「ほんとに食べるぞ、お前」
かなたの仕業だと知るはずもない大樹と楓は、ただただ困惑していた。
もう一度教室の中を探し回ってみたが、やはり制服はどこにもない。誰かが移動させたわけでもないことも確認をした。
「い、一応聞くけど、なんかした?」
「いや……何も」
「正直に言いなさい。今なら楓様は怒らないから」
「本当に心当たりがない。悪いけど」
楓はわかりやすい溜息をついて、大仰な仕草を見せてくる。
「何かしでかしてくれたほうが、よっぽど安心するんだけど。なんで何もしてないんだよ大樹」
「期待に添えなくてすいませんね」
大樹の目は、楓の手が震えているのを見逃さなかった。
――怖いよな。
平静を装ってはいるが、内心から溢れてくる不安を抑えきれていない。
女子にとって自分の身に着けている物が紛失することは大事件だ。危ない誰かに持っていかれたのではないかと、嫌な想像がはたらく。
通常時ならまだしも、今日は文化祭だ。外部からも大勢の人が訪れている。誰の仕業か見当もつかない。もし学内の人間が犯人でないとしたら、制服を取り戻すのは至難となる。
「ま、まあアレだ! ちゃんとしてなかった私が悪いし、とりあえずは教師にでも報告しておけばいいでしょ! ひょっこり出てくるかもしれないし」
パンッ! と手を合わせ、努めて明るい声で楓は言う。
見ていられない。
「楓」
「な、なに」
「絶対大丈夫だから」
大樹は強く言い切った。
「絶対に見つかるし、見つける」
「どうして? どうやって?」
大樹は一瞬言葉に詰まった。
「根拠は……今は何も言えないけど、こういうとき頼りになりそうな人を知ってるんだ。その人に助けてもらう」
「……今日のゲストに名探偵でもいたっけ?」
「まあ、うん……ちょっとだけ過激というか、怖いけど、十分名探偵の素質はあると思う」
「それって、神谷さんのことじゃないよね?」
「あ、そういえばあの人もいたか」
手伝ってくれるか期待は出来ないが、後で一応声をかけておこう。
「違うんかい」
楓がちょっとだけ笑ってくれる。
「そこまで言うなら、頼りにしようかな」
「任せて。その人ならきっと見つけてくれるから」
「ううん。大樹のことを頼りにしてる」
「お、おう」
リアクションに困ることを言われ、大樹は頭を掻いた。
何やら、男冥利に尽きるセリフを言われてしまった。
「か、楓は休んでおきなよ」
「嫌だよ。動いていないと不安になってくる」
それもそうか。
体を動かしていれば、多少は気もまぎれるだろう。
「一応聞いておくけど、制服ないと困ることってある? ああ、えっと、すぐに必要になる事情はあるかって意味で」
「まず……この恰好だと文実の仕事がしづらい。ふざけてるのか、って思われそう」
「なら、今日のところは裏方とか、事務作業に専念しておいて。天野……翠先輩には事情を話しておいた方がいいよ」
「そうするよ」
「他は?」
「他は……あ、そういえばこの後でミスコンの解説役みたいなのを頼まれてた」
「それって文実の仕事なのか?」
毎年有志が主催しているイベントで、今年も申請があった。
ちなみに去年の優勝者は、朝日月夜だったらしい。納得しかない。
「人手が足りないとかで、一人くらいなら回してもいいかって話になった。……それくらいかなあ?」
「わかった。じゃあ、またあとで」
大樹はとりあえず、大人たちの協力を得る判断をした。
職員室に向かう途中で、何故か特別棟の方から歩いてくる学年主任を目撃した。せっかくだから、彼に直接話を聞いてもらおう。
「了解した。教師陣で事態を共有し、生徒会や統括と連携する。報告を感謝する。ただ、怪しい人物を見かけても不用意に近づかないように。必ず大人を呼びなさい」
「はい。どうかよろしくお願いします」
「君は戻りなさい。1年A組、篠原大樹」
すると、学年主任は突然旧式のケータイを取り出して操作を始めた。
誰かにメールだろうか。
学年主任に礼を述べてその場をあとにした大樹は、例の人物に連絡を入れるため、人の少ない場所を探そうと先を急ぐ。すると、誰かにぶつかってしまった。
「すみません……あ」
「おい、誰だ。気を付け――――篠原か」
大樹の先輩である神谷隼人だ。彼はものぐさな人間だが、中々頭がきれる。上手く説得できたなら、この件についても百人力なはずだ。
「丁度いい。篠原、お前のクラスに――」
「え、はい? 俺のクラスに、なんですか」
神谷が自分に用件があるような口振りに、少々面食らった。心当たりが何もないからだ。
そのまま神谷の言葉を待ってみるが、彼は思案顔で唸ったのち、
「いや、何でもない。お前のクラスには、この先を真っ直ぐ歩いていれば着くよな?」
