「認めるしかないね」
今回は、楓の一人称視点で書いてみました。
五時半という時間に目が覚めたことに地味に驚いて、私は時計を凝視した。これ、時間間違ってんじゃない? 電池切れてない?
って思って携帯で確認したら、本当に合ってた。じゃあ二度寝しよう。そうしよう。けど、布団をかぶっても一向に眠気はやってこない。しょうがないから、起きることにした。十月下旬の冷気が部屋中に蔓延していて、寒気を感じる。やっぱりまだ寝てようかな。けど、何故か目が冴えてるんだよなー。
寒さに震えながら、冷たい水で顔を洗うと完全に覚醒した。
キリッ!
ふざけて決め顔を作ってみると意外と良い表情で、一瞬だけ戸惑う。私はこんな風に笑える人間だっただろうか?
「まあ、不思議なことでもないのかな」
昨日までとは明らかにテンションが違うのが自分で分かっている。
これまでの長くもなく短くもない人生で、色々なことを考え、悩み、苦しんで生きてきたと思う。
奏のことを意識して、追いつきたくて、越えたくて、けれど無理だって諦める。そんな自分を認めたくなくて、突っ張ってきた。どうすることも出来ないこの問題を、色んな人に支えてもらった。
結城さんや、神谷さん。それに紅葉さんに話を聞いてもらって。
紗季ちゃんと、あのお母さんには励まされて。
お姉ちゃんには、どんな私でも受け入れてもらえた。
あ、あとは、まー、大樹に好きって言ってもらったこととか?
最後のやつはオマケみたいなものだけど。うん。でもMVPは大樹を選んであげないこともない。文化祭実行委員に、バドミントン部再興、その他諸々で結構あいつは忙しくしていた。今日も部活の大会だとかなんだとか。
「……いつ帰ってくるかな」
純粋に応援したい気持ちとは裏腹に、負けてくれたらすぐに帰ってきてくれるらしい。
「あ、いや一緒にいたいとかではなく。ただ単に人手が欲しいという意味でね」
……一人で何を言っているんだ。鏡を相手に。
大変あほらしい。なんだかこのモヤモヤを食欲で発散したくなったので、とりあえずリビングへ。今日は久しぶりに自分で何か作ってみるか。
◇
いつもより多く食べ物を胃袋に収めたところで、家を出た。色々あって気持ちは軽くなっているけど、出来ればこの家には長居していたくないのでね。
とはいえ、時間が早過ぎる。今から学校に向かったら、開校時間ぴったりくらいに到着することになる。一般客が来るまでの間、クラスの出し物や実行委員の仕事に取り掛かってもいいが――やっぱり嘘。出来るだけ仕事なんてしたくない。サボりたい。
地元を適当に、制服姿でプラプラする。音楽でも聴こうかと思ったけど、今日は自然の音に耳を傾けたい気分だった。……うん、何を言っているんだろう。ここって自然もクソもない普通の住宅街だし。
けど神田川に沿って歩いていると、川が流れるときの水音とか、鳥の鳴き声とかはそれっぽい。宙を無心で見つめている私を、ランニング中のおじいさんが追い抜いていく。
平和だなあ。
めっちゃ心が穏やか。落ち着く。なんかこういうの、いいね。
将来的には、不労所得とかで食べていきたい。好きなときに遊んで、寝て、たまにこういう風に歩くのだ。超充実した生活。
足に疲れを覚え始めたところで、我に返る。結構歩いた。時間的にも距離的にも。そろそろ学校に向かってもいい、けど……。
「せっかくだし、行ってみますかね」
大樹の家にでも。
◇
大樹のマンションが近くなってきたところで、妙に気分がそわそわしてきた。
あれ、おかしいな。なんとなく来ただけなのに。やばいくらいに緊張している。というか、冷静に思い返してみたらアレだ。同級生の男子の家の近くをうろつくとか不審者じゃん。キモいキモい。
じゃあさっさと離れたらいいじゃん、って話なんだけど、もしかしたらもうすぐあそこから出てくるんじゃないのか、とか考えたら、ついつい目が離せない。別に会いたいとかではなく、一目見れたらラッキーとかその程度なんだけど。
「いや、おかしくない?」
なんでそんな発想になるんだよ、別に今日会えなくてもいいじゃん。なんなら、ずっとそんな日が続いたとしても気にならないはずでしょ。
って本当に出てきた!? 防寒用のウィンドブレーカーに身を包んだ大樹の姿が目に飛び込んできて、咄嗟に顔を隠す。いやじっとしていてどうする。制服見られたら藍咲の生徒だって一発でバレるし、そしたら誰だろ、って思うじゃん! あれよく見たら楓じゃね? ってなったら赤面モノだよ!?
