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「救えるものなら」


 藍咲学園の文化祭が一週間後に迫った。

 日に日に肌寒くなっていくのとは対照的に、学園には熱気が集まっているようだった。いよいよ当日が近いことを自覚してくると、それまで無関心だった生徒たちが急に浮き足立ってくる。さすが若者。楽しいことは見逃さない。


 しかし困った事態が起きていた。


「どうしてこうなった?」


 大樹は溜息を吐いた。大樹の目の前を、ハロウィン風に仮装した男女二人組が通り過ぎていく。ちなみに大樹のクラスメイトではない。他クラス……というか、なんなら学年まで違う。そして、仮装しているのは彼らだけでなく、ちらほらとあちこちで見かける。


 早い話、学園全体でハロウィンブームが巻き起こっていた。

 大樹たちのクラスが仮装しているのを見て、誰かが真似したのだと思う。それがきっかけとなって、派生的に仮装をする人たちが増えていった。


 下手をするとまた自粛だ、規制だとうるさく言われそうだったので、文実として先手を打って対応する羽目になった。具体的にやったことは教師陣の説得で、同じ文実の山口太郎や留学生のアレックス・パーカーの協力してもらった。そのへんのいざこざは、語るのが億劫なので割愛させてほしい。

 またいらぬ仕事が増えて疲労したということだけ理解してくれたら、それでいい。


「まあ、そりゃそうでしょ。傍から見たら楽しそうって思うよ」


 そう言う楓もハロウィン用の仮装をしていた。

 結局、大樹が楓にリクエストしたのは魔女の仮装だった。楓は「つまんなーい」などと言いながらも用意してくれたみたいで、結構凝っている。特に帽子についているカボチャがオシャレで好きだ。


 楓は疲れも見せず精力的に働いてくれている。しかも毎日楽しそうに笑う。その結果、クラスメイトとの親密度がどんどん深くなっている印象がある。以前から友達が全くいなかった、というほどではないけれど楓は常に皆と一定の距離を保って、踏み込もうとはしていなかった。


 楓に多くの友人が出来た反面、もの寂しい気持ちがある。いつか、楓が大樹の手の届かない存在になりそうで。ついつい視線で彼女を追ってしまうのがしばしばだ。なんてことのない会話に一喜一憂するし、とても落ち着かない。


 教室内の装飾もかなり進んでいる。これは大樹自身が色々もってきたせいだ。調子に乗って家で用意できるものを全部持ってきた。


「このカボチャ、なんなの?」


 目と口の形をくり抜いた、半透明のパンプキンを指差して言う。


「そちら、中にLEDライトが組み込まれておりまして。暗闇で色鮮やかに光る仕組みとなっております」


「残念ながら、活躍の場はなさそうだね。文化祭は日中だから」


 軽くあしらわれる。楓は天井から吊るすタイプの装飾を手にする。こちらはコウモリの形だった。スカート姿のまま登ろうとするので慌てて止める。


 ここまで本格的準備をするのは、一応理由がある。文化祭情報を告知しているSNSアカウントへ投稿するために写真が欲しいのだ。それも、この文化祭を一枚で表現できるようなものを。


 だから、本番は一週間後だがここまで進めた。仕事が先に片付くのは大樹の思惑としても都合が良い。コウモリが空を舞う手伝いをしつつ、スマートフォンを取り出す。


「この位置から撮ってみたい。楓も映って」


「おっけー。顔を載せないように気を付けて」


 シャッターを切る。良いのではないだろうか。ブレもなく、誰かの顔を映してしまうこともなく。楓は後ろ姿にポーズをとっている。文化祭の準備風景の一枚として望ましい。


「じゃあ俺は部活に行ってくるから」


 ラケットバッグを背負う。いつもと変わらないはずなのに、今日はなんだか重く感じる。


「めっちゃ疲れてんね?」


「最近ほんと、休む間もなくバドミントンしてる」


 部活がない日でも大神と二人で体育館を借りて練習することはあったが、ここに新しいメンバーが加わることとなった。双葉亜樹と高宮凛だ。高宮に至っては他校の人間ではあるが、どうやら先日の合同練習で大樹に一セット取られたことが気に入らないらしく何度も勝負を挑んでくる。