「そうですけど……まさか来るつもりなんですか」
「ああ」
うっそー、という言葉をのみこむ。
どういう風の吹き回しなのだろうか。この人の性格的に、文化祭に参加しているだけでも奇跡に近いし、その上誰かのクラスに足を運ぶなど天変地異の前触れではないか。
「あの、実は神谷さんにお願いしたいことが」
「悪いが、俺は今不本意ながら忙しい。他を当たってくれ」
どうやら本当に忙しいらしく、神谷はすぐに行ってしまった。
仕方ない。元々望みは薄かったのだ。切り替えていこう。
ようやく喧騒から離れた場所に辿り着いた大樹は、ある電話番号にコールする。連絡先を交換してから初めて通話することになる。
「もしもし。すみません。緊急事態発生です」
◇
「あわわわわわ……」
かなたは奥歯をカタカタと鳴らしてうろたえている。
学年主任からのメールが原因だった。
内容はこうだ。かなたと話をする時間を作れそうにないから、またの機会にしてほしい。ここまでは良い。こちらが無理にお願いしている立場なのだから、こういうことで一々動揺していられない。
問題は、何故時間を作れそうにないかを綴った理由の部分。
――女子生徒の制服が紛失したらしい。教師陣に協力を仰いでいる。お前も動けるなら手伝ってほしい。連絡を待つ
どう考えてもかなたが犯人だ。
大変なことになってしまった。
虫の良い話だが、この一件は人の目に触れることなく葬り去りたかった。だがそれも今となっては難しい。
計り知れない葛藤が、かなたの中でざわめく。
しかし、かなたは決意し立ち上がる。眼差しは真っ直ぐで、迷いなど一切感じさせない。
今のかなたは、名も知れぬ誰かを不安にさせてしまっている。
自分の保身のために、その女の子をこれ以上苦しめ続けるなど耐えられない。
気持ちとしては自首を決意して警察に名乗り出るが如く。
かなたは恥じる気持ちを抑え、相談室を飛び出した。
◇
1年A組に到着した神谷はたまらず舌打ちした。
「どんだけ並んでんだよ」
長蛇の列が形成されている。
かなたの衣装を取ってくるくらい、ただのおつかいにしか思っていなかった。律儀に待っていたら時間がかかってしまう。
スタッフに事情を話しておくか。
「……いや、やめておくか」
なんと説明してよいのかも分からない。
それに、かなたの思惑としても大事にはしたくないはずだ。
こっそり回収すればそれで済む。
ここに来る途中、篠原大樹に事情を説明しなかったのもそういう理由だ。かなたの不名誉を知る人は少ない方がいい。
そういえば、大樹は何か言いたそうにしていたが、何だったのだろう。
「まあ、どうせ大した話じゃないだろ」
最適解を逃した事実に気付かず、気楽に列に並び始める。
「あ、神谷くん!」
自分を呼ぶ声に振り返れば、神谷の彼女である桜庭紅葉が抱き着いてきた。
がっちりホールドされる。満面の笑みだ。決して、彼氏に出会えて舞い上がっているわけではないことを明記しておく。
「オイコラ~? 神谷くんはなにゆえこんなところで油を売っているのかな? シフトサボっちゃ駄目でしょ? 神谷くんがそういうことする度に私が色々言われているの知ってる~?」
マジギレだな、と神谷は冷静に観察した。
「ほら! 分かったならみんなのところに戻って謝ろ? 私からも言ってあげるからさ」
強引に列から引きずり出そうとしてくるので、踏ん張ってみる。子供みたいな腕力しかない紅葉がいくら引っ張っても、神谷は微動だにしない。
「もう! ふざけてないで、行くよ!」
面倒なことになった。
ここで紅葉に従う選択肢は、当然の如くない。こうしている間にも時間は過ぎているし、かなたをあんな状態にはしておけない。
「紅葉。久しぶりにデートをしよう。試しにここに寄っていかないか?」
「あー、はいはい、どうでもいいでーす」
彼氏としてのメンツが丸潰れだった。
上手くいくとは思っていなかったので、別に気にしないが。
「でもな、紅葉。ここのスタッフに『トリックオアトリート』と言うと、お菓子がもらえるらしいぞ」
「えー! ほんと!? じゃあ行きたい!」
紅葉がクラスのことよりも自分の欲を優先してくれる人間で助かった。
すっかり機嫌を良くしてくれた紅葉と一緒に、ようやく教室内に潜入することが出来た。
「はい、それじゃあ好きな衣装を選んでくださーい」
神谷は早速、悪魔の仮装服を探す。衣装は全て一ヶ所に管理されている。ちょっと多すぎる。この中から探し出さないといけないのか。面倒だ。
素早く確認していくが、それらしきものが見つからない。
次の衣装を見ようとすると、スタッフに止められてしまう。
「すみません、そっちから向こう側は女性用のものなんです」
「ぐっ……!?」
な、なん、だと……?
