「あ、愛?」
部活からの帰り道のこと。急に大樹の携帯に着信が入った。紗季だろうか。電話を鳴らされるとしたら家族しかいない。それか間違い電話か。
だが、表示された名前を見てぎょっとする。慎重に指をスライドさせて応答する。
「……もしもし」
『大樹、今いい?』
「ああ、いいよ」
何かあったのだろうか。楓の声は緊張していた。
『あの後、企画を文実に提出してみたよ。翠先輩は多分大丈夫だろうって言ってくれたけど、どう思う?』
「ん?」
大樹は首を傾げた。
『ん? って、なんだよ』
「いや……。なんかすごい神妙な感じ出してくるから、もしかしてダメだったんじゃないかと思って焦った」
『さっきの今ですぐに許可が出るわけないじゃん』
何を当たり前なことを、と楓はご立腹だ。
しかし大樹にも判断のしようがない。
「なるようになるんじゃないかな」
『えー、もっとまじめに考えろよー』
どうやら差し迫った事態ではないようなので気の抜けた返事をするが、楓がそれを許してくれない。けれどやっぱり深刻な雰囲気にはならない。ダル絡みをされている気分だ。
……まあ、そういうのも楽しいけど。
「それより、今日は提出までいけたのは幸先いいね。もう少し時間かかると思っていたから」
『……そうだね。なんだか、みんなが急に良い人に見えてきちゃって。単純かな?』
「元から良い人たちだったんだよ、きっと」
確かに、皆にも案を考えてほしいとお願いはした。けれどあんな大勢に向けられた言葉では、聞いているものに当事者意識は生まれないはずだった。
けれど、実際は自分たちで考え行動して、手伝ってくれた。こんな人たち、滅多にいない。
クラスでの関わりが薄い大樹には、知る由もなかったが、こんなことなら普段からもっと仲良くしておけば良かったと反省した。もしかしたら、毎日の過ごし方が劇的に変わっていたかもしれない。
『だから、この企画はちゃんと実現させたい』
楓の決意を受けて、ようやく大樹は思考を切り替えた。
「ウチの方でも何か小道具とか衣装とかを探しておくよ。多分あったと思うから。家でハロウィンパーティーしたことある」
『なにそれ自慢? 今年はお邪魔してやるからな、覚悟しておけよ』
「なんで偉そうなんだよ。……いいけどさ」
少し脱線した。企画を通すには学年主任の認可が必要になる。前例のファッションショーの時のようにはしてはいけない。
「当日用意する衣装は派手過ぎず凝り過ぎず、シンプルなデザインを多くするべきだね。テーマがハロウィンだから、オバケの仮装が出来る程度の自由さは欲しいところ。一応子供が着れるサイズも用意しようかな」
『お菓子も配りたいんだけど、イケるかなー。トリック・オア・トリートは言いたいし、言わせたい』
「食品が絡むと急にうるさくなりそう。最悪諦めるしかないか。あ、カメラだけど機材とかどうなって――」
お互い、気になった点を口にして改善案を模索する。良い企画をより良い企画にするために。話し合いは大樹が帰宅するまで続いた。
◇
「朝日月夜の弱点って、何だと思う?」
口火を切ったのは真琴だった。
翌日の部活を終え、解散になりそうだったところを呼び止められたのである。最終下校時間までの短い作戦会議を部室で行う。他には蒼斗や大神の姿もある。シングルスの実力が優れている彼らの意見は参考になるはずだ。
「ぶっちゃけ、ないと思います」
大樹は素直に回答した。
今まで間近で彼女のバドミントンを見ていて、憧れや畏敬の念は抱いても、打倒するとか攻略とかは考えたことない。だからこそ、しっかり観察すれば何かしらの突破口は見えると思っていた。
はっきり言って甘かった。
何も見えてこない。
「センパイってどういうときに負けるんですか?」
中学時代で月夜を倒したのは、高宮凛だけ。高校時代も、月夜が誰かに負けたところは見たことすらない。上級生である真琴や蒼斗なら、もしかしたら何か知っているかもしれないと期待する。
「ないわ」
「ないぞ」
「えー、嘘でしょう?」
そんなはずない。
「実際、そうなの。月夜がシングルスで負けたところは見たことがない。団体戦においても、チームが敗北しても月夜は勝利を手放さない」
「練習試合でもそんな感じだな。……正直、俺自身は朝日に勝てると思っていた。性差の問題として、だけど。まあ、あの日ボコボコにされてそんな考えは吹っ飛んだよ」
真琴、蒼斗の言葉が続く。
「そういえば、あの日蒼斗先輩と戦ったときは、プレイスタイルが滅茶苦茶でしたね。いつも通りではなく、とにかく早くシャトルに触れることを重視していたというか。たまに左手も使ってたし」
「……ああ。本当に驚かされた。ペースを狂わされる。なんつうか、なりふり構わないって感じだった」
