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「言わないでください」


 無限にあくびが出てくる。

 文化祭実行委員長が文化祭の二日目終了を宣言し、エンディングセレモニーで無事にこの日の終わりを締めくくった。


 ここからは後夜祭だ。と言っても別に派手な催しがあるわけでもない。校庭でキャンプファイヤーを執り行って、そこで談笑したり気ままにダンスしたり、あるいは先に帰宅したり。生徒たちの過ごし方は様々だった。


 緩やかな時間が流れていた。


 だからこそ、この異常な眠気には抗いがたい。

 ここ数日は月夜のことといい、楓のことといい、肉体的にも精神的にも十分な休みが取れずにいた。加えて今日は大会での疲労が蓄積しており、体力ゲージは空になっている。今すぐ横になりたい。秒で眠れる自信がある。


 そんなフラフラな状態でも後夜祭に参加したい欲求だけはかろうじて生きている。だが注意力が散漫なせいで人にぶつかってしまった。というか、その人に抱き着いたような恰好になる。


「篠原くん……?」


 声を聞いて、一瞬で大樹は我に返る。

 確認するまでもなくその声の主は月夜で、端正な顔が目の前にあった。近すぎる。


「わ、うわっ。す、すいません、ちょっとボーっとしていて」


「うん……少しだけ、びっくりした」


 言っているそばから、大樹はまた眠たくなってきていた。今にも倒れそうだ。

 月夜は大樹の手を引いて、どこかへ連れていく。抵抗する力などなくされるがままになる。

 やがて、どこかの部屋に辿り着いたみたいだった。


「保健室の先生……いないみたい」


 まぶたがくっつきそうなのでよくわからないが、保健室のようだ。ならば、ベッドがあるはず。そこに横になりたい。


「まだ歩ける?」


 大樹は頭を前に倒した。そしてそのまま頭からぶっ倒れる。もちろん月夜を巻き込んで。

 固い衝撃などは一切なかった。むしろ柔らかい。


「……限界?」


 もはや返事すらする余裕がなく、指一本動かせない。

 ふと、頭を撫でられる。ひんやりとして気持ちがいい。髪をすいてもらうのが心地よくて、大樹の意識が飛びそうになる。

 子守歌が聞こえてきたのが決定打となった。あっさりと大樹は眠りについた。


「おやすみ」



 薄目を開ける。暗闇だ。しかし、窓の外から赤い光が漏れてきている。キャンプファイヤーの炎であることはすぐに理解した。


 ついで、自分の状況を思い出そうとした。頭を何やら柔らかいものに預けている。自分の最後の記憶を引っ張り出し、嫌な予感がした。おずおずと上を見上げる。


「おはよう」


 月夜にそう言われ、大樹は起き上がろうとした。二人の額がぶつかる。お互いに痛みに悶絶することになった。


「す、すみません」


「いえ……」


 額をさすっている月夜は、保健室の地べたに女の子座りをしていた。スカートには微妙に皺が寄っている。


「あの、俺は一体どれくらい寝て……」


「そんなに長くはない。ほんの二、三十分」


 眠っていた大樹には一瞬のことだが、月夜にとっては長い時間だったはずだ。


「本当に申し訳ないです! ずっとそんな恰好をさせてしまって。つらくなかったですか」


「平気」


 立ち上がった月夜はスカートを伸ばし、足についたホコリを払った。


「気分はどう?」


「あ、はい! だいぶスッキリしました。膝枕、気持ちよかったです」


「……そう?」


 大樹の爆弾発言に、月夜は恥ずかしげに顔を俯かせた。スカートのすそを握りしめている姿がいじらしく、大樹もそんな月夜を見ていられなかった。


「ちょっと嬉しい」


 あまりこの人と話していると、頭がくらくらしてくる。

 大樹は無理やりに空気を変えようとした。


「今日、試合行ってきました」


「お疲れ様。……勝ってきたでしょ」


「あ、今から言おうと思ってたのに。誰かから聞いてました?」


「いえ。でも、試合に勝って戻ってくると、そんな顔をしていることが多いから」


 大樹は自分の頬を引っ張ってみた。月夜は苦笑している。今更表情を変えてみても遅かったようだ。当然か。


「それくらい分かる」


 出鼻を挫かれたような気分だ。双葉亜樹の活躍を含め、自慢したいことがたくさんあったはずなのに。真琴や楓を相手にしたときのようにはならない。


