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「服脱いでくださいねー」


 制服盗難事件が発生する、数時間前に遡る。

 かなたは人だかりを前に呟く。


「すごい賑わってます……!」


 今日は藍咲学園の文化祭なので、相談室としての業務はもちろん休みである。しかし、かつて自分も藍咲の生徒だった頃が思い出され、こうして足を運んだ。後輩たち――神谷たちの出し物を見て回りたい。


 服装も気合が入っている。どういうわけか今年はハロウィンの仮装をする生徒が多く、学校側もそれを認可しているらしい。かなたも悪魔の姿で参上していた。ちなみに手製である。特に耳と翼の部分を頑張った。我ながらよく出来ていると思う。


「だからって浮かれ倒しているわけじゃないんですよー」


 誰にともなく言い訳する。実際、今日は学校業務とは違う仕事を果たす目的もある。その人との待ち合わせは昼休憩の時間帯となるため、それまでは遊んで時間を潰す。それだけだ。


 ウキウキした足取りで進む。演劇をみたり、お化け屋敷で叫んでみたり、クイズ大会で優勝したりしてご満悦なかなたは、フロアの一角に人だかりを見つけた。


「ハロウィン、着せ替え教室?」


 かなたは足を止めた。そして納得がいく。なるほど、今年の文化祭がハロウィン一色に染まっていたのはこの企画の影響だったのか。それでみんな仮装する流れが生まれたようだ。


「まったく、すぐに影響されるんですから」


 と、かなたは自分のことを棚に上げた。

 しおりで確認すると、どうやら大樹や楓のクラスの企画らしい。挨拶しておこうと思う。

 数分ほど待って、教室に入ることが出来た。意外と回転率は速い。


 おお、と感嘆する。カボチャやオバケを模した置物と、コウモリ型の吊り装飾が実に凝っている。暗い印象はなく、むしろ華やかさが際立つ。着せ替え教室という名目なだけあって、衣装も様々な種類が見受けられる。子供用のものまであった。慌ただしくスタッフが動き回っている。


 盛況のようで何よりだ。人気投票でも上位に食い込みそうな勢い。かなたも学生時代はクラス一丸となって優勝を目指したものだ。

 人の数は多いが、どうやら二人はいないようだ。きっとシフト制だからだと思う。楓の場合はサボっていないか心配であるが……。


 一旦その場を後にしようとしたとき、一人の男子生徒に呼び止められた。


「すいません、お待たせしました! まだ写真撮ってないっすよね!?」


「え? はい、そうですけど……?」


 意味が分からず、とりあえず答えた。写真とは何のことだろう。


「申し訳ないです! ご覧の通り盛況なのは嬉しいんですけど、その分忙しくって。すぐに準備するんで」


 言うやいなや、男子生徒は脚立を組み立ててカメラを設置する。


「はいお姉さん、こっちの方へ。素敵な笑顔を見せてくださいねー」


「あ、はい」


 なるほど。写真を撮ってくれるのか。中々本格的な企画だ。かなたは求められるままポーズを決め、シャッターを何回か切られ、男子生徒がかなたを褒めちぎる。口が達者な子だ。気分が良くなってしまう。


 写真を受け取る。年甲斐もなく、はしゃぎすぎたかもしれない。それでもこうして思い出の品が出来るのは嬉しい。


「ありがとうございます」


「いえいえ、こちらこそ。……おーい、偽委員長! あとは頼んだぞ!」


「誰が偽委員長だ!」


 遠くで、女の子が憤慨する。ドスドスと足を踏み鳴らし、カメラマンの子に腹パンをかます。い、痛そう。


「こっちどうぞ」


「は、はい」


 今度は何だろう。まだ何かサービスが残っているのかしら、とかなたは能天気に考えた。教室の端っこの方まで誘導される。カーテンが設置してあって、その空間へ押し込まれた。