そうだ。月夜はお手本のようなプレイをするが、別にそれしか出来ないわけではない。
男子顔負けのパフォーマンスだって出来るし、左手を使って奇抜なこともしてくる。彼女は技術のひとつひとつを、時間をかけて習得している。大樹の知らない引き出しを隠しているかもしれない。
「もうだめじゃん」
お手上げだ。
「いや」
それまで口を閉ざしていた大神が言う。ちょっとびっくりした。
「勝てる」
「へえ。その心は?」
「あの人はバドミントンを愛していないから」
「あ、愛?」
突拍子もないことを言ってのける大神に、大樹だけでなく残りの二人も仰け反る。似合わねえ……。大神が愛とかほざくの、似合わねえ……。
「少なくとも、一流にはなれない」
「お、おう。……その心は?」
「朝日先輩は、出来ることをやっているだけ。出来ないことは絶対やらない。考えない。スポーツIQが低いんだ」
やっと根拠らしい根拠を聞くことが出来た。しかし、上手く理解できない。
「あ、IQ?」
「具体的には、試合中に自身の能力、戦術を修正する力のことだ。あの人のプレイは、オートマティックにシャトルに反応して、圧倒している……できているようにしか見えない」
大神と、真琴の視線が交錯した。真琴はうん、と頷く。
「正直、私も同じことを考えてた」
馬鹿な。ちっとも思い至らなかった。
「でも、だからって、どうすれば……」
大樹自身、思考することが得意なわけではない。そこで差を付けようとしても、一朝一夕に身に着くものではない。そもそも、圧倒的なパフォーマンス力で瞬殺されかねない。
「高宮からの申し出は本当に有難かったわね」
週末、藍咲バドミントン部は六花総合との練習試合を控えている。今日の練習もゲーム練が多かった。
「六花総合との戦いで、強者との戦い方を身に着ける。今はそれに賭けてみるしかない」
「うわあ、無茶ぶりだ」
試合として成立するかも怪しいのに、その中で成長しろとは。どうしろというのだ。
なんて弱気になっていたら大神に蹴られた。
「最後にコートに立っているのは、気持ちが強い方だ」
「良いこと言うじゃない」
真琴がバンバンと、大神の背中を叩く。大神は鬱陶しいみたいだった。
◇
六花総合との合同練習での課題を提示され、憂鬱になっていた帰宅途中。
またしても、大樹のスマートフォンが震える。来るのではないかと思っていた。結果が出るなら今日くらいになるはずだと。
通話をオンにする。楓が告げる。
『企画だけど、多分、無事に通ったよ』
「おおっ! マジで? 良かった!」
朗報だ。人目も気にせず喜ぶ。
「今日の放課後だった?」
『遅れてるからってことで、審査を急いでもらった。学年主任を直接説得する形になったけど、割と好感触だった』
「そうか……。ごめん、俺も手伝いたかったけど」
『部活なんだから、しょうがない。だけど注意事項はそれなりに多い。まず衣装を素肌に直接着せるのは禁止。お菓子は必ず市販品のものであること。アメとかチョコが望ましい。それと仮装についてなんだけど――』
「うん」
そこが一番のポイントだが……。
『びっくりした。むしろ推奨されたよ。クラス全員、仮装せよ、と』
「……マジ?」
俄かには信じがたい。どういう風の吹き回しなのだろう。
『もちろん、常識の範囲内の恰好でとは言われたけど』
「ああ……。そうなると、みんなにも説明しないと。当日の服装について。間違っても派手なのを着させないために」
『うん。……はあ』
楓が溜息をついた。何か嫌なことでもあるのだろうか。
『いやさ、自分が仮装することになるとは思ってなかったからさ。何の仮装をしていいのか分からないんだよ』
「俺らが言うのか、って感じではあるな」
主催者側が仮装したくないとか笑えない。
だが、大樹も、どうしようか悩む。今回は身内だけに見せるものじゃなくて、普段一緒に過ごしているクラスメイトにも見られてしまうのだ。それなりの恰好をしたいが、あんまり気合を入れ過ぎて浮くのも避けたい。
『ねえ、何か着てほしいの、ある?』
「へ?」
頭が真っ白になった。あ、え、という具合に上手く発声できない。
「……それ、俺が言ったやつを本当に着るの?」
『まあ、嫌なやつじゃなければ』
なんで満更でもない感じなんだよ。
ありえない服装の数々が浮かぶ。ハロウィンなんてイベントを無視して個人的に着せたい服装が浮かんでは消えていく。
「……ちょっと。考えさせてください」
『ふふ、そう?』
女っぽく笑うのやめろよ。その後適当に無駄話をして、リクエストがあるなら連絡してほしいと言われた。
これ……自分の服装を決めるより遥かに難しいじゃないか。