 ……そもそもとして、あの試合以降、月夜とは距離感を測りかねる。


 光をはじくほど美しい黒髪、長い睫毛、くっきりとした二重。潤んだような瞳。


 じっくり観察してみても、いつも通りだ。今更、その凄艶さによって気後れしているというわけではないと思う。

 だから、もっと別の要因なのだ。月夜と対峙して心が落ち着かなくなるのは。


「綺麗だね」


 窓の外に目を向けて、月夜は言う。

 大樹も煌々としている炎の眩しさに目を細めた。その周辺では生徒たちが和気あいあいとしている。見知った顔を何人か見つけることが出来た。


「センパイは近くで見なくていいんですか?」


「うん。篠原くんのそばにいたいから」


 月夜がくるりと回って、こちらに向き直る。月夜は笑っていた。相好を崩し、白い歯を覗かせる子供みたいな笑い方。簡易テーブルに腰かけて、足をプラプラと揺らしている。月夜らしからぬ挙動に、胸がざわついた。


「なんか、ちょっと……はしゃいでます?」


「うん」


 案外素直に彼女は認めた。

 焦燥感が駆け抜ける。このままではまずいと、頭の中で警鐘が鳴り響く。


「改めて、部活のことは色々とごめん。迷惑をかけてしまったと思う」


「いや……全部丸く収まったんで、別にいいっすよ」


「ありがとう」


 言葉を交わしながらも、大樹の頭には何の内容も入ってこなかった。

 月夜の動向が気がかりで、月夜を横目に見てしまう。すると、ばっちりと目が合う。慌てて逸らして、再び様子を窺おうとするとまた視線は重なる。


 くすぐったそうに月夜はにやけている。


「どうしたの?」


「……別に」


「――ねえ、篠原大樹くん」


 大樹は月夜に向き直った。いつの間にか至近距離にまで二人の距離は縮まっていた。

 どちらかが少しでも前に出れば、唇が重なるだろう。


 月夜の吐息があたる。


「わかって、いるよね」


 大樹は何も言えなかった。

 月夜の言わんとしていることに、心当たりはある。


 いい加減気付かされる。


 初めて月夜に会ったときのこと。

 一緒の部活で過ごした日々。

 藍咲で再会できたことへの喜び。

 もう一度バドミントンを始めるきっかけをくれたこと。

 自分について悩んでいた月夜。

 夏祭りでの決別。

 互いの死力を尽くした試合。


 そういった出来事が、まるで走馬燈のように駆け巡る。


 月夜は、大樹との関係を変えようとしている。

 言い訳や誤魔化しがきかないほど、明確に。


 それを、どうしてこんなにも怖いと思うのだろう。


「――い、言うよ?」


 錯覚なんかじゃ説明がつかないくらい上気した頬。

 少しだけ詰まった言葉から伝わる緊張感。

 それでもその瞳は、もう逃げるつもりはないとばかりに真っ直ぐで……。



「篠原くん。私、ずっと前から君のことを――――」



 だがそこで、月夜の言葉が不自然に途切れた。


 大樹は金縛りにあったみたいに動けないまま、月夜を凝視した。


 月夜は表情を一変させて、どこか、大樹ではない何かに視線を向けていた――



「どこ行ったんだ、大樹のやつ……」


 楓は大樹の姿を探して校舎をさまよっていた。

 大樹が文実の最後の挨拶に顔を出していなかったため、気になって色々な人に話を聞いてみたが、一向に見つからない。キャンプファイヤーのそばにもいなかった。


 こっそりと大樹の荷物を確認してみたところ、まだ教室に置いたままだった。だからまだ帰ってはいないはずなのだ。


 ――せっかく、あのときの返事を撤回してあげようというのに。


 今から大樹の驚く顔が目に浮かぶ。それがちょっと楽しみでもあり、逆に信じてもらえないかもという一抹の不安もある。だが結局のところ、このときの楓は浮かれ倒していた。こうして大樹を探している時間でさえも、なんだか楽しくなってくる。


 保健室の前を通り過ぎようとしたところで、楓は足を止めた。わずかに男女の話し声が聞こえた気がしたのだ。この時間帯に、人の気配がするのは珍しい。もしかして大樹だろうか。


 楓はここで、保健室の扉に手をかけてしまった。

 彼女はこの日の行動を後悔することになる。


 スライド式の扉を少しだけ滑らせると、まず視界に入ったのは大樹の後ろ姿。しかし、ほっとするのも束の間、その正面にいる人物に意識を持っていかれる。


 朝日月夜が、どうしてここに……?