神谷は呆然とした。
すぐに紅葉に助けを求める。
「紅葉、お前の悪魔仮装を見てみたい。着てきてくれないか」
「スタッフさん! トリックオアトリート! です!」
「はぁい♪ どうぞ! んん~! 可愛いお嬢さんですね~!」
「えへへ」
聞いちゃいなかった。
クラスTシャツを着ている紅葉は何も知らない人からすれば中学生くらいにしか見えない。紅葉は自分が子供扱いされていることに気付かず、照れている。
神谷はこっそりと嘆息した。
もうどうでもいいや。
頭の中で言い訳を考えておく。
紅葉は体格が小さいが、子供向けの企画としても準備していたらしく難なくサイズの合う衣装が見つかる。彼女は赤ずきんになっていた。お菓子の入ったバスケットかごを持たせると、割と本格的な仮装になった。
「……オオカミの着ぐるみとかありますか」
「ありますよー!」
あんのかい。
着てみると、身長の高い神谷にピッタリだった。オオカミの頭を模したフードを被ると、口元以外が隠れる。目の部分に穴が開けられているから、外の様子は分かるが……。
「あはははは! 神谷くん、オオカミさんの恰好、すごく似合うよ!」
ファンシーな姿をした神谷がそんなにツボになったのか、紅葉は爆笑した。
「やだぁ、食べられちゃう♪」
「ほんとに食べるぞ、お前」
神谷が威嚇すると、紅葉はさらに声を上げて笑った。
しかもそのまま写真まで撮られてしまった。もうどうにでもなれと思った。
完全に諦めていた神谷に、しかし女神は微笑んでくれた。
同じようにサービスを利用していた女子生徒の一人が、悪魔の仮装をしていたのだ。神谷はその女子生徒を見つめる。
事前にかなたから聞かされていた特徴と合致する。あれで間違いない。
彼女はカーテンに隠れて着替えを済ませると、その衣装をスタッフに渡した。そのまま悪魔のコスチュームはハンガーラックに戻される。
今しかない。
神谷の行動は速かった。オオカミの着ぐるみなどという人目を引く恰好にも関わらず、気配を殺し、音もなく目的のものを回収する。
ここまで長かったが、ようやくクリア条件を満たした。あとは相談室に戻って、かなたにこれを渡せばミッションコンプリート。
神谷は、今日が散々な日であることを思い知ることになる。
目の前にカボチャの化け物が立ち塞がる。
もちろん人間なのは分かっている。ジャックオーランタンの仮装をしているだけだ。
だがそこに立っているだけで、他者を威圧するようなオーラを発している。神谷の本能はそれを敏感に察知していた。
こいつはやばい。
「あなたなの?」
女の声だった。意外に思う。ここまでの傑物が、異性であるなどと。
「この教室で、一人の女子生徒――妹の制服が盗まれた。犯人に繋がる手がかりはなし。今日は文化祭で外部の人間による犯行の可能性も考えられたけど、もし本当にそうだったなら、流石の私でもどうしようもない。だからまだ学内にいる可能性に賭けてみた」
女は滔々と話す。
神谷は、形容しがたい恐怖に襲われていた。どんなときでも冷静でいて、物事を考える自信が神谷にはあった。しかしこの女を前にすると、嫌でも格の違いを思い知らされる。
素直に敗北を認めたくなるような、上位の存在に会うことは神谷にとって初めてのことだった。
神谷は生唾を飲み込んだ。
女が少しだけ笑った気がした。
「あなたも私と同じでしょう? 並外れた才能に恵まれている。さっきの身のこなしは見事としか言いようがなかったわ。でも裏目に出たね。近しい存在からすれば怪しすぎよ。そしてあなたは、この制服盗難事件に関与している」
「ち、ちが――」
声が掠れ、上手く発音が出来なかった。
神谷は、こんな醜態を晒す自分に苛立った。
「本当に無関係なら、そこまで動揺する必要はなかったのに。あなたは才能にあぐらをかいてないで、もう少し処世術を勉強するべきね。そうすればボロを出さずに済んだかも。見た目通りのオオカミくん?」
勝手に決めつけてんじゃねえよ。
女はにじり寄ってくる。女が一歩踏み出すたび、地球の重力が増しているんじゃないかと錯覚するくらいに体が重くなる。
このままでは弁解の余地なく捕まり、吊し上げられる。
そうなったら、どうなる? 神谷は想像力をはたらかせる。
この女は必ず、かなたの元へたどりつく。容赦は一切しないだろう。かなたの経歴にキズが付くことになる。あの人の不利になることは看過できない。
面倒くさがりの自分にだって、譲りたくないものはあるのだ。
足の震えが止まる。神谷は悪魔の衣装を大切に抱いて、駆け出した。
カボチャの被り物が揺れる。女にとって予想外の反応だったろう。神谷自身、自分が動けた事実に驚いている。
だが安心するには早い。化け物は凄まじい勢いで追いかけてくる。
ここに、オオカミとカボチャの鬼ごっこが開始された。