「あの、えっと……?」


 状況が呑み込めない。


「服脱いでくださいねー」


「え、脱ぐんですか」


「そうです」


 何を当たり前なことを、とでも言いたげな態度だった。そういうものなのかと、かなたはよく分からないまま、悪魔の仮装を解いていく。下着だけの心もとない恰好になったところで、足元から手が伸びて、渾身の一張羅(?)を持っていかれる。ついでにカーテンを開けられそうになった。


「ちょ、ちょっと!?」


 慌てて押さえつける。


「え、何すか、どうかしたんすか」


「いや、今開けちゃダメなんですけど!?」


「ん? もう脱いだんですから、平気なはずですよね?」


「逆に平気ではなくなってますけど!?」


 偽委員長さん、という人が困惑しているのが伝わってくる。しかし困惑具合なら、かなたのほうが深刻だった。


「あのー、すいません。早くしてもらっていいですかー?」


 苛立ちを孕んだ声が聞こえ、かなたは焦った。どういうわけか分からないが、多分何か勘違いをされている。誤解を解きたいが、今は人前に出られない恰好だ。


 そのとき、視界の端に制服が見えた。きっと誰かのものだと思う。けど、ほんの少しの間だけ貸してほしい。かなたは制服の持ち主に心の中で謝りながら、手を伸ばす。

 そして、試着室を出る。


「制服? なんで?」


 偽委員長が首を傾げる。


「さっき、衣装の下には着てなかったですよね」


「……………………………ソウデスケド」


 か細い声で、かなたは言う。見知らぬ誰かの物とはいえ、制服はかなたの体格にぴったりだった。最近は昔のように体型の維持が容易ではなくなっていたところだったので、不幸中の幸いといえる。


 が。


「なにこれ……すっごく恥ずかしい……」


 当たり前だが、制服なんて高校卒業以来着ていない。母校のものだから少し懐かしい気持ちにもなるが、いい歳して何をやってんだと思う。特にスカート、注意していないと中が見えそうだ。


「ちょっと、ダメじゃないですか。素肌の上から衣装を着るのは禁止。そういう風に言われたでしょう?」


「いや、そんなこと知らなかったですけど……?」


 全然何の話をしているのか、まるでわからない。コスプレをしている人はみんな制服を着ていただろうか。そんなはずはない。


「あちゃー、誰だ。案内したヤツ。すいません、こちらの不手際みたいです。もうお帰りになっていいですよ」


「あの、すみません」


 やっぱり事情を説明すべきだ。こんな格好ではどこにも行けない。

 偽委員長は、かなたの顔をじっと見ると途端に殊勝な態度になった。


「もしかして先輩さんですか? すみません、さっきは強く言ってしまって。何年生ですか? やっぱり三年生ですかね。たまにお顔を見ている気はするんですけど……」


「あ、え、全然気にしなくていいですから! そ、それじゃ失礼します!」


 瞬時に踵を返して、かなたはその場をあとにした。あのまま話していたら、自分が結城かなただとバレかねない。もし教師陣に知られたら、最悪だ。よってここは戦略撤退に限る。

 数分後、かなたは激しく後悔した。


 何故、リスク覚悟で服を返してもらうという重要性に気付かなかったのか。今の状況の方が、身バレよりもずっとマズい。



 ――――藍咲学園職員、生徒の制服を着用する



 新聞沙汰になってもおかしくない。免職になるか。いや、事情を説明すれば流石にそんなことには……しかし減給処分は避けられそうにないか?


 頭が回らない。せっかく学校での仕事に就けたのに、こんなしょうもないことで人生に、経歴に傷がつきそうだなんて、嘘だ。廊下の端を、顔を隠しながらゆっくり歩く。明らかに挙動不審なかなたである。


「とにかく、なんとかしないと」


 目的地は一つ。

 職場であり、安寧の地でもある相談室だ。鞄などはそっちに置いている。鍵はさっき取り上げられた衣装のポケットの中だが問題ない。相談室の立て札の裏側に予備の鍵を隠してある。