だが幸いにも、大樹はこちらに気付かなかったみたいだった。それはそれでムカつく。
あ、でもなんかすごい真剣な顔してる。試合だから気合入ってんのかな。普段そういうところ見ないけど、中々どうして男前じゃない?
声かける……わけにはいかないか。邪魔したくないし、何より恥ずかしいし。
でもメッセージでエールくらいは送ってあげたい。色々文章を書いては消しを繰り返し、結局打ち込んだのは、
『試合頑張って』
という気の利かない言葉。いや、シンプルイズベストよ。これでいいはず、多分。
勢いで送信ボタンを押し、その場を後にしようと背を向けた。最後になんとなく、ちらっと大樹を見ると、なんとあいつ携帯を手にしてやがる。え? え?
大樹は画面に目を向けると、ふっと口元を綻ばせた。慌ててトーク画面を開くと『既読』の文字。間違いない、さっき私が送った文章を今見て……それであの反応。
なんか、心臓がバクバクいってる。寒さとは別の要因で体が震え出す。
自分の携帯から通知音。見ると短く『サンキュ』の文字。思わず口角が上がって、顔が熱くなる感覚を覚えて――認めたくなくて、思いっきり頬を引っ張る。ついでにぐにゃぐにゃとマッサージをして妙な気分を誤魔化した。
私は走り出す。そうしてないと、顔が緩んでしまいそうだった。
◇
藍咲学園文化祭、二日目。
ほとんど夢中になってというか、没頭していた感覚だった。疲れていないはずはないんだけど、文化祭の空気にあてられたのか、それとも仕事し過ぎて体がそっちの方向に慣れてしまったのか。とにかくロクに食事も取らずにあっという間に時間が過ぎた。
文実の仕事を交代し、今度はクラスに戻る。お客さんに衣装を着せて、写真を撮って、どんどん捌いていって、少し落ち着いてきたという頃に、あいつは戻ってきた。
「うおっ」
「わっ」
水でも飲もうとしてクラスを出たところで、ばったりと大樹に遭遇した。
あ、そういえば学校に来るように言ったんだわ……正直すっかり忘れていた。けど、こうして今朝以来に顔を見れて、ちゃんと来てくれたことが素直に嬉しかった。疲れているおかげか、朝みたいな変なテンションにはならなくて済んだ。
疲れているのは大樹も同じみたいで、少し低いテンションながらも笑みを返してくる。
「おかえり」
「ただいま」
っていうのが、今日初めてのやり取り。
いやいや、なんだこれ。浮かんだ言葉をそのまま言っちゃったけど、変なチョイスだよね。なのに大樹も乗っかってくるし、もう……。
「い、今戻ったの?」
「う、うん。そこで前の部長に会ったから、今日の結果を伝えて、そんでここに」
「そっか。……試合どうだったの?」
大樹は分かりやすいくらいに嬉しそうにはしゃぎ出す。
「聞いてよ。連戦連勝。今日の試合は全部勝ったから、藍咲は次のブロックに進める」
「え。すごいじゃん」
全部勝ったって、凄くない? え、なになに? 大樹ってそんなに強いの? って、あ、団体か。
「え~? でもそれって、先輩とかのおかげなんじゃない?」
少し距離感を詰めて、からかうように見上げてみる。うん、これだ。大樹への接し方の最適解。しっくりくる。大樹はむっとした顔をして、見つめ返してくる。
「まあ、確かにゲーム毎に見たら、負けたところもあるけど。俺だって結構勝利に貢献したんだよ。大神とのペアで」
「ああ、あのスマッシュ速い人。はいはい、お疲れ様」
「でも、今日の勝利の立役者は、亜樹だな」
「亜樹?」
「うん、マジで助かった」
耳慣れない言葉。しかも女っぽい。え、なにこいつ。急に他の女の話を始めたぞ? 私の目の前で。大樹のくせに生意気。
ちょっと心がささくれ立つのを感じた。
「この間入ってきた同じ学年の新入部員なんだけどさ。今日のMVPだよ。最後に戦った学校がすごいダブルス上手いチームで、あっさり第一ダブルスと第二ダブルスを取られちゃって。ここまでかと思って諦めかけたんだよ。シングルスを任せている亜樹はまだ初心者だし、厳しいって」
「ふーん。……ってあれ、その亜樹って人は選手? あ、男なの?」
「ああ、名前が女っぽいよね。―――見た目はもっと女っぽいけど」
なんだか大樹が遠い目をして明後日の方向を眺め始めたけど、あんまり気にならなかった。
そうか。亜樹さんは男の人。勘違いした。申し訳ない。
「って、そこは今どうでもよくて。とにかくそんな絶望的な状況だったんだよ。亜樹も一セット目は先取されて、いよいよお通夜ムードだったんだけど、ここから奇跡の逆転劇! 第二セットでデュースまで争って粘り勝って、最終セットは危なげなく快勝! しかも相手は二年生だよ!? 初めて間もない亜樹が、あの高校のレギュラーを倒したんだよ! もう俺たち嬉しすぎてテンション上がっちゃって、残りのシングルスは蒼斗先輩と大神がストレートで勝ってくれて、見事藍咲の逆転勝利」
「お、おう……。って近いから」
「あ、ごめん」
興奮して早口に捲し立てる大樹を見て、なんだか微笑ましくなる。ちょっとよく分からない単語があったけど、とにかく嬉しさだけはビシバシ伝わってくる。
「さっきもこの話を元部長……じゃなくて真琴先輩に話したばっかりなんだけど、やばい! まだ言い足りない!」
「わかった、わかった、はいはい」
同じ話をした後なのに、まだそのテンションかよ。うざいなあ。
そのマコト先輩とやらもさぞ迷惑して……ちょっと待て。バドミントン部の元部長って女じゃなかったっけ。え、なに? なんなの? 地味メンの分際で女子の交友関係多くない?
