにはどうすればいいんでしょう?」



「はい、やはり恋というのは一筋縄ではいかなくて…………へ?」


「(……は?)」


 かなたと神谷は呆けた。

 予想の斜め上過ぎる言葉に、思考が停止したのだ。

 月夜は気にした様子もなく続ける。


「家族や、本当に親しい人は例外として、これまで全然他人に興味がなくて。私に近づいてくるのは、大抵男女交際の申し込みばかりで、正直うんざりしてしまって。男子に限らず女子とも距離を取ることがほとんどで。クラスメイトの名前すら憶えていた試しがないんです」


 普通の人みたいな悩みだなー、と神谷は失礼なことを考えた。


 しかし果てしなく同意だ。神谷も月夜と同類だから。

 神谷は異性に好かれるタイプではないが、自分に興味ないものについてはちっとも記憶に残らない。


「でも先日、私が篠原くんと試合していたときに、応援に駆けつけてくれて。翠や皆が……本当に私のことを想ってくれているのがわかってしまって。今まで、皆に失礼なことをしていたと反省しました」


「……すごい光景でしたね」


 熱っぽく、かなたは感嘆していた。

 神谷はその試合のことをあまり知らない。あの日、篠原大樹に連絡をして——無事に二人が試合を始めたところで、自分の役目は終わったと悟って直帰した。


 ……どうせなら最後まで見届けるべきだったろうか。試合中に友人たちが駆け付けるなんてフィクションでしか見たことない。流石、朝日月夜。規格外だ。



「私はもっと、皆のことを好きになりたいんです」



 子供のようにあどけない、純粋な願いが神谷の脳天を揺らした。

 ここにきて、神谷は強烈な罪悪感に(さいな)まれた。

 いつも、かなたが口を酸っぱくして言い続けていたことがある。


 ——相談者について詮索はしないこと。


 まだ神谷がかなたに出会ったばかりの頃、面白半分で相談者のリストを見ようとしたら烈火のごとく怒られた。確かに、第三者に勝手に自分のことを知られるのは気持ち悪いものだと、理屈では受け入れられる。でも、どうしてかなたの琴線に触れてしまうのかは分からなかった。


 高校生の悩みなんて、どれもこれも大したことない。どうしてそんなつまらないものを、かなたは必死に守ろうとするのか。感覚的な問題を神谷は理解できていなかった。だが今、その答えの一片にようやく神谷はたどりついた。


 文面で見ていたからだ。


 すぐ間近に人のあたたかさを感じながら、震えた声が鼓膜に届いてしまえば——それがどんな言葉であれ、軽んじる気になれない。自然と寄り添わなければと思わされる。


 渇いた文字の羅列では感じられなかったもの。


 これが、結城かなたがずっとしてきたことなのか。


 ……いよいよ楓にも申し訳ない気分になってきた。面白がってすまない。


「簡単ですよ。まずは皆さんと過ごす時間を増やしてみましょう」


「そう思って昨日の振り替え休日にクラスメイトとカラオケに行ってきました」


「お、いいですね」


「でも、あんまり盛り上がらなかったです」


「あ、そうなの? 歌うの苦手?」


「いえ。個人的に苦手意識はありませんし、学校の評価でもトップをキープしていますから客観的にも問題ないかと。……そう思っていたのですが、何故か皆に泣かれてしまいました」


「————。ちなみにどういう系を歌うの?」


「童謡を」


「ど、童謡?」


「『大きな古時計』とか」


 そりゃ泣くだろ。

 なんでそのチョイスで盛り上がると思ったんだよ。

 かなたさん、言ってやってくれ、と神谷は念を飛ばす。


「悲しい歌詞ですからね。でも、人に何かを感じさせるってことは、朝日さんの歌声はすごい力を秘めているのでしょう」


「……そうですか」


 うんうん、まずはフォローな。はい、ここから軌道修正どうぞ。


「次からは『どんぐりころころ』なんてどうでしょう」


 どういうことだよ。

 幼稚園児相手に歌のレッスンでもしているつもりなのか。


「なるほど……参考にしてみます」


 納得してんじゃねえよ。神谷はツッコミをしたい衝動を必死に抑えていた。

 まさかとは思うが、かなたはいつもこんなズレたアドバイスをしてきたのでは……?


「(い、いや……。これはかなたさんなりのボケなのかもしれない。ツッコミ待ちってことも考えられなくはない、か?)」


 わずかな望みに期待をしてみる。……果たして。


「そ、そうですか。……是非そうしてみてください」


 ノリツッコミをする気力はないようだ。

 今更本当のことを言い出せない、みたいな気まずさを感じる。


「ところで」


 話の流れを変えるように、月夜が声のトーンを上げる。

 たった四文字なのに、意識が引っ張られた。嫌な汗が流れた。


「先程、結城さんは気になることをおっしゃっていましたね。恋は一筋縄ではいかないとかなんとか。どういうことですか?」


 そこスルーしてくれないの!?