 鍵を開け、中に入る。





「うーす、結城さん。荷物があるから来ているとは思って、た……ぜ?」


 藍咲学園三年生にして相談室の常連、神谷隼人は固まった。いきなり見知らぬ女子生徒が入ってきたからだ。神谷はわずかながらに動揺し、顔を背ける。しかし、鍵がかかったこの部屋に入れるのは、管理人である結城かなただけで――


 気付き、神谷は二度見した。


「かなたさん何してるの……? え、ハロウィンのコスプレ?」


「か、神谷くんこそどうしているんですか!? 鍵かかってましたよね!?」


「合鍵だけど」


「そういえばそんなのありましたね!?」


 回収を怠ったかなたの落ち度だ。


「………」


「………」


 二人して押し黙る。神谷はどうリアクションを取るべきか迷っていた。かなたも居心地悪そうにしている。


「その……似合っている、よ?」


「そういう無駄な優しさ発揮しないでください! いつもみたいにからかって、笑ってくれた方がまだマシです!」


「あ、じゃあ写真撮っていい?」


「いいわけないです! ……って言っているそばからカシャカシャ止めなさい!」


 連続でシャッターを切られ、かなたが顔を真っ赤にして憤慨する。怒りと羞恥でわけがわからなくなっていた。


「で、実際どうしたの? 一旦落ち着きなよ」


「興奮させたのは誰ですか! いえ、それは置いておきましょうか。甚だ遺憾ではありますが! 実はさっき――」


 かなたの声を遮るようにして、相談室のドアがノックされる。間髪入れず、誰かが入ってきた。


「――――結城、来たぞ。話とはなんだ」


 さらなる来訪者は学年主任だった。生活指導を担当していて、自分にも他人にも厳しい人間だ。


 生真面目を絵に描いたような見た目をしているが、神谷は彼が嫌いではなかった。教科書をそのまま朗読するマニュアル人間が多い中、彼が担当する物理の授業は生徒の興味を惹くことに重点が置かれている。無駄な説明が少なく、その場で思考しながら言葉を紡いでいるのが分かる。頭の回転が速い人間だ。


 学年主任は目的の人物を見つけられず、目を細める。


「すまない。結城先生を知らないか」

 

 学年主任に背を向ける形でかなたは硬直していた。不幸中の幸いだ。反対側を向いていたら一発アウトだった。表情は今にも泣き出しそうに歪んでいる。助けて、と口パクで神谷に意思疎通を図る。


「あー、そうっすね……」


 神谷が明後日の方向を向く。


「なんか用事あるって言ってました」


 しれっと適当なことをほざいた。


「なんだと? あいつが呼び出したくせに……。わかった。しばらくここで待たせてもらうとしよう」


 学年主任が椅子に腰かけようとしたので、神谷はさらに告げる。


「あ、そういえば学年主任に伝言を頼まれてました」


「なに?」


「今日はもう戻ってこれないかもしれないので、もし来たらそう伝えてほしいと」


 無言になる学年主任。やがてポケットから旧式のケータイを取り出して、何らかの操作をする。


「それは本当か?」


 確認というより、疑いを向けられている。神谷はそう感じた。


「あいつは連絡をマメにしてくる人間だ。人伝にして私にメールの一つもしてこないのは不自然なんだ。……何を隠している?」


 しまった。もっと上手い言い訳にしておくべきだった。咄嗟のことで適当な嘘を使い、矛盾を見抜かれた。屈辱だ。こういう騙し合いに強いのが、神谷隼人という人間のはずなのに。