 考えるまでもないことなのに、そんな無駄なことを考えて楓は硬直してしまった。扉を開けっぱなしにして。そして、月夜も楓に気付くことなく。



「篠原くん。私、ずっと前から君のことを――――」



 そこまで言いかけたところで、ようやく月夜は楓の存在に気付いた。動揺し、言葉を詰まらせる。ほんの一瞬だけ、月夜と楓の視線が交錯する。


 楓は咄嗟に気配と足音を殺して、その場から逃げ去った。

 十分に距離をとって、もう走る必要がなくなっても楓は足を止めなかった。特別棟付近まで移動したところで、楓はようやく立ち止まった。


 痛いくらいに心臓が脈打つ。


 乱れた息をととのえる。すぐそばにあった冷水器で喉を潤した。呼吸は落ち着いてきている。しかしいつまでたっても、胸の鼓動はまだ激しいままだ。……多分、走ったせいではないのだろう。


「今のは……」


 どう考えても、月夜が大樹に想いを伝える場面だったのだろう。

 途轍もなく間の悪いことをした。あんな状況に遭遇してしまうと、反射的に逃げてしまうのだなと、どこか客観的に自分を分析する。


 ここにいてもそわそわするだけだ。楓は二人の場所に戻ろうとして、しかしどういうわけか足が動かなかった。震えが止まらず、ガクガクとしている。もし誰かが見ていたのなら、笑われてしまうような醜態だった。


 ――何故、こんなにも怖いのだろう。


 月夜が大樹に好意を寄せているのは知っていた。だからそこに驚く必要なんてない。今まで気付いていなかった大樹の方が異常なのだ。楓はそれを面白おかしくからかって、二人をくっつけようとしたこともあった。大樹は信じようとはしなかったが。


「そっか……。朝日先輩、告白したんだ……」


 なんだかんだで、あの先輩は告白する勇気を持ち合わせていないのだと思っていただけにショックだ。浮かれていた気持ちが急速に萎んでいく。


 大樹の言葉を純粋に信じられるのなら――――月夜の好意を受け入れるはずはない。仮にも大樹は、自分にそういう感情を抱いていたのだから。



 ――でも、それって少し前の話でしょ? だいたい、お前は断ったじゃん。



 悪魔はささやく。

 その通りだ。自分は、大樹の想いを否定してしまった。それも二回も。

 今も大樹が同じ気持ちである保証なんてどこにもない。


 もし、朝日月夜と争うことになるとしたら――自分に勝ち目なんてない。自分なんかよりも月夜の方が女としてずっと綺麗で優秀だ。少し面倒な性格はしているが、それを差し引いても魅力ある女性だと思う。


「大樹……」


 楓はひざをついた。視界が滲んで、ぼやけている。やがて彼女は静かに体を丸めてうずくまり、嗚咽を漏らした。


 こんなにも自分の心が脆くなっていることを、楓は知らなかった。



 月夜が再び言葉を紡ごうとしたとき、大樹は腕を伸ばしてきた。勢いそのまま手の平で口元を押さえられる。


 何も喋れなくなる。


 彼女は突然のことに驚きを隠せず抵抗しようとしたが、その前に大樹は手を離した。

 大樹は少しだけ月夜から距離をとって、握り拳を小刻みに震わせていた。


 ――今の、なに……?


 その疑問に頭を埋め尽くされ、月夜は混乱した。


 想いを告げようとして、その本人から口元を押さえられてしまう理由。

 そんなもの、答えは一つしか思い浮かばない。


 顔を青白くさせた月夜は、喉を鳴らす。


「どうして……?」


 絞りだすようにして、問いかける。

 答える義務が、大樹にはあると思った。しかし、彼は力なく首を振るばかりで月夜が求める答えを一向にくれなかった。


 去ろうとする大樹の腕を、強く掴む。


 やがて、観念したように大樹は呟いた。


「そこから先は……言わないでください」


 月夜の手から力が抜ける。その隙を逃さず、大樹は走り去った。

 一人、月夜は取り残された。


 窓から差し込む頼りない炎の光が、暗く沈む彼女の表情を少しだけ照らす。


ご愛読ありがとうございます。雨夜かおるです。

今回の更新で、『波風の立つ文化祭編』終了でございます!

期間的にも文章量的にも、長すぎるパートでした。

次回の更新から最終章に入りますが、残念ながら不定期更新になります。詳細については活動報告にて。

どうか、これからもよろしくお願いします。


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