 双葉も勉強熱心だから、いくらこちらが疲れていても気づかずに教えを請う。しかも教えた途端たちまち習得してしまうので、次から次へと教え続けなければならない。でも可愛い子に頼りにされるのは気分が良い。男だけど。


 部活がある日は夜に、ない日は放課後から集まりがある。今日も多分そうだ。文化祭準備と並行して進めているので、常に眠いし尋常なく疲労が溜まる。


「しかたないですにゃあ」


 楓が何か言って、マントをたなびかせる。ちなみに噛んだわけではなさそうだ。

 ポーチの中見をガサゴソと確認してから、告げてくる。


「ほらほら、この恰好してるんだから、何か言うことあるでしょ」


「えっ? あ、可愛いよ。すごく似合ってる」


 お披露目されてから、まだちゃんと褒めていなかった。

 だが、楓はポカンと口を半開きにしたまま固まる。その反応に大樹は首を傾げた。


「ば、バカ! とるっ、んん! トリックオアトリートって言ってほしかったの!」


「あ、ああ、そういうことね! うん、ごめん全然分かってなかった。トリックオアトリート、これでいい?」


 眠気で何も考えずに言ってしまったが、言葉に詰まるほど動揺させてしまったようだ。


「ったくもう。お前なんてこれで充分だ!」


「なにこれ」


「ハッカ味のドロップ」


「ええーっ!? 嫌だよ! あのスーッとなる感じ好きじゃないし!」


 結局口に押し込まれる。大樹は唇をすぼめた。口内を蹂躙される。


「ああ、ちゃんと答えてればもっと美味しいお菓子あげたのに」


「ふぁにふへはほ?(なにくれたの?)」


「さあね。ほら、とっとと行け!」


 教室から追い出される。ハッカ味に苦しみながら大樹は体育館へ向かった。



「こんにちはっす」


「おう、アップ運動しておけ――――そんなジタバタしてどうした?」


「やる気に満ちてるんですよ」


 ハッカ味に悶えているだけである。

 だが蒼斗には好意的には映ったようだ。「いいことだ」なんて言ってくる。この人最近自分に甘くないだろうか。


「大会、近いですね」


「そうだな」


 文化祭二日目に、新体制になってから初めてのバドミントンの試合が控えている。しかし、今回は色々と厳しい条件が重なっている。


 まず、顧問の問題。結城かなたが継続できない以上、新しい人材が必要になってくるが、未だに見つからない。大会はおろか、このままだと部活として成り立たなくなってしまう。


「そのときは、またなんとか結城さんを説得するしかないな。幸い本人はやる気みたいだし、兄貴には何とか言っておく」


 かなたが顧問になることを強く反対しているのは、蒼斗の兄の隼人なのだ。退部騒動のとき、相談室にはバドミントン部が迷惑をかけてしまったから、彼が怒るのも無理はない。


「それより、今回はメンバー的に勝ち上がっていくのは厳しいだろう。双葉さんは呑み込みが早くて日に日に上達していっている。けど、まだ試合をさせるには荷が重い」


 今回は団体戦の大会だ。最低人数である五人は集まっているが即席チーム感は拭えない。その上、勝率を高めるためには蒼斗と芝崎がダブルスを組むしかないのだが、二人ともシングルスが専門だった。