 とはいえ、矛盾なく誤魔化す妙案は思いつかなかった。


「すいません、ちょっと嘘つきました。本当は何も知らないです。鍵が開いてて、荷物が奥の部屋に置いてあったんで、勝手にお邪魔してただけっす」


 言いつつ、また嘘を盛り込む。


「ふむ。……どうして嘘をついた」


 今のところ本気で怒っている様子はない。だが、腕を組んで神谷睨むその相貌は中々に恐ろしい。


――どうする? いや焦るな。ようは、こいつを相談室から追い出せばいいんだ。


 神谷は髪を乱暴に掻き、口をとがらせる。


「だって、学年主任って結城さんと仲が良いから。……面白くなくて」


 不貞腐れた神谷の態度に、かなたと学年主任が目を丸くする。


「二人って、昔は教師と生徒の関係だったんすよね? 俺の知らない結城さんを知っているってことでしょ? なんか怪しいなって」


「妙な勘繰りはするな」


 学年主任は呆れていた。そのまま背を向ける。相手をするのが億劫になったらしい。


「もし戻ってきたなら、私が一度来たことを伝えておいてほしい。3年B組、神谷隼人」


「はーい」


 なんで俺の名前知ってんだよ、などと空気の読めない発言はしない。


 学年主任が去り、その気配が完全に遠ざかったところで神谷は胸を撫で下ろす。ふと、かなたの方を見ると、彼女は頬を赤らめてもじもじとしていた。


「あ、あの、えっと。今のってどういう……。も、もしかして嫉妬とか――――」


「喚くな雑魚」


「シンプルな悪口!?」


 話の方向を別に向けたいがために、そういう風に演じたに過ぎない。


「……っていうか、それ他の誰かに見られたらマズいんじゃない?」


「その通りですよ! こんな姿見られたら末代までの恥です!」


「それよか不祥事扱いされる方が怖いけど……何がどうなってそんなことになったの?」


 かなたはここまでの経緯を説明した。聞いていくうち、神谷は頭が痛くなっていくのを感じた。


「気付こうよ、おかしいってことに。なんか結城さんの将来が不安になってくる。お願いだから変なやつに騙されたりしないでくれよな」


「というわけで神谷くん、助けてください」


「聞けよ。んでもって断る。面倒」


「こんなにお願いしてるのに!?」


「着替え持ってないの? まさか悪魔の仮装で学校まで来たわけじゃないでしょ」


「もちろんです。教員用の更衣室に着替えはあります。ですが、そこに行くわけにも……。もうここから動きたくないですし」


 確かに、誰かに気付かれたら問題だ。ここでおとなしくしておいた方がいい。それには賛成だ。


「生徒が教員の更衣室に入るわけにも行かねえしなあ」


 そうなってくると、おのずと神谷がすべきことがはっきりしてくる。さっきからキラキラした瞳でかなたが見上げてくるのが腹立たしい。


「森崎や篠原のクラスに、行ってこいってことだよな?」


「そ、そうなります……」


「はあ」


 一度、ソファに体を深く預けた。実に面倒だ。クラスで無能を演じ、役割を免除されてきたところだというのに。この二日間は相談室でゆっくり過ごすつもりだった。


 神谷はおもむろに立ち上がった。


「あれ? いいんですか?」


「だってそうしないといつまで経ってもその恰好のままってことでしょ?」


「神谷くんのそういうツンデレなところ、私好きです」


「黙って」


 ぴしゃりと言いつける。

 もし困っていたのが有象無象のうちの誰かだったなら、そのまま無視していただろう。かなたはその限りではないから、仕方ないと思えるだけだ。


「そういえば、学年主任は何の用事でここに来たの? 結城さんが呼び出したみたいな口ぶりだったけど」


「そ、そうでした! お昼に学年主任さんと会う約束をしていたんです……! バドミントン部の顧問になってほしくて」


「またそれかよ」


 もっとしっかりしろよ、バドミントン部。神谷は悪態をついた。これ以上余計なことでかなたの手を煩わせないでほしい。

 相談室のドアに手をかけたところで、神谷は振り返る。


「な、なんですか」


 かなたが体を隠す。気心が知れた相手でも、見られたくないようだ。


「その制服、誰のなんだろうな」


「あ、そうですね。もしかしたら今頃困っているかもしれません」


「まあ、とにかく行ってみっか」


 神谷は知る由もなかった。この後、ものすごく面倒な騒動に巻き込まれることを。


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