何やら複雑な感情にまた支配される。いや、別に、大樹がどこの誰と仲良くしていてもいいはずなんだけど。けどすごいモヤモヤする。はっきり言って不愉快。
「あ、そういえばさ」
話題を変えるような口調で大樹が言う。なんだこら、このすけこまし。
「応援ありがとう」
うん? 何の話? って、あ、今朝送ったやつのことか。やばい、別のこと考えてたから反応遅れた。っていうか、送ったこと自体忘れてた。ちょっと物忘れ激しすぎかな私……。
「私からメッセージが来て、嬉しかったでしょ?」
再び、からかいモード発動。よし決まった!
「――うん。本当に。嬉しかった」
「っ!?」
な、なに、その言葉通り嬉しそうな顔……。さっきみたいに喜びを全面に出すような笑い方じゃなくて、小さい幸せを大事そうに噛み締めるみたいな表情をしてる。
倍返しのカウンターを喰らった気分だ。
「楓に応援されてるって思ったら、すごいやる気出てきた」
じっと見つめてくる。あ、これ、わざとやってる。真っ直ぐな瞳を直視していられなくて、私は目を逸らしてしまったけど。
なんとなく次の言葉が見つからなくて、二人して沈黙してしまう。けど全然気まずいとかじゃなくて、くすぐったいような、嬉しいような、でもやっぱり落ち着かない。
あ、この雰囲気やばい。のまれる。
「あー、そ、そっか。そうなんだ」
心ここにあらずで、適当な返事をした。すると、どういうわけか、大樹が急にそわそわし出した。大樹も気恥ずかしくなってきたんじゃないかな。お互い、限界を迎えるのが早かった。
「こ、後夜祭はどうする? なんか、ただ駄弁ってるだけの時間になるかもだけど」
「せ、せっかくだから、参加しようかな。……あ、それより撮影とか誘導とか手伝う?」
そういえば助っ人という名目で呼び出したんだった。
「いいよ。人手は足りてるし、もう少しで一般の人も帰っていくから。文実の仕事も、最後に顔だけ出せば問題ないと思う。だから休んでて」
「そっか。なんかあったら呼んで」
「うん、ありがとね。……じゃ、またあとで」
「……おう」
照れくさそうに、大樹は去っていった。というか、そうなるように促した。
これ以上、あいつと顔を合わせていると精神衛生上よろしくない気がして。
「もう、認めるしかないね」
本当は自分の本心に気付いているくせに、分からない振りをしてモヤモヤするようなキャラでもない。少女漫画じゃあるまいし。
あいつ相手にとか思う抵抗感や、自分がそう思うようになるなんてみたいな驚きは、ある。そういう部分は無視できないけど、そういうのを全部取っ払った先にあるシンプルな気持ち。
私は、篠原大樹が好きなんだ。
「うおお、やばいな。コレ……」
超鳥肌が立ってきた。てか顔熱い。頭の中で結論付けるだけでこんな風になるのか。
ど、どうしよう。
これからのことを考える。私はどうなっていきたいのだろう。自分が誰かと付き合うという状態が、全く想像できない。デートして、キスして、それ以上の関係になって――みたいなこと。その隣に大樹がいる。
「……アリ、かも?」
おいおい、いいのかよ、私。もうちょい慎重になってもいいんじゃないか。
いや、っていうか想像が飛躍し過ぎだ。ほんの先、すこしだけ未来の話を考えるべきだ。
例えば、後夜祭にどうするか、とか。
「……告ってみるか」
一瞬で決めた。私のこういうところは度胸あると思う。
だって、うじうじ悩むなんてしたくないし。きっと楽しいことが待ってるさ、とポジティブシンキングでいく。
「それに、結果は目に見えてる」
良い意味でね。勝ち確定ですわ、これ。