「亜樹を第一シングルスに出して、残りの試合に勝つしかないですね」


 第二、第三シングルスは蒼斗と大神が出るのが無難だろう。


「そういうわけで、今日も打倒朝日月夜を掲げて頑張りますか。今日は俺が相手するぞ」


「え、いいんですか」


「それがお前の役割だからな。リベンジ期待してるぜ?」


「……はい! よろしくお願いします!」


 月夜と対戦するまで、時間がもうない。ここまできたら精一杯やるだけだ。



 地下にある第二体育館を、上から覗き見る者の姿があった。

 長く艶のある黒髪が、首の動きに合わせて揺れる。朝日月夜はぼんやりと篠原大樹を眺めていた。


 こうしてそろそろ二時間くらいが立つ。そろそろ下校時間になるはずだ。

 通常練習が終わると、大樹はシングルスの練習に入る。本来は大神とのダブルスをしていたはずなのに、だ。何の意図があるかはもちろん分かり切っている。


「月夜」


「……翠」


 声をかけられ、月夜は振り向く。クラスメイトの天野翠だ。前はよく会話をしていたのに、今では全然話さなくなってしまった。いや、ここ最近、月夜は人と接する機会が極端に減っていた。翠に限ったことではない。


「ここしばらく、そうしてるよね」


「うん」


 月夜は頷く。平日でも休日でも、月夜はバドミントン部の練習風景を――具体的には篠原大樹を見ていく。帰宅してから、体の調子を確かめるために素振りとフットワーク練習をする。そんな習慣が身に付きつつあった。


「戻りたいの? 未練があるんだよね。だからそうしてるんでしょ」


 問いかけというよりは、願望を口にしている印象だ。どうしてなのかは分からないが、翠は月夜が部活を辞めたのは自分の責任だと思っている節がある。実際はあまり関係がないのに。


「彼と――――篠原くんと試合をすることになっているの」


「え、どういうこと?」


「最後に私と打ってみたいって。真剣勝負で」


 彼の狙いはそれだけではないけれど。

 試合を通して、バドミントンの楽しさを伝えると言っていた。基本的に大樹の味方ではありたいが、それだけは無理だと思う。


「つまり、敵情視察……のために来てるの?」


「うーん。違う」


 相手は中学時代からずっと同じ空間で練習してきた後輩なのだ。今更改まって対策も何もない。現在の大樹のプレイを見ていても脅威には感じない。


 そもそも、試合の行く末なんてどうでもいい。


 大樹がどうしてもというから付き合ってあげるだけだ。


「月夜……何がしたいの?」


 もっともな意見だ。月夜は渇いた笑みをこぼした。

 そんなこと、自分が知りたい。これからの自分が何を考えていくようになるのか、まったく予想がつかない。それが怖い。


 だから、翠の言葉は無視して、月夜は素直な気持ちを吐露した。


「私も、あそこにいられたら良かったのにね」


「ええ……?」


 いよいよ訳が分からなくなって、翠が混乱している。

 別に煙に巻こうとしているつもりはない。嘘もついていない。


「じゃあ一緒にいればいいじゃん。あの人たちと」


「一緒にはいられない」


「なんで」


「私と彼らは、違い過ぎるから」


 今度は何も言ってこなかった。月夜の突き放した物言いに、言葉を失ったようだ。


 まともな練習なんて、ちっともやっていない。だが誰が相手になったとしても負けない、負けるはずがないと確信している。


 絶対の壁だと思っていた高宮凛を打倒したとき、月夜はそれまでの自分が壊れてしまう感覚に襲われた。そして同時に新しい自分に生まれ変わったのだと気付かされた。コートに立ったとき、それまで困難に感じていたことが、容易にできた。自分が何をすべきか、相手が何をしてくるかを感じ取れる。力が溢れてくる。自分で自分を制御できない。



 ――私はあの日、天才になったんだ。



 ただ一つ弊害があるとすれば、いよいよバドミントンに対して何の興味も持てなくなったことだ。ラケットを握って、シャトルを叩き落とすだけの単純な作業。こんなスポーツを数年もの間続けてこれた自分の神経を本気で疑った。


 だから、距離を取りたくなるのは当然のことではないか。

 彼らと似た感性と感覚で、同じ目線に立って一緒にいられたら丸く収まるのに、と何度も思った。そうなりたいと切に願った。


 けれどそれは叶わない。彼らと肩を並べることは、きっともう……。


 これから先の人生で、一体何人の人が自分の傍にいてくれるだろう。底知れぬ不安が這い上がってきて、月夜は肩を抱く。


「救えるものなら、救ってみせてよ」


 意味のない願いを、口にする。



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