 もう終わった話だと思っていた神谷に動揺が走る。


「あわわ……! それはえっと……!」


 あからさまに、かなたも動揺していた。


「結城さん。実は一昨日、篠原くんに告白しました」


 ここでカミングアウトしてくるのかよ。

 話の展開がジェットコースターみたいだ。急上昇と急降下を繰り返しているところが心臓に悪い。


「……。へ、へえ。ソウナンデスカ」


 片言みたいな変な喋りを披露するかなた。

 目敏く、月夜は異変に気付いたようだった。


「結構、突拍子もないことを切り出したつもりでしたが、あんまり驚いてないみたいですね。まるで————既に知っていたみたいです」


「ぎくぅ!」


 なんだその漫画みたいなリアクション。


「わ、私は何も知らないです!」


「篠原くんと森崎さんは付き合っているのでしょうか」


「付き合ってないよ!! って、うわあ!?」


 慌てて口を押さえるかなたが目に浮かぶようだった。

 墓穴掘り過ぎではなかろうか……。


「って、ちょっと待ってください!」


 かなたは遅れて気付いたようだった。


「朝日さん、篠原くんとお付き合いしていないの!?」


 的確な指摘が、月夜に突き刺さった。


 その疑問は正しい。月夜の返答を待つまでもない。でなければ『篠原と森崎は付き合っているのか』なんて問いかけは出てこないはずだ。


 楓の証言は元より、本人が告白の事実を認めているのだから。


 つまり、一昨日、朝日月夜は————


「篠原くんに、想いが通じなかった、ということでしょうか」


 そういう結論に至る。

 なんというか、藍咲の他の生徒たちが知ったら発狂しそうなイベントだ。高嶺の花である朝日月夜が、一男子生徒に告白したのに振られたなどと。大樹が楓を好きだという事実を知った今となっては仕方ないことだが……。


「そう、ですね……。彼には拒否された形になります」


「きょ、拒否ってそんなっ」


 沈んだ声の月夜に、かなたはフォローに入る。


「篠原くんも、色々思うところがあっての返事だったと思いますよ。今回は残念だったけれど、朝日さんはとても頑張って——」


「ちょっと、違うんです。そもそも、告白自体が成立してないんです。——言おうとしたら口を押さえられてしまって」


「……え?」


「(は?)」


 かなたと神谷は言葉をなくした。

 月夜の言ったことの意味を理解するのに、少しばかり時間がかかる。何故ならそれは——あまりにも篠原大樹らしからぬ行動だったから。


「……本当に?」


「彼には逃げられてしまいました。私の言いたいことを察した上で、釘を刺したみたいで。もしかしたら迷惑だったのではないかと」


 神谷は月夜の言葉を、どこか遠くの出来事のように感じていた。

 いまだに、普段のイメージとのギャップが激しい。いつもの篠原大樹なら、月夜の言いたいことを察したとしてもそれを能動的に止めるような真似はしないはずだ。そんな度胸あるわけない。


 だからこそ、月夜にとってもショックだったのか。

 彼女は悔いるように、声を震わせて呟いた。


「こんな気持ち、ずっと秘密にしておけばよかった」


 かなたも困惑しているのが伝わる。さすがの彼女もかけるべき言葉が見つからないらしい。嫌な沈黙が降ってくる。まるで葬式のように誰も気軽に口を開くことができない。


 不意に誰かの小さな笑い声が、きこえた。



「——そうやって泣き寝入りしたと思います。少し前の私なら」



 朝日月夜は決然として告げた。

 先程までとは打って変わって、力強さを感じる。


「あの朝日さん……怒ってますか」


「ええ、ええ。そうですね。当然です。あのときはショックで動けなくて、帰ってからも落ち込みましたが、後から段々と腹立たしく思えてきてしまって。いくらなんでもひどいと思いませんか。いきなり口を押さえるなんて」


「ま、まあ、それはそうだね」


「ここに来る途中、篠原くんと森崎さんが仲良さそうにしているところを見てしまって。なんだかイラっとしましたので二人の間を割って通り過ぎました。森崎さんは不服そうにこっちを睨んできましたが負けじと睨み返しておきました」


「わ、わー……」


 怖すぎるだろう。

 絵面を想像して神谷は戦々恐々としていた。修羅場の時は近い。


「森崎さんと付き合っているようなら諦めもつきましたが、どうやらそうではないみたいなので、私がおとなしくしている理由はなくなりました。


 ————私は篠原大樹くんが好き。今だって、気持ちは揺らいでない」


 はっきりと、教室中に響き渡るように月夜は想いを口にした。

 かなたに聞こえるくらいで十分なはずなのに、何故——神谷がそこまで考えたところで答えに思い至る。


 ……部屋の外にいる人物にも伝えるつもりだったのだ。


「朝日さん? 急に立ち上がってどうしたの——って、ああ!?」


 ドアが開いた音。


「わあっ!?」


「うおっ!?」


 楓と大樹の悲鳴がきこえてきた。

 やはり、二人とも聞いていたのか。


「……というわけで篠原くん。ちゃんと聞こえてた?」


「あ、えっと……」


「今度ゆっくり話し合いましょう」


「は、はい……」


 迫力に圧されて、たじたじになりながら返事をする大樹。

 かなたは状況に流されることなく二人を叱りつける。


「もう! あれほど駄目だって言ってるのに! 人が相談しているときに聞き耳立てないでください! 本当に怒りますよ!?」


「……? 別に私は構いませんが。盗み聞きは良くないことですか?」


「愚問です! 朝日さん! 私はそういう行いを許すわけにはいかないんです!」


「そうですか。……だったら、ずっと奥の部屋にいる神谷先輩も叱ってあげてください」



 え?



 月夜以外の全員の声が重なった。


 神谷は突然のピンチに足が震えた。逃げなくては——いや、ここは個室になっているのだから逃げようがない。誤魔化し——も、この状況は不利すぎて成立しない。


 自首しよう。


 神谷が部屋から出てくると、かなたと大樹は目を開いて驚き、楓は顔が真っ青になっていた。


「か、神谷くん、いつからそこに……?」


「あー。ま、最初っからかな……」


 物怖じしない神谷でも、さすがにこの状況には耐えられない。

 特に先程から顔を真っ赤にしたり真っ青にしたり忙しない楓を見ていると、本当に申し訳なくなってくる。


「う、嘘……? じゃあ、全部聞かれて……」


 泣きそうな声だった。胸が痛い。


「——ちょっと皆さん、そこに座ってください」


 かなたの底冷えした雰囲気に、誰も逆らうことは出来